23 / 83
15
しおりを挟む
落ち着いたかと思えば、また嵐のように取り乱す。
それを繰り返すうち、ティニは蚊の鳴くような声で「ししょう」と呟くようになった。意識が現実に戻り始めた証拠だろうか、まるで迷子が親を探すようなそれに「ここにいる」と返すと、ぼんやりと虚空を見ていた瞳は、安心したようにゆっくりと下りてきた瞼に覆い隠された。
むせずに水を飲むことができるようになった頃、ティニは泣き疲れたのかようやく眠りについた。水で絞った布を赤い目元に宛がうと、冷たかったのか少し身じろいだが、起きることはなかった。
ふと顔を上げると、窓から見える空はうっすらと白んでおり、ユーダレウスはそんなに時間がかかったのかと長く息をついた。もう必要ないだろうと手を伸ばしてベッドサイドのランプを消す。
薄暗い部屋に目が慣れた頃、店の裏口のドアが開く音がした。誰かが階段をそっと上ってくる音を聴きながら項垂れると、長い髪がカーテンのように流れ落ち、白けた夜明けの光を遮った。
「……マーサ、早いな」
扉の前で立ち止まった気配に声をかければ、音を立てずにドアが開く。
「なんだ、起きてたの……って、どうしたんだいその顔。まさか寝てないのかい?」
ユーダレウスが黙って首を縦に振ると、マーサは「おやまあ」と驚いた声をあげる。その声を聴いた男は、煩わしそうに髪をかき上げ、その手でティニを指さした。
「……やっと落ち着いて寝たとこだ」
「そうかい。うちには聞こえなかったから、てっきりすぐ落ち着いたんだとばっかり……まさかあんた、一晩中、防音の魔術でもかけてたんじゃないだろうね?」
冗談を言ったつもりで声を潜めて笑うマーサに、ユーダレウスは黙り込む。沈黙を肯定と取ったマーサはからかうような笑みを引っ込めた。
「……ご苦労さんだったね。ほら、あんたも少し寝な」
疲れ切った様子で狼のように低く唸ると、ユーダレウスは大人しく空いている方のベッドに潜り込んだ。
「今日は店が休みで良かった。ティニは起きたら面倒見とくから、あんたは気にせずゆっくり休みな」
「わるいな、頼む」
すぐに聞こえてきた寝息に苦笑しながら、マーサは窓辺に近づき古びたカーテンを閉める。
ユーダレウスはこの街に来る度に、この店に顔を出してくれていた。
いつだって少しも変わらない同じ姿で、いつだって人を食ったような余裕の表情でいる不思議な男。それがこんなにも弱った姿を見せたのは初めてのことだった。
奇跡のような術を操り、人の数歩先を歩いているように見える伝説の大魔術師、ユーダレウス。
しかし、彼もまた人間なのだとマーサは改めて感じていた。
相変わらず眉間に皺を寄せたまま眠る魔術師と、可愛らしくすうすうと寝息を立てている子供の身体にそれぞれ毛布をしっかりと掛けると、マーサはそっと寝室を後にした。
それを繰り返すうち、ティニは蚊の鳴くような声で「ししょう」と呟くようになった。意識が現実に戻り始めた証拠だろうか、まるで迷子が親を探すようなそれに「ここにいる」と返すと、ぼんやりと虚空を見ていた瞳は、安心したようにゆっくりと下りてきた瞼に覆い隠された。
むせずに水を飲むことができるようになった頃、ティニは泣き疲れたのかようやく眠りについた。水で絞った布を赤い目元に宛がうと、冷たかったのか少し身じろいだが、起きることはなかった。
ふと顔を上げると、窓から見える空はうっすらと白んでおり、ユーダレウスはそんなに時間がかかったのかと長く息をついた。もう必要ないだろうと手を伸ばしてベッドサイドのランプを消す。
薄暗い部屋に目が慣れた頃、店の裏口のドアが開く音がした。誰かが階段をそっと上ってくる音を聴きながら項垂れると、長い髪がカーテンのように流れ落ち、白けた夜明けの光を遮った。
「……マーサ、早いな」
扉の前で立ち止まった気配に声をかければ、音を立てずにドアが開く。
「なんだ、起きてたの……って、どうしたんだいその顔。まさか寝てないのかい?」
ユーダレウスが黙って首を縦に振ると、マーサは「おやまあ」と驚いた声をあげる。その声を聴いた男は、煩わしそうに髪をかき上げ、その手でティニを指さした。
「……やっと落ち着いて寝たとこだ」
「そうかい。うちには聞こえなかったから、てっきりすぐ落ち着いたんだとばっかり……まさかあんた、一晩中、防音の魔術でもかけてたんじゃないだろうね?」
冗談を言ったつもりで声を潜めて笑うマーサに、ユーダレウスは黙り込む。沈黙を肯定と取ったマーサはからかうような笑みを引っ込めた。
「……ご苦労さんだったね。ほら、あんたも少し寝な」
疲れ切った様子で狼のように低く唸ると、ユーダレウスは大人しく空いている方のベッドに潜り込んだ。
「今日は店が休みで良かった。ティニは起きたら面倒見とくから、あんたは気にせずゆっくり休みな」
「わるいな、頼む」
すぐに聞こえてきた寝息に苦笑しながら、マーサは窓辺に近づき古びたカーテンを閉める。
ユーダレウスはこの街に来る度に、この店に顔を出してくれていた。
いつだって少しも変わらない同じ姿で、いつだって人を食ったような余裕の表情でいる不思議な男。それがこんなにも弱った姿を見せたのは初めてのことだった。
奇跡のような術を操り、人の数歩先を歩いているように見える伝説の大魔術師、ユーダレウス。
しかし、彼もまた人間なのだとマーサは改めて感じていた。
相変わらず眉間に皺を寄せたまま眠る魔術師と、可愛らしくすうすうと寝息を立てている子供の身体にそれぞれ毛布をしっかりと掛けると、マーサはそっと寝室を後にした。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】
永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。
転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。
こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり
授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。
◇ ◇ ◇
本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。
序盤は1話あたりの文字数が少なめですが
全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
家ごと異世界ライフ
ねむたん
ファンタジー
突然、自宅ごと異世界の森へと転移してしまった高校生・紬。電気や水道が使える不思議な家を拠点に、自給自足の生活を始める彼女は、個性豊かな住人たちや妖精たちと出会い、少しずつ村を発展させていく。温泉の発見や宿屋の建築、そして寡黙なドワーフとのほのかな絆――未知の世界で織りなす、笑いと癒しのスローライフファンタジー!
異世界でネットショッピングをして商いをしました。
ss
ファンタジー
異世界に飛ばされた主人公、アキラが使えたスキルは「ネットショッピング」だった。
それは、地球の物を買えるというスキルだった。アキラはこれを駆使して異世界で荒稼ぎする。
これはそんなアキラの爽快で時には苦難ありの異世界生活の一端である。(ハーレムはないよ)
よければお気に入り、感想よろしくお願いしますm(_ _)m
hotランキング23位(18日11時時点)
本当にありがとうございます
誤字指摘などありがとうございます!スキルの「作者の権限」で直していこうと思いますが、発動条件がたくさんあるので直すのに時間がかかりますので気長にお待ちください。
豪華地下室チートで異世界救済!〜僕の地下室がみんなの憩いの場になるまで〜
自来也
ファンタジー
カクヨム、なろうで150万PV達成!
理想の家の完成を目前に異世界に転移してしまったごく普通のサラリーマンの翔(しょう)。転移先で手にしたスキルは、なんと「地下室作成」!? 戦闘スキルでも、魔法の才能でもないただの「地下室作り」
これが翔の望んだ力だった。
スキルが成長するにつれて移動可能、豪華な浴室、ナイトプール、釣り堀、ゴーカート、ゲーセンなどなどあらゆる物の配置が可能に!?
ある時は瀕死の冒険者を助け、ある時は獣人を招待し、翔の理想の地下室はいつのまにか隠れた憩いの場になっていく。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しております。
最前線攻略に疲れた俺は、新作VRMMOを最弱職業で楽しむことにした
水の入ったペットボトル
SF
これまであらゆるMMOを最前線攻略してきたが、もう俺(大川優磨)はこの遊び方に満足してしまった。いや、もう楽しいとすら思えない。
ゲームは楽しむためにするものだと思い出した俺は、新作VRMMOを最弱職業『テイマー』で始めることに。
βテストでは最弱職業だと言われていたテイマーだが、主人公の活躍によって評価が上がっていく?
そんな周りの評価など関係なしに、今日も主人公は楽しむことに全力を出す。
この作品は「カクヨム」様、「小説家になろう」様にも掲載しています。
平凡冒険者のスローライフ
上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。
平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。
果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか……
ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。
辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~
雪月 夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。
辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。
しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。
他作品の詳細はこちら:
『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】
『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】
『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』
【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる