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本編
第19話
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安全運転で走る車は千葉から東京に入り、リョウが宿泊するホテルのある港区北青山まで来た。高級車やタクシーに煽られつつも無事にコインパーキングを見つけ駐車し、彼らは街へ繰り出す。
時刻は正午を回ろうとしていたが、寒い寒いと震えているリョウのため、まずはアウターを買うことにした。ファストファッションは好みではないというので表参道駅まで歩き、その近くの高級ファッションブランドの店舗に入る。
アメリカで興した事業で大成功を納め、かなり裕福な生活をしてることは知っていたが――ふらりと入った店で数十万円もするブランド物のジャケットをなんのためらいもなく買う姿を見て、チカルはただただ驚いてしまう。郵便ポストの形をした貯金箱にせっせと小遣いを貯め、そのわずかな金銭の使い道を慎重に考えていた幼い頃の彼を知っているだけに、庶民の感覚とはかけ離れたカネの使い方をするようになったことが信じられなかった。
14年ぶりの再会がもたらす衝撃は、想像していたよりもずっと大きい。電話や手紙ではわからなかった変化が浮彫になるにつれ、彼女は一抹のさみしさを覚える。
背が小さく痩せていた少年は、今や筋骨隆々の大男。泣き虫で、なにかあるたびにお姉ちゃんお姉ちゃんと泣いていたあの頃が昨日のことのように思い出されるが、ずいぶん長いあいだ自分だけが過ぎ去りし時の中に取り残されていたようだ。
姉の胸中によぎる寂寞の思いなどつゆ知らず、リョウは柄シャツの上に買ったばかりのジャケットを羽織って、くるりと一回転してみせる。全体的にブランド名がびっしり入っているそれと柄シャツの組み合わせに目をしぱしぱさせながら、チカルが微笑む。
「似合ってる」
奇抜な組み合わせなのに、調和が取れているのが不思議だ。
「賑やかな柄でカワイイだろ?」
頷く姉を見た彼は、嬉しそうににんまりする。
「欲しかったものも買えたし、そろそろ昼食にしようか。姉さんは何がいい?俺は和食がいいな。蕎麦とか」
「蕎麦か……」ふむと唇を結んで少し考え込んでから、「確か乃木坂駅のすぐ近くにおいしいお蕎麦屋さんがあったけど……そこにする?」
「うん。いい天気だし歩いていこうぜ」
店の外に出たふたりが乃木坂方面に歩き出したちょうどその頃。
平日昼の時間帯に毎日放送されている「ひるなか」のグルメロケで、タビトとアキラは六本木に来ていた。複合商業施設内に新しく開店した店や人気の老舗店での撮影を済ませ、次のロケ現場に移動するところだ。
仕事という名目で爆食いできる貴重な日。さぞかし満喫しているかと思いきや――車に乗り込んだふたりは、明らかに顔色が悪い。
「最後のひとくち、やめとけばよかった……」
眉間に薄く皺を入れて、タビトがぼやく。
「だから無理すんなって言ったのに」
「だって……残すの申し訳なくて」
揚げ物、鉄板焼き、ピザ、生クリームとカスタードたっぷりのシュークリーム――こってりしたものが続いたせいか、胃が重くなるのがいつもより早い。彼らの腹はすでに満腹に近くなっていた。しかしロケはまだまだ続く。
「次はハンバーガーだって」
タビトが力なく笑う。その横でアキラが自分の腹をさすりながら、「きつい……」とつぶやきつつ座席にぐったりと凭れた。
「ふたりとも、もう限界?」
笑いながら言って前の座席越しに振り向いたのは、番組レギュラーのサラだ。彼女はティーン向け雑誌のモデルとして若者たちに絶大な人気を誇っており、バラエティのみならずコマーシャルにドラマにとマルチに活動している。同じくモデル経験のあるヤヒロやユウと交流があり、彼女の人柄の良さは彼らから聞いていた。
「サラさん、俺たちより食べてたけど大丈夫なの?」
タビトが訊ねると輝く白い歯を見せて笑う。
「余裕~!まだ腹三分目ってとこかな」
「ヤヒロと同じ系の人……やっぱりこのロケ、俺じゃなくてヤヒロの仕事だよ……」
アキラが天井を仰いで嘆く。それを見たサラは頷き、
「あいつ大食いだもんね。確かに今日のロケなら適任だったのになんで来なかったの?」
「曲作りで忙しいからさ……それに、こういうロケの担当はだいたい俺たちだし」
「そっか。ヤヒロがダメならユウを――と思ったけど、いま活動休止中だもんね。ヤヒロとユウの大食いコンビなら全店で完食しそうじゃない?元気になったらふたりにやらせてみたら?」
何気ないその言葉に、タビトは目を丸くした。
「ユウってそんなに食べるっけ?」
「一緒にモデルやってた頃はすごかったよ。撮影の待ち時間にカップ麺、おにぎり、お菓子……とにかくいっぱい食べて、終わったあとに焼肉食べ放題行って10人前以上平らげるとか普通だったもん」
ユウがモデルで活躍していたのは15歳から17歳までだ。タビトが彼と初めて出会ったときは16歳だった。メンバー全員で暮らしていたため一緒に食事をすることも多かったが、食が細いという印象しかない。
モデルの仕事中は大量に食べるが、アイドル活動の最中や宿舎で過ごすあいだはほとんど食べない――ユウの食事量にムラがあったことを、ヤヒロは知っていただろうか。
ようやく運転手がやってきて、ロケバスが次の現場に向け出発する。タビトは押し黙ったまま流れる景色を眺めた。
「あ、今日もすごい混んでる」
前の座席でサラがつぶやいた。
「え?」
「あの蕎麦屋」束ねてあるカーテンの隙間から顔を覗かせ、外を指さす。「前にロケしたけど、おいしかったよ。人気店なんだって」
タビトがその方を見れば、昼時とあってかかなり長い行列ができている。
「ほんとだ」
彼はほとんど興味なさげに相槌を打つ。ロケバスが行列のちょうど真横で停まり、きれいに等間隔で並んでいる人々を見るともなしに眺めた。
サラリーマンが圧倒的に多い。みんな一様に、スマホの画面に目を落としている。店の中から3名ほどまとまって出てくると、すぐに同じ数だけ人が店内に吸い込まれていく。機械的に列が動き、最後尾に並んでいたふたり組がちょうどロケバスの真横に来た。
その姿を見た瞬間のタビトの顔が驚愕の色に染まる。
(那南城さん?!)
思わず背もたれから背中を離し、窓に張り付いた。確かにチカルだと確認し、その横にいる人物を見る。やたらとがたいの良い男が、彼女と親密そうに肩を寄せ合っている。
キャメルのチェスターコートにスリムなブラックジーンズという落ち着いた格好をしている彼女とは真逆、男の方は驚くほど派手な装いだ。長く伸ばした髪はゴールドのメッシュが入り、耳にはリング状のピアス。首元にはタトゥーが見え隠れしている。
服はわかりやすいハイブランド品、しかも発表されたばかりの新作だ。ちょっと前に最新コレクションの一覧を雑誌で見て、こんな派手な服を誰が買うんだろうと興味深く感じたが――まさかこのような形で購入者に遭遇するとは。
男はチカルの耳に唇を近づけなにか囁いたり、肩を抱き寄せたり、なにかと距離が近い。身長差があるせいなのか、彼女の体がかなり小さく華奢に見える。
一方的に私生活をのぞくのは悪趣味だと、戒めの声が耳の奥に響いている。しかしどうしても目が離せなかった。どくどくと鳴る心臓を服の上から無意識に押さえる。
異変に気付いたのか、アキラが横からタビトの顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
我に返った彼は、声の方に振り向いて首を横に振る。
「なんでもない……」
いつも通り答えたつもりだったが、アキラはまだ訝しげな顔をしている。
「ほんとに?」
「ほんとだって」
そう答えながらも、うまく笑えていないのが自分でもわかる。
信号が青に変わり、ロケバスが動き出す。タビトは再び窓に張り付くようにして外を見た。車はぐんぐんスピードを上げ、蕎麦屋はあっというまに遠ざかりチカルの姿も見失う。
ゆっくりと前方に視線を戻した。指がすっかり冷えて震え……ひどく動揺しているのがわかった。
あの男は恋人だろうか。今まで彼女が既婚者かどうかなんて考えたこともなかったが、夫の可能性だって十分ある。だとすればなおさら――性格や外見の印象で人の好みを語ることは野暮だが――意外だった。ああいう男がタイプなのか。
背中に突然冷たい水を流し込まれたかのような気分だ。
次のロケ現場について収録が始まっても、瞳の奥に焼きついたふたりの姿は消えてくれない。愛おしそうに男を見つめるチカルのまなざしを思い起こすたび、彼の心は悲愁に沈む。
時刻は正午を回ろうとしていたが、寒い寒いと震えているリョウのため、まずはアウターを買うことにした。ファストファッションは好みではないというので表参道駅まで歩き、その近くの高級ファッションブランドの店舗に入る。
アメリカで興した事業で大成功を納め、かなり裕福な生活をしてることは知っていたが――ふらりと入った店で数十万円もするブランド物のジャケットをなんのためらいもなく買う姿を見て、チカルはただただ驚いてしまう。郵便ポストの形をした貯金箱にせっせと小遣いを貯め、そのわずかな金銭の使い道を慎重に考えていた幼い頃の彼を知っているだけに、庶民の感覚とはかけ離れたカネの使い方をするようになったことが信じられなかった。
14年ぶりの再会がもたらす衝撃は、想像していたよりもずっと大きい。電話や手紙ではわからなかった変化が浮彫になるにつれ、彼女は一抹のさみしさを覚える。
背が小さく痩せていた少年は、今や筋骨隆々の大男。泣き虫で、なにかあるたびにお姉ちゃんお姉ちゃんと泣いていたあの頃が昨日のことのように思い出されるが、ずいぶん長いあいだ自分だけが過ぎ去りし時の中に取り残されていたようだ。
姉の胸中によぎる寂寞の思いなどつゆ知らず、リョウは柄シャツの上に買ったばかりのジャケットを羽織って、くるりと一回転してみせる。全体的にブランド名がびっしり入っているそれと柄シャツの組み合わせに目をしぱしぱさせながら、チカルが微笑む。
「似合ってる」
奇抜な組み合わせなのに、調和が取れているのが不思議だ。
「賑やかな柄でカワイイだろ?」
頷く姉を見た彼は、嬉しそうににんまりする。
「欲しかったものも買えたし、そろそろ昼食にしようか。姉さんは何がいい?俺は和食がいいな。蕎麦とか」
「蕎麦か……」ふむと唇を結んで少し考え込んでから、「確か乃木坂駅のすぐ近くにおいしいお蕎麦屋さんがあったけど……そこにする?」
「うん。いい天気だし歩いていこうぜ」
店の外に出たふたりが乃木坂方面に歩き出したちょうどその頃。
平日昼の時間帯に毎日放送されている「ひるなか」のグルメロケで、タビトとアキラは六本木に来ていた。複合商業施設内に新しく開店した店や人気の老舗店での撮影を済ませ、次のロケ現場に移動するところだ。
仕事という名目で爆食いできる貴重な日。さぞかし満喫しているかと思いきや――車に乗り込んだふたりは、明らかに顔色が悪い。
「最後のひとくち、やめとけばよかった……」
眉間に薄く皺を入れて、タビトがぼやく。
「だから無理すんなって言ったのに」
「だって……残すの申し訳なくて」
揚げ物、鉄板焼き、ピザ、生クリームとカスタードたっぷりのシュークリーム――こってりしたものが続いたせいか、胃が重くなるのがいつもより早い。彼らの腹はすでに満腹に近くなっていた。しかしロケはまだまだ続く。
「次はハンバーガーだって」
タビトが力なく笑う。その横でアキラが自分の腹をさすりながら、「きつい……」とつぶやきつつ座席にぐったりと凭れた。
「ふたりとも、もう限界?」
笑いながら言って前の座席越しに振り向いたのは、番組レギュラーのサラだ。彼女はティーン向け雑誌のモデルとして若者たちに絶大な人気を誇っており、バラエティのみならずコマーシャルにドラマにとマルチに活動している。同じくモデル経験のあるヤヒロやユウと交流があり、彼女の人柄の良さは彼らから聞いていた。
「サラさん、俺たちより食べてたけど大丈夫なの?」
タビトが訊ねると輝く白い歯を見せて笑う。
「余裕~!まだ腹三分目ってとこかな」
「ヤヒロと同じ系の人……やっぱりこのロケ、俺じゃなくてヤヒロの仕事だよ……」
アキラが天井を仰いで嘆く。それを見たサラは頷き、
「あいつ大食いだもんね。確かに今日のロケなら適任だったのになんで来なかったの?」
「曲作りで忙しいからさ……それに、こういうロケの担当はだいたい俺たちだし」
「そっか。ヤヒロがダメならユウを――と思ったけど、いま活動休止中だもんね。ヤヒロとユウの大食いコンビなら全店で完食しそうじゃない?元気になったらふたりにやらせてみたら?」
何気ないその言葉に、タビトは目を丸くした。
「ユウってそんなに食べるっけ?」
「一緒にモデルやってた頃はすごかったよ。撮影の待ち時間にカップ麺、おにぎり、お菓子……とにかくいっぱい食べて、終わったあとに焼肉食べ放題行って10人前以上平らげるとか普通だったもん」
ユウがモデルで活躍していたのは15歳から17歳までだ。タビトが彼と初めて出会ったときは16歳だった。メンバー全員で暮らしていたため一緒に食事をすることも多かったが、食が細いという印象しかない。
モデルの仕事中は大量に食べるが、アイドル活動の最中や宿舎で過ごすあいだはほとんど食べない――ユウの食事量にムラがあったことを、ヤヒロは知っていただろうか。
ようやく運転手がやってきて、ロケバスが次の現場に向け出発する。タビトは押し黙ったまま流れる景色を眺めた。
「あ、今日もすごい混んでる」
前の座席でサラがつぶやいた。
「え?」
「あの蕎麦屋」束ねてあるカーテンの隙間から顔を覗かせ、外を指さす。「前にロケしたけど、おいしかったよ。人気店なんだって」
タビトがその方を見れば、昼時とあってかかなり長い行列ができている。
「ほんとだ」
彼はほとんど興味なさげに相槌を打つ。ロケバスが行列のちょうど真横で停まり、きれいに等間隔で並んでいる人々を見るともなしに眺めた。
サラリーマンが圧倒的に多い。みんな一様に、スマホの画面に目を落としている。店の中から3名ほどまとまって出てくると、すぐに同じ数だけ人が店内に吸い込まれていく。機械的に列が動き、最後尾に並んでいたふたり組がちょうどロケバスの真横に来た。
その姿を見た瞬間のタビトの顔が驚愕の色に染まる。
(那南城さん?!)
思わず背もたれから背中を離し、窓に張り付いた。確かにチカルだと確認し、その横にいる人物を見る。やたらとがたいの良い男が、彼女と親密そうに肩を寄せ合っている。
キャメルのチェスターコートにスリムなブラックジーンズという落ち着いた格好をしている彼女とは真逆、男の方は驚くほど派手な装いだ。長く伸ばした髪はゴールドのメッシュが入り、耳にはリング状のピアス。首元にはタトゥーが見え隠れしている。
服はわかりやすいハイブランド品、しかも発表されたばかりの新作だ。ちょっと前に最新コレクションの一覧を雑誌で見て、こんな派手な服を誰が買うんだろうと興味深く感じたが――まさかこのような形で購入者に遭遇するとは。
男はチカルの耳に唇を近づけなにか囁いたり、肩を抱き寄せたり、なにかと距離が近い。身長差があるせいなのか、彼女の体がかなり小さく華奢に見える。
一方的に私生活をのぞくのは悪趣味だと、戒めの声が耳の奥に響いている。しかしどうしても目が離せなかった。どくどくと鳴る心臓を服の上から無意識に押さえる。
異変に気付いたのか、アキラが横からタビトの顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
我に返った彼は、声の方に振り向いて首を横に振る。
「なんでもない……」
いつも通り答えたつもりだったが、アキラはまだ訝しげな顔をしている。
「ほんとに?」
「ほんとだって」
そう答えながらも、うまく笑えていないのが自分でもわかる。
信号が青に変わり、ロケバスが動き出す。タビトは再び窓に張り付くようにして外を見た。車はぐんぐんスピードを上げ、蕎麦屋はあっというまに遠ざかりチカルの姿も見失う。
ゆっくりと前方に視線を戻した。指がすっかり冷えて震え……ひどく動揺しているのがわかった。
あの男は恋人だろうか。今まで彼女が既婚者かどうかなんて考えたこともなかったが、夫の可能性だって十分ある。だとすればなおさら――性格や外見の印象で人の好みを語ることは野暮だが――意外だった。ああいう男がタイプなのか。
背中に突然冷たい水を流し込まれたかのような気分だ。
次のロケ現場について収録が始まっても、瞳の奥に焼きついたふたりの姿は消えてくれない。愛おしそうに男を見つめるチカルのまなざしを思い起こすたび、彼の心は悲愁に沈む。
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