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本編
第83話
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夕食は1時間ほどでできあがった。18時少し前、作業の手を止め食卓に集まった彼らは驚愕の表情を浮かべる。
「こんなにたくさん?!フライパンと鍋、1つずつしかないのによく作れましたね。すごいな」
レストランよろしく色鮮やかに盛り付けられた料理を前に、アキラが思わず感嘆の声を上げる。
「それだけ揃ってれば十分です……耐熱皿もあったし……」
赤いチェック柄のミトンを嵌めたままの手が、マルゲリータピザを運んでくる。
「わあ!ピザまで焼いてくれたの?」
「トマトとチーズが余ってたから……」
「でも、生地はどうやって?イーストとかなかったでしょ?」
「薄力粉だけでもできるんで……。……口に合うかわからないけど……どうぞ……」
目を丸くしている3人を前に居心地悪そうな顔になりながら、ウツギは席に腰を下ろす。
「ユウ、取り皿くれ」
「サラダいるひとー」
「食べる」
「俺はいらねえ」
「ヤヒロ君……野菜もちゃんと食べなさい……」
夜闇で黒く染まった窓に、ダイニングテーブルを囲む4人の姿がくっきりと映っている。リビングのカーテンだけは引っ越しに間に合わなかった。
「この肉、旨すぎ……なんだっけ、チキンカーチャン?」
「チキンカチャトーラだよバカ」
「ほんっとにおいしいね。こんな料理を毎日食べられるなんて贅沢すぎる……ヤヒロのバカ舌にはもったいないクオリティだよ」
「おいアキラ。今なんつった?」
小競り合いをしたり軽口を叩いたりしながら、皿の中身はどんどん平らげられていく。まるで育ち盛りの兄弟だ。ウツギはエプロンを身に着けたまま、彼らの見事な食べっぷりを無表情で眺めている。その向かいに座っていたユウだけは、ウツギがちっとも食べていないことに気付いていた。それでもなにも言えず、結局ほとんど3人で食べてしまう。
デザートには生クリームのとさくらんぼの乗ったプリンが、飾り切りされたカットフルーツと共にサーブされた。
「すごぉい!かわいい盛り付けー!」スマホで写真を撮りながら、アキラが瞳を輝かせる。「ウツギさん、うちに来てよ!ヤヒロのとこよりも待遇よくするから」
「引き抜こうとすんじゃねえよ」
さくらんぼの茎を噛んだまま、ヤヒロが苦々しい顔で言う。しかしアキラは彼の声をまったく耳に入れていない。すっかりウツギに夢中だ。
「こんなに繊細な飾り切りまでできちゃうなんて、もしかして元料理人だったりする?それともずっと家事代行の仕事してるんですか?」
「……前は……会社員。この仕事はまだ……1年半くらい」
キッチンでハーブティーを準備しつつ答える。
「俺のとこに来たのって去年の秋くらいだっけ」
「うん……10月だよ……」
肌寒い日が増えてきた頃だ。初めてマンションに来たときのことをヤヒロはぼんやりと思い出す。
あの日――ヤヒロは久々に見下ろされる感覚を味わった。身長182センチに対し、ウツギは190センチ以上。迫力が違った。
彼は当時マンバンヘアで、今よりももっと不愛想だったように思う。どんよりした目つきで背を丸め、不健康な細い体をだぼだぼの服の下に隠していた。ハウスキーパーにはとても見えず、渋谷の裏路地にいそうなガラの悪さを感じた。
後から聞いた話だが、数年前に会社を辞めてからこの職に就くまでのあいだ引きこもり生活をしていたらしく、外出用のまともな服を持っていなかったため父親の服を着てきたのだという。その着こなしがあまりに垢抜けているので、てっきりファッションに興味があるとばかり思っていた。スタイルに恵まれていることもあるだろうが、天性のセンスを感じたものだ。
湯気を立てているティーカップを配り終えると、ウツギは皿洗いを始めた。
それを見たユウが立ち上がり、キッチンに入って声を掛ける。
「ウツギさん、もう休んでください。あとは俺たちがやりますんで……」
「温かいうちに飲んで……。皿洗い好きだから平気……」
こちらを見もせずに言う。ユウはそれでも引かずに、布巾を手に彼の横に立った。
「ユウ!いいからウツギに任せとけ。話があるから来いよ」
うしろから飛んできたヤヒロの声を無視して、洗い立ての皿を黙々と拭く。
「――すんません。みんな食っちゃって」
今さらと思いながらも伝えると、ウツギは唇を余り動かさない、籠ったようなしゃべり方で応える。
「夕飯は……いつもすこししか食べない……胃が重くなると眠れないから……」
「あ、……そーなんすか……」
短く相槌を打つ。
するとウツギが、食器を洗う手を止めぬまま、まるで独り言のように口にした。
「声」
「え?」
「君……わざと低い声出してるでしょ……話すときも……歌うときも」
ユウは虚を突かれたような顔をしている。そんな彼を、相変わらずじっとりと湿度のある目つきで見て、
「どうして?」
急にはっきりとした口調でそう問われ、ユウは息を呑んだ。見つめてくる彼の瞳のなかに稲妻のような激しい光を見たような気がした。
「おい、無視すんな。こっち来いって言ってんだよ」
背後から声と共に骨張った手が伸びてきた。布巾を取り上げられ、驚いて振り返ると、ヤヒロが片眉をあげ唇をへの字に曲げている。
ユウは半ば引きずられるようにしてソファまで連れて来られた。いつのまにかハーブティの注がれたティーカップとデザートがローテーブルの方に移動している。嫌な予感を察知した彼は「風呂入る」だの「もう寝る」だのと言いながら抵抗したが、ことごとく相手にされない。
座るように促され、しぶしぶ腰を下ろした。横目でウツギの背中に視線を送ったが、彼はもうこちらを気にもしていない。彼はフードを被って背もたれに背中を預け、アキラとヤヒロを交互に見た。
「……なに?」
黙っているふたりに訝し気な表情で訊ねると、ヤヒロがソーサーごとティーカップを手にする。やけに芝居がかった優雅なしぐさだ。ひとくち飲んで、溜息混じりに言った。
「楽しい食事のあとはお説教タイムか反省会って相場が決まってる」
「は?」
「宿舎じゃいつもそうだったろ?アキラがみんなに集合かけてさ」
鼻で笑ったユウはヤヒロに向けていた顔を逸らし、パーソナルチェアに座っているアキラを睨み上げた。
「説教されるようなことなんもしてないけど」
「わかってる」
「じゃあなに?」
「ミツキとのことだよ。非常階段でなにがあったのか、ユウの口から本当のことを聞かせてほしい」
その言葉に、ユウは眉をぴくりと動かす。
「こんなにたくさん?!フライパンと鍋、1つずつしかないのによく作れましたね。すごいな」
レストランよろしく色鮮やかに盛り付けられた料理を前に、アキラが思わず感嘆の声を上げる。
「それだけ揃ってれば十分です……耐熱皿もあったし……」
赤いチェック柄のミトンを嵌めたままの手が、マルゲリータピザを運んでくる。
「わあ!ピザまで焼いてくれたの?」
「トマトとチーズが余ってたから……」
「でも、生地はどうやって?イーストとかなかったでしょ?」
「薄力粉だけでもできるんで……。……口に合うかわからないけど……どうぞ……」
目を丸くしている3人を前に居心地悪そうな顔になりながら、ウツギは席に腰を下ろす。
「ユウ、取り皿くれ」
「サラダいるひとー」
「食べる」
「俺はいらねえ」
「ヤヒロ君……野菜もちゃんと食べなさい……」
夜闇で黒く染まった窓に、ダイニングテーブルを囲む4人の姿がくっきりと映っている。リビングのカーテンだけは引っ越しに間に合わなかった。
「この肉、旨すぎ……なんだっけ、チキンカーチャン?」
「チキンカチャトーラだよバカ」
「ほんっとにおいしいね。こんな料理を毎日食べられるなんて贅沢すぎる……ヤヒロのバカ舌にはもったいないクオリティだよ」
「おいアキラ。今なんつった?」
小競り合いをしたり軽口を叩いたりしながら、皿の中身はどんどん平らげられていく。まるで育ち盛りの兄弟だ。ウツギはエプロンを身に着けたまま、彼らの見事な食べっぷりを無表情で眺めている。その向かいに座っていたユウだけは、ウツギがちっとも食べていないことに気付いていた。それでもなにも言えず、結局ほとんど3人で食べてしまう。
デザートには生クリームのとさくらんぼの乗ったプリンが、飾り切りされたカットフルーツと共にサーブされた。
「すごぉい!かわいい盛り付けー!」スマホで写真を撮りながら、アキラが瞳を輝かせる。「ウツギさん、うちに来てよ!ヤヒロのとこよりも待遇よくするから」
「引き抜こうとすんじゃねえよ」
さくらんぼの茎を噛んだまま、ヤヒロが苦々しい顔で言う。しかしアキラは彼の声をまったく耳に入れていない。すっかりウツギに夢中だ。
「こんなに繊細な飾り切りまでできちゃうなんて、もしかして元料理人だったりする?それともずっと家事代行の仕事してるんですか?」
「……前は……会社員。この仕事はまだ……1年半くらい」
キッチンでハーブティーを準備しつつ答える。
「俺のとこに来たのって去年の秋くらいだっけ」
「うん……10月だよ……」
肌寒い日が増えてきた頃だ。初めてマンションに来たときのことをヤヒロはぼんやりと思い出す。
あの日――ヤヒロは久々に見下ろされる感覚を味わった。身長182センチに対し、ウツギは190センチ以上。迫力が違った。
彼は当時マンバンヘアで、今よりももっと不愛想だったように思う。どんよりした目つきで背を丸め、不健康な細い体をだぼだぼの服の下に隠していた。ハウスキーパーにはとても見えず、渋谷の裏路地にいそうなガラの悪さを感じた。
後から聞いた話だが、数年前に会社を辞めてからこの職に就くまでのあいだ引きこもり生活をしていたらしく、外出用のまともな服を持っていなかったため父親の服を着てきたのだという。その着こなしがあまりに垢抜けているので、てっきりファッションに興味があるとばかり思っていた。スタイルに恵まれていることもあるだろうが、天性のセンスを感じたものだ。
湯気を立てているティーカップを配り終えると、ウツギは皿洗いを始めた。
それを見たユウが立ち上がり、キッチンに入って声を掛ける。
「ウツギさん、もう休んでください。あとは俺たちがやりますんで……」
「温かいうちに飲んで……。皿洗い好きだから平気……」
こちらを見もせずに言う。ユウはそれでも引かずに、布巾を手に彼の横に立った。
「ユウ!いいからウツギに任せとけ。話があるから来いよ」
うしろから飛んできたヤヒロの声を無視して、洗い立ての皿を黙々と拭く。
「――すんません。みんな食っちゃって」
今さらと思いながらも伝えると、ウツギは唇を余り動かさない、籠ったようなしゃべり方で応える。
「夕飯は……いつもすこししか食べない……胃が重くなると眠れないから……」
「あ、……そーなんすか……」
短く相槌を打つ。
するとウツギが、食器を洗う手を止めぬまま、まるで独り言のように口にした。
「声」
「え?」
「君……わざと低い声出してるでしょ……話すときも……歌うときも」
ユウは虚を突かれたような顔をしている。そんな彼を、相変わらずじっとりと湿度のある目つきで見て、
「どうして?」
急にはっきりとした口調でそう問われ、ユウは息を呑んだ。見つめてくる彼の瞳のなかに稲妻のような激しい光を見たような気がした。
「おい、無視すんな。こっち来いって言ってんだよ」
背後から声と共に骨張った手が伸びてきた。布巾を取り上げられ、驚いて振り返ると、ヤヒロが片眉をあげ唇をへの字に曲げている。
ユウは半ば引きずられるようにしてソファまで連れて来られた。いつのまにかハーブティの注がれたティーカップとデザートがローテーブルの方に移動している。嫌な予感を察知した彼は「風呂入る」だの「もう寝る」だのと言いながら抵抗したが、ことごとく相手にされない。
座るように促され、しぶしぶ腰を下ろした。横目でウツギの背中に視線を送ったが、彼はもうこちらを気にもしていない。彼はフードを被って背もたれに背中を預け、アキラとヤヒロを交互に見た。
「……なに?」
黙っているふたりに訝し気な表情で訊ねると、ヤヒロがソーサーごとティーカップを手にする。やけに芝居がかった優雅なしぐさだ。ひとくち飲んで、溜息混じりに言った。
「楽しい食事のあとはお説教タイムか反省会って相場が決まってる」
「は?」
「宿舎じゃいつもそうだったろ?アキラがみんなに集合かけてさ」
鼻で笑ったユウはヤヒロに向けていた顔を逸らし、パーソナルチェアに座っているアキラを睨み上げた。
「説教されるようなことなんもしてないけど」
「わかってる」
「じゃあなに?」
「ミツキとのことだよ。非常階段でなにがあったのか、ユウの口から本当のことを聞かせてほしい」
その言葉に、ユウは眉をぴくりと動かす。
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