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本編
第138話
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今日は単独インタビューの仕事のため、車内に他のメンバーはいなかった。タビトは内心ほっとして座席に座る。
「電話に出ないからまた寝坊したのかと思ったよ」
ホズミからの言葉に生返事をして、走り出した車の窓からマンションを仰ぎ見た。自宅のバルコニーを見つめ心の中でその名を呼ぶ。当然ながら彼女は姿を見せない。
とても仕事ができる心境ではなかったが、車輪は無常にも加速していく。
彼は先ほどのチカルの言葉を反芻し、憂いの息をついた。チカルが胸に抱え込んでいるものを垣間見るたびに、彼女が過ごした環境は自分が育ってきたそれとはまったく違うのだと知って苦しくなる。
チカルはずっとひとりで闘ってきたのだ。誰のためでもない自分の人生を、生きようとして。そんな高潔な意志を靴裏で踏みつける者たちが彼女の周りにどれほどいたことだろう。
そのうちのひとりが、同棲中のあの男だということはすでに明らかだ。彼によって心身を傷つけられ血を流す彼女の痛みと孤独。それを思うと悲憤やるかたなく、タビトは荒ぶる胸の裡を鎮めようとするかのように目を閉じた。
もう傷ついてほしくない。どんな脅威も感じることなく笑っていてほしい。そう幾度となく願ってきた。だがチカルはきっとまだ孤独の裡にとどまり、痛みのなかに愛を探し続けている。
「ホズミさん」
「なんだ」
「好きな人に振り向いてもらうにはどうしたらいいんだろう」
「那南城さんのことか」
いきなりチカルのことを言われたタビトは目を剥く。その顔をバックミラーでちらと見て、
「アキラから聞いてる」
「――あのおしゃべり……」
舌打ちでもしそうな勢いで言うと、ホズミが声をあげて笑う。
「マネージャーの俺に秘密にしておこうなんていい度胸だな」
「べつに秘密にしようなんて思ってないけどさ」
「俺が知ったら那南城さんとの契約を終了させられるかも……とか考えたんじゃないのか?」
それは否めない。図星をつかれたタビトは窓の淵に肘をついて表を睨む。
「そんなことしないから安心しろ」
「……いいの?」
視線だけを運転席に向けると、バックミラーの中の目が笑っているのが見えた。
「ああ。だってどうせ叶わぬ恋だろ」
「……」
「サフェードの社長から聞いたが、幼馴染の男と事実婚状態らしいじゃないか。すごく一途な人だって聞いたから、おまえの担当をお願いしたんだよ。おまえからしたって、年齢が離れてるしノリも価値観も合わないだろ?異性として意識することもないだろうと思ったのに……まさかこんなことになるとはな」
ホズミの話を黙って聞いていた彼の顔に暗い陰が落ちた。既婚者ではないということははっきりしたが、事実婚という言葉を聞いてしまうと素直には喜べない。
「……チカルさんの彼氏のこと、ロケバスの中から偶然見かけたことがあって」
「なんだ、もう下の名前で呼ぶ仲か?」
「からかわないでよ」
「で?自分とは真逆のタイプで落ち込んでるとか?」
「……。勘が鋭すぎない?」
「そのくらい簡単に予想がつくよ。おまえより20年くらい多く生きてるからな」
「そうやっていつも、なんでも見透かしてるようなこと言ってさ」
唇を尖らせてそっぽを向いたタビトに、溜息まじりにホズミが訊ねる。
「それで、どんな奴だったんだ」
「――見た目がすごい派手でガタイがよくて……我が強そうな感じだった」
「派手?銀行員だって聞いてるけどな」
「そうは見えなかったけど……首にまでタトゥーが入ってたし」
「友達じゃないのか?」
「……友達にしては距離が近かった」
あれはとても友人同士には見えなかった。特別な親密さが滲むふたりの空気感を思い出し、嫉妬心を掻き立てられて苦しくなる。
「雲行きが怪しくなってきたな」ホズミがどこか楽しそうな声で言う。「お堅く見えて、男を手玉に取る悪女だったりして」
「チカルさんをそんな風に言わないで」
静かな怒りの気配を察して、彼は苦く笑う。
「悪かった。冗談だよ。でも相手は都市銀行勤務で、中目黒のタワマンに住んでるっていうのは確かだぞ。サフェードの社長がうらやましがってたからな」
難しい顔になったタビトは、もう一度あの日の光景を鮮明に思い出した。ウエストに回された手を拒否することもなく、耳元でなにか囁かれ笑っていたチカル。リラックスした雰囲気は、長い時間を共にした者たち特有のものだった。
「最初は叶わない恋だって諦めてたけど……でも、どんどん欲が出てくる。俺のことを見てほしいって」
つぶやいたタビトの声を拾って、ホズミは溜息まじりに言った。
「つらい恋路だな。同郷の幼馴染は手ごわいぞ。しかも手堅い職業でカネも持ってるとあればなおさらな」
「もっと希望を持てること言って励ましてよ……」
「俺はアイドルの恋愛反対派だ。期待するな」
言いながら彼は大きくハンドルを切り、今日の仕事現場であるホテルの地下駐車場に入る。
「電話に出ないからまた寝坊したのかと思ったよ」
ホズミからの言葉に生返事をして、走り出した車の窓からマンションを仰ぎ見た。自宅のバルコニーを見つめ心の中でその名を呼ぶ。当然ながら彼女は姿を見せない。
とても仕事ができる心境ではなかったが、車輪は無常にも加速していく。
彼は先ほどのチカルの言葉を反芻し、憂いの息をついた。チカルが胸に抱え込んでいるものを垣間見るたびに、彼女が過ごした環境は自分が育ってきたそれとはまったく違うのだと知って苦しくなる。
チカルはずっとひとりで闘ってきたのだ。誰のためでもない自分の人生を、生きようとして。そんな高潔な意志を靴裏で踏みつける者たちが彼女の周りにどれほどいたことだろう。
そのうちのひとりが、同棲中のあの男だということはすでに明らかだ。彼によって心身を傷つけられ血を流す彼女の痛みと孤独。それを思うと悲憤やるかたなく、タビトは荒ぶる胸の裡を鎮めようとするかのように目を閉じた。
もう傷ついてほしくない。どんな脅威も感じることなく笑っていてほしい。そう幾度となく願ってきた。だがチカルはきっとまだ孤独の裡にとどまり、痛みのなかに愛を探し続けている。
「ホズミさん」
「なんだ」
「好きな人に振り向いてもらうにはどうしたらいいんだろう」
「那南城さんのことか」
いきなりチカルのことを言われたタビトは目を剥く。その顔をバックミラーでちらと見て、
「アキラから聞いてる」
「――あのおしゃべり……」
舌打ちでもしそうな勢いで言うと、ホズミが声をあげて笑う。
「マネージャーの俺に秘密にしておこうなんていい度胸だな」
「べつに秘密にしようなんて思ってないけどさ」
「俺が知ったら那南城さんとの契約を終了させられるかも……とか考えたんじゃないのか?」
それは否めない。図星をつかれたタビトは窓の淵に肘をついて表を睨む。
「そんなことしないから安心しろ」
「……いいの?」
視線だけを運転席に向けると、バックミラーの中の目が笑っているのが見えた。
「ああ。だってどうせ叶わぬ恋だろ」
「……」
「サフェードの社長から聞いたが、幼馴染の男と事実婚状態らしいじゃないか。すごく一途な人だって聞いたから、おまえの担当をお願いしたんだよ。おまえからしたって、年齢が離れてるしノリも価値観も合わないだろ?異性として意識することもないだろうと思ったのに……まさかこんなことになるとはな」
ホズミの話を黙って聞いていた彼の顔に暗い陰が落ちた。既婚者ではないということははっきりしたが、事実婚という言葉を聞いてしまうと素直には喜べない。
「……チカルさんの彼氏のこと、ロケバスの中から偶然見かけたことがあって」
「なんだ、もう下の名前で呼ぶ仲か?」
「からかわないでよ」
「で?自分とは真逆のタイプで落ち込んでるとか?」
「……。勘が鋭すぎない?」
「そのくらい簡単に予想がつくよ。おまえより20年くらい多く生きてるからな」
「そうやっていつも、なんでも見透かしてるようなこと言ってさ」
唇を尖らせてそっぽを向いたタビトに、溜息まじりにホズミが訊ねる。
「それで、どんな奴だったんだ」
「――見た目がすごい派手でガタイがよくて……我が強そうな感じだった」
「派手?銀行員だって聞いてるけどな」
「そうは見えなかったけど……首にまでタトゥーが入ってたし」
「友達じゃないのか?」
「……友達にしては距離が近かった」
あれはとても友人同士には見えなかった。特別な親密さが滲むふたりの空気感を思い出し、嫉妬心を掻き立てられて苦しくなる。
「雲行きが怪しくなってきたな」ホズミがどこか楽しそうな声で言う。「お堅く見えて、男を手玉に取る悪女だったりして」
「チカルさんをそんな風に言わないで」
静かな怒りの気配を察して、彼は苦く笑う。
「悪かった。冗談だよ。でも相手は都市銀行勤務で、中目黒のタワマンに住んでるっていうのは確かだぞ。サフェードの社長がうらやましがってたからな」
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「最初は叶わない恋だって諦めてたけど……でも、どんどん欲が出てくる。俺のことを見てほしいって」
つぶやいたタビトの声を拾って、ホズミは溜息まじりに言った。
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「もっと希望を持てること言って励ましてよ……」
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