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花言葉の解釈
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ピッ、ピッ、ピッ、
ピーーーーーーーーー
私にとって、今年の春の音は、心電図モニターから聞こえる電子音だった。
夫が息を引き取る間際、私が看取っていたのは、夫ではなく、心電図モニターに映し出されるパルス波形。担当の医師が電子音を消しましょうか、と言ってくれたが、この音自体が夫の息遣いのように思え、お断りした。
既に両親が他界しており、夫が息を引き取った今。私は天涯孤独の身となった。
でも、この瞬間私が感じられるのは、心電図モニターの電子音が消えた、ということだけ。
”ピンポーン”
「はい、どちら様でしょう?」
「駅前の生花店です。ご注文のお花をお持ちしました。」
「どうぞ、お入りください。」
私は、マンション入り口のドアを解錠し、玄関に向かって花屋さんの到着を待つ。
チャイムが鳴り、ドアを開けると、フラワーアレンジメントを持つエプロン姿の女性が立っていた。
「まあ、きれい。」
彼女が両手で抱えるバスケットには、様々な色のネモフィラが飾りつけられていた。
花屋さんが詫びる。
「申し訳ありません。お電話でお伝えした通り、只今ネモフィラの入荷が少なくて、ご要望の量がご用意できなくて。」
「いいのよ。こんな色とりどりのネモフィラをアレンジしていただいて・・・本当にきれい。」
「ありがとうございます。どこに置きましょうか。」
「そうね。そのまま部屋に上がってくださる?」
私は彼女を招き入れ、リビングに通す。
「こちらに置いてもらえるかしら。」
私はテレビ横のサイドボードを指す。
そこには、夫の遺影と遺骨が置いてある。
昨日まではその脇に、葬儀の時に供えていた生花もあった。
花屋さんは、空いたスペースにバスケットを置き、一歩下がって手を合わせてくれた。
「ありがとう・・・それから、よかったわ。お花が無くなってしまって、すごく殺風景だったの。」
「こちらこそ、ご注文いただき、ありがとうございました。」
「ネモフィラは、花の色ごとに種類が違うのかしら?」
「はい。こちらのブルーの花びらが、ネモフィラ・メンジェシ―。一番ポピュラーですね。この白い花びらに斑点が入っているのが、スノーストーム。黒っぽい地色に白ぶちの花がペニー・ブラック。淡いブルーの花びら一枚ずつに濃い斑紋が入っているのが、ネモフィラ・マクラータです。」
「流石にお詳しいのね。」
「いえ、実は私もネモフィラ、好きでして。」
「そうなの・・・じゃあ、花言葉もご存知ね。」
「ええ、ネモフィラにはいくつか花言葉がありますね。」
支払いを済ませると、思い切って花屋さんに切り出してみた。
「あなた、お茶を飲むくらいお時間あるかしら?」
「そんな、お手間とらせちゃ申し訳ないです。」
「いいのよ、ここのところずっと一人で、少しお喋りしたいの。」
「・・・では、お言葉に甘えて。」
彼女をソファーに座らせ、紅茶とお茶菓子を用意する。
「さあ、どうぞ。」
「いただきます。」
私も、彼女の脇のミニソファーに腰かけ、紅茶のカップを傾ける。
「あなたを許す。」
私の口から独り言のように出た言葉。花屋さんはちょっと驚いた様子だったが、それに返す。
「ギリシャ神話から来たと言われる、ネモフィラの花言葉ですね。」
「そう。男性がベタぼれした女性・ネモフィラと結婚できるなら、命が尽きても構わない、と神様に誓ったそうね。神様は、願いをかなえたけど、男は死んでしまう。残された女性はあの世まで夫を探しに行くけど、会うことができない。天国の門の前でずっと泣いていたら、神様によって、女性の姿が一輪の青い花に変えられるっていうお話。なんかこのお話って、良かったとか悪かったとか超越してるわよね。」
花屋さんはカップをソーサーに戻し、私の話を興味深げに聞いてくれる。
「このお話では、『あなたを許』したのは誰か・・・神様なのか、妻のネモフィラなのか、よくわからないみたいだけど・・・私もそんな感じなの。」
「?」
花屋さんが小首をかしげ、栗色の綺麗な髪が揺れる。
「私と亡くなった夫は共働きだったの。それぞれ仕事が楽しくて、バリバリ働いて、それぞれに会社の中で、まあまあのポジションに就いた。」
「そうだったんですか。」
「結婚した頃はもちろん、普通の恋人同士みたいにベタベタしていたけど、お互い仕事にのめり込んで、そのうち、なんだか仲のいい他人同士が同居してるみたいな関係になってしまった・・・夫には、会社に恋人がいるとかいないとかも聞こえてきたし。」
「・・・」
「で、夫は仕事を優先するあまり、病気の発見が遅れて死んでしまった。」
私はカップを置き、顔を手で覆う。
「お花を注文した時ね。そんな彼を許してあげようと思ってネモフィラを選んだの・・・でも、よくよく考えたら、私のことを許してほしかったのかもしれない。夫とちゃんと向き合ってこれなかった私を。」
花屋さんに戸惑いの表情が浮かぶ。
「ああ、ごめんなさいね。初対面なのに、お茶につき合ってもらって、しかもこんな重い話聞かせちゃって。」
「いえ、いいんです・・・生意気なこと言っちゃいますと、今の話からすると、お客様は『お互いに許し合おう』というお気持ちなんじゃないかな、と思いました。お客様と旦那様の二人の人生ですし。多分、旦那様にもその思い、届いていると思います。」
「ありがとう。そう言ってくれると何だかすごく救われるわ。あなた、お名前は? あ、私はマヤ。」
「ラナといいます。」
「ラナさん、今日は本当にありがとう。綺麗なお花を届けてくれて。お喋りにつき合ってくれて。」
「こちらこそ、美味しいお茶、ごちそうさまでした。」
私は、飾ってもらったネモフィラを見つめる。
「ああ、いつかネモフィラで一面のお花畑を見たいわね。」
花屋さんは、顎に人差し指を当て、何やら思案している。
「あの、今から少しお時間ありますか?」
「え? ええ。」
「少し、車で移動します。」
私は、花屋のラナさんの誘いに乗った。夫の葬儀が終わり、その後の手続きやらなんやらも一通り済ませ、忌引き休暇で、ヒマを持て余していた。独りでその空虚な時間を過ごすのが、少し怖かった。
タイムズの駐車場に停めてあったのは、配達用の車ではなく、普通の乗用車だった。
「配達するお花が大きくなかったので、今日はこれで来ました。」
とラナさんは言い、助手席のドアを開け、私を乗せてくれる。
「これからどこに行くのかしら?」
駐車場から車道に出た所でラナさんに聞く。
「だいたい15分くらいです。あ、私、実家が花屋で手伝いをしていて、仕事はトラックのドライバーをやっているので、運転はご安心ください。」
どうやら、行き先は着いてからのお楽しみ、ということのようだ。
「私ね。迷っているの。」
「?」
つい、この花屋の娘さんには、いろいろと話したくなる。
「夫との関係はさっき言った感じだったけど、夫のご両親が可愛がってくれていてね。『マヤちゃん、独りになっちゃうし、うちに来て一緒に暮らさない?』って誘ってくれているの。家業の跡継ぎをお願いしたい、ってのもあるみたいだけど。」
「旦那様のご実家はどちらですか?」
「岡山。私、東京から離れたことないし、でも今は、根無し草みたいなもんだし・・・あ、ごめんなさい。また変な話しちゃって。」
そうこう話しているうちに、目的地についたようだ。駐車場に車を停め、彼女は助手席のドアを開けてくれた。
その場所は駒沢公園。いくつものスポーツ施設の建物が夕日に照らされ、日の当たらない木々の周りは薄暗くなってきている。
公園の西口から入り、レストランの前を通ると『じゃぶじゃぶ池』と書かれた標識があった。
そちらに向かい、私達が目にしたのは、半月状の淡いブルーの帯。
既に周りは暗くなってきているが、そこだけ、ぼーっと青い光が浮き出ているようだ。
「『一面のお花畑』からは、ほど遠いですが、なかなか綺麗でしょう? この間、トラックドライバー仲間が『ちょうど見ごろだ』って教えてくれて。」
私は思わずその花壇に駆け寄る。
膝を曲げ、しゃがみ込む。
一輪・一凛の可憐さ。それが無数に集まった色の鮮やかさ。はかなさ。
それを見ていると、なぜか涙が溢れてくる。ハンカチで顔を覆う。
夫が亡くなったときも、葬儀の時も流せなかった涙。今はそれが止まらない。
ラナさんは私と同じようにしゃがんで横に並び、一言ささやく。
「ネモフィラの花言葉のひとつに、『どこでも成功』というのもありましたね・・・マヤさんは、どこでも大丈夫、なんだと思います。」
あの日以来止まっていた、私の時間。
やっとここから次に踏み出せるんだと感じた。
ありがとう。
小さな森を愛する、可憐な妖精さん。
そして、それをプレゼントしてくれた、お花屋さん。
ピーーーーーーーーー
私にとって、今年の春の音は、心電図モニターから聞こえる電子音だった。
夫が息を引き取る間際、私が看取っていたのは、夫ではなく、心電図モニターに映し出されるパルス波形。担当の医師が電子音を消しましょうか、と言ってくれたが、この音自体が夫の息遣いのように思え、お断りした。
既に両親が他界しており、夫が息を引き取った今。私は天涯孤独の身となった。
でも、この瞬間私が感じられるのは、心電図モニターの電子音が消えた、ということだけ。
”ピンポーン”
「はい、どちら様でしょう?」
「駅前の生花店です。ご注文のお花をお持ちしました。」
「どうぞ、お入りください。」
私は、マンション入り口のドアを解錠し、玄関に向かって花屋さんの到着を待つ。
チャイムが鳴り、ドアを開けると、フラワーアレンジメントを持つエプロン姿の女性が立っていた。
「まあ、きれい。」
彼女が両手で抱えるバスケットには、様々な色のネモフィラが飾りつけられていた。
花屋さんが詫びる。
「申し訳ありません。お電話でお伝えした通り、只今ネモフィラの入荷が少なくて、ご要望の量がご用意できなくて。」
「いいのよ。こんな色とりどりのネモフィラをアレンジしていただいて・・・本当にきれい。」
「ありがとうございます。どこに置きましょうか。」
「そうね。そのまま部屋に上がってくださる?」
私は彼女を招き入れ、リビングに通す。
「こちらに置いてもらえるかしら。」
私はテレビ横のサイドボードを指す。
そこには、夫の遺影と遺骨が置いてある。
昨日まではその脇に、葬儀の時に供えていた生花もあった。
花屋さんは、空いたスペースにバスケットを置き、一歩下がって手を合わせてくれた。
「ありがとう・・・それから、よかったわ。お花が無くなってしまって、すごく殺風景だったの。」
「こちらこそ、ご注文いただき、ありがとうございました。」
「ネモフィラは、花の色ごとに種類が違うのかしら?」
「はい。こちらのブルーの花びらが、ネモフィラ・メンジェシ―。一番ポピュラーですね。この白い花びらに斑点が入っているのが、スノーストーム。黒っぽい地色に白ぶちの花がペニー・ブラック。淡いブルーの花びら一枚ずつに濃い斑紋が入っているのが、ネモフィラ・マクラータです。」
「流石にお詳しいのね。」
「いえ、実は私もネモフィラ、好きでして。」
「そうなの・・・じゃあ、花言葉もご存知ね。」
「ええ、ネモフィラにはいくつか花言葉がありますね。」
支払いを済ませると、思い切って花屋さんに切り出してみた。
「あなた、お茶を飲むくらいお時間あるかしら?」
「そんな、お手間とらせちゃ申し訳ないです。」
「いいのよ、ここのところずっと一人で、少しお喋りしたいの。」
「・・・では、お言葉に甘えて。」
彼女をソファーに座らせ、紅茶とお茶菓子を用意する。
「さあ、どうぞ。」
「いただきます。」
私も、彼女の脇のミニソファーに腰かけ、紅茶のカップを傾ける。
「あなたを許す。」
私の口から独り言のように出た言葉。花屋さんはちょっと驚いた様子だったが、それに返す。
「ギリシャ神話から来たと言われる、ネモフィラの花言葉ですね。」
「そう。男性がベタぼれした女性・ネモフィラと結婚できるなら、命が尽きても構わない、と神様に誓ったそうね。神様は、願いをかなえたけど、男は死んでしまう。残された女性はあの世まで夫を探しに行くけど、会うことができない。天国の門の前でずっと泣いていたら、神様によって、女性の姿が一輪の青い花に変えられるっていうお話。なんかこのお話って、良かったとか悪かったとか超越してるわよね。」
花屋さんはカップをソーサーに戻し、私の話を興味深げに聞いてくれる。
「このお話では、『あなたを許』したのは誰か・・・神様なのか、妻のネモフィラなのか、よくわからないみたいだけど・・・私もそんな感じなの。」
「?」
花屋さんが小首をかしげ、栗色の綺麗な髪が揺れる。
「私と亡くなった夫は共働きだったの。それぞれ仕事が楽しくて、バリバリ働いて、それぞれに会社の中で、まあまあのポジションに就いた。」
「そうだったんですか。」
「結婚した頃はもちろん、普通の恋人同士みたいにベタベタしていたけど、お互い仕事にのめり込んで、そのうち、なんだか仲のいい他人同士が同居してるみたいな関係になってしまった・・・夫には、会社に恋人がいるとかいないとかも聞こえてきたし。」
「・・・」
「で、夫は仕事を優先するあまり、病気の発見が遅れて死んでしまった。」
私はカップを置き、顔を手で覆う。
「お花を注文した時ね。そんな彼を許してあげようと思ってネモフィラを選んだの・・・でも、よくよく考えたら、私のことを許してほしかったのかもしれない。夫とちゃんと向き合ってこれなかった私を。」
花屋さんに戸惑いの表情が浮かぶ。
「ああ、ごめんなさいね。初対面なのに、お茶につき合ってもらって、しかもこんな重い話聞かせちゃって。」
「いえ、いいんです・・・生意気なこと言っちゃいますと、今の話からすると、お客様は『お互いに許し合おう』というお気持ちなんじゃないかな、と思いました。お客様と旦那様の二人の人生ですし。多分、旦那様にもその思い、届いていると思います。」
「ありがとう。そう言ってくれると何だかすごく救われるわ。あなた、お名前は? あ、私はマヤ。」
「ラナといいます。」
「ラナさん、今日は本当にありがとう。綺麗なお花を届けてくれて。お喋りにつき合ってくれて。」
「こちらこそ、美味しいお茶、ごちそうさまでした。」
私は、飾ってもらったネモフィラを見つめる。
「ああ、いつかネモフィラで一面のお花畑を見たいわね。」
花屋さんは、顎に人差し指を当て、何やら思案している。
「あの、今から少しお時間ありますか?」
「え? ええ。」
「少し、車で移動します。」
私は、花屋のラナさんの誘いに乗った。夫の葬儀が終わり、その後の手続きやらなんやらも一通り済ませ、忌引き休暇で、ヒマを持て余していた。独りでその空虚な時間を過ごすのが、少し怖かった。
タイムズの駐車場に停めてあったのは、配達用の車ではなく、普通の乗用車だった。
「配達するお花が大きくなかったので、今日はこれで来ました。」
とラナさんは言い、助手席のドアを開け、私を乗せてくれる。
「これからどこに行くのかしら?」
駐車場から車道に出た所でラナさんに聞く。
「だいたい15分くらいです。あ、私、実家が花屋で手伝いをしていて、仕事はトラックのドライバーをやっているので、運転はご安心ください。」
どうやら、行き先は着いてからのお楽しみ、ということのようだ。
「私ね。迷っているの。」
「?」
つい、この花屋の娘さんには、いろいろと話したくなる。
「夫との関係はさっき言った感じだったけど、夫のご両親が可愛がってくれていてね。『マヤちゃん、独りになっちゃうし、うちに来て一緒に暮らさない?』って誘ってくれているの。家業の跡継ぎをお願いしたい、ってのもあるみたいだけど。」
「旦那様のご実家はどちらですか?」
「岡山。私、東京から離れたことないし、でも今は、根無し草みたいなもんだし・・・あ、ごめんなさい。また変な話しちゃって。」
そうこう話しているうちに、目的地についたようだ。駐車場に車を停め、彼女は助手席のドアを開けてくれた。
その場所は駒沢公園。いくつものスポーツ施設の建物が夕日に照らされ、日の当たらない木々の周りは薄暗くなってきている。
公園の西口から入り、レストランの前を通ると『じゃぶじゃぶ池』と書かれた標識があった。
そちらに向かい、私達が目にしたのは、半月状の淡いブルーの帯。
既に周りは暗くなってきているが、そこだけ、ぼーっと青い光が浮き出ているようだ。
「『一面のお花畑』からは、ほど遠いですが、なかなか綺麗でしょう? この間、トラックドライバー仲間が『ちょうど見ごろだ』って教えてくれて。」
私は思わずその花壇に駆け寄る。
膝を曲げ、しゃがみ込む。
一輪・一凛の可憐さ。それが無数に集まった色の鮮やかさ。はかなさ。
それを見ていると、なぜか涙が溢れてくる。ハンカチで顔を覆う。
夫が亡くなったときも、葬儀の時も流せなかった涙。今はそれが止まらない。
ラナさんは私と同じようにしゃがんで横に並び、一言ささやく。
「ネモフィラの花言葉のひとつに、『どこでも成功』というのもありましたね・・・マヤさんは、どこでも大丈夫、なんだと思います。」
あの日以来止まっていた、私の時間。
やっとここから次に踏み出せるんだと感じた。
ありがとう。
小さな森を愛する、可憐な妖精さん。
そして、それをプレゼントしてくれた、お花屋さん。
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