死神若殿の正室

三矢由巳

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第二章 果報者

11 姫達の縁談

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 又五郎殿はすっかり大人になっておった。八年前の田舎者丸出しの言葉の名残はあったが、挨拶等は一人前であった。国許で寺社奉行を務め、子どもも二人おるというのだから大したものじゃ。
 賀津姫もあの又五郎殿が別人のようじゃと驚いておった。もっともわらわの目の届かぬ場所で又五郎殿の言葉を真似て妹達を笑わせていたようじゃが。
 又五郎殿は四十九日の法要に出て形見分けの品などを受け取り、国許へと戻った。



 清光院様(幸姫)の死は当家に様々な波紋をもたらした。
 まず上屋敷の奥方様の様子が普通ではなくなった。初めて育てた姫との永遠の別れがよほどつらかったのであろう、眠れぬので寝る前に酒を少々お召しになっていたのが、だんだんと量が増えて昼間に口にされるようになったという。
 これには御年寄の住吉や常葉も困っているという話であった。
 それを知った国許の殿様から文があった。孫の姫を誰か一人上屋敷によこし、奥方様に面倒を見させよと。孫の目があれば酒を昼間から飲むようなことはすまいとお考えになったらしい。
 そこで若殿と相談し、賀津姫を上屋敷にやることにした。賀津姫は少々がさつだが、上屋敷の住吉らに鍛えられれば少しはましになるであろう。
 が、それは甘かった。確かに賀津姫が上屋敷に参った当初は奥方様の酒量は減った。なれどそれは一時的なこと。また元に戻ってしまった。賀津姫もおばばさまが酒臭くてかなわぬと一か月で中屋敷に戻って来た。話を聞いたわらわもさすがに娘の教育には良くないと思った。
 上屋敷の奥を取り仕切る住吉はとにかく酒を飲ませぬように奥方様を見張り、台所に行かせぬようにしているが、どこからか手に入れて飲んでいることがあるようで、手のつけようがなかった。
 上屋敷の奥方様は酒で清光院様を失った悲しみを紛らせておられたわけである。それでは国許の御生母の満津の方はどうかというと、この方は別のやり方で悲しみを紛らわせた。
 なんと、若殿の側室候補を国許から送り込むために、領内の女子に触れを出し奥女中を募ったという。江戸の女が男子を産めぬなら国許の女と考えたのであろう。酒を飲むよりはましだが、さようなことを思いつかれるとは驚くばかりである。
 選ばれた女子を奥で鍛え、参勤で江戸に参る殿様とともに江戸に送り込むとのことだった。というわけでわらわは知らせを受けると早速迎える支度を始めた。側室候補ゆえ、側に仕える者を新たに採用せねばならぬし、衣装の支度もいる。国許でも支度はしているとは思うが、満津の方は質素倹約を尊ぶ方。わらわもそれには異論はないが、側室の衣装はやはり華やかなほうがよい。出入りの商人を通じて手配した。



 だが、最も驚いたのは妻を失った安房守からの申し出だった。
 年が明けてしばらくたった頃、留守居役の村越新左衛門が妻の常葉を通じてとんでもない話を知らせて来た。
 安房守が継室を望んでいると言う。それも若殿の娘のうちしかるべき者をと。
 わらわは耳を疑った。継室を娶るならせめて一周忌を終えてからであろう。しかもすでに嫡子もいて他に男子が二人いる。世継ぎには困っておらぬのだ。今更新たに妻を娶る必要はなかろう。寂しいのなら側室を持てばよかろう。
 何より、うちの姫達は若過ぎる。賀津姫は十四、珠姫は十五、月姫は十三、雪姫は十一。四十八歳の安房守から見れば娘か孫かという年齢である。こんなことを考えるのは無礼かもしれぬが、年齢からいえば当然、安房守が先に没する。六十で死んだら、珠姫でさえ二十七である。御褥遠慮の年よりも早く落飾することになる。貞眞院様も若くで夫を亡くしておいでだったが、これほどの年の差はない。あたら盛りの年を菩提を弔って過ごすことになるなど、母として哀れでならぬ。
 清光院の姪ならば似ておるに違いないと思ってのことらしいが、一番似ているのは末の雪姫で、そうなると三十七歳差である。とんでもない話であった。息子ならともかく五十前の男になどやれぬ。
 参勤の旅の途中の殿様にもその件を伝えたところ、殿様も驚き江戸に着いたら安房守に会い諦めるように説得するとのことであった。
 わらわもまた若殿と相談し、姫達の縁談をできるだけ早く決めることにした。若殿はまだ早いと言ったが、自分よりも年上の花婿に嫁ぐのを避けるためには致し方なかった。幸いにも、わらわの娘たちはわらわに似ず器量は悪くない。がさつな賀津姫も口を開かずじっとしていれば若殿に似ているように見える。これも国許の満津の方様のおかげかもしれぬ。
 わらわは留守居役に他家との縁組を急ぐようにと依頼した。
 留守居役は珠姫の相手をすぐに探して来た。夕姫様の曾孫の養子先の家ということであった。この夕姫様というのは登与姫の結婚相手とゆかりのある朝姫様の妹である。石高は多くないが、三河以来の譜代という名門である。相手の備後守は二十九で一人身、子もなく、お手付きの者もいないということで少々危ぶまれたが、人品骨柄卑しからぬ人物と評判であった。なぜさような者がこれまで結婚できなかったのか不思議であった。
 留守居役の話では、三年前に世継ぎの若様が急逝し急遽養子となったため、家になじむまでは嫁を貰わぬ覚悟であったからと言う。恐らくそれまで苦労をしていたのであろう。わらわの実の父は養子に望まれることもなく部屋住みで終わったが、下女との間にわらわを儲けた。さようなこともせず、実直に生きてきた男なら少々の年の差も我慢できよう。
 珠姫にさような相手だがよいかと言うと、そのような方に望まれるのは有難いことと言う。
 珠姫はいつもはわらわに似ずよく笑うのだが、その時の顔は真剣であった。それならばと殿様の御許しがあり次第留守居役に話を進めてもらうことになった。



 さて賀津姫であるが。
 縁談をそろそろと告げると、美伊の方から実はご相談したきことがございますと言ってきた。
 わらわは早速部屋に呼び、女中達を人払いして御年寄とともに話を聞く事にした。

「おそれながら、わらわと賀津姫を国許へお遣わしくださいませんでしょうか」

 思いもよらぬ話であった。わらわ同様、美伊の方も若殿との御褥はない。登与姫が嫁ぎ、我が子の世話もさほど大きな負担はなくなっている。だが、縁者のおらぬ国許へ行くとはいかなるわけであろうか。美伊の方は江戸の生まれのはずである。そういえば唯一の身内の姉が数年前に亡くなっている。だが、江戸に身内がいなくなったからといって何も遠路はるばる国許まで賀津姫を連れて行くこともなかろうに。
 だが、御年寄の言葉で意味がわかった。

「いずれは若殿様も国許に参りあそばすゆえ、ということか」
「はい」

 そうであった。上屋敷の殿様がご壮健なので忘れそうになるが、世継ぎの若殿の代になれば参勤交代で一年おきに江戸と国許を往復するのだ。
 長く江戸にいた若殿様のために、国許の奥を刷新する際には江戸で奥にいた者が差配するのがよいというのはわらわにもわかる。長く奥を支えている満津の方の仕事を引き継ぐ必要もあろう。

「国は江戸とは違うぞ。人も言葉も食べ物も」

 わらわの言葉に美伊の方は微笑んだ。

「若殿様の生まれた地なれば、その地に骨を埋める覚悟にございます。御生母様にも孝養を尽くしたく」
「賀津姫はいかがする。国許の家臣に嫁がせることになるが」
「縁組の相手を選べる立場ではございません。殿様や若殿様がお許しくださればいかなる者であろうと」

 わらわは又五郎殿のことを思い出していた。田舎者丸出しであった若者が八年の間に成長し、一人前の男になった。そのような地であれば、がさつな賀津姫を導くよい若者がいるかもしれぬ。実際、四十九日の使者の又五郎殿の従者たちは気の利く者らであった。
 その夜、若殿に相談した。

「美伊がかようなことを申したのか」
「わらわも思いもよらぬことで」

 若殿はしばし考えていた。よもや、わらわが無理強いしたとでもお考えだったのかもしれぬ。なれど、わらわは思いもよらぬことと言ったし、実際そうであったのだからやましいことはない。
 
「それがよいかもしれぬ。江戸は火事が多い。国許は火事が少ないと聞く」

 若殿の言葉に、ああそういうことかとわかった。美伊の方は身内を火事で亡くしている。六道火事の時もいちはやく下屋敷を脱して来た。火事を恐れているのだ。それに加え、江戸は冬から春にかけ火事が多い。夜中に火事を知らせる鐘の音に目を覚ますこともしばしばある。わらわはまたかと思うが、美伊の方にとっては恐ろしい音であったに違いない。
 結局、美伊の方の希望を受け入れ、来年殿様が国許に戻る際に一緒に参るということになった。
 わらわは珠姫と賀津姫の嫁入り道具や衣装の支度を始めた。特に賀津姫の道具は江戸から国許までの長旅ゆえ、丈夫なものを作らせた。
 この年は物入りであったが、めでたいことのための出費であるから、苦にはならなかった。わらわの打掛の新調よりも姫二人の装束を作ることが優先した。
 上の姫二人は縁組の話が進んでいる、下の二人は幼過ぎると、留守居役は安房守に伝えた。さすがに安房守もそう言われては無理なことは言えなかったようである。ただ、まだ安心はできぬと留守居役は月姫と雪姫に釣り合う年頃の若君のいる家を調べているようであった。



 三月の末、殿様が江戸にお入りになった。わらわは若殿様や姫達と下屋敷で殿様を迎えた。
 その数日後、国許で満津の方が選んだ若殿の傍仕えの女中あやが、とくという娘とともに中屋敷に入った。


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