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ヒッグスとリタ3話
しおりを挟む──ドン、ドン
シスターが子供達と夕ご飯を済ませ、本を読み聞かせていた時、外からドアを叩く音がした。
「はい、どなたですか」
「すまない、旅の者なんだが足を挫いてしまってね。一晩だけで良いので泊めてはもらえんだろうか?村長殿に聞いたら孤児院を紹介されてね。あ、もちろん謝礼は用意している」
シスターは聞き耳を立てる子供達と目を合わせると、うんと頷いた。
「はい、よろしいですよ。どうぞ」
シスターが内側から掛けてある鍵を開ける。ドアを開けてそこに立っていたのは片脚を引きずるように歩く男。ヒッグスだった。
「すまない、シスター、助かるよ。いやなに、一晩寝たら腫れも引く。薬も持ってるから今夜だけで良いんだ」
「そうですか、それは大変ですね。バート、お水を用意してあげて。エマは布を持って来て。狭いですけど、お部屋はこちらです」
突然現れたヒッグスという老人に子供達は興味津々でチョロチョロと走り回る。
「やぁ、みんなこんばんわ。今夜だけ仲間に入れてもらえるかい?」
「うん、良いよ」
「おじさん大丈夫?」
シスターに部屋に案内されると、ヒッグスはベッドに腰掛ける。スラリとした体型のブロンド髪の青年バートが、桶に水を用意してくれる。
エマと呼ばれた少女は足に巻く包帯を用意してくれていた。
バートがニカッと笑ってヒッグスに話しかける。
「ねぇ、おじさん。おじさんは旅の人でしょ。どこから来たの?」
「ん? あぁ、私は王都の方から来たんだ」
王都というとバートの目が一瞬輝いた。エマという少女と目を合わせると、いたずらっ子のような顔で2人は笑い出した。
「そっかー、王都から来たんだ。ふふふっ」
「ふふ」
バートとエマ何かを思い出したかのように笑っていた。その様子をヒッグスは、何が可笑しいのだろうと不思議に眺めながら、用意してもらった水で脚を冷やしていた。
「バート、エマ、ありがとう。もう良いわよ」
「はーい」
「はい、シスター」
シスターが来ると青年と少女は隣の部屋へ軽やかに歩いて行った。
「突然すみませんね、シスター。あ、これは先に謝礼を渡しておきます」
ヒッグスは小さな袋に金貨を数枚入れてシスターに渡した。謝礼を多めに払ったのは野盗や盗賊ではないと信用してもらう為だった。
「まぁ……こんなに? ……ありがたく頂戴致します」
「いや、助かりました。これで今夜はゆっくり休める。私は旅の薬師でして。怪しい者ではありません」
「えぇ、大丈夫ですよ。怪しい方は顔に書いてありますから。ふふ」
怪しまれていないとわかるとヒッグスは内心ホッとした。孤児院の者達に関わるつもりは無かったのだが、どうしてもその栽培方法が聞き出したかった。
もしもその方法が分かれば、薬師会にとっても大きな利益となる。
孤児院のカタビラ草を根絶やしにせずとも、薬師会が繁殖に成功すれば、それこそ大きな利益を産むからだ。
「ところでつかぬ事を伺うのだがよろしいかな?」
「なんでしょう?」
「先程、孤児院の横を通った時に見えたんですが、あの白い花の名前はもしや……?」
拒絶されるかもしれないと思いながら、ヒッグスはシスターに遠回りに探りを入れる。
「あぁ、あの花ですか?あれはカタビラ草という名前だそうです」
「おぉ、やはりそうですか」
「ご存知でしたか?」
「えぇ、調合では有名な花ですからな。私は若い頃から薬学を学んでおりましてな、この薬草の栽培は随分と難しかったと思うのですが、どのように育てておられるのか……、興味本位でお尋ねしてもよろしいかな? いや、無理にとは言いませんぞ」
おいそれと喋る者はいないだろうが、とは思いながらも、ヒッグスはシスターの人柄の良さにわずかな期待を寄せた。
「えぇ。かまいませんよ」
(おぉっ!)
シスターはヒッグスが拍子抜けする程簡単に、その浅ましい期待に応えてくれた。
「この薬草は、ある……旅の方が植えて下さったんです。その方がこれを育てて売れば、孤児院を運営する足しになるからと。そのお陰で困窮していた孤児院の足しどころか、充分な食事や衣類、子供達が学ぶための本まで買えるようになりました。私達はその方に救って頂いたんですよ。ふふふ」
軽く笑うシスターは、その旅の者を思い出しているようだった。
「なんと……そのような……」
「あっ、育て方でしたね。育て方……といっても特別な事は私達は何もしていません。すぐに育って拡がっていくので、時々間引いては商会の方に買い取って頂いて、後は水を掛けているだけなんです。あ、でも……この水が普通の水では無いのかもしれませんね」
シスターはそう言うと立ち上がり、台所の横に置かれた水瓶の上に被せてある木蓋を横にずらした。
蓋をずらした途端、水瓶の底から柔らかい光がぼんやりと輝いていた。
(この光…………?!)
まさかと思い、慌てて覗き込んだヒッグスは驚き、その年相応に厚ぼったいまぶたを大きく見開いた。
「……こ、これは……っ?!」
*
──時をさかのぼって、十数年前
──ドンドンドンッ!
「お願いしますっ!!娘が……、娘の様子がおかしいんですっ!!どうか、どうか診て頂けませんかっ!?」
寝静まる街角。ドアを叩く音と、男の懇願するような声が響いた。
「だぁれだぁっ!……こんな時刻に……っ!」
「あっ……、お医者様っ!ヒ、ヒッグスでございますっ!」
「ヒッグス……、あぁまたお前か?!」
医者と呼ばれた男は、わずかにドアを開けると、その隙間からヒッグスの姿をチラと見る。
薄汚れたボロ布としか形容出来ないような服を身に着け、走って来たのか、雨にでも打たれたかのようにびっしょりと濡れたヒッグスがドアの外に立っていた。
「何時だと思ってるんだ……ったく……!」
「お医者様っ!娘の容態がおかしいんですっ!!すぐに診て頂きたいんです!」
「いつもやってる薬を飲ませておけば問題無いだろう!」
「それが……、薬も全部吐いて、おまけに血を吐いてるんです……! 息をするのも苦しそうで……亡くなった家内と似た症状なんですっ! このままだと、あの子が死んでしまいそうで……! どうか……どうかお願いしますっ!」
神にでも祈るようにして、ドアの外で手を合わせるヒッグスに、面倒くさそうにこの男は答える。
「他の医者を当たってくれないか……ヒッグス。私はさっき眠ったばかりなんだ……ふわぁぁ」
酒臭い医師の男は、大きなあくびをしながら眠そうに目をこする。
「ほ、他のお医者様には、みんな断られたんです……!どうか……! どうかお慈悲を!!」
ドアを無理に開けるようにヒッグスが扉に手をかけると、医師の男は声を荒げた。
「おいっ! やめろ! とにかく、夜が明けてからだっ! 夜が明けたら薬を作ってやるから!」
勢い良くドアが閉じられて、中から重い錠を閉める音がガチリと聞こえる。
それでもヒッグスはドアを強く叩いた。
「どうか……! どうか……!! お願いします……! 娘を……娘を……! 助けてくだ……さい……っ!」
ヒッグスは、ドアの前につぶれるようにして泣き崩れた。
そして、なけなしの気力を振り絞ると、数段ある階段を這いずるようにして降りていこうとした。
その時だった。
這いつくばるヒッグスの泥にまみれた手の前に、綺麗に磨かれた革靴が止まった。
ヒッグスは靴の主の方へゆっくりと顔を上げる。
そこには男が立っていた。
威厳あふれるような立派な青い軍服に、重厚な黒いローブを肩からまとい、肩まで伸びた銀色の髪からは、ヒッグスが普段出会うような者とは違う、輝きを含んだような気品がこぼれ落ちるようだった。
「お困りのようだが……さぁ、肩をお貸ししましょう。立てますか?」
ボロ布のように汚れたヒッグスの服や手足などお構いなしに、男はヒッグスと肩を組むようにして体を低くした。
「わ、わたしなどの……汚い身体に触れては、貴方様のお洋服が、その、汚れてしまいますので……、あっ」
「そんな事は気にする事はありませんよ。なぁ、君達。私はこの方を送っていくので、君達は先に帰って構わないよ」
「し……、しかし……! 団長様っ」
「私もすぐに戻るから。君達は疲れているだろう。先に城に帰って休みなさい」
銀髪の軍人は、慌てて付いてきた従者のような男二人に指示を出すと、ヒッグスの肩を抱いたままスルスルと路地へと入っていく。
「あ……あの、軍人さま──」
「診たところあなたの具合が悪い訳では無いようですね。安心しました。夜も深いと物騒です。さぁ、ご自宅まで送りましょう」
穏やかな口調で、ヒッグスの顔を覗き込んでニコリと笑う銀髪の軍人のその優しい笑顔に、ヒッグスはどこか心が安らぐように感じた。
しかし、娘の苦しそうな顔がよぎると否応にも気持ちが焦る。
「あの、わたしは大丈夫なんですっ!それよりも……、娘が……!」
「娘さんですか……、娘さんがどうされたんです?」
ヒッグスの顔色を伺い、足を止めた軍人に、息を一つようやく飲み込んで答える。
「娘が……! 死んでしまいそうで……怖いんです……! 血を吐いてるし、熱も高くて……! だけど……どの薬師様も……診てくれなくて……! 亡くなった妻と同じなんです……、このままじゃ……娘が……っ!」
自分の娘に確実に忍び寄っているような“死”という存在を口に出そうとすると、その恐怖からか、ヒッグスは息を上手く吐けなくなるのだった。
「……ご主人。私は軍隊で軍医として任務に当たっています。これも何かのご縁かもしれません。もしよろしければ娘さんを診させて頂けませんか?」
「そ……それは……っ、本当ですかっ!」
肩を組まれたまま、ヒッグスの両目は驚きと共に見開き、軍医の顔を真剣に見つめる。
「えぇ。お話の様子だと一刻を争います。さぁ、娘さんの元へ案内してください」
そう言うと軍医は、まるで空中に字を描くように指先をクルクルと回しはじめた。その様子を不思議に眺めながら、ヒッグスは軍医の男に問いかける。
「し、しかし、よろしいんでしょうか……? 軍医様ともあろう御方が……我らのような│下賤《げせん》な者を診ていただいて──」
「命に上も下もありませんから。……少なくとも戦争以外では。これで良しっと、さぁ急ぎましょう」
「はっ、はいっ! こちらですっ!」
ヒッグスの案内で二人は雨に濡れた細い路地を足早に駆けていく。
町外れの郊外にたたずむ、余った木を寄せ集めて作ったような古びた小屋へと案内され、ヒッグスと軍医は木戸を開けて入っていく。
二人が部屋に入ると、ランプの灯りがぼんやりとうなされている小さな少女の横顔を照らした。
少女の顔色は蒼白で半目を開き、ひどく衰弱している様子だった。
時折小さく痙攣し呼吸が荒く、高熱に苦しんでいるせいか、小さな肩で懸命に息をしているのが伝わる。
ヒッグスは娘のリタの青白く痩せた頬を、落ちかけた花びらに触れるかのように優しく手の甲でそっと触れて、その温もりを確かめた。
懸命に生きようとしている小さな命の灯火に、ヒッグスの頬を大粒の涙が流れた。
「うぅ、リタ……。軍医様、娘のリタです……娘は、私の娘の容態はどうなのでしょうか……」
一瞬、軍医の目が青く輝いていた気がしたが、ヒッグスはそれどころではなかった。
軍医の男は、ヒッグスと反対側のベッドに浅く腰掛けると、少女の細い手首を優しく指先で掴んだ。
「ふむ、なるほど。随分と衰弱している。身体の中の悪い物が暴れているようですね。少し手を貸してあげれば……この│娘《こ》は良くなるでしょう」
「ほ、本当ですかっ……っ! 本当ですかっ軍医様っ!」
軍医の言葉に、ヒッグスは飛び上がるようにして、床に両手と頭を付けた。
「軍医様っ! どうかっ! どうか、お願い致します……! 娘を助けてくださいっ! 報酬は……今は払えませんが……、私の命をかけて償います……! なんでも……なんでも致します……どうかお慈悲を……っ! どうか……っ!」
床に額を擦り付けるヒッグスの涙が数滴、頬をつたって床を濡らしていた。
「ご主人、さぁ顔を上げてください。あなたの命。そんな大切な物を報酬に頂く訳にはいきませんよ。それにあなたの命は、この│娘《こ》をこれから大きく育てていく事に使わないと」
「ぐ、軍医様っ……それでは……」
「えぇ、すぐに処置しましょう。少し眩しいですから、ご主人は目を閉じていてください」
「え……?あ、はい……」
ヒッグスは軍医の言葉の意味がわからないまま、言われたとおり目を閉じた。
「【シルバーヒール】」
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