神色の魔法使い

門永直樹

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表と裏 11

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「こうやってまた、くつろげる家があるというのも悪くないんじゃないか? クレイグ。それはそうと……アン、この美味そうな匂いはなんだ?」


柔らかいソファに身体を沈めたまま、気持ち良さそうに目を閉じたまま鼻をヒクヒクさせてユリがつぶやいた。

ドグとアンが用意してくれたこの家は、海の家として使っていただけに砂浜に面しており、波が海に砂を引き込む音や窓から入ってくる潮の風と香りが心地良かった。


「本当に良いのかい?こんな素敵なお家を、私達なんかが使ってしまって」

「もちろんですよ、旦那様!私達の命の恩人──」

「なぁドグ……、その『旦那様』っていうのはいい加減……止めないか?」


ドグとアンはクレイグに仕えると宣言してから、クレイグの事を『旦那様』、ユリの事は『お嬢様』と呼んでいた。


「お嬢様。今夜はお肉たっぷりの夏野菜のソースに茹でた小麦を伸ばした我が家特製の料理になりますよ」

「なにっ! それは素晴らしいな! さてはアンは料理の天才だな!」


アンの言葉にユリはスクッと立ち上がると喜んでキッチンに詰め寄った。


「お嬢様か。ユリには一番遠い言葉だな──痛っ! 痛いよユリ! 悪かったよ」


クレイグの言葉を制するように、ユリの踵がクレイグの足の甲を突き刺した。

アンの作る夏野菜のソースの香りを、ユリは鼻を膨らませて何も聞こえてないかのように胸一杯吸い込んでいる。


「旦那様と呼ばせてください。俺たち夫婦はお二人にお仕えすると決めたんですから」


ドグは野菜の皮をていねいにきながら言った。


「うーん、そうは言ってもなぁ」

「良いではないか、クレイグ。二人がそう決めたのなら。なぁ?アン」

「お願いします、旦那様。私達が邪魔になるようならいつでも言ってくださいませ。お二人の旅について行きたいなんて言いませんから。さ、味はどうかしら?」


そう言いながらアンは味見用の小さなスプーンをユリの口元に優しく運ぶと、ユリは待ってましたとばかりに大きな口でかぶりつく。


「美味い! こんな美味い料理が作れる者を邪魔なんて言う者は、この世界をくまなく探してもおらんだろ!」

「まぁ! お嬢様ったら。お上手ですこと。うふふ」


ユリの言葉に皆が笑った。

キッチンを囲んで皆で笑う。何気ないこの日常の風景がクレイグにはとても懐かしく、そしてなにより暖かく思えた。


「ありがとう、ドグ、アン。君達の優しさに甘えて助けてもらおうかな。……ありがとう」


クレイグがドグとアンに向かって深く頭を下げた。


「とんでもないです旦那様……お礼を言うのは私達ですから。私達夫婦がこうして今、笑っていられるのも旦那様とお嬢様のお陰なんです。なぁ、アン」

「えぇ。私達に出来る事なんて数少ないですけど、せめて身の回りのお世話をさせてください」


ドグとアンはクレイグに負けない位に深く頭を下げた。









すっかり陽が暮れた港町に、警備隊の詰所から巡回へと出ていく主任であるホリーと、部下のマルの姿があった。
二人はランタンに火を入れると、腰のベルトにかけて歩き出す。


「ホリー主任、今夜は静かで気持ちが良いですね。誘拐事件の方も憲兵隊が売られた人をすでに何人か突き止めたんですよね?」

「そうらしいわ。クレイグさんやユリさん、都の憲兵隊が動いてくれたお陰で誘拐事件も上手く治まりそうだし。この街ももっと、住みやすい街になるように、私達がしっかりしないとね」

「そうですね、ホリー主任。俺も頑張ります!」


そう言って部下のマルは胸をドンと叩いた。


「ふふ。頼りにしてるわよ、マル」


ホリーがニコリと微笑むと、その美しさにマルは頬を赤くする。


「そ、そういえば、あの『舶来屋の大食い娘』さん。あの娘さんがホリー主任を助けてくれたんですよね?」



『舶来屋の大食い娘』とマルが呼ぶのは、もちろんユリの事である。



「こらこら!マル、そんな失礼な呼び名で呼んだら怒られるわよ」


マルに注意しながらもホリーも思わず吹き出してしまう。


「えへへ、すみません。あの娘さんの食べっぷりを見て皆がそう呼んでたもんで。いや、あの娘さん、どっかで見た事あるなって俺、思ってたんですけど」

「え?そうなの?」

「あ、はい。それで思い出したんでけすけど……。思い出した途端に、なんだ他人の空似だなって自分であきれちゃったんですよね」

「へぇ。誰だったの?私も知ってる人?」


身体を虫に刺されたのか、ポリポリと首筋をかきながらマルが答える。


「はい、知ってるっていうか。ほら、ホリー主任も王都の近衛騎士団の訓練所に通っておられましたよね?」


ドーラの街の警備隊は、皆が王都の近衛騎士団の訓練所での訓練が義務付けられていた。

それは、技の習得が体系化されており、厳しい訓練ではあるが訓練過程を終えると、人角ひとかどの剣士として世に出ることが出来るからであった。


「訓練所の肖像画ですよ。確か……三人位飾ってあったと思うんですけど。一番左の肖像画の女性にそっくりだったんですよ。いつも綺麗な女の人だなって、訓練に行く度に見てたもんで憶えてたんですよ」

「何よ、それ。ふーん、確かあの肖像画は近衛騎士団を作った三人の肖像画のはずよ。……もう200年も前の人だから本当に他人の空似ね」


ホリーが憶えているのは三枚の大きな肖像画があったという事だけで、そこに描かれている内容はまったく憶えていなかった。訓練の厳しさでそれどころではなかったというのが本音だ。


「そうなんすよ。だから自分であきれちゃったんですよね。はは」

「マルは若い女の人なら誰だって良いんじゃないの?」


マルをからかうようにホリーが言った。


「そ、そんなことないですよ! 俺、訓練生の時に上手くいかなくていつも叱られてたんですよ。でも、落ち込んでる時にあの絵を見ると、なんか元気になったんですよね。少し微笑んでて。なんか負けるなって言ってくれてる気がしたんですよ」


遠い目で昔を思い出すマルの横顔を、ホリーは静かに眺めて話に耳を傾けていた。


「絵の下に名前が書いてありましたよね。憶えてます? 『ユリ・アウグスタ』って。いや、今となってはいい思い出なんすけど、忘れられなくて──」

「えっ??ユリ……」

「え?どうかしたんですか?」


急に立ち止まるホリーに驚いて、マルもその歩みを止めた。


「私を助けてくれたあの方も名前は『ユリ』さんよ……」

「えぇ!? そうなんですかっ! よりによって同じ名前だなんて。まぁでも時代が全然違いますからね。もしかして血が繋がってるんですかね」

「そ、そうね。そうかもしれないわね」


上の空でマルに返事をしながら、ホリーはユリに盗賊のアジトで言われた言葉を思い出していた。


(違うのだ、ホリー。お前が習ったであろう近衛騎士団の型しか使っておらんぞ。手刀の延長が剣。剣術と体術は同じなんだ。足さばきから相手の力を使って──)


近衛騎士団に詳しく、その体術も目を見張る物があった。
冗談でも同じ人物だと言われても、驚きながらも納得は出来る点はある。

しかし、200年前という時代の違いがそう納得は出来ない大きな点であった。


「ユリさんはもしかしたら近衛騎士団に、何かゆかりのある方なのかもしれないわね」

静かな港町に、波に揺られた船のきしむ音が響く。月のない暗い道を2つのランタンが揺れる。



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