よあけ

紙仲てとら

文字の大きさ
221 / 378
本編

第219話

しおりを挟む
「これで全部なのぉ?」
 ストルムミュージックの広々とした会議室に、明らかに不満そうなミツキの声が響く。
「そう怒らないでよミツキちゃん。なかなか姿見せてくれなくてさあ」
 猫なで声を出しているのは、芸能界や政界のスキャンダルを主として取り上げている情報誌「週刊十珠」の記者だ。彼はウル・ラドのデビュー当時からメンバーの私生活を追いかけ続け、ヤヒロの女性スキャンダル(ガセネタ認定されているが)をでっちあげたこともある。
「ぜんぶで80万。どう?」
 にこにこと愛想のいい笑顔を絶やさずお窺いをたてるも、ミツキは唇を尖らせたまま首を縦に振ろうとはしない。
「前と同じアングルだし暗いのばっかだしぃ、ぜぇんぜんタビトの顔映ってないじゃん。ていうかぁ、ミツキの“お願い”ちゃんと聞いてたぁ?」
「もちろんだよう。でも女と一緒にいるところなんて見かけなかったし、それっぽいコもいなかったけどなあ」 
 ジェルネイルが施された長い爪の先が、無機質なテーブルに広げられた写真を雑に掻き混ぜる。拗ねているようなその顔を上目遣いに見て、男は苦笑いを浮かべた。
「何か月もずーっと張ってたけど特に怪しい動きなかったよ?やっぱタビトはミツキちゃん一筋でしょ。浮気なんかしてないと思うなあ」
 その言葉を聞いたミツキは、テーブルに拳を叩きつける。突如として部屋全体に響き渡った音と彼女の形相に、彼は思わずのけぞった。
「――嘘ついてると思ってんの?あたしがいるって言ったら“いる”んだよ。次は絶対にタビトとクソ女のツーショ写真持ってこい。わかったか?無能」
 地を這うような低い声で言いながら視線で凄むと、彼は壊れた玩具のように首を縦に振る。それを見たミツキは急ににっこりとして、
「じゃぁ、これからも張り込みよろしくぅ。とりあえずこれはもらっとくねぇ」
 散らかった写真を搔き集めるのを、目を丸くして見ていた彼はしどろもどろになりながら叫ぶ。
「え……?もらうって……、……は?」
「女のしっぽも掴めない無能にさぁ、オカネ払うと思う?このクソみたいなアングルの写真でも、やさしーいミツキちゃんだからもらってあげる、って言ってんの。感謝してね!」
「ちょ……、それはないよミツキちゃん!」
「なんか問題あるぅ?あるなら言って?」
「大ありだよ!こっちがどれだけ苦労してその写真を撮ったと思ってんの?!」
 声を荒らげながらいきり立った彼を、曇ったガラス玉のような大きな瞳がじっと見つめ上げる。
 彼女はやけにゆっくりとした口調で言った。
「……問題大ありで納得できないっていうならぁ、いいよ。返す」
「あ……え、……ありがとう……」
「……ねぇ……さっきなんで怒鳴ったの?返してほしーならちゃんと『返して』ってやさしく言ってくれればいーじゃん……」
 言われた男の顔がみるみるうちに蒼白になる。
「あーあ、もぉやだ。おっきい声出されるのキライだし、今日でおじさんとはバイバイする。取り引きしてあげない」
「ご、ごめんねミツキちゃん」
 おろおろし始めた彼を上目遣いで見て、かぶりを振った。
「ゆるさない。ミツキ、とーっても悲しくてイヤな気分になっちゃった!」ふんと鼻を鳴らしそっぽを向く。「なんか憂さ晴らししたいなぁ。……あ、そうだぁ!」
 彼女はなにかひらめいたらしく、瞳を輝かせて続けた。
「バイバイするついでに、仕事の名目で撮った写真をミツキに売ってオカネ儲けしてたこと、おじさんの上司に報告してあげるねぇ」
 耳にした瞬間、記者の顔は恐怖に凍りつき、ぶるぶると震え出す。ミツキの悪魔的な笑みを前に――彼は思わず後ずさり、背後の椅子にぶつかって危うく転びそうになった。テーブルに頬杖をつき、動揺しているそのさまを面白そうに見つめながら、彼女は言い放つ。
「もうこんなの、いーらないっ」
 言葉と共に軽やかに、写真の束を記者に投げつけた。彼は反射的に這いつくばって、ばらばらと床に散ったそれを搔き集める。
「――動きが遅ぇんだよブタ。さっさと拾って失せろ。二度と顔見せんな」
 そう吐き捨てたミツキはくつくつと笑い出した。彼女の冷笑を浴びながら必死に写真を回収した彼は、額の脂汗を拭い、声を震わせる。
「ミツキちゃん……ごめんね。ボクが悪かった」手の中の写真を差し出し、「これはあげる。だから会社には黙っててくれないか」
「い、ら、な、いって言ってんの。耳ついてますぅ?」
 彼女はもう男の方を見向きもしない。自分の指先を美しく彩っているネイルを眺めている。
「これ以上ゴネるなら、警備員呼びますよぉ?」
 ぐっと声を呑んだ彼は、一度ドアの方を振り向き、そして再びミツキを見遣る。その顔は憎悪に歪んでいたが、捨て台詞さえも言えない。思いつかないのではなく、そもそも口にする度胸がない。彼はリュックを引っ掴んで肩に背負うと、写真を両手に握りしめたまま足早に出ていった。
 テーブルに置いたハンドバッグの下に、一枚の写真が残っている――否、隠してある。
 ミツキは氷のような無表情でそれを手にした。
 全面に大きく映っているのは有名女性モデルだ。彼女のすぐ傍に、派手な格好の男がいる。タビトを張っているとき偶然舞い込んできたスクープに、思わずシャッターを切ったのだろう。他にも決定的な瞬間を撮影したはずだが、これ以外はすべてタビトの写真だ。現像後に仕訳け損ねて、紛れ込んでいるのに気付かず持ってきてしまったらしい。
 もちろんミツキは、このふたりの関係に興味があるわけではなかった。彼女が見つめるのは――モデルの後ろに小さく映り込んでいる女だ。
 斜め後ろからのアングルで、顔はほとんど見えない。かろうじてマスクをしているのはわかる。黒髪を後頭部で束ね、肩に生成りのトートバッグを掛けて、くたびれたデニムを履いている。どこにでもいそうな普通の女だ。
 気になったのは彼女がコートの下に身につけているトップスである。
 フードの淵の中央部分に赤い小さなタグが縫い付けられているこの黒いプルオーバーパーカーには、見覚えがある。確か去年の秋頃……自宅からのライブ配信でファンと交流したとき、これと同じものをタビトが着ていた。高校一年生の冬、アルバイトの初任給で買った思い入れのあるものだと話していたのをよく覚えている。多くのファンから物持ちがいいと感心され、後日SNSでも話題になった。
 ブランドを特定し類似品か後継品を入手しようとしたファンもおり、当然ミツキも躍起になって探したが――地元の小さなショッピングセンターの片隅に売っていたという代物だ。結局なんの情報も得られなかった。ハイブランドとは言わずとも、せめて有名なファストファッションブランドの商品ならばと歯噛みしたことも記憶に新しい。
 商品が発売されてからすでに6年以上が経過している。今も着ているという者は少ないだろう。なにより、あんな古ぼけたパーカーをいつまでも身につけるような人間が、あの高級マンションに2人も住んでいるわけがない。
 だとすれば、やはりあの服は――
 ミツキの指先に震えるほどの力がこもる。写真が歪み、ぐしゃりと潰れた。次の瞬間、詰めていた息を大きく吐く。それと同時に口角が吊り上がった。
「あははっ……」
 声を出して笑うも、目元はまったく笑っていない。
「ははっ……、あはっ……あははっ!あははははははははっ!」
 狂気じみた哄笑は渦を巻いて彼女の喉を駆け上がり、輝く唇から踊るように飛び出して、広い会議室の隅々にまで行き渡る。
 彼女はやがてぴたりと笑いを収めると「はーあ。おもしろい。ほんと笑える」目尻を拭いつつ独り言ち、ゆらりと立ち上がった。
 鞄からスマホを掴み出すと、手の中で弄びながらぐるりと目を回す。そうしてしばらくぎょろぎょろと辺りを見回していたが、なにがおかしいのか再び笑いながら電話帳をタップする。長い髪を掻き上げつつ耳に当てた。
 しかし繋がらない。いつものごとく留守電だ。彼女は指で挟んだ写真を揺らしながらガイダンスが終わるのを待ち、ゆっくりと唇を開いた。
「もしもぉし。レノの嘘つき……タビトの彼女、ミツキだけじゃないじゃん」
 写り込んでいる冴えない女を見つめながら言う。底抜けに明るい声音だ。
「こんど嘘ついたら殺すって言ったよねぇ?仕事終わったら電話ちょぉだい」
 ちゅっと送話口にキスをすると、写真をハンドバッグに押し込んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

清掃員と僕の密やかな情状

MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。 青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。 肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。 44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

還暦妻と若い彼 継承される情熱

MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。 しかし、その幸せの裏側で、娘の愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。 母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。 同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...