よあけ

紙仲てとら

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本編

第61話

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「そんな……」
 愕然としてつぶやいたのはタビトだった。脳裏にチカルの顔がちらつく。
「マンションでの一件による活動休止、ヘアメイクの不当な変更……すべてユウがあの娘と関係を持ったことが原因だ。もうこれ以上、ウル・ラドの価値を落とすようなことがあってはならない。ユウが不審な行動を取った場合はすぐ私に報告するように」
 異論は認めないという気迫のこもった口調だった。誰もが沈黙したそのとき、アキラが唇を開く。
「俺がユウとふたりで暮らすよ」
「駄目だ。もう一度全員で結束できるように、どうすればいいか考えなさい」
 ぴしゃりと告げたが、彼はなおも食い下がった。
「ねえ、社長。俺たちがいつごろ売れ始めたか覚えてる?」
「なんだいきなり……」
 突然の問いに面食らったような顔になりながらも、ムナカタは答える。
「去年……いや、もう年が明けたから一昨年の2月くらいだったと記憶しているが」
 アキラは頷き、
「ドラマの主題歌になった『SILENCE』が2月にリリースされて初めてシングル音楽ランキング3位を獲得してから、どんどん仕事が入ってくるようになった。この曲を完成させるまでにヤヒロがどれだけ苦労したか――社長は知らないよね。宿舎だとうるさくて集中できないから事務所の制作室を使わせてもらって、仕事がない日も毎日通い詰めて……ようやくつくり上げたんだ。あのまま宿舎で作業を続けてたらリリース日に間に合わないどころか、『SILENCE』っていう曲自体、この世に生み出されてなかったと思う。あの曲がなかったら今の俺たちはいないよ。チャンスにも恵まれないで、とっくに世間から忘れ去られてたかも」
「おい、アキラ」
 ヤヒロが彼の肩を掴んで諫める。だが、アキラはそれを無視して続けた。
「ヤヒロには集中できる静かな環境が絶対に必要なんだ。事務所の制作室だと使える時間が限られてたけど、今は自分の部屋に機材を買い揃えたから好きな時に好きなだけ作業できるようになったし……ヤヒロにとって最適なのは今の環境だと思う。だからもう宿舎暮らしはさせられないよ。ユウのことは俺がなんとかするから」
「――アキラ……ひとり暮らしがしたいと初めに言い出したのは君だろう。ヤヒロよりも君の方が落ち着いた環境を必要としているんじゃないのか?」
「俺は平気」肩を掴んでくるヤヒロの手に力が籠るのを感じながら言葉を継ぐ。「こういうときこそリーダーの出番でしょ。それに……ユウは大人数よりも1対1の方が心を開いてくれると思う。これからについて、ふたりでゆっくり話をするよ。だから任せて」
 太い腕を組んで唸ったムナカタであったが、やがて眉間の力を抜くとあきらめの溜息をついた。
「――いいだろう」
 かたく強張っていた表情をわずかにほどいた彼らを鷹揚な態度で見渡したあと、ムナカタはホズミに声を投げる。
「今すぐタキトウ常務に連絡してアポを取れ。こちらに対する礼儀を忘れているようだから、きっちり思い出させてやらねばならん」
「どうするつもり?」
 アキラが訊ねると、
「ナウラオルカとの関係をすべて解消する。幸い、君たちのおかげで資金は潤沢だ。新しく専門の部署を作って、アコとランだけでもこちらに迎え入れようじゃないか」
 ムナカタがなにか良からぬことを画策していると察したホズミは、ちくりと言葉を刺す。
「お言葉ですが――それはあまりに性急すぎます。ランさんをチームに戻してもらうための交渉をしてからでも良いのでは?」
「こちらが言って戻すようなら最初から異動などさせないさ」
「話をしてみなければわからないではありませんか」
「ミツキを迎え入れるにあたって、ハスタニではなくランを外したということに答えがあるとは思わんか、ホズミよ。ナウラオルカはストルム側に、高度な技術を持つ人材を派遣するよう要求されたに違いない。だからランに白羽の矢が立った……それはつまり、ラン以上の技術者が社内にいないということ。どうだ、誤った見解だと思うか?」
 饒舌に語る彼の横で、ホズミは考え込むように眉根を寄せる。
 確かに――ミツキとチェンジしたのがアシスタントのハスタニではなかったことに関しては引っ掛かるものがある。
 ランが残ってハスタニが外されたということなら、ムナカタも話し合いの場を設けて状況を精査してから今回のことを決断していたかもしれなかった。彼の言うように、ランほどのレベルの人材が他にいないという理由で、まだ修行の身であるハスタニを見習いの座から昇格させたのだとしたら……今後ナウラオルカがこちらの要求を満たすことは難しいだろう。
 格上には有能な人材を送り、格下には未熟な人材をあてがう――タキトウは、こちらとの良好な関係を維持するよりもストルムの要求に対し忠実に応える方がメリットが大きいと判断したのかもしれない。この推測が当たっているとしたら、ずいぶん軽く見られたものだ――ホズミはタキトウの品性に欠ける笑い声を思い出し、無意識に唇を曲げる。
 黙り込んでしまったホズミから視線を外したムナカタは若者たちを正面から見据え、朗々たる声で言葉を紡いだ。
「ナウラオルカとの契約を切ったところで、うちがスタイリストとヘアメイクを外注している限り今回と同じことが繰り返されるだろう。ミツキに二度とこちらの邪魔をされないようにするには、ウル・ラドのサポートを自社ですべて完結するしかない。裏方の人間をすべてうちの社員で固めれば、彼女が入り込む余地はないからな」
「――僕たちに近づく手段がなくなったミツキが、そのまま大人しく身を引くと思う?逆恨みして嫌がらせしてきそうじゃない?」
 もごもごと口にしたセナが上目遣いにメンバーを見渡す。
「タビトに付きまとったりユウに鞍替えしたりよくわかんねえけどさ、メンバーの誰かに肩入れしている限りは妨害なんかしねえよ。『潰す』発言にしたってどうせハッタリだ」
 言ったヤヒロは冷めたコーヒーを飲む。その流れで輪島塗の菓子鉢からチョコの包みをいくつか掴み取り、両隣のアキラとタビトにそれぞれ配った。
「そうかなあ……」
 不安が拭えない様子のセナを横目に、ヤヒロは肩を竦める。
「心配することねえって。そもそもこっちはなんも悪くねえじゃん。オフィスウイルドとの契約を維持できなかった原因は礼儀を欠いたナウラオルカ側にあるんだからよ……俺たちがミツキから恨まれる理由なんかねえだろ」
 言いながら、整えられたばかりの爪先で包みを破る。ぱくりとひとくちで頬張ると、甘味を口の中で転がしながら彼はのんびりとした調子で続けた。
「こっからは俺たちのターンになると思うぜ。アコがウル・ラドとの契約終了を黙って受け入れるわけねえし、死に物狂いで俺たちを追いかけてくるに決まってる。社長だって、口開けて待ってりゃ勝手に入ってくると思ってんだろ?」
「その言い方は悪意があるな。間違ってはいないがね」ムナカタは苦笑し、「あくまでも私たちは外部に頼るのをやめて“自社でスタイリストとヘアメイク担当者を育成する”と決めただけ……あとはアコ次第だ」
「ずるいなあ……」アキラは指先でチョコの包みを弄びながら目を細める。「それ、引き抜きっていう形にしたくないからだよね。社長はどうしても、アコちゃんに自分の意志で会社を辞めてもらいたいわけだ……あわよくばランちゃんも一緒に」
 ムナカタは答えず、薄く口元に笑みを湛えているだけだ。
「あのふたりがうちに奪われたら、ナウラオルカは貴重な戦力を失くすことになる。重要な人材を引き抜かれて損害を与えられたとナウラオルカ側が騒げばもしかしたら裁判沙汰になるかもしれない……それを警戒してるんでしょ?面倒な事態に巻き込まれないために、ウル・ラドにかける彼女の思いを利用しようとしてるんだ」
「なんでもお見通しというわけか」
「嫌いだな。そういうやり方」
「ランなくしてアコの理想は完成しない。ランを取り戻すためにはあの会社からふたりで抜け出すしかないと、彼女もわかっているはずだ。これは賭けだよ、アキラ」
 アキラは黙ったまま、先ほどから弄んでいたチョコの包みをようやく破った。憮然とした顔のまま中身を口に放り込む。
「ナウラオルカとの契約を解除するのは結構ですが、新部署立ち上げまでどうなさるおつもりですか」
 ホズミが問うと、すでにシナリオは決まっていると言わんばかりに、彼は淀みなく答えた。
「ひとまずスタイリストとヘアメイクを派遣している会社に連絡して、必要なだけ手配しておいてくれ。新部署に関してはキリヨシさんの力を借りる。隠居してからだいぶ暇しているようだし、いい刺激になるだろう」
 それを聞いたヤヒロは目を剥き、
「キリヨシって、クセのあるあの爺さん?時代劇の現場で有名だったっていう……」
「え?!おじいちゃんなのお?」
「髪に鬢付け油ぬりたくられたり顔を白粉だらけにされたりしねえだろうな」
 ヤヒロとは違い露骨に言葉には出さないが、セナの顔にはしっかりと不満が張り付いている。
「おいおい君たち……勘違いするなよ」
 ムナカタはあきれたように肩を竦めて、
「キリヨシさんにヘアメイクをお願いするわけじゃない。あの人の広い人脈を頼るんだ」
 そう言われてもなお半信半疑といった様子の彼らを前に、ムナカタは自信ありげに微笑む。
「何にしてもまずはアコと会って話をしなければ。直近の予定は?」
 ホズミは手にしていた分厚い手帳を開き、
「4日後の13時、六本木のテレビ局です」
「よし、私も現場に行こう。大事なことを電話で話すのは性に合わんからな。それに……古狸の孫娘の顔もぜひ一度見ておきたい」
 元来血の気の多い性質だ。ムナカタは双眸をぎらつかせ、白い歯をのぞかせる。
「――我儘な小娘め。思い通りにならないこともあると教えてやる」
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