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しおりを挟む黒い影となった木々の隙間を、夕暮れの橙色の空が塗りつぶす。その美しい色の対比に、ユーダレウスは目を細める。燃えるような夕陽に照らされた木々の陰は、街道に不規則な横縞の模様を刻んでいた。
後ろを振り返れば、子供たちは遊び疲れたのか、丸められた簡易寝具に凭れて仲良く寝息を立てていた。ティニはいつも肩からかけている黒革の鞄を枕元に置き、ユーダレウスの外套に包まって丸くなっている。その隣のヒューゴが、身体にかかっていた毛布を思い切り蹴とばしたのをサラが甲斐甲斐しく直した。
ほどなくして、パーシーは街道の途中の開けた場所に馬車を入れ、馬を制止させた。
アルイマの森は、巨大樹の森と言うだけあって、広大な面積をもっている。勿論、そこを通る街道の距離も長い。早馬を全速力で走らせて、ようやく半日で抜けられるか否かというほどだ。普通の馬、それも馬車では通り抜けるには最低でも丸一日はかかる。
そこで作られたのがこの広場だ。街道を通行する者が途中で野営をできるように設えられている。近くには澄んだ泉と川があるらしく、かすかに水の流れる音がした。
周囲には街道と同じように、守り石でできた杭が打たれ、一時の休息を求めてきた旅人に、いくばくかの安らぎをもたらしてくれるだろう。
「今晩はここで一泊しましょう」
パーシーの意見に賛同し、ユーダレウスは馬車を降りた。広場を見まわし、テントを張るのはこの辺で良いだろうと決めると、腰の小型の鞄に右手を入れた。
何かを呟いてから抜き出されたその手には、几帳面にきっちりと畳まれた丈夫な布が握られていた。ずるりと引き抜いたそれを、無造作に地面に放ると、続けてテントの骨組みや杭などを同じ様に引き出しては地面に放っていく。
静けさに違和感を感じてユーダレウスがそちらを見ると、驚き半分、興奮半分に商人一家が、取り出されたばかりのテントの部品を見ていた。いつの間に起きたのか、ヒューゴも馬車から身を乗り出さんばかりにしている。
「すげー! それ魔術?! ユーダレウス、もっと見せて!」
「こら、ヒューゴ!」
パーシーが馬車から跳び降りてきた息子を叱りながらも、どこか期待している表情でこちらを見てくる。苦笑いを浮かべたユーダレウスは、カンテラのぶら下がった杖を腰の鞄から取り出すと、その先端で地面を突いた。
「アラキノツール・セラ」
ユーダレウスに呼ばれ、躍り出た白銀の光の玉が淑やかにも見える動きでふわりと舞い、杖を持っている魔術師の親指の関節に留まった。
「コード タプロ」
依頼を受けた月光の精霊は、輝く粒子をまきながら、テントの部品の上を旋回する。すると、白銀の粒子を吸い込んだ部品の一つ一つが浮き上がった。テントの部品たちは、ひとりでに自分の持ち場へと移動し、あっという間にテントが組み上がっていく。
テントの幕が音もたてずにかかったのを見届けると、ユーダレウスは、すい、と戻ってきた月光の精霊に、礼の代わりに額を寄せる。白銀の光の玉は、まるで淑女が口づけを施すようにその額にそっと触れ、カンテラの中に戻って行った。
「素晴らしい!」
息子以上に子供のように嬉しそうな顔をしたパーシーが、組み上がったばかりのテントの周りををぐるぐると歩き回る。テント自体には何の仕掛けもない、いたって普通のテントなのだが、魔術で組み上げられたというだけで興味が惹かれるらしい。
そのあまりの無邪気な喜びように、ユーダレウスは苦笑いをする。
「パーシー、暗くなるぞ。そっちのテントも組み立ててやるから、さっさと馬車から下ろすといい」
「いいんですか!?」
興奮しきりのパーシーが、テントを下ろすために馬車へと向かう。ヒューゴも父親と同じだけ興奮した様子でその後をついて駆けて行った。
まるで少年が二人、新しいおもちゃを目の前にしたような光景に、サラが一人、恥ずかしそうに火照った頬に手を当てた。
「すみません……」
「気にするな。こうもわかりやすく喜ばれたら、こっちも悪い気はしない」
強いて言うなら、怪我をしたばかりのパーシーが気にかかった。
あんなに動いて大丈夫だろうかとそちらに目をやると、丁度パーシーが何かに躓いて転んだ。どうやら、はしゃぎすぎて足元を見ていなかったらしい。
新しく擦り傷を増やしたパーシーが頭を掻く。ヒューゴが腹を抱えてけらけらと笑い、サラは夫の失態に額に手を当て項垂れたのだった。
妻に叱りの言葉をもらいながら、パーシーがはテントの重たい部品をせっせと下ろしていく。そんな中、ヒューゴは馬車の中でユーダレウスの外套にくるまって眠るティニを揺さぶっていた。
「ティニ、起きろ! お前のししょーが俺んちのテント、魔術で組み立ててくれるって!」
「んーん……」
乱暴に揺すられても、ティニはむずがるだけで目を開こうとしない。それどころかむしろ、被った外套の内側に潜り込んでいく始末だ。
「なあってばー!」
ティニの身体の下には、畳まれたテントの幕がある。この幕が無ければ、テントは完成しないのだ。起きる気配のないティニに焦れて声を荒くするヒューゴの後ろから、ユーダレウスが顔を出した。
「ティニ、寝るならこっちに来い」
手を伸ばしてティ二の肩の辺りを軽く揺する。すると、ようやく薄く目を開けたティニが、外套を被ったまま四つん這いになって師の下へとのそのそと動き出した。
ティニの体格では、踏み台なしで降りるにはこの馬車の車高は少々高い。寝ぼけているならなおさら危ないと判断したユーダレウスは、近づいてきたティニを何も言わずに外套ごと腕に抱き上げる。抱かれたティニは、ユーダレウスの肩に顔をこすりつけると、すぐに大人しくなった。
眠たい時の赤ん坊のような行動に、ヒューゴは思わずからかうような表情でティニを見る。外套に身体をすっぽりと包まれているのも、まるでおくるみで包まれた赤ん坊のようだ。それを察したユーダレウスも少しだけにやりとしたが、何も言わずに立てた人差し指を口元に当てた。
誰かとの秘密の共有は楽しいことだ。その興奮に堪え切れずに、ヒューゴの口からくすくすと笑い声が漏れて出る。
「んぅ……?」
寝息を立て始めていたティニが、ヒューゴの声で起きたのか、わずかに身じろいだ。小さな手を外套の下から引っ張りだすと、幼い手つきで目元をこすった。
「どうした、まだ寝てていいんだぞ?」
いやに優しい猫なで声を出す師に、ティニはうとうとしながら首をかしげる。ぱちぱちと眠たげに瞼を上下させるのに合わせ、綺麗に揃ったまつ毛が扇子のようにひらめいた。
青い瞳がゆるりと動き、冷やかすように笑いを堪えているヒューゴの姿を捉えた。にぃっとピエロのように笑ったその口が、唇の形だけで「あかちゃんみたい」と言ったのを認識した瞬間、全てを悟ったティニの頬が夕焼けよりも赤く染まった。
「あ、赤ちゃんじゃないです!」
ヒューゴに向けて、ティニは珍しく大きな声を出す。しかし、ヒューゴはわざと「やーい、あかちゃーん!」とからかいながら、パーシーの後を追って駆けて行ってしまった。ティニは抗議するように唸って、足をじたばたとさせる。暴れるティニを抱え直したユーダレウスが、その顔を覗き込んだ。
「わかったわかった。降りるんだな?」
瞬間、ティニの表情が凍り付いた。肩に触れる小さな手が長い銀の髪を巻き込んで、きゅっとシャツを握ったのをユーダレウスは感じた。
「……お、おり、ます……!」
言い切ると、苦渋の決断とでも言うように、ティニは顔を顰めた。幼い眉間にはうっすらと皺まで寄っている。やはり、まだまだ未練はあるらしい。
ユーダレウスはやれやれとため息をつくと、身体を屈めた。口では降りると言いながら、往生際悪くしがみついているティニをゆっくりと地面に近づけていく。ブーツを履いたつま先が地面に触れると、肩の辺りを握っている手にはいっそう力がこもった。
中々離れようとしない背中を手のひらでぽんと叩くと、ティニは大人しく手を放したが、その顔は叱られた子犬のようにしょげかえっていた。
これを機に、ティニの抱っこ癖も落ち着くかと思っていたが、どうやらそれは程遠いらしい。
――ただ。
この甘ったれの弟子の成長は、まだまだ先が長そうだというのに、どうしてだかユーダレウスの胸の中はほっとして、穏やかに凪いでいた。
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