神色の魔法使い

門永直樹

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ヒッグスとリタ1話

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「先生……っ! 娘を……っ! 娘を助けて下さい……っ!」








「……夢か。……ハァ」


いつもと変わらない夜が開ける少し前。ヒッグスはうなされて目が覚めた。


「お父さん、また私の子供の頃の夢、見てたんでしょ」

「……あぁ」


起きてきたヒッグスに、娘のリタは声をかけた。

60歳を過ぎたヒッグスは、娘のリタを男手一つで育てあげた。リタの母親は、リタを産んですぐに、当時流行っていた病にかかり亡くなっていた。


「おはようリタ。私が見る夢はいつも……あの日のゆめだ。私の人生が変わったあの日のね」


リタと呼ばれる若い娘は、自分のお腹の中で育つ身重なお腹をかばうようにしながら朝食の準備をしていた。


「でも……、本当にそんな魔法使いなんていたのかしら?」


リタはテーブルに皿を並べながら、父から何度も聞いた話に不思議そうな顔を浮かべた。


「あぁ。いらっしゃったよ。誰もが治せなかったお前の病を一瞬で消し去ってくれた御方がね。もしも、またお逢いできるような事があれば……。その時は私の全ての財はもちろん、この命を差し上げても良いと思っている」


リタは父親の言葉に、不満げに眉を寄せてふぅと溜め息を着いた。


「産まれてくるこの子のためにも、お父さんの命もお金も、両方大切にしてもらわないと。困ったおじいちゃんだこと。ねぇ」


お腹の子供に話しかけるように、リタは大きくなったお腹をやさしく撫でている。
ヒッグスもそんな娘の様子を優しい眼差しで見守る。


「それ程の事をして頂いたんだよ、私達親娘おやこは。じゃあリタ、私は出掛けるからね」

「はい、お父さん」


出掛ける前にいつもするように、棚の上に丁寧に飾られた水晶に向かってヒッグスは深く頭を下げた。
その水晶はまるで祈りに応えるように虹色に輝いた。









ヒッグスが勤めている薬師会の支部に、本部から呼び出しがかかった。本部の門をくぐったのは丁度、昼をまわった頃だった。
顔見知りの年老いた守衛がヒッグスを見かけると声をかける。


「ご苦労さんだったなヒッグス。ガンキン様がお呼びだ。何かやらかしたんだろ?」

「よしてくれよ」


ヒッグスをからかう昔馴染の守衛に、笑いながら手を振って本部の建物へと歩いていく。

ここは王都の外れ、中心地より南端の城壁近くに建つ、石造りの2階建ての建物。
ここに薬師会の本部があった。
ヒッグスは2階の部屋、ガンキンの書斎入口に立つと頭を下げた。


「ガンキン様、遅くなりました、ヒッグスでございます」

「うむ、入れ」


ガンキンは薬師会幹部、薬師達の総括を務める男だ。
ヒッグスが部屋に入ると、ガンキンは手元の書物から顔を上げた。


「わざわざ来てもらってすまなかったな、ヒッグス」

「いえ、かまいません」

「実はな。ヒッグスに……ちょっと見て欲しい物があってな。これなんだがな……」


厄介事を抱えたような口調で、ガンキンは窓辺に置いてあった木箱を机の上に置いた。

木箱の中を覗くと、苗のように区分けされた植物が青々と葉を付けている。
ヒッグスは驚いて目を見開いた。


「これは……?! カタビラ草……っ!」

「そうだ、カタビラ草だ。だが……我々の知っているカタビラ草と違うと思わんか?」

「明らかに違います。こんなに生命力に溢れたカタビラ草は見た事がありません。一枚一枚の葉がこんなに大きい……、こっちはつぼみまで出来ている。驚いたなこれは……。一体誰の管轄のものですか?」


カタビラ草は中級・上級ポーションと呼ばれる冒険者や軍の兵士達が使用する体力回復薬の原料で、その栽培は極めて困難、もしくは不可能と言われている。

現在発見されて自生しているカタビラ草は、そのほとんどを薬師会が管理し、場所を押さえ、その販売も独占しているため、カタビラ草の価格は薬師会の言い値となっている。
そのため大きな資金源となっていた。


「それなんだがな、ヒッグス」


ガンキンは困ったような表情で眉を寄せて、顎髭をつまむ。


「この王都の商業区にある商会で販売し始めたらしいのだ。それもだ、ごく稀に店頭に並ぶ訳ではない。定期的に販売されるらしく、錬金術師やモグリの薬師なんかにも飛ぶように売れてるらしいのだ」

「……それは、不味いですね……」

「そうだろう。カタビラ草は我々薬師会が独占していなくてはならん。そこでだ、ヒッグス。お前にまた働いて・・・欲しいのだよ」


ガンキンは老いて垂れ下がったような重い瞼の隙間から、その細い目を光らせた。


「根絶やし……ですか?」

「察しが良くて助かるよ。とりあえず100万イラ用意した。これで支度をしてくれ。余っても返さなくて結構。それとこの件が綺麗に片付いたら報酬としてもう50万イラ出そう」

「お言葉ですが……ガンキン様、私はもう若くない。誰か別の者に頼めませんか?それに……私はもう、自分のこの手を汚したくないのです」

「ヒッグス、子供みたいな事を言うな。ワシが信頼しているのはお前しかいないのだ。若い者などには任せられん。今までもカタビラ草を根絶やしにしてきたのは、全てお前の仕事だったでは無いか。この秘密はわしらが墓まで持って行かなくてはならん。そうだろう?」

「……そうですが……」

「そうだ。娘の名前は……リタだったな」

「……はい」

「もうすぐ子供が産まれると言っていたじゃないか。その金があれば娘と生まれてくる孫に、充分な事をしてやれる。これで最後にする。ヒッグス。頼まれてくれ」











「リタ。仕事で少し、家を空ける事になりそうなんだ。私がいない間にもしも子供が産まれそうになったら、隣の婆さんにも言ってあるから頼りなさい」


王都から外れた小さな村の自宅に、ヒッグスがいつもより早く帰宅したと思うと、旅に出る装備を整えていた。


「え……?嫌よ……お父さん。私と彼だけじゃ心細いわ。誰か他の方にお願い出来ないの?」


不安そうなリタの顔を見ると、ヒッグスの心がひどく痛む。リタの小さな肩をヒッグスは抱きしめる。


「私じゃないとこの仕事は出来ないんだ。大丈夫、すぐに終わらせて帰ってくるから、私の愛しいリタ。ほら、笑顔で見送っておくれ」


まるで小さな子供に諭すように、ヒッグスは優しくリタの長い髪を撫でる。リタの不安気な表情は少しずつ明るさを取り戻していく。


「そうだよ、リタ。お前の笑顔は私にとってこの世のどんな宝石よりも価値がある。笑顔でいておくれ」

「……わかったわ、お父さん」

「私が居ない間、もしもお金が必要になったらこの引き出しに入っている。産まれてくる子供のためにもしっかり食べるんだよ」

「えぇ、わかってるわお父さん」

「じゃあ行ってくるからね」











旅の準備を整えたヒッグスは、自宅のある村から王都へ向けて人波に紛れるように歩いていた。
荷物は最小限、肩から下げた袋のみで腰には短刀を装備していた。

薬師会に在席するこのヒッグスという老人は、今でこそ幹部として事務仕事等をこなしているが、もう少し若い頃は諜報員として働いていた。
その仕事は諜報活動だけに留まらず、人殺しこそしないものの、薬師会を恨んで死んでいった者は多くいるだろう。
薬師会に起こる、様々な汚れ仕事はヒッグスが全て片付けて来たと言っても過言ではない。

しかし、そんなヒッグスだったが、ある日を境にピッタリと汚れ仕事からは足を洗っていた。
その頃には薬師会も充分な権力を手に入れていたため、自然とヒッグスに依頼されるような仕事も無くなっていたという事もあったのだが。

今回、ガンキンの仕事を請け負ったのはヒッグスなりの仁義だった。長年世話になった薬師会を、今回の仕事を最後に辞めようと考えたからだ。

愛する娘に孫が産まれる。

その事を思うだけで、ヒッグスの胸には暖かい勇気が湧いてきた。


(これが最後だ……。しかし、誰かを傷付けるような事は出来れば避けたい)


商業区まで歩いてくると、人の賑わいの中に潜んでいた。中央の広場には様々な出店が並び、食欲をそそられるような香りが漂い、店先には自慢の品々が並ぶ。
賑やかな喧騒の中、ヒッグスはある商会の建物の前で足を止めた。


(アレステッド商会。ここか)


商業区にある大通りに面した場所に店を構えるアレステッド商会。一般的な生活用品から冒険者が使うような武器防具、様々な薬品まで手広く扱っている。

ヒッグスが見た所、現在店頭にはカタビラ草が並んでいない。恐らく入荷待ちといったところだろう。
店の奥、店員が立つ後ろの棚にはポーションの瓶が各種並んでいるのが見える。
下級から上級までかなりの在庫の本数を有しているのがわかる。


(問題はポーションだな)


ハイクラスな冒険者や、国の兵士が購入する中級・上級のポーションの質が、薬師会が販売する同じ等級とされるポーションよりもアレステッド商会で販売される物の方が質が高いのだ。

この効果は薬師会により検証済みで、凄惨な拷問をかけた罪人数名に、両者のポーションをかけて比較した所、圧倒的にアレステッド商会のポーションの治癒効果が高かったらしい。

最近では貴族が金にものを言わせて、美容目的で購入する者まで現れているという。
商会としては、左ウチワだが薬師会へのダメージは相当大きい。
上司であるガンキンが血眼になるのも納得がいく。

ヒッグスはふらっと店の物を見た後、興味を無くしたように路地裏に入る。
この店を監視して、カタビラ草が並ぶタイミングと仕入れの者の足取りを掴む事だと決めると、浮浪者を装うように用意していたわらを身体に巻いて、店先を監視し続けるのだった。





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