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本編
第134話
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お互い昼食を摂っていなかったため、ドラッグストアの隣にあるコンビニでサンドイッチを買って車内で食べることにした。ふだん彼はこういうことを嫌がってレストランやカフェに入りたがるが、二日酔いで朝食を食べられなかったせいか、空腹に負けたとみえる。
「それうまい?」
レタスとハムのサンドを齧るチカルを横目で見る。彼女が無言で差し出すと、指まで食べようとするかのような勢いでかぶりつく。
「ずいぶん大きなひとくちだこと……」
あきれたような顔のまま、歯型がついたそれを頬張った。彼は口の中のレタスをしゃくしゃくいわせながら、チカルの口元にツナサンドを差し出す。促されるまま、三角形の角に歯を立てちいさく齧ったが、彼が差し出したままにしているので、ひかえめにもうひとくち噛みついた。
シュンヤは目を細めてそれを見ている。向けられているまなざしに気付いたチカルは伏せていたまつげを上げた。視線が交じり合ったその瞬間、彼はチカルの小さな頤を指ですくいあげ、風のように唇を奪う。
あまりにもやさしいくちづけだった。
彼女は、夕暮れに染まった体育館の裏でシュンヤと初めてキスしたときのことを思い出す。忘れもしない、高校3年生の夏の日だ。あの頃のふたりはまだ恋人同士ではなかった。
チカルが抵抗するまもなく顔を離した彼は、驚きに見開かれている瞳の奥を覗き込むように見つめた。
「俺以外の男と食事すんな」
ぽかんとしているチカルの桃色の唇を親指で乱暴に拭う。
「わかったら返事しろ」
「ばかなことを言うのはよして」
「自覚ねえんだろうけど食い方がいちいちエロいんだよおまえ……。他の男に見せたくない」
「またわけのわからないことを……本当にあきれるわ」
不服そうに顔をしかめるシュンヤから顔を逸らして、チカルはもくもくと食べすすめる。
「チカル」
「他の男性と食事をしちゃいけないなら、今夜の話は無しね。あなたのお父さんがいるもの」
「――俺が誰のこと言ってるのかわかってんだろ?」
「わからないわ」
きっぱりと口にして、窓の外を睨むように見ながら言い連ねた。
「余計な心配しないで。私が食べているところを見てすけべなことを考えるのなんて、あなたくらいよ」
彼はあからさまに不機嫌な様子で、残りのサンドイッチを齧る。
職場から電話が掛かってきたらしく車の外で話をしはじめた彼を待っているあいだ、タビトにショートメッセージを送った。
返事はすぐに来た。今日帰るつもりだったが無理になったという内容に対し、彼はかわいいキツネのスタンプと共に、「明日よろしくお願いします」というメッセージをくれた。せつない気持ちに胸が張り裂けそうになっていることに、彼女は大いに動揺した。
のんびりと雪道を走り、リイコの家に寄って着物を元通りに着付けてもらってから実家に戻る。シュンヤの家に泊まると聞いたマリはひどく不満そうだったが、気付かぬふりをして一方的に明るく振る舞った。
シュンヤよりも、見合い相手の方と交際して欲しいと母が思っていることは明白だ。だが、シュンヤとの仲を無理矢理に引き裂くつもりまではないのだろう。現状に不満があるとはいえ、親の意向で別れさせたとなれば両家の仲は険悪なものになる。彼女とてそれは望んでいないはずだ。あの家とはこれから先もずっと近所づきあいをしていかなければならないのだから。
母親の思惑をあれこれ想像しながら、来たときと同じ服を着たチカルは実家を後にする。服はきれいに洗濯してあり、懐かしい洗剤の匂いがした。
シュンヤの両親、タケルとツヤコはチカルをあたたかく迎えてくれた。彼の祖母であるミチは寝たきりで痴呆が進んでいたが、チカルのことは覚えていたらしく、昔と変わらぬ柔和な笑顔で彼女を迎え再会を喜んだ。ミチの手は、皺で覆われているのに蠟のようにすべらかで、ひんやりとして、心地よかった。
「さあさあ、たくさん食べな」
シュンヤの母ツヤコは唐揚げを豪快に盛り付けた皿を寿司桶の横に置く。その他にも、筑前煮や肉じゃが、天ぷらといった大皿料理が、広い座卓の上にところせましと並んでいる。なにか盛大な祝い事の席かと思うような豪勢な食事を前に、チカルはぎこちない笑みを浮かべる。
「食後のデザートも用意してるよ。ほら、チカルちゃんの大好物、アップルレアチーズタルト」
「作りすぎだって母ちゃん……デザートまで食えねえよ」
「甘いものは別腹だよ。ねえ?」
同意を求めるように視線を送られ、チカルは曖昧に頷いて返す。
「俺は無理」
「もう!そんなでかい図体して情けないったら」
「学生じゃねえんだからさ。俺もう40になるんだぜ?」
「おまえに年齢の感覚があったとは驚きだな」
唐揚げを口に放り込むシュンヤの横で、父親のタケルが険しい面持ちで言った。父の皮肉をさらりと交わした彼は、ちびちびとビールを舐めている。
タケルは、チカルが数年前にこの家を訪れたときとほとんど変わっていない。2メートル以上ある体は分厚い筋肉で覆われ、白髪交じりの豊かな髪を後ろに撫でつけている。太く凛々しい眉の下の瞳は若々しく澄み、鋭い光を失っていない。粋な縞柄のどてらを着てどっかりと胡坐をかくその姿は貫禄と威厳に満ちていた。
ツヤコの方はすこしふっくらとした体形で、弾けるような笑顔が印象的な女だ。明るく社交的であり、皆の笑い声を辿った先にはいつも彼女がいる。ざっくばらんな性格のため裏表がなく、細かいことを気にしない。よく言えば豪胆、悪く言えば大雑把な彼女を、チカルの母はどこか馬鹿にしている節がある。
シュンヤは、社交的な面は母親寄りかもしれないが外見は父親似だ。がっしりとした体格も顔のつくりもよく似ている。
彼がもっと歳を取ったら父親そっくりになるだろう。密かにそう思いながらタケルを見つめると、ちょうど目が合う。力強いまなざしに射られて動きをとめたチカルに、彼は問うた。
「カヤコの祝言の件で問題が起こったことをシュンヤから聞いているか?」
「話してねえよ。まだ正式に延期が決定したわけじゃねえんだろ」
シュンヤは怒ったようにビールを飲み干して、コップを乱暴に置く。
「だいたい、結婚前に子どもができるのなんて珍しいことでもなんでもねえじゃん。なに騒いでんだか」
「カヤコちゃん、妊娠しているの?」
チカルが驚きに目を瞠る。
「3か月だそうだ」
シュンヤの代わりに答えたタケルは眉間に浅く皺を寄せ、
「問題なのは祝言の前に懐妊したことじゃあない。――腹にいるのが、婿となる男との間にできた子どもではないことだ」
「それうまい?」
レタスとハムのサンドを齧るチカルを横目で見る。彼女が無言で差し出すと、指まで食べようとするかのような勢いでかぶりつく。
「ずいぶん大きなひとくちだこと……」
あきれたような顔のまま、歯型がついたそれを頬張った。彼は口の中のレタスをしゃくしゃくいわせながら、チカルの口元にツナサンドを差し出す。促されるまま、三角形の角に歯を立てちいさく齧ったが、彼が差し出したままにしているので、ひかえめにもうひとくち噛みついた。
シュンヤは目を細めてそれを見ている。向けられているまなざしに気付いたチカルは伏せていたまつげを上げた。視線が交じり合ったその瞬間、彼はチカルの小さな頤を指ですくいあげ、風のように唇を奪う。
あまりにもやさしいくちづけだった。
彼女は、夕暮れに染まった体育館の裏でシュンヤと初めてキスしたときのことを思い出す。忘れもしない、高校3年生の夏の日だ。あの頃のふたりはまだ恋人同士ではなかった。
チカルが抵抗するまもなく顔を離した彼は、驚きに見開かれている瞳の奥を覗き込むように見つめた。
「俺以外の男と食事すんな」
ぽかんとしているチカルの桃色の唇を親指で乱暴に拭う。
「わかったら返事しろ」
「ばかなことを言うのはよして」
「自覚ねえんだろうけど食い方がいちいちエロいんだよおまえ……。他の男に見せたくない」
「またわけのわからないことを……本当にあきれるわ」
不服そうに顔をしかめるシュンヤから顔を逸らして、チカルはもくもくと食べすすめる。
「チカル」
「他の男性と食事をしちゃいけないなら、今夜の話は無しね。あなたのお父さんがいるもの」
「――俺が誰のこと言ってるのかわかってんだろ?」
「わからないわ」
きっぱりと口にして、窓の外を睨むように見ながら言い連ねた。
「余計な心配しないで。私が食べているところを見てすけべなことを考えるのなんて、あなたくらいよ」
彼はあからさまに不機嫌な様子で、残りのサンドイッチを齧る。
職場から電話が掛かってきたらしく車の外で話をしはじめた彼を待っているあいだ、タビトにショートメッセージを送った。
返事はすぐに来た。今日帰るつもりだったが無理になったという内容に対し、彼はかわいいキツネのスタンプと共に、「明日よろしくお願いします」というメッセージをくれた。せつない気持ちに胸が張り裂けそうになっていることに、彼女は大いに動揺した。
のんびりと雪道を走り、リイコの家に寄って着物を元通りに着付けてもらってから実家に戻る。シュンヤの家に泊まると聞いたマリはひどく不満そうだったが、気付かぬふりをして一方的に明るく振る舞った。
シュンヤよりも、見合い相手の方と交際して欲しいと母が思っていることは明白だ。だが、シュンヤとの仲を無理矢理に引き裂くつもりまではないのだろう。現状に不満があるとはいえ、親の意向で別れさせたとなれば両家の仲は険悪なものになる。彼女とてそれは望んでいないはずだ。あの家とはこれから先もずっと近所づきあいをしていかなければならないのだから。
母親の思惑をあれこれ想像しながら、来たときと同じ服を着たチカルは実家を後にする。服はきれいに洗濯してあり、懐かしい洗剤の匂いがした。
シュンヤの両親、タケルとツヤコはチカルをあたたかく迎えてくれた。彼の祖母であるミチは寝たきりで痴呆が進んでいたが、チカルのことは覚えていたらしく、昔と変わらぬ柔和な笑顔で彼女を迎え再会を喜んだ。ミチの手は、皺で覆われているのに蠟のようにすべらかで、ひんやりとして、心地よかった。
「さあさあ、たくさん食べな」
シュンヤの母ツヤコは唐揚げを豪快に盛り付けた皿を寿司桶の横に置く。その他にも、筑前煮や肉じゃが、天ぷらといった大皿料理が、広い座卓の上にところせましと並んでいる。なにか盛大な祝い事の席かと思うような豪勢な食事を前に、チカルはぎこちない笑みを浮かべる。
「食後のデザートも用意してるよ。ほら、チカルちゃんの大好物、アップルレアチーズタルト」
「作りすぎだって母ちゃん……デザートまで食えねえよ」
「甘いものは別腹だよ。ねえ?」
同意を求めるように視線を送られ、チカルは曖昧に頷いて返す。
「俺は無理」
「もう!そんなでかい図体して情けないったら」
「学生じゃねえんだからさ。俺もう40になるんだぜ?」
「おまえに年齢の感覚があったとは驚きだな」
唐揚げを口に放り込むシュンヤの横で、父親のタケルが険しい面持ちで言った。父の皮肉をさらりと交わした彼は、ちびちびとビールを舐めている。
タケルは、チカルが数年前にこの家を訪れたときとほとんど変わっていない。2メートル以上ある体は分厚い筋肉で覆われ、白髪交じりの豊かな髪を後ろに撫でつけている。太く凛々しい眉の下の瞳は若々しく澄み、鋭い光を失っていない。粋な縞柄のどてらを着てどっかりと胡坐をかくその姿は貫禄と威厳に満ちていた。
ツヤコの方はすこしふっくらとした体形で、弾けるような笑顔が印象的な女だ。明るく社交的であり、皆の笑い声を辿った先にはいつも彼女がいる。ざっくばらんな性格のため裏表がなく、細かいことを気にしない。よく言えば豪胆、悪く言えば大雑把な彼女を、チカルの母はどこか馬鹿にしている節がある。
シュンヤは、社交的な面は母親寄りかもしれないが外見は父親似だ。がっしりとした体格も顔のつくりもよく似ている。
彼がもっと歳を取ったら父親そっくりになるだろう。密かにそう思いながらタケルを見つめると、ちょうど目が合う。力強いまなざしに射られて動きをとめたチカルに、彼は問うた。
「カヤコの祝言の件で問題が起こったことをシュンヤから聞いているか?」
「話してねえよ。まだ正式に延期が決定したわけじゃねえんだろ」
シュンヤは怒ったようにビールを飲み干して、コップを乱暴に置く。
「だいたい、結婚前に子どもができるのなんて珍しいことでもなんでもねえじゃん。なに騒いでんだか」
「カヤコちゃん、妊娠しているの?」
チカルが驚きに目を瞠る。
「3か月だそうだ」
シュンヤの代わりに答えたタケルは眉間に浅く皺を寄せ、
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