よあけ

紙仲てとら

文字の大きさ
上 下
86 / 220
本編

第84話

しおりを挟む
「まだ疑ってんの?……何度も言ってるだろ。俺はあの日、ひとりだったんだって」
「ミツキの狙いはタビトだよ。だからおまえに近づいた」
 その言葉に凍りつくユウの横顔を、ヤヒロは黙って見つめている。
「んなわけないじゃん」
「彼女、入院してから一度でも来てくれた?」
「途中から親族以外面会禁止にしてたし……」
 絞り出すような声で言ったユウの目が泳ぐ。
「じゃあ連絡は?頻繁にやりとりしてたの?」
「――うるさい。詮索すんな」
 噛みつくような勢いでユウが叫ぶ。アキラは首を横に振った。
「向こうからぜんぜん連絡こないんでしょ……それが答えだよ。おまえが活動休止したから現場に連れてってもらえなくなったし、最新の情報も得られなくなった。だから会いに来ることも連絡する必要もない」彼は残酷なまでにきっぱりと言い放つ。「あの子に利用されてただけだって、自分でも気づいてるはず。なのにどうして庇うの?」
「あんたはいっつもそうだ。うんざりする……」
 フードの陰に顔を隠して、
「自分の考えだけが正しいって信じて疑わない。持論かまして人を追い詰めるのが趣味なん?」
 語気を強めるユウであったが、アキラはほとんど顔色を変えず落ち着いている。
「ミツキは自分の爺さんに話つけてもらって、ナウラオルカのスタッフになった。しかも俺たちの担当に。――この話……ホズミさんから聞いてる?」
 ユウは表情に苛立ちを滲ませつつ、無言で自分の爪をいじっている。沈黙が答えとみた彼は言葉を続けた。
「思うようにタビトに近づけなくてしびれを切らしたかなんだか知らないけど……爺さんに頼ったのは、ユウのことをもう“使えない”って見限ったからじゃないの?」
 ゆったりとした口調でそこまでしゃべって、アキラは頭を垂れた。息だけで笑う。
「あの子……現場でやりたい放題だったよ。タビトにべったりで」
「やめろ」
「どうして?」
 しらじらしい言葉に憤り、ユウは血が滲んだような瞳をアキラに向ける。 
「聞きたくない」
「おまえが正直に話してくれれば嫌な時間はすぐに終わるよ」
「アキラ」ヤヒロが膝のあいだで指を組み、溜息をつく。「しつこいよおまえ。事件の顛末なんてもうどうだっていいじゃねえか」
「よくないよ」
「今さらほんとのこと知ってどうすんだよ?どうせ許しやしないくせに」ふんと鼻を鳴らし、くだらねえと言い放つ。「一方的に断罪してすっきりしたいだけなんだろ。失った信用の穴埋めなんか二度とできないってわかってるから苛々してしょうがねえんだ」
「知ったような口利くな」
「おまえもな」
 ヤヒロの鋭い言葉にアキラは黙った。彫刻のようなその顔に特別な表情は窺えない。ひりついた空気が漂う中、食器が触れ合う音や水の音が穏やかに聞こえてくる。
「で?ミツキとはこれからどーすんの」
 ヤヒロの問いかけにわずかに頭を上げたが、ユウはそれ以上の反応を見せない。ヤヒロは彼の細い首に腕を回して強引に引き寄せ、
「俺が知りてーのはそんだけ。ウル・ラドを取るか、女との関係を取るか……ふたつにひとつだ。答えを聞かせろ」
 フードに隠された耳にそうささやくと、突き放すように体を離す。彼がユウにかけた言葉は、アキラには聞こえなかったようだ。相変わらず表情を固めたまま、なにも言わずにふたりを見つめている。
 ユウは真新しい鈍色の絨毯をしばらく睨むように見つめていたが、とうとう観念したようにつぶやいた。
「――もうあの子との関係は完全に切れた」
 その言葉に目を細めたヤヒロは再び彼に手を伸ばし、フードを乱暴に鷲掴んで隠れていた顔を暴く。深く俯いたままの彼を下から覗き込み強引に目を合わせた。
「おまえさ……この期に及んでそんな嘘やめろ。アキラはさっき“見限った”って言ってたけどよ、俺はそうは思わねえ。おまえみたいな都合のいい駒をあの女が手放すわけねえもん」
「嘘じゃない!」
 叫んだ唇がわなないたかと思うと、前髪の隙間から見えている瞳に、みるみるうちに涙が溢れた。
「嘘じゃない……」
 今度はほとんど消え入りそうな声で繰り返す。その悲痛な様子を前にしたアキラは――ユウがこんなにも表情を崩しているのを初めて見たからだろうか――わずかに動揺しているようだった。
 ヤヒロは、はらはらとこぼれる雫でまつげを濡らしているユウを凝視し問うた。
「――ミツキの方から関係を切ってきたのか?」
 彼は浅く何度も頷き、
「あの日、」呼吸が続かず、声を詰まらせる。「……俺の部屋で口論になって、飛び出していったミツキを追いかけた」
 長い足をソファに上げて折り畳む。顔を見られまいとするように再びフードを目深に被った。
「非常階段の扉の前で捕まえた。あの子、一度怒ると手が付けられない……大声でわめくから、住人に見られて……階段に続く扉を開けて隠れた」
 隣人が部屋で口論を聞いたという話、そして非常階段の扉付近での目撃証言は本当だったということか――アキラは入院先に面会に行った日、ホズミが話をしていたことを思い出す。
「扉が閉まったとたん、頬と頭をひっぱたかれて……髪を引っ張られてめちゃくちゃにされて、……それから……」
 “自分で誤って落ちた”のか“ミツキに突き落とされた”のか――ユウはそれを明言することをためらうように黙り込んでしまう。
「それから?」
 アキラが促すも、口を開かない。歯切れの悪さの裏になにかがあると直感的に思ったヤヒロは、慎重に訊ねる。
「そもそもケンカの原因はなんだったんだよ?なにがそこまでミツキを怒らせたんだ?」
「……わかってた、俺だって」
 話がかみ合わないもどかしさをぐっとこらえ、ヤヒロは続きを待つ。
「タビトに近づくために俺を使ってもいいって思ってたけど――でも、考えてたよりずっとキツかった。あの子はタビトのプライベートな情報をよこせって、何度も何度も……」
 プライベートな情報――それを聞くなりアキラが立ち上がり、ユウを見下ろす。静かな怒りに震えながら言った。
「どういうこと?」
「落ち着けよ、アキラ」
 ヤヒロが諫めると、彼は拳をかたく握りしめたまま目を閉じて深く息を吸い、言葉と共に吐き出す。
「あの子を満足させるために、仲間のプライベートを売ったの?」
「――最初はタビトの私生活のこととか仕事のことを聞いてくるだけだった。どんな暮らしをしてるのか、なにを食べたか、仕事のスケジュールはどうなってるのか……」
 膝を抱えたまま、フードの下で彼の唇はしゃべり続ける。
「そのうちミツキはタビトの写真とか動画をたくさん欲しがるようになった。他のファンが手に入らない、貴重なショットを撮ってこいって……だから、タビトが車の中で寝てるとことか、トイレで手を洗ってるときの鏡越しの顔、楽屋で着替えてるときの下着姿……そういうのをこっそり撮影してミツキに送った」
「おまえ……」溜息に声が揺らぐ。ヤヒロは血の気の失せた青白い顔のまま呻いた。「おまえ、ほんとに……なにやってんだよ」
「それでもあの子は足りないって言う。満足って言葉を知らないみたいだった。指示されるがまま、俺はゴミまで漁るようになった。タビトが口をつけたペットボトル、弁当のパック、汗を拭いたボディシート……それを持って帰ると、ミツキが優しくしてくれる。俺のことを必要としてくれる」
 彼は堰を切ったように一気に――まるで他人事のように淡々と話した。そこまで聞いたふたりはただ絶句するしかなく、まばたきも忘れて衝撃の渦に囚われている。
「あの日……罪悪感に耐えられなくなって、ミツキの要求を拒否したからケンカになった。もうこれ以上写真も動画もあげられないし、今までのもぜんぶ削除して欲しいって言ったら、あの子はすごく怒って……非常階段で、俺の耳に、……」
 語尾が震えた。ややあって、彼は続ける。
「役立たずは死ね、って言ったんだ。それから俺の肩を押した」
 ためらいの感じられない強い力を、まだ鮮明に覚えている。ユウは左肩を無意識に押さえた。
「終わったと思った。――全部……」
「でも終わらなかった」アキラが鋭く言葉を刺す。「最初からなにもかも正直に話すべきだったよ」
「それができなかったのはミツキに未練があるからか?」
「未練はない」
 かぶりを振るユウを見て、なにか言いかけたアキラをヤヒロが視線で制止する。
「じゃあどうしてあいつを庇ったりしたんだよ」
「庇ったわけじゃない。突き落とされたって話したら、ミツキがどうしてそんなことをするほど怒り狂ったのか、その経緯を追及されるじゃん……。俺が詳しい内容を言わなかったとしたって、容疑者として取り調べを受けたミツキがぜんぶ白状するかもしんない。事態が明るみになって、みんなに軽蔑されるのが怖かった」
 アキラは脱力したように椅子に腰を下ろす。そんな彼の肩に手を置いて、ヤヒロは再びユウを見つめた。ふたりの視線を浴びながらユウは、身じろぎもせぬままつぶやく。
「タビトに謝りたい。でも……絶対に許してもらえないだろうなって思うと、どうしても打ち明けられない」
「話せよ」
 断固たる口調でヤヒロが言う。
「タビトにちゃんと話せ。なんて言われるかとか、どう思われるかとか、許すとか許さないとか……いくら考えたって時間のムダだ。わかるわけねえだろ。おまえはあいつじゃねえんだからよ」
 そのときキッチンの明かりが消えた。それに気付いたアキラがゆっくりと首をめぐらせて、エプロンを外しているウツギに声を掛ける。
「……片付けありがと。ウツギさん。ごちそうさまでした」
 こくりと頷いたウツギは畳んだエプロンを腕に引っかけ、
「ヤヒロ君……車で待ってるから……話が終わったら来て」
「終わった。もう帰る」
 一方的に言って腰を上げ、アキラとユウに振り返る。
「じゃ、またな」
 ユウは俯いたまま反応しない。
 玄関の方に歩いて行くと、後ろからアキラがついてきた。彼は背中でぽつりとつぶやく。
「――こういうとき、すごく思うんだ……やっぱり、ヤヒロがリーダーならよかったって」
「バカ言え。ガラじゃねんだよそういうの」
 靴を爪先に引っ掛けながらぶっきらぼうに言うと、ウツギから手渡された派手な模様のジャケットを羽織る。
「今日だって、ユウから真実を聞き出すにはどうしたらいいかわかってたんでしょ?……あいつの心を開けなかった俺のこと、情けないって思ってるならヤヒロがリーダーになってよ」
「なに言ってんだおまえ」
 アキラは苦渋に満ちた顔で俯き、
「俺がそんな器じゃないって知ってるのに押し付けてきて、こういうときにリーダーとして優秀なところを見せつけてくる……。もう、変わってよ。おまえがウル・ラドを引っ張っていって」
「つまんねえこと考えてる暇があんならさっさと片付けの続きするか、クソして風呂入って寝ろ」
「――ヤヒロなんてだいっきらい」
「はいはい……きらいで結構。じゃーな」
 静かに玄関が閉まると、みじめな気持ちが怒涛の如く胸に押し迫ってきた。アキラはますます項垂れて、きつく奥歯をかみしめ床を睨むばかりだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

Promise Ring

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
浅井夕海、OL。 下請け会社の社長、多賀谷さんを社長室に案内する際、ふたりっきりのエレベーターで突然、うなじにキスされました。 若くして独立し、業績も上々。 しかも独身でイケメン、そんな多賀谷社長が地味で無表情な私なんか相手にするはずなくて。 なのに次きたとき、やっぱりふたりっきりのエレベーターで……。

10のベッドシーン【R18】

日下奈緒
恋愛
男女の数だけベッドシーンがある。 この短編集は、ベッドシーンだけ切り取ったラブストーリーです。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixabay並びにUnsplshの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名などはすべて仮称です。

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...