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ヒッグスとリタ5話
しおりを挟む「──それでな、今夜にでも襲うらしいぜ」
「よし、腕が鳴るぜ……、子供は全員皆殺しだな」
「そうらしい。どっちが多く殺せるか競争するか? へへっ!」
咄嗟に隠れた木の上で、胸糞悪い話を聞いたとヒッグスは思った。
(ちっ、こいつら野盗か……、子供を皆殺しだって……?! まさか……)
ヒッグスは音を立てないように木を降りると、野盗から死角になるようにして尾行する。
尾行はヒッグスの十八番なので見つかる気はしないが、細心の注意を向けていた。
「お前には負けねぇよ! それより、お頭が言ってたのはよぉ。シスターは殺す前にちゃんと金を見つけてから殺せってよ。たんまり儲けてるって話だからな」
(何っ……!? あの孤児院の話だったのか?!)
ヒッグスの胸に驚きと同時に、激しい怒りが込み上げていた。あの方が守ろうとしている孤児院の者達を皆殺しなんて見過ごせる筈がない。
かといって、自分の戦闘能力なんてたかが知れている。複数を相手にするなんてもってのほかだ。
(どうすれば良い……、考えろ、考えろ……)
ヒッグスは男達を尾行しながら考えるが良い手は浮かばない。とりあえずこの男達を尾行する事にした。
野盗の2人は森の木々を抜けて、獣道を歩いて奥へ奥へと入っていく。ヒッグスもある程度の距離を保ちながら尾行をしていくと、森の中にテントや焚き火に鍋をかけたキャンプをしているかのような場所に出た。
(これがこいつらのアジトか……? だとしたら人数はそれほど多くはないはず。テントが3つに大鍋が一つか……恐らく多くても5人から8人位の集団だろう……)
「あれ?リーダーが居ねぇぞ? ヤベェっ……」
「サボってたのがバレるぞっ! もう鍋の用意がしてあるから、昨日言ってたウサギを取りに行ったんだっ! 俺達も急ごうっ」
「おぅっ!」
野盗の2人が駆けていくのを見計らって、ヒッグスは木々の影からテントの前に移動する。
「これだ……この方法なら多分、野盗全員殺せる筈だ……」
ヒッグスが考え抜いて出した結論。
それは毒殺。
自分の所持品の中には幸いにも劇薬が入っている。カタビラ草を根絶やしにしようとした劇薬だ。
魚の内蔵から薬師が抽出した劇薬なので、恐ろしい事に食物に混ぜてもバレにくいのだという。
ヒッグスは使う機会が無かったが、その致死率は死刑囚などで実証済みだった。
(今しかない……っ!)
肩に掛けた袋から劇薬を取り出そうとするが、手が震えて上手く取り出せない。
(くそっ……落ち着けっ)
諜報部員として汚れ仕事を請け負って来たヒッグスだったが、人を殺した事はない。
(コイツラを殺さなきゃ、あの子達やシスターまで殺されるんだっ!)
自分の心を叱咤して、ヒッグスは鍋の中の野菜等の脇に薬品を溶かしていく。念の為に置いてあった酒の瓶の中や、寝酒用なのかテントの中に置いてある酒にも劇薬を仕込んでおいた。
「……よしっ……」
周到に毒を仕込んだヒッグスは身を隠す場所を探した。
近くの少し小高い丘の繁みを見つけると、ここで野盗が全滅するかを確認する事にした。
*
夕方になって、森の中に暗闇が手を伸ばし始めた頃。
テントが設営してある場所に野盗達が騒ぎながら戻って来た。野盗の数は全部で7人。ヒッグスの予想は当たっていた。
兎は取れなかったのか、どこかで買ってきたような皮を剥いだ鶏の肉を数匹分手にして。
野盗はテントに集まると火を囲み、煙草のような物をそれぞれに燻らせている。
ヒッグスには聞こえないが、話は盛り上がっているようで、時折笑い声が聞こえてくる。
(今夜孤児院を襲うってのに、馬鹿騒ぎしてやがる。良心の欠片も無くしているのか。あれはもう魔物だ。人間なのは姿だけだ……早く毒を飲んでしまえ)
繁みから覗くヒッグスの心は、いつしか落ち着きを取り戻していた。
後は落ち着いてここで野盗が死んで行くのを眺めるだけだ。
やがて、火を囲んでいた野盗の一人が立ち上がり、酒を片手に大声で話し声をあげる。
恐らく奴が野盗頭だろう。
それに伴い他の者も乾杯するように、手には酒と肉を持ち両手を上げて笑っている。
「お前らァ、今夜は前祝いだァ! 大金を手に入れたら、明日には王都で本祝いだァ! 孤児院だけじゃねぇ! 村人全員殺せェ……! 村人の悲鳴を今夜の祝いの歌にしてやろうぜェっ! ぎゃはははっ!」
「「おおっ!」」
野盗頭の掛け声を合図に、野盗達は一斉に酒を飲み、肉に喰らいついた。
(下衆どもめっ……、悲鳴をあげるのはお前等だ……)
ヒッグスは野盗達の最後の宴を、歯噛みしながら見守った。
「うっ……、ぐっ……ぐぇぇっ!」
「ぐえぇっ!」
「ぐっ……、がっ……グェェっ!」
やがて、1人の男が嘔吐したかと思うと、後は芋づる式に嘔吐が始まり、野盗の宴は凄惨な宴となった。
野盗達は皆倒れ、身体を大きく痙攣させたかと思うと、白目を剥き、口から大量の泡を吐いて絶命した。
(よし……効いたな……)
ヒッグスが仕込んだ、その恐ろしい劇薬の効果に身震いがした。
(この手で初めて人を殺してしまった……いや、奴らは人ではない……、魔物だ。私は魔物を殺したのだ)
ヒッグスは震える手を見つめた。
これであの村を、あの御方が守ろうとした孤児院の命を自分が守れたのだ。
ヒッグスは初めて、クレイグに少しだけ恩返しできたような気がした。
肩にのしかかっていた大きな不安が、これで降りたような気がして体が軽く感じた。
繁みからヒッグスが立ち上がり、野盗の元へ歩いていく。
「良かった……、これであの孤児院を──」
──ザクッッ!
「ぐああァっ!」
ヒッグスの脇腹に激痛が走る。痛みに倒れそうになりながらも、慌ててすぐ後ろを振り返ると、そこには剣を持った野盗頭が、ガクガクと震えた足で立っていた。
「誰だァ……てめェは……、そうかっ……、てめェが毒を盛ったのか……、よくも……、道連れだ……道連れだァァッ!」
「……くそっ……!」
ヒッグスは野盗が全員死んだと完全に油断していたのだ。
腰に差していた短刀を抜くと、野盗に対して構えた。
だが思うように力が入らない。
(何故だ……?!力が……上手く入らない……!)
それもそのはずだ。
いつの間にか、ヒッグスの脇腹からは大量の血液が溢れるように流れていた。
血液は足を伝い、地面を赤く染めていく。
「ああ……っ!そうか……っ、くそっ……」
ヒッグスに相対する野盗の男は、まるでアンデッドモンスターのゾンビのようだった。
顔色は紫、白目を剥いて口からは泡を吹きながら、その目だけはヒッグスへの怒りで満ちていた。
「ぅがああァァっっ……!」
「うあァァッッ!」
野盗頭の振り上げた剣がヒッグスの頭部を捉えていた。
戦闘経験は歴然。ヒッグスが勝てる相手ではない。
しかし、必死になって踏み込んだヒッグスの足先が自分の血液で出来た血溜まりでズルリと滑る。体勢を崩したまま剣先だけが野盗頭に猛烈に突き込んだ。
──ザグッッ!
野盗頭の剣先が振り下ろされるまでに、ヒッグスの短剣は野盗頭の心臓と肺を貫く形になった。
そしてそのままお互い地面に倒れ込んだ。
野盗頭の胸からは血液が吹き上げ、ビクビクと痙攣した後、ほどなくして絶命した。
今度こそヒッグスはその様子を確認すると、大きく息を吐き、体を仰向けにして空を見上げた。
体温が出血と共にどんどん下がっていくのが、自分でもわかる。
喉を鳴らして荒い呼吸を繰り返しながら、目前に拡がる夜空を見上げていた。
すると次第に周りの音が聞こえなくなっていく。
静寂の中でヒッグスは不思議と穏やかな気持ちになっていた。
夜空にはまるで降り出した雨のように、沢山の星が輝いていた。
昨日見つけた、妻が好きだったあの星が強く輝いて見えた。
「はは、そうか……、そうだな。……やっとお前の元に……行けるみたいだ……」
星座を指先で掴むように手を伸ばす。震えるその手は真っ赤に染まっていた。
ヒッグスの脇腹からはおびただしい量の血液が流れていた。体中が血だらけになって小さく痙攣していたヒッグスだったが、その顔には笑顔がこぼれていた。
ヒッグスは人生の最後に、恩人が守ろうとした孤児院を、自分が守れた事が嬉しかった。
そして何より嬉しかったのは、産まれてくる孫と最愛の娘リタに、【 誇れる自分 】として死ねる事が嬉しかった。
60数年、懸命に生きた。
汚れ仕事ばかりだったが、全力で生きた。
あの方にいつか恩を返すために。
亡くなった妻のために。
そして、妻が残した宝物。
愛する娘のために。
「リタ……、リ……タ……、……リ……」
小さな呼吸が、まるで森に溶けてしまうかのように消えた。
やがて静かになったヒッグスの体を、木々の精霊のざわめきが見守るかのように、風と共に優しく夜風が包んだ。
*
ヒッグスの自宅。
肌寒い夜には体を冷やさないように、暖炉に火を入れなさいという父の教えに従い、リタは部屋を暖めていたが、どうにも顔が熱くなり、窓を開いた。
「ふぅ。……わぁ、綺麗。あ、マリウスだ」
夜空には沢山の星が輝いていた。
部屋から空を見上げたリタの目に、真っ先にその星は飛び込んで来た。
リタが父から聞いていた、亡くなった母が好きだったという星。
父はその星の名前をもう忘れたと言っていたが、あの星の名前は【 マリウス 】という名前だとリタは調べて知っていた。
「ふふ、お父さん驚くぞ。マリウス、一緒におじいちゃんを驚かそうね。お歌を唄ってあげるね」
そして、お腹の中でスヤスヤと眠る我が子には、『マリウス』という名前を父には内緒で付けるつもりでいた。
リタの暖かい手がお腹をさすり、その優しい歌声は、星の降る夜空に吸い込まれていく。
リタとその小さな命を見守るように星が輝いていた。
*
後日、薬師会に届いたヒッグスの報告書にはこう記されていた。
『報告──カタビラ草の独占は、どうやら終わりの時を迎えていると思われる。薬師会も商会を認めて、価格の見直しを行わねば、一般の民達からの薬師会の信用を失墜させる事になりかねない局面である。
よって、今後は商会とも協力関係を築いていき、お互いの良い所を持ち寄り、共存を目指していくべきだと考える
──ヒッグス・フラッグフット』
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