神色の魔法使い

門永直樹

文字の大きさ
上 下
25 / 38

盲目の老婆 1

しおりを挟む
薬研やげん……ですか?」

「あぁ、手に入れたいんだが、心当たりは無いかな?」


クレイグ達が此処、港町ドーラでドグ夫婦が用意してくれた海の家で暮らすようになって一月が経っていた。

相変わらずドグとアンは毎日クレイグとユリの棲む家に通ってくれて、家事から身の回りの世話まで焼いてくれるので二人ともすっかり甘えていた。


「アン、夜ご飯は何かのぅ?」

「はい、お嬢様。今夜は旦那様とお嬢様が昨日取って来てくださったファイヤーバードのお肉で何か作ろうと思いますから、楽しみにしていてくださいね」

「おぉ、それは楽しみだのぅ。ではそれまで食後の散歩でもしてくるかな」


ユリは口笛を吹きながら上機嫌で日差しの穏やかな外へと歩いていく。
昼食を終えたばかりで夕飯の事を考えてるユリを見て、すっかりアンに餌付けされたもんだと苦笑する。
アンが入れてくれた飲み物を口にしながらクレイグは訪ねた。


「そう、薬研やげんを使って薬草や野草の調合をしてみたいんだ。使い古した物でもかまわないんだが。アンなら何か知ってるんじゃないかと思ってね」


クレイグはこの所、野草や薬草の栽培に手を付けていた。
家の裏庭に小さな畑を耕し、野山に入ってめぼしい野草等を見つけると少し取って来ては畑に植え替えたりして育てていた。


クレイグは今年で五十歳になった。


野草を育てたり、ユリと山に獣や魔獣を狩りに行く。
海の音を聞きながら本を読んで、静かな波を眺めて過ごす。
もちろん身体が鈍らないよう、ユリと剣術や体術の訓練は欠かしていない。
驚くべき事に若い頃よりも身体はしなやかに動くような気さえする。

五十の歳を迎えて、こんなにも心穏やかな毎日が訪れるとは思っていなかった。
ユリ、そしてドグとアンにも感謝の気持ちを抱かずにはいられなかった。


「そうですねぇ。あ、そうだ。東の街道を少し行った所に村があるんですけど、何年か前までそこに薬師くすしの母娘が住んでるって聞いた事があります。でもここ最近は話を聞かないので今もやってるかどうかわからないですねぇ。薬研やげんって薬師の方が使う道具ですよね?」

「あぁ、そうなんだ。道具屋に聞いてみたんだがなかなか出回ってないらしくてね。そうか、その母娘なら古い薬研を譲ってくれるかもしれないな。行ってみるよ」

「はい、旦那様。お気をつけて」


東の村は港町から山に対って歩いて一時間程の所にある小さな村で、何軒かの家が集まっている人口の少ない村だ。
クレイグは外への扉を開けると、日陰になったポーチの長椅子で居眠りをするユリに声をかけた。


「少し東の村まで行ってくるよ」

「むにゃ、わかった。私も行こう」


ユリは短く返事をすると家の中に入っていく。短い散歩だったんだなとクレイグは感心してから、旅の装備を軽く整えると東の村へと歩みを進めた。








クレイグとユリが村に着いて、家の間の細い道を歩いていると、畑を耕す村人がいた。
薬師くすしの母娘の事を訪ねるとリマという老婆の住む場所を教えてくれたが、その言葉には少し陰がある気がした。
家を見つけると、コンコンとノックをしてから声をかける。


「突然申し訳ない。薬師のリマさんにお会いしたいのだが、おられませんか?」


クレイグが声をかけてしばらくすると「入りなさい」と中から細い声で返事が聞こえた。
扉を開けて中に入ると、狭い部屋の中に天井から薬草や茸、花や木の枝が沢山吊るしてある。乾燥するために干したのだろうが、少し年月が経ち過ぎている感じがした。
部屋は真っ暗であったため、目が慣れるまでは奥に老婆が座っているのが見えなかった。


「こんにちわ、リマさん。私は港町から来たクレイグといいます。こっちはユリ。リマさんが薬師をしていると聞いたんで相談なんだが、薬研が余っていないだろうか?もし譲れるような薬研が余っていれば譲って欲しい。謝礼はちゃんと払う。どうだろうか?」  


目が慣れて椅子に座った老婆の顔が徐々に見えてくる。それなりに深いしわが刻まれているが、それほど年老いてはいないようだった。肘置きに置いた袖から出た前腕が痩せている。
思わず見てしまうのは、目にしっかりと包帯が巻かれている事だ。


薬研やげんかね。あるにはある」


リマはこちらの気配を探すように少し顔を上げた。


「失礼。婆さんは目が見えないのか?」


後ろで腕を組んで黙っていたユリが話しかける。


「おや、もうひとりは若い娘さんだったんだね。可愛らしい声だねぇ」


リマはそう言うとにっこりと微笑んだ。


「そうさね。私はもう目が見えないのさ。だけど何も不便は無いよ。家の勝手はわかってるし、食べる事も贅沢しなければ困りはしない」

「そうか。余計な事を聞いて悪かったな」

「心配してくれたのかい?ありがとうね」


リマは両手を組むと小さく祈るような仕草を見せた。


「あんたら、革の擦れる音がするが冒険者かい?もしも冒険者なら老い先短い年寄りの頼みを少し聞いちゃくれないかい?」


クレイグとユリは顔を合わせる。


「頼みとは?」


リマは深いため息をつくと静かに語りだした。


「まぁそこいらの椅子に腰掛けて聞いてくだされ。頼みというのはね」


リマの頼みというのは、居なくなった自分の娘を探して欲しいというものだった。


「もう一年になるかねぇ。あの娘、スザヌがいなくなってから……。沼の神様に会いに行ってくると言ったままそれっきりさ。生活は貧しくて苦しいがあの娘はそんな事が嫌になった訳じゃないと思うんだ。どうして居なくなったのかを知りたいんだよ」


リマが感情を極力抑えながら話している事がクレイグ達に伝わってくる。


「一つ聞きたいんだが、その沼の神様というのは?」

「あぁ。沼の神様はこの村から北の山に入った裾野にまつってある石碑でね。私ら村の者は産まれた時から大切に崇めているのさ。あの娘が居なくなる少し前に、あの娘が病気になっちまってね。港の治療師に頼んでみたり、私もあらゆる薬も試したんだが治らなくてね。だから私は沼の神様にお願いしたんだよ。どうかこの老人の全てを差し上げますからスザヌを治して下さいってね。そしたら沼の神様ははっきりした声でこうおっしゃったんだよ」


リマが震える手で眼を覆う包帯をゆっくり外した。
はらはらと解けた包帯の下から現れた顔には眼球が無くなって、その眼窩はまるで生きた骸骨のようにくぼんで黒ずんでいた。


「お前の目玉をよこせってね」


クレイグとユリはお互い目を合わせるとこくりと頷き合った。リマは興奮した様子で話を続ける。


「こんな物でスザヌの病気が治るなら安いもんだとあたしは思ったよ。どうぞ差し上げますって。そして、気が付いたら村の衆にこの家に運ばれてたのさ」

「なるほど。それで娘のスザヌさんは?」

「驚いた事にあの娘の病気は日増しに良くなっていったんだよ。あたしの眼の傷口を看病してくれたのも娘さ。娘には随分怒られたがね。だけどあたしはこれで良かったと思ったんだ」

「眼球を欲しがる神様か。昔から願いの代わりに眼球を?」

「いや。神様がお話したのも初めてさ。しばらくしてあの娘がこう言ったんだ。沼の神様にあたしの眼を返してもらうって。だから私は反対したんだ。これは交換だったんだって。それっきりさ。娘は出ていっちまったんだ」


リマは下を向くと大きくうなだれる。
ユリは立ち上がるとリマの両肩に手を置いてから、膝の上に降ろした包帯を取って優しくリマの目にあてがう。


「包帯を巻きなおそう。さぁ、婆さん少し顔を上げて」


リマは見えてはいない落ち込んだ眼窩をユリの方に向けると笑顔を作った。


「ありがとうね。あんたにこうして包帯を巻いてもらうと、まるであの娘が帰ってきたようだよ」

「そうかい?これくらいみやすい御用だよ」

「ありがとう……ありがとう……」


二人の話を聞きながらクレイグは小さくつぶやいた。


「【ブルーディテクティブ】」


クレイグは青の探求の魔法で目を輝かせながら部屋を見回している。そしておもむろに立ち上がると入り口のドアに数歩歩き、リマに背中を向けてこう言った。


「娘さんを探してみるよ、リマさん。どんな形になるかわからないが。見つけたらまた必ず戻って来る」






しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

アタエバネ ~恵力学園一年五組の異能者達~

弧川ふき
ファンタジー
優秀な者が多い「恵力学園」に入学するため猛勉強した「形快晴己(かたがいはるき)」の手首の外側に、突如として、数字のように見える字が刻まれた羽根のマークが現れた。 それを隠して過ごす中、学内掲示板に『一年五組の全員は、4月27日の放課後、化学室へ』という張り紙を発見。 そこに行くと、五組の全員と、その担任の姿が。 「あなた達は天の使いによってたまたま選ばれた。強引だとは思うが協力してほしい」 そして差し出されたのは、一枚の紙。その名も、『を』の紙。 彼らの生活は一変する。 ※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・出来事などとは、一切関係ありません。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

【完結】内緒で死ぬことにした  〜いつかは思い出してくださいわたしがここにいた事を〜

たろ
恋愛
手術をしなければ助からないと言われました。 でもわたしは利用価値のない人間。 手術代など出してもらえるわけもなく……死ぬまで努力し続ければ、いつかわたしのことを、わたしの存在を思い出してくれるでしょうか? 少しでいいから誰かに愛されてみたい、死ぬまでに一度でいいから必要とされてみたい。 生きることを諦めた女の子の話です ★異世界のゆるい設定です

【完結】逃がすわけがないよね?

春風由実
恋愛
寝室の窓から逃げようとして捕まったシャーロット。 それは二人の結婚式の夜のことだった。 何故新妻であるシャーロットは窓から逃げようとしたのか。 理由を聞いたルーカスは決断する。 「もうあの家、いらないよね?」 ※完結まで作成済み。短いです。 ※ちょこっとホラー?いいえ恋愛話です。 ※カクヨムにも掲載。

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

処理中です...