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本編
第107話
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そこに映し出されていたのは一枚の写真だった。
上半身裸になった男がカメラに背中を向けて立っている。撮影現場は、どうやら楽屋のようだ。
鍛え抜かれた美しい肉体を無防備に晒している彼の傍にはスタンドミラーがあり、その横に番号の紙が貼られたハンガーラックが置いてある。手前に見切れている長テーブルの上にはペットボトルが数本と宅配弁当が積まれ、テーブルの左端に椅子に座っている誰かの肩が映り込んでいる。
セナが指差す先、スタンドミラーの中をよく見ると――裸の背中を見せている人物の顔がわずかに映っていた。
「俺?」
被写体が自分だと気づいたタビトが目を丸くする。椅子に座ったままのユウは顔面を蒼白にし、時が止まったかのように身じろぎもしない。
「着替えてるところを誰かに隠し撮りされたんだよ!」
セナが息巻く。彼曰くどうやらこれ以外にも数枚の写真が正体不明のアカウントによりSNSに投稿され、それを見たファンが大騒ぎしているらしい。
「スタッフさんかな……でも、いつもみんな忙しくしてるし隠し撮りするような余裕ある人いなさそうだけど」
最初こそ驚愕していたが、タビトはやけに落ち着いている。ファンに隠さなければならないようなやましいことは何もないからこその態度だった。
一方セナは本人よりも憤慨しているようだ。画像をスクロールしながら更なる怒りに顔を染める。
「こっちはトイレの中だよ?信じらんない……」
舞台衣装を身に着けたタビトが小便器へ向かって歩いているところと、洗面台の前で俯き、泡だらけの手を擦っている姿が映っている。いずれも斜め後ろから撮影した写真だ。
「こんな近くで写されたら気づきそうなもんだけど、心当たりないの?」
「んー……」
宙を睨んで首をひねるが、まったく思い当たる節がない。
「まあ……シャッター音がしないカメラアプリもあるし、それで撮られたらわかんないか」
険しい表情でつぶやいたセナは、写真が怒涛の勢いで拡散されていくのを見つめながら言葉を続ける。
「ほんと、誰が撮ったんだろ……気味悪いじゃんこんなの……」
「ねえ、ユウは不審なやつ見なかった?」
タビトがユウの方に顔を向け訊ねると――彼は青い顔で唇をわななかせ、テーブルを凝視している。
「ユウ……?どうしたの」
「あ!」
突然声を上げたセナに視線が引き寄せられる。タビトの眼差しを受けた彼は表情を凍らせたまま言う。
「――まさか……ウシマルさん?撮影担当だからいつも一眼レフ持ち歩いてるし……あのカメラなら遠くからでも写せるよね」
「違う」
叫んだのはユウだった。立ち上がり、緊張した面持ちでふたりをゆっくり交互に見つめると、
「ウシマルさんじゃない。……俺がやった」
「は?」
ぽかんと口を開けたふたりはゆっくり顔を見合わせる。そしてセナの方が先に視線を外し、ユウを再び見た。
「……噓でしょ……」
呆然とつぶやいた彼はスマホをテーブルに落とし、次の瞬間――目にもとまらぬ速さでユウの頬を平手で打った。乾いた音と共に怒声が響く。
「ばか!ばかっ!ふざけんな!」
「落ち着け、セナ!」
再び振り上げた手を止めてユウから引き離す。タビトに羽交い絞めにされたままセナは、声を荒らげた。
「なんでこんなことしたの?!」
「投稿したのは俺じゃない。たぶんミツキがやった……」
彼は以前アキラとヤヒロに告白したことを、洗いざらい話した。ミツキに要求されるがままタビトのプライベートな場面の隠し撮りをしていたこと、口をつけたペットボトルや弁当のゴミを持ち帰って渡していたこと。声が震え、何度も途切れ途切れになりながら、それでも彼は自分の過ちを懺悔した。
タビトは終始無言で、軽蔑や怒りといった態度も見せずに、ただ聞いていた。
「……ごめん……」
ユウが頭を垂れたままつぶやく。タビトは詰めていた息を吐いて、眉を下げた。
「いいよ別に。こんなの大したことない」
「なに言ってんのタビト!あんな写真を世間にばらまかれてんだよ?大事件じゃん!」
猛反発するセナをユウから少し離れた場所に座らせると、タビトは落ち着いた声音で言った。
「別に女性と一緒に映ってる写真でもないし……問題ないよ。俺、滅多に脱がないから、なかには喜んでるファンもいるんじゃない?」
なにしろ、衣装のわずかな隙間から腹筋が見えただけで大騒ぎするくらいなのだ。盗撮されたことを危惧するファンよりも、驚きと興奮で我を忘れているファンの方が多いだろうことは目に見えている。
実際、事務所のセキュリティの甘さを指摘する層が一定数いるものの――タビトの予想した通り、ファンの多くは肌が露出された写真に狂喜の声を上げていた。トレンド入りしたのか、ウル・ラド公式アカウントのフォロワー数もうなぎ上りだ。そのことはセナも知っていたが、だからといって“めでたし”の言葉で結ぶ気にはなれない。
「ミツキから嫌がらせの標的にされてるのに、そんな呑気なこと言ってる場合?」
「今回のことは俺への嫌がらせじゃなくてユウへの嫌がらせだと思う。精神的に追い詰めようとしたんじゃないかな」
タビトはテーブルの上に投げ出されたスマホを見つめる。そこには、Tシャツを脱いでいる途中の自分が映っている。
「――大騒ぎになって犯人捜しが始まれば、ユウは罪悪感に耐えられなくなって自分のしたことを白状する……ミツキはそれがわかってて写真を流出させたんだよ」
タビトは穏やかな顔の裏で脅威と対峙しながら、彼女の思考を想像する。
ユウに近づいたが思い通りに動かず、アルバイトとしてナウラオルカに入社しヘアメイクとして接触するも失敗。彼女は短気で我儘だと聞いているし、相当怒り狂ったはずだ。執着が怒りに変わった可能性は十分にある。
これまで彼女はウル・ラドに損失を与えるつもりはないようだったが――今回の写真投稿は恐らく復讐の合図だ。潮目が変わった、そう思わざるを得ない。
「もしユウが隠し通したとしても、あんな写真撮れるのはメンバーかスタッフしかいない。そうなればお互いを疑うし不信感を持つでしょ。ユウが白状するにしろしないにしろ、現場の空気は悪くなる……それが狙いだと思うよ」タビトはいつもよりも低く、抑揚を抑えた声で続ける。「画策したことがうまくいかなかったから、俺たちが険悪なムードになってるのを見て溜飲を下げたいんだろ」
「――仲違いさせようとしてるってこと?」
「たぶんね」
静かにそう言うタビトを見つめたセナの顔から、怒りの感情が抜けていく。項垂れた彼の肩を撫でて、タビトはユウの方を見た。
「写真はあれだけ?」
「もっとたくさん渡した……でも、使えそうなのはもうないと思う。ぶれてたり遠かったりして、ほとんど判別できないのばっかりだったから」
「そっか」
「……タビト、――俺……」
その場に立ち竦み、俯く。言葉を詰まらせている彼に近づいたタビトは、おもむろに腕を伸ばして彼を抱き寄せる。無言で優しく背中を叩くと、ユウは体重を預けるようにタビトの肩に目元を押し当ててきた。
「ごめん」
つぶやき、しばらくそうしていたが、一度大きく息を吐くと顔を上げる。
それまでユウの重みを感じていたところに風が通った瞬間わずかに冷たさを感じた。シャツの肩口が涙でほんのり濡れていたが、タビトは気づかないふりをしてセナに向き直る。
「これからなんか予定ある?」
「ないけど……」
返事に頷いたタビトはスマホを取り出し、
「みんなですこし話をしよう。俺はヤヒロに連絡するから……セナはアキラに連絡して」
上半身裸になった男がカメラに背中を向けて立っている。撮影現場は、どうやら楽屋のようだ。
鍛え抜かれた美しい肉体を無防備に晒している彼の傍にはスタンドミラーがあり、その横に番号の紙が貼られたハンガーラックが置いてある。手前に見切れている長テーブルの上にはペットボトルが数本と宅配弁当が積まれ、テーブルの左端に椅子に座っている誰かの肩が映り込んでいる。
セナが指差す先、スタンドミラーの中をよく見ると――裸の背中を見せている人物の顔がわずかに映っていた。
「俺?」
被写体が自分だと気づいたタビトが目を丸くする。椅子に座ったままのユウは顔面を蒼白にし、時が止まったかのように身じろぎもしない。
「着替えてるところを誰かに隠し撮りされたんだよ!」
セナが息巻く。彼曰くどうやらこれ以外にも数枚の写真が正体不明のアカウントによりSNSに投稿され、それを見たファンが大騒ぎしているらしい。
「スタッフさんかな……でも、いつもみんな忙しくしてるし隠し撮りするような余裕ある人いなさそうだけど」
最初こそ驚愕していたが、タビトはやけに落ち着いている。ファンに隠さなければならないようなやましいことは何もないからこその態度だった。
一方セナは本人よりも憤慨しているようだ。画像をスクロールしながら更なる怒りに顔を染める。
「こっちはトイレの中だよ?信じらんない……」
舞台衣装を身に着けたタビトが小便器へ向かって歩いているところと、洗面台の前で俯き、泡だらけの手を擦っている姿が映っている。いずれも斜め後ろから撮影した写真だ。
「こんな近くで写されたら気づきそうなもんだけど、心当たりないの?」
「んー……」
宙を睨んで首をひねるが、まったく思い当たる節がない。
「まあ……シャッター音がしないカメラアプリもあるし、それで撮られたらわかんないか」
険しい表情でつぶやいたセナは、写真が怒涛の勢いで拡散されていくのを見つめながら言葉を続ける。
「ほんと、誰が撮ったんだろ……気味悪いじゃんこんなの……」
「ねえ、ユウは不審なやつ見なかった?」
タビトがユウの方に顔を向け訊ねると――彼は青い顔で唇をわななかせ、テーブルを凝視している。
「ユウ……?どうしたの」
「あ!」
突然声を上げたセナに視線が引き寄せられる。タビトの眼差しを受けた彼は表情を凍らせたまま言う。
「――まさか……ウシマルさん?撮影担当だからいつも一眼レフ持ち歩いてるし……あのカメラなら遠くからでも写せるよね」
「違う」
叫んだのはユウだった。立ち上がり、緊張した面持ちでふたりをゆっくり交互に見つめると、
「ウシマルさんじゃない。……俺がやった」
「は?」
ぽかんと口を開けたふたりはゆっくり顔を見合わせる。そしてセナの方が先に視線を外し、ユウを再び見た。
「……噓でしょ……」
呆然とつぶやいた彼はスマホをテーブルに落とし、次の瞬間――目にもとまらぬ速さでユウの頬を平手で打った。乾いた音と共に怒声が響く。
「ばか!ばかっ!ふざけんな!」
「落ち着け、セナ!」
再び振り上げた手を止めてユウから引き離す。タビトに羽交い絞めにされたままセナは、声を荒らげた。
「なんでこんなことしたの?!」
「投稿したのは俺じゃない。たぶんミツキがやった……」
彼は以前アキラとヤヒロに告白したことを、洗いざらい話した。ミツキに要求されるがままタビトのプライベートな場面の隠し撮りをしていたこと、口をつけたペットボトルや弁当のゴミを持ち帰って渡していたこと。声が震え、何度も途切れ途切れになりながら、それでも彼は自分の過ちを懺悔した。
タビトは終始無言で、軽蔑や怒りといった態度も見せずに、ただ聞いていた。
「……ごめん……」
ユウが頭を垂れたままつぶやく。タビトは詰めていた息を吐いて、眉を下げた。
「いいよ別に。こんなの大したことない」
「なに言ってんのタビト!あんな写真を世間にばらまかれてんだよ?大事件じゃん!」
猛反発するセナをユウから少し離れた場所に座らせると、タビトは落ち着いた声音で言った。
「別に女性と一緒に映ってる写真でもないし……問題ないよ。俺、滅多に脱がないから、なかには喜んでるファンもいるんじゃない?」
なにしろ、衣装のわずかな隙間から腹筋が見えただけで大騒ぎするくらいなのだ。盗撮されたことを危惧するファンよりも、驚きと興奮で我を忘れているファンの方が多いだろうことは目に見えている。
実際、事務所のセキュリティの甘さを指摘する層が一定数いるものの――タビトの予想した通り、ファンの多くは肌が露出された写真に狂喜の声を上げていた。トレンド入りしたのか、ウル・ラド公式アカウントのフォロワー数もうなぎ上りだ。そのことはセナも知っていたが、だからといって“めでたし”の言葉で結ぶ気にはなれない。
「ミツキから嫌がらせの標的にされてるのに、そんな呑気なこと言ってる場合?」
「今回のことは俺への嫌がらせじゃなくてユウへの嫌がらせだと思う。精神的に追い詰めようとしたんじゃないかな」
タビトはテーブルの上に投げ出されたスマホを見つめる。そこには、Tシャツを脱いでいる途中の自分が映っている。
「――大騒ぎになって犯人捜しが始まれば、ユウは罪悪感に耐えられなくなって自分のしたことを白状する……ミツキはそれがわかってて写真を流出させたんだよ」
タビトは穏やかな顔の裏で脅威と対峙しながら、彼女の思考を想像する。
ユウに近づいたが思い通りに動かず、アルバイトとしてナウラオルカに入社しヘアメイクとして接触するも失敗。彼女は短気で我儘だと聞いているし、相当怒り狂ったはずだ。執着が怒りに変わった可能性は十分にある。
これまで彼女はウル・ラドに損失を与えるつもりはないようだったが――今回の写真投稿は恐らく復讐の合図だ。潮目が変わった、そう思わざるを得ない。
「もしユウが隠し通したとしても、あんな写真撮れるのはメンバーかスタッフしかいない。そうなればお互いを疑うし不信感を持つでしょ。ユウが白状するにしろしないにしろ、現場の空気は悪くなる……それが狙いだと思うよ」タビトはいつもよりも低く、抑揚を抑えた声で続ける。「画策したことがうまくいかなかったから、俺たちが険悪なムードになってるのを見て溜飲を下げたいんだろ」
「――仲違いさせようとしてるってこと?」
「たぶんね」
静かにそう言うタビトを見つめたセナの顔から、怒りの感情が抜けていく。項垂れた彼の肩を撫でて、タビトはユウの方を見た。
「写真はあれだけ?」
「もっとたくさん渡した……でも、使えそうなのはもうないと思う。ぶれてたり遠かったりして、ほとんど判別できないのばっかりだったから」
「そっか」
「……タビト、――俺……」
その場に立ち竦み、俯く。言葉を詰まらせている彼に近づいたタビトは、おもむろに腕を伸ばして彼を抱き寄せる。無言で優しく背中を叩くと、ユウは体重を預けるようにタビトの肩に目元を押し当ててきた。
「ごめん」
つぶやき、しばらくそうしていたが、一度大きく息を吐くと顔を上げる。
それまでユウの重みを感じていたところに風が通った瞬間わずかに冷たさを感じた。シャツの肩口が涙でほんのり濡れていたが、タビトは気づかないふりをしてセナに向き直る。
「これからなんか予定ある?」
「ないけど……」
返事に頷いたタビトはスマホを取り出し、
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