嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

文字の大きさ
上 下
7 / 83

02

しおりを挟む
 人攫いが藪の向こうに姿を消すと、大狼だいろうは瞬く間に背の高い男へと姿を変えた。

「あー……肩凝る」

 眉間に皺を寄せた不機嫌な顔で、凝り固まった身体をぐっと伸ばし、コキコキと音を鳴らしながら首を左右に傾ける。月のような銀の長髪が頭の動きに合わせて揺れ、その傷んだ毛先が木漏れ日にきらめいた。

 大狼の話など、もうほとんどおとぎ話に近い伝承だったが、まだ知っている者がいたとは思わなかった。もっとも、もう会うことはないと男は安堵のため息をつく。

 人の言う「大狼」というものの正体は、魔術師である。自らに術をかけ、大きな狼の姿となるのだ。
 では何故そのようなことをするのか。理由は単純明快。ただの脅しだ。中にはその牙で人の喉笛に噛みつくことに楽しみを見出していた、狂気の魔術師もいたそうだが。

 この大狼の真実を知る者はあまりいない。

「……師匠、なんで嘘をついたんですか?」

 弟子である少年が、男の丈の長い外套コートを掴んで引く。感情の見えにくい瞳が、今は咎めるような色で師を見上げていた。

「熱さましの薬草があったのは、師匠があの人に教えた場所とは反対です」

 どうやら教えたことは身についているらしい。不機嫌な顔のまま、師は満足そうに目を細めた。

「あいつは嘘をついていたからだ」

 弟子は首を傾げ、小さく「嘘つき……?」と呟いた。
どうやら急に現れた男のことを微塵も疑っていなかったらしい。人を信じられるのは美徳だが、旅をする上では少々邪魔であることをどう教えればいいのか。師は重苦しいため息をついた。

「あれは人攫いだ。お前みたいなガキを攫って、売る悪党だ。いいか、ティニ。お前は目をつけられていた。気付かなかったか?」

 問いながら、弟子の頭に優しく手のひらを乗せる。ほんのわずかにきょとんとした顔になった弟子が、師の手のひらの下で首を横に振った。

「全然……いだだだっ!」

 弟子の口から問いの答えを聞くやいなや、師は手のひらの下の形の良い頭に指を立て、ぎりぎりと力を込めた。

「散々気ぃつけろっつったろうが! この馬鹿弟子!」
「ごめんなさいっ」

 反省しているらしい弟子の声に、師は指の力を抜いた。これで当分「おつかいにいきたいです」なんて言い出したりはしないだろう。痛みを和らげてやるように頭を撫でると、しょんぼりとしていた弟子は心地よさそうに目を細めた。
 終わりの合図にぽんと頭を叩くと、目を開いた弟子は男が去った獣道の向こうに視線を向けた。

「師匠、あっちには何があるんですか?」
「あ? 人食いの樹だ」

 弟子の動きが固まった。あまり動きのないその顔が、心なしか青くなっていく。

 遠くから、男の叫び声が聞こえた気がした。

「……来年は満開だろうな」

 ぽつりと呟いた低い声に反応して、弟子が不安げな顔で師を見上げる。その顔は、例の男への同情というよりも、単純に恐ろしい植物への恐怖といったところだろう。

「……来年、見に来ますか?」
「なんだ、見たいのか」

 問われた弟子は、首を大きく横に振った。

「あんまり」

 だろうな。師はそう内心で独り言つ。

 たとえ弟子が見たいと答えても、花見に来る気はなかった。
 人食いの樹は、まるで天上の植物のように清楚で優美な花をつける。だがそれは、数いる生物の中から人間を選んで養分にしたときにだけ咲く。悪趣味すぎて、どう考えても子供に見せるような代物ではない。

 ただし、可愛い弟子を狙った悪党の始末に使うには丁度いい。

「……師匠」
「あ?」

 不意に呼ばれて見下ろすと、弟子が両腕を伸ばしているのが見えた。

 ――不安になるとすぐこれだ。

 ため息をついた師は、弟子を抱き上げる代わりに、彼のお遣いの成果を抱え上げる。弟子が静かにがっかりした顔になった。
 それを見てさらにため息を零すと、空いた方の手で弟子の小さな手を掴む。

「甘えるな。馬鹿弟子」

 突き放すような言葉とは裏腹に、ひどく優しく穏やかな声だった。


 木漏れ日が茜色に染まる中、手を繋いだ師弟は今晩の宿へと歩き出した。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?

山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。 2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。 異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。 唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る

マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息 三歳で婚約破棄され そのショックで前世の記憶が蘇る 前世でも貧乏だったのなんの問題なし なによりも魔法の世界 ワクワクが止まらない三歳児の 波瀾万丈

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。

アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。 両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。 両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。 テッドには、妹が3人いる。 両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。 このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。 そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。 その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。 両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。 両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…   両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが… 母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。 今日も依頼をこなして、家に帰るんだ! この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。 お楽しみくださいね! HOTランキング20位になりました。 皆さん、有り難う御座います。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

俺だけ皆の能力が見えているのか!?特別な魔法の眼を持つ俺は、その力で魔法もスキルも効率よく覚えていき、周りよりもどんどん強くなる!!

クマクマG
ファンタジー
勝手に才能無しの烙印を押されたシェイド・シュヴァイスであったが、落ち込むのも束の間、彼はあることに気が付いた。『俺が見えているのって、人の能力なのか?』  自分の特別な能力に気が付いたシェイドは、どうやれば魔法を覚えやすいのか、どんな練習をすればスキルを覚えやすいのか、彼だけには魔法とスキルの経験値が見えていた。そのため、彼は効率よく魔法もスキルも覚えていき、どんどん周りよりも強くなっていく。  最初は才能無しということで見下されていたシェイドは、そういう奴らを実力で黙らせていく。魔法が大好きなシェイドは魔法を極めんとするも、様々な困難が彼に立ちはだかる。時には挫け、時には悲しみに暮れながらも周囲の助けもあり、魔法を極める道を進んで行く。これはそんなシェイド・シュヴァイスの物語である。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

処理中です...