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第二章 果報者
05 名づけ
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四月の初め殿様は国許に戻られた。若殿は殿様の名代としてあれこれと忙しい日々を送っていた。
この年は後に寛保の大洪水と呼ばれる凄まじい洪水の起きた年であった。
山置家は中屋敷と下屋敷は高台にあるが、上屋敷は元は埋め立て地で大水が出ると被害を受ける。
七月二十八日、雨の気配を感じたという家臣の言葉を受けて、家老は念のため上屋敷の低い場所には布袋に土を詰めて置かせた。その設置が終わった頃、雨が降り出した。
わらわの住む中屋敷に上屋敷から風雨に気を付けるようにと使いがあった。気を付けるといっても雨戸をしっかり立て切るくらいのことしかできぬ。
それから数日強い雨が続いた。八月一日には辰巳の風が強くなった。雨戸を閉めていても外の風の音が聞こえていた。
幸いにも屋敷に大きな被害はなかった。木の枝が折れたり下屋敷の馬小屋の戸が壊れたりしたが、怪我をする者はなかった。
洪水が起きたのは二日の明け方、江戸の東、本所、浅草、下谷などが高潮と満潮が重なり水浸しとなった。干潮でいったん水は引いた。
ところが利根川、荒川、多摩川の上流では大雨で洪水が起き、利根川では堤防が決壊、途中にある関宿城までも押し流した。八月三日夜にはその水が下流に到達、本所、浅草、下谷だけで九百人以上が亡くなったという。この日は水が引き昼間は晴天であったから、人々にとっては文字通りの寝耳に水であったろう。両国橋、新大橋、永代橋等も流された。さらに八月八日にも再び大雨が降り、浅草、下谷では水位は一丈(約三メートル)になったという。水がすべて引いたのは八月二十三日のことであった。
御公儀は船をかき集めて、水浸しになった地域をまわり、大勢の人々を救助している。のべ千二百十八隻の船を用いて、三千三百五十七人を救い出した。それでも江戸だけで六千八百六十四名が亡くなっている。上流の越谷、粕壁、幸手などの周辺では九千人以上が溺死している。
なんという恐ろしいことであろうか。
また食糧支援として二日間で二万人分の焼飯を配布し避難のための御救い小屋が両国に作られた。
日本橋の大店も店の名を書いた幟を立てた船を仕立て五千人分の食糧を配ったというから気前のいい者がおるものじゃ。
それにしても、かような災いが起きぬような手立てはないものであろうか。数百年たっても江戸の川近くに住む者は洪水に怯えねばならぬのであろうか。
御公儀は堤防や用水路の復旧のため西国諸藩にお手伝い普請を命じた。当家には命令はなかったものの親戚に命じられた家中があったゆえ、普請の際に差し入れをしたりいろいろと気を遣うことも多かったようじゃ。若殿は忙しそうであった。
忙しい若殿がある日、奥にやって来た。
つかまり立ちをするようになった珠姫は若殿の足につかまって立っていたが、やがて手を離しわらわに向かって歩きだした。
「歩いたぞ、田鶴、見たか。珠が歩いた」
大喜びの若殿はでかしたと言い、姫を抱きあげた。姫はきゃっきゃと笑った。わらわも初めてのことで嬉しかった。
乳母が珠姫を連れ出した後、若殿は実はと話を切り出した。わらわには大体予想がついていた。
「今朝、美伊が子を産んだ」
やはりそうであった。五月頃、美伊の方が懐妊したと若殿は知らせてくれた。中野の桃園に行った翌月から月のものがなくもしやと様子を見ていたが、やっとはっきりわかったのだという。
「おめでとうございます」
「女子であった」
なんとなくそんな気がした。男子ならもっと浮き立った顔をしているかもしれぬと思った。若殿は男子が欲しくてならぬのだ。
「それで、美伊がそなたに名をつけてもらいたいと言うておる」
「わらわでよいのか」
「父上は国許においでゆえ、時がかかる」
「わらわも考えるのに時がかかるかもしれぬが」
「一年も二年もかかるのか」
いくらなんでもそれはない。それに殿様の名づけを思うと、ろくな名にならぬ気がした。奥で生まれたから奥之助など、家臣の子とはいえひど過ぎる。
引き受けたものの、なかなか良い名が浮かばなかった。姉の登与姫、珠姫と聞き間違わないような名で、縁起の良い名と考えたが、一晩では出てこない。
花の名はどうか、桜、梅、桃、なんだかしっくりこない。縁起のいい松、竹はと思ったが、竹姫だと公方様の御養女で婚約者二人に先立たれ、二十を過ぎてようやく継室として薩摩の殿様に嫁いだ方と同じでおそれおおい。松も親戚の姫君にいるから使えない。
あれも駄目、これも駄目。ふと思いついたのは勝姫であった。
幼くして死んだ姫と同じというのは縁起が悪いかもしれぬ。けれど、親になってから勝姫のことを思い出すことが増えた。人に濡れ衣を着せるような子、人に礼も言えぬ子に育てたくはない。そのためにはわらわも子に目を配り、勝手なことをせぬように奥女中らに目を光らせねばならぬ。思えばわらわは勝姫に様々なことを教えられたような気がする。
それに生きている時は大嫌いだったが、死んでからは哀れなことと思うことが増えた。
今わの際の「ありがとう」という言葉のせいかもしれぬ。わらわはその言葉に見合うだけのことをしたのであろうか。今でもわらわにはわからぬ。あの時、なぜあの女に逆らえなかったのか。それを思うと情けなくてならぬ。もしあの時に戻ることができたなら。
生まれ変わりというのがあるのかわからぬが、もし同じ名を付けたら、今度こそは幸せになれるように手を貸してやれるのではないか。長生きもできるかもしれぬ。もうその名しかないと思った。
そのままでは縁起が悪いと言われるかもしれぬので文字を変えた。賀津と紙に書き付けて、これならばと思った。「賀」は喜び祝う、「津」は港を意味する。国許と江戸の往復には必ず船に乗らねばならぬ。喜び祝い港を出るというのは縁起がよいのではないか。それに国許の若殿の生母満津の方の名にも「津」の文字が入っている。若殿は喜ばれるかもしれぬ。
三日目に名を書いた紙を見せると、若殿はこれはよいとうなずいた。
かつと読むがいいかと言うと、若殿はしばし何やら考えていたが、よいと言った。
こうして美伊の方に生まれた二人目の姫は賀津と名付けられた。少々がさつな性格であったが、わらわの願い通り賀津は幸せを手に入れ天寿を全うした。
この年は後に寛保の大洪水と呼ばれる凄まじい洪水の起きた年であった。
山置家は中屋敷と下屋敷は高台にあるが、上屋敷は元は埋め立て地で大水が出ると被害を受ける。
七月二十八日、雨の気配を感じたという家臣の言葉を受けて、家老は念のため上屋敷の低い場所には布袋に土を詰めて置かせた。その設置が終わった頃、雨が降り出した。
わらわの住む中屋敷に上屋敷から風雨に気を付けるようにと使いがあった。気を付けるといっても雨戸をしっかり立て切るくらいのことしかできぬ。
それから数日強い雨が続いた。八月一日には辰巳の風が強くなった。雨戸を閉めていても外の風の音が聞こえていた。
幸いにも屋敷に大きな被害はなかった。木の枝が折れたり下屋敷の馬小屋の戸が壊れたりしたが、怪我をする者はなかった。
洪水が起きたのは二日の明け方、江戸の東、本所、浅草、下谷などが高潮と満潮が重なり水浸しとなった。干潮でいったん水は引いた。
ところが利根川、荒川、多摩川の上流では大雨で洪水が起き、利根川では堤防が決壊、途中にある関宿城までも押し流した。八月三日夜にはその水が下流に到達、本所、浅草、下谷だけで九百人以上が亡くなったという。この日は水が引き昼間は晴天であったから、人々にとっては文字通りの寝耳に水であったろう。両国橋、新大橋、永代橋等も流された。さらに八月八日にも再び大雨が降り、浅草、下谷では水位は一丈(約三メートル)になったという。水がすべて引いたのは八月二十三日のことであった。
御公儀は船をかき集めて、水浸しになった地域をまわり、大勢の人々を救助している。のべ千二百十八隻の船を用いて、三千三百五十七人を救い出した。それでも江戸だけで六千八百六十四名が亡くなっている。上流の越谷、粕壁、幸手などの周辺では九千人以上が溺死している。
なんという恐ろしいことであろうか。
また食糧支援として二日間で二万人分の焼飯を配布し避難のための御救い小屋が両国に作られた。
日本橋の大店も店の名を書いた幟を立てた船を仕立て五千人分の食糧を配ったというから気前のいい者がおるものじゃ。
それにしても、かような災いが起きぬような手立てはないものであろうか。数百年たっても江戸の川近くに住む者は洪水に怯えねばならぬのであろうか。
御公儀は堤防や用水路の復旧のため西国諸藩にお手伝い普請を命じた。当家には命令はなかったものの親戚に命じられた家中があったゆえ、普請の際に差し入れをしたりいろいろと気を遣うことも多かったようじゃ。若殿は忙しそうであった。
忙しい若殿がある日、奥にやって来た。
つかまり立ちをするようになった珠姫は若殿の足につかまって立っていたが、やがて手を離しわらわに向かって歩きだした。
「歩いたぞ、田鶴、見たか。珠が歩いた」
大喜びの若殿はでかしたと言い、姫を抱きあげた。姫はきゃっきゃと笑った。わらわも初めてのことで嬉しかった。
乳母が珠姫を連れ出した後、若殿は実はと話を切り出した。わらわには大体予想がついていた。
「今朝、美伊が子を産んだ」
やはりそうであった。五月頃、美伊の方が懐妊したと若殿は知らせてくれた。中野の桃園に行った翌月から月のものがなくもしやと様子を見ていたが、やっとはっきりわかったのだという。
「おめでとうございます」
「女子であった」
なんとなくそんな気がした。男子ならもっと浮き立った顔をしているかもしれぬと思った。若殿は男子が欲しくてならぬのだ。
「それで、美伊がそなたに名をつけてもらいたいと言うておる」
「わらわでよいのか」
「父上は国許においでゆえ、時がかかる」
「わらわも考えるのに時がかかるかもしれぬが」
「一年も二年もかかるのか」
いくらなんでもそれはない。それに殿様の名づけを思うと、ろくな名にならぬ気がした。奥で生まれたから奥之助など、家臣の子とはいえひど過ぎる。
引き受けたものの、なかなか良い名が浮かばなかった。姉の登与姫、珠姫と聞き間違わないような名で、縁起の良い名と考えたが、一晩では出てこない。
花の名はどうか、桜、梅、桃、なんだかしっくりこない。縁起のいい松、竹はと思ったが、竹姫だと公方様の御養女で婚約者二人に先立たれ、二十を過ぎてようやく継室として薩摩の殿様に嫁いだ方と同じでおそれおおい。松も親戚の姫君にいるから使えない。
あれも駄目、これも駄目。ふと思いついたのは勝姫であった。
幼くして死んだ姫と同じというのは縁起が悪いかもしれぬ。けれど、親になってから勝姫のことを思い出すことが増えた。人に濡れ衣を着せるような子、人に礼も言えぬ子に育てたくはない。そのためにはわらわも子に目を配り、勝手なことをせぬように奥女中らに目を光らせねばならぬ。思えばわらわは勝姫に様々なことを教えられたような気がする。
それに生きている時は大嫌いだったが、死んでからは哀れなことと思うことが増えた。
今わの際の「ありがとう」という言葉のせいかもしれぬ。わらわはその言葉に見合うだけのことをしたのであろうか。今でもわらわにはわからぬ。あの時、なぜあの女に逆らえなかったのか。それを思うと情けなくてならぬ。もしあの時に戻ることができたなら。
生まれ変わりというのがあるのかわからぬが、もし同じ名を付けたら、今度こそは幸せになれるように手を貸してやれるのではないか。長生きもできるかもしれぬ。もうその名しかないと思った。
そのままでは縁起が悪いと言われるかもしれぬので文字を変えた。賀津と紙に書き付けて、これならばと思った。「賀」は喜び祝う、「津」は港を意味する。国許と江戸の往復には必ず船に乗らねばならぬ。喜び祝い港を出るというのは縁起がよいのではないか。それに国許の若殿の生母満津の方の名にも「津」の文字が入っている。若殿は喜ばれるかもしれぬ。
三日目に名を書いた紙を見せると、若殿はこれはよいとうなずいた。
かつと読むがいいかと言うと、若殿はしばし何やら考えていたが、よいと言った。
こうして美伊の方に生まれた二人目の姫は賀津と名付けられた。少々がさつな性格であったが、わらわの願い通り賀津は幸せを手に入れ天寿を全うした。
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