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第九章 鬼起つ
51 ブラウエルスの宣言
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ブラウエルス空港制圧はいともたやすくできた。
なぜなら、サカリアスがブラウエルスに到着する直前に宇宙から応援の部隊が来ていたからである。旅客船や軍艦等の場合月に停泊し人はシャトルで首都星と往復するが、貨物船に関しては月を経由せずに直接首都星に着陸できる宇宙港がいくつかあった。その一つがここブラウエルスだったのだ。
中古の貨物船を改造した宇宙船から下りて来たのはアルカンタル親分改めアルカンタル伯爵とその子分及びサカリアス配下の部隊だった。アルカンタルは義手をチャンドラー基地で作っている間にサカリアスから与えられた軍資金で船を調達し、子分を訓練しながら首都星へ向かった。途中で月に寄りマルガリータに乗るサカリアスの警護部隊を乗せた。
大気圏突入前にH・F・Mからの通信でブラウエルスにサカリアスが向かったことを知ると、ハッキングによって混乱する航空管制をかいくぐり着陸したのである。
彼らの武力の前にブラウエルス空港及び隣接するブラウエルス宇宙軍基地はあっけなく陥落した。
約二時間のことだった。
だが、これが終わりではない。
これから始まるのだ。
「お迎えの方が来ました」
人工頭脳の声と同時にキャノピーが開くと刺すような空気が流れ込みアマンダは顔に痛みを感じた。気温はマイナス5度。着陸後二時間たっていた。
二時間前サカリアスは先に降りた。バルトにアマンダを守ってくれと命じて。アマンダには必ずここから出られるようにすると言って。
確かにバルトはアマンダを守ってくれた。近づく警備兵を自動モードで射殺した。あまりのことにアマンダはやめてと叫んだ。
『お嬢さん、これはサカリアスさんに命令された私の仕事です。私の戦闘履歴にも自動モードと記載されます』
人工頭脳の音声は無情だった。
やがて一方的な殺戮は終わった。
だが、次に襲って来たのは隣接する基地から放たれたミサイルだった。
モニターの地図に表示される刻々と近づくミサイルにアマンダはもうおしまいだと思った。
『ミサイル接近。迎撃ミサイル発射』
人工頭脳の声と同時に凄まじい轟音がコックピット越しにも聞こえた。そしてミサイルの表示は消えた。
アマンダは知らなかったが、この時ミサイルの爆発による無数の落下物により駐機場に置かれていた航空機が破損しただけでなく航空会社の社員にも死傷者が出ていた。
何も知らぬアマンダは言った。
「ありがとう、バルト」
『どういたしまして』
その後も攻撃はあったが、バルトはすべてを防いだ。アマンダは無傷のまま、二時間後、サカリアスの部下だという男にコックピットから出された。
『あなたのこれからの幸せを祈っています』
機械音声のはずなのに、アマンダはそこに感情のかけらを感じていた。
迎えの男は兵士にしては品がないように感じられた。兵士というよりも無頼の徒の仲間のような仕草だった。不安はあったが、空港の建物に入るまでアマンダにあまり周囲を見ないようにと言う配慮をするところを見ると悪人ではないようだった。彼がそう言う前にアマンダはバルトの周辺の雪に血の跡がいくつもあるのを見てしまったのだが。新しい足跡があるから恐らくアマンダが出て来た時に見えないように死体を収容したのだろう。
空港の建物に入ったが乗客や航空会社の社員の姿は見えなかった。あちこちに武装した男が立っていた。アマンダはどうか乗客らに何も危害が加えられていないようにと心の中で祈った。
サカリアスは管制塔にいた。そこに入ったアマンダは絶句した。管制官らしき人々はおらず、迎えの男同様の荒くれ男達がモニターの前に座っていた。
「これが、おまえさんのアマンダか」
もじゃもじゃ頭の小男が近づいて来た。その姿にアマンダは後ずさりしてしまった。上半身も下半身も宇宙軍の軍服だが、決して暖かいとは言えない管制塔ではだしで日本系の老人たちが夏によく身につけているゲタを履いていた。
「アマンダ、紹介しよう。彼はアルカンタル伯爵、空港の占拠ができたのは彼のおかげだ」
サカリアスの紹介にアマンダはとまどった。アルカンタル伯爵。聞いたことがない。貴族名鑑にはなかった。
「アルカンタル伯爵、ですか」
「貴族名鑑にないからな。モンテス伯爵領とウルバノ子爵領に分割されちまった」
アルカンタル伯爵はそう言うと、もじゃもじゃ頭をかいた。
モンテス伯爵カミロもウルバノ子爵ドロテオもサカリアスの兄である。ということは二人の兄の領地を奪うということか。アマンダは恐ろしくなった。だが、そうしなければ生き延びられないのも事実だった。
「アルカンタル伯爵、私はルシエンテス子爵の娘、アマンダ・バネサ・パルマと申します。サカリアス殿下を助けてくださりありがとうございました」
アマンダはパイロットスーツなので頭だけ下げた。
「いや、参ったな。子爵令嬢から頭を下げられるとは」
「でも、このようなことになりましたから、もう子爵の称号は剥奪されているはずです」
アマンダの言う通り、この時既に帝國政府宮内省はサカリアスのビダル公爵の称号とビダル公爵領、皇子の身分、アマンダのルシエンテス子爵の称号と領地を剥奪していた。
「だな。私の称号もないだろう。ビダル公爵領もまた兄のものに戻る」
サカリアスはそう言ったが、この数時間後、旧ビダル公爵領マルテではガルベス公爵領に復帰することを知らされた人々が各地で復帰反対のデモを行っている。また労働組合が決起してゼネストに突入、ビダル公爵領軍もガルベス公爵領軍への編入を拒否する旨を表明することとなる。
下駄ばきの伯爵は言った。
「一仕事終わったんだから、飯でも食ってくればいい」
「では30分後に」
サカリアスはアマンダとともに管制室から出た。
「よろしいのですか」
「何も食べていないだろう。食べる気にはならないだろうが、腹が減っては戦が出来ぬと言うからな」
戦が出来ぬという表現はもう比喩ではなかった。
空港のビルには飲食店があるはずだが、今の状態で営業しているとは思えなかった。
案の定、飲食店のあるフロアは武装した兵士が立っているだけだった。が、奥のほうから賑やかな声が聞こえてきた。
「アルカンタルの部下に飯を作るのがうまいのがいるのだ。交代で食事をしている」
そこはレストランだった場所だった。男達はサカリアスの姿を見ると立ち上がった。
サカリアスは手を上げてそれを制した。
「飯を食うのも仕事だ。私に構わず食べてくれ」
男達はすぐに座り食事を再開した。
サカリアスは厨房に声を掛けた。
「すぐ食べられるものを二人分頼む」
「へい、かしこまりやした!」
威勢のいい声が聞こえてきた。
サカリアスは奥にあるボックス席にアマンダを連れて行った。
「すまない」
座ってすぐにサカリアスはそう言って頭を下げた。
アマンダは驚いた。謝られるいわれはないはずだった。
「謝ることなんてないはずです」
「軍人ではないのに、戦わせてしまった」
「あれは、戦いではありません」
アマンダの考える戦いは直接面と向かって互いの力を出し合うものだった。だが、公爵邸前や空港でのことは戦いではない。
「あれは一方的殺戮です。H・F・Mの機能があそこまでとは知りませんでした」
サカリアスはため息をついた。
「あれが実戦で使われなくなったのはそういうことなのだ」
「え?」
「あれを起動したマリア・ラーデマケルスは宇宙軍にいた頃、実際に使用していたんだ。よく出来た人工頭脳で、乗員の安全を常に第一に動いていた。だが、あまりにそれが過ぎたため、乗員の敵とみなしたものをすべて攻撃するようになった」
「それがH・F・Mなのではありませんか」
「だが海賊の討伐には使えない。海賊は生きて捕まえて盗まれたものの流れた先まで取り調べる必要がある。海賊というのは船に乗っている者ばかりではないのだ。だからあれは現場では使用されなくなった。そして人工頭脳は封印された」
「それなら何故……」
「私がアッケルマンから乗って来た時は通常の人工頭脳だった。だが屋敷から乗った時違和感があった。恐らくラーデマケルスは封印を解除する暗号を知っていたんだろう。あるいは以前の人工頭脳を再インストールしたか」
恐ろしいことだった。けれど、それをしなければサカリアスを謹慎から助け出すことはできなかった。マリアとしてはやれることをやっただけなのだろう。
「無論、それで私は助けられたわけだが、アマンダにとってはつらかったと思う。軍人だけならまだしも民間人まで」
「民間人といってもあれはヤクザでした」
ロケット砲を持っている時点で普通の民間人ではない。
「軍人でないなら民間人なのだ。恐らく政府はアマンダを民間人を殺戮したということで手配するだろう。正当防衛では済まないからな」
どのみち、サカリアスと行動をともにするということは皇帝への謀叛を意味するのだから手配されるのは必然だった。
「お待たせしました」
軍服にエプロンの男が持って来たのはオレンジジュースとサンドイッチだった。
「ありがとうございます」
「え! いや、そんな」
男は驚いてそそくさと逃げるように厨房に走った。
「アマンダ、あまり気を使わなくていい。勘違いするのが出てくるからな」
「勘違いですか?」
「その、皆若い女性に普通に相手にされた経験が少ないからな。特にアルカンタルの部下は」
「あの方はどういう方なのですか。見たところ、普通に街にいるような」
「チャンドラーで串焼き屋をやりながら孤児たちの面倒を見ていた。荒廃した場所だから、商売を続けるにはヤクザとも渡り合わなければやっていけない」
「つまり、親分というものですか」
「そうだ。親分だ」
それなら納得がいく。かつてモニカが教えてくれた。親分は子分の面倒をみるものだと。そういえばモニカはサカリアスのことを親分肌と言っていた。
「殿下も親分ですね」
そう言った時、サカリアスは壁の時計を見た。
「まずい、あと5分しかない。アマンダはゆっくり食べてくれ。後でこっちに女の部下をよこすから」
サカリアスは凄い勢いでサンドイッチを口に入れて最後にジュースを飲むと席を立った。
アマンダは半分も口にしていなかった。これからは急いで食べなければならないと思って早く食べているつもりだったのだが。
ジュースを飲み終えた時、軍服の女性が顔を見せた。姿勢から見て明らかに本物の軍人だった。
「アルビナ・クリエル曹長です。ルシエンテス子爵令嬢アマンダ様の警護を仰せつかりました」
「よろしくお願いします。ルシエンテス子爵の称号はありませんが」
「貴族は称号の有無ではありません。精神だと自分は思います」
そういう考えもあるのかと、アマンダはくりっとした丸い目を見上げた。
「これからお部屋に案内します」
「一つうかがっていいですか」
「はい」
「この空港にいた方々はどこへいらしたのでしょうか」
「今日はこの天候で民間航空機は全便運休していましたので一般の乗客はいません。軍の関係者、空港の維持管理・航空機の整備関係・管制関係の方しかいませんでした。ほとんどの方は少将の放送を聞いて退去しました」
「つまり軍の関係者だけしか抵抗しなかったと」
「……はい」
アルビナの返事が一瞬遅れた。恐らく空港職員の中にも抵抗した者がいたのだろう。だがアマンダはそれ以上追及できなかった。アマンダとてバルトの力を使って空港の民間人を害したかもしれないのだ。
クリエル曹長が案内したのは、ファーストクラス利用者用のラウンジだった。シャワー備え付けの仮眠用の個室があった。
「いつここを出ることになるかわかりませんので、休める間にお休みください。誰も入って来れないように私どもが警備しております」
「ありがとう」
アマンダはその言葉に甘えシャワーを浴びベッドに入った。何があるかわからないのでパイロットスーツを着たままである。やがて寝息が聞こえてきた。
クリエル曹長は貴族というのはまったく凄いものだと思った。昨夜は舞踏会で踊ったかと思うと今日はH・F・Mで大活躍するなんて。優雅かつ勇猛。しかもどこでも眠れる。やはり貴族というのは並の神経の持ち主ではない。
四時間ほど眠ったところでアマンダは足音で目覚めた。クリエル曹長だった。
「少将がお呼びです」
「ありがとうございます」
何の用かわからないが、アマンダは乱れた髪を備え付けのブラシでくしけずった。
クリエル曹長は軍用のロングコートをアマンダに着せた。
「ありがとう。外へ出るの?」
「はい。隣の基地に少将がおいでですので、そちらに」
「この空港は軍も使っていたのね」
「はい。宇宙軍との共用です」
だからサカリアスはこの空港を選んだのだとアマンダは気付いた。恐らくあの二時間のうちにサカリアスは空港と基地の両方を占拠したのだ。下駄ばきのアルカンタル伯爵の部下を使って。だとすると、アルカンタル伯爵の力は相当なものだ。土地勘のない首都星で二時間で軍事行動を成功させるのだから。無論アマンダには軍事的な知識はない。それでも普通だとは思えない。
「アルカンタル伯爵は大したものね」
「え?」
「この空港と基地を二時間で占拠するなんて」
「そうでしょう、か」
クリエル曹長はどこか不満そうに見えた。
アマンダははっとした。軍人の曹長から見れば串焼き屋の親分をやっていた男は胡散臭いに違いない。アマンダも最初はそう思ったのだから致し方あるまい。だが、他の軍人もそう思っていたとしたら……。亀裂がそこから生まれかねない。
アマンダはそれ以上アルカンタル伯爵の事は口にしなかった。その代わりビルの中を歩きながら軍人とアルカンタルの配下の者達を観察した。
空港ビルから基地への移動のために乗った車の運転手はアルカンタル配下のようだった。無口でぶっきらぼうに見えたが運転は丁寧だった。
「着きました」
基地の管理棟の玄関前に着くと、男はドアを開けアマンダとクリエル曹長を降ろした。サカリアスはよく思わないかもしれないが、アマンダはありがとうと言った。
アマンダの礼に男はひどく動揺していた。
「ど、ど、どう、いたしまして」
それだけ言って男は逃げるように車に乗り込み発進させた。
クリエル曹長は不思議そうにアマンダを見た。アマンダは微笑んだ。
「こんなに雪の積もった道を丁寧に運転してくれたのだもの。御礼を言わなくては」
クリエル曹長の知る貴族は何をしてもらうのも当たり前のような顔をしていた。だが、この人は違う。誰にでも同じように接する。この人こそ本物の貴族なのかもしれない。
「そうですね、本当に」
二人を待っていたのはアルカンタル伯爵本人だった。彼はエレベーターで三階の通信室まで二人を連れて行った。
「サカリアス大親分、連れてきたぞ」
アマンダは吹き出してしまった。クリエル曹長は品のいい呼び方とは思えず笑えなかった。
「どうやら宇宙軍少将も剥奪になったようだ。これでただのサカリアスだ」
「いえ、大親分です」
サカリアスはいかつい顔を少し緩めた。
「アマンダ、これからここで帝國中に宣言する。聞いてくれないか」
「はい」
話したいことはたくさんあった。けれど、今はここでサカリアスを見ていたかった。
兵士と思しき男性が放送機器を操作していた。サカリアスは立ち上がりマイクを握った。アマンダはそれを正面の椅子に座って見守った。
「始めてください」
兵士はスイッチを押した。
サカリアスは目を閉じた。
「テラセカンド聯合帝國國民諸君。私はサカリアス・アルフォンソ・ベテルギウス。皇帝エスメラルダの第八皇子である。だが、今、私はその身分を捨て、皇帝の退位を求める。理由は國民諸君は言わずともわかっているだろう。直轄領総督の腐敗した政治、辺境での海賊の跋扈、一部官僚の汚職、職務怠慢等等、いずれも皇帝の職務怠慢によるものである。よって、私は皇帝の退位を求める。そのために戦う」
ここでサカリアスは一息入れた。
「皇帝エスメラルダの退位を求める者達よ、我の元に集え。我が名はサカリアス・アルフォンソ・ベテルギウス。我が旗の元に集い、皇帝退位をともに訴え戦おう!」
それは音声だけの短い宣言だった。だが、宇宙軍基地の通信ネットワークで首都星のみならず他の星系にも迅速に伝わった。
音の波はやがて人の波となり巨大な渦となる。
だが、アマンダはまだその渦の力を想像できず、怯えるだけだった。サカリアスも己が非力なことを知っていた。
どうか、殿下に何も起きませんように
父や弟妹のことよりもサカリアスのことを先に祈ってしまう己をアマンダは我儘なのかもしれないと思った。
なぜなら、サカリアスがブラウエルスに到着する直前に宇宙から応援の部隊が来ていたからである。旅客船や軍艦等の場合月に停泊し人はシャトルで首都星と往復するが、貨物船に関しては月を経由せずに直接首都星に着陸できる宇宙港がいくつかあった。その一つがここブラウエルスだったのだ。
中古の貨物船を改造した宇宙船から下りて来たのはアルカンタル親分改めアルカンタル伯爵とその子分及びサカリアス配下の部隊だった。アルカンタルは義手をチャンドラー基地で作っている間にサカリアスから与えられた軍資金で船を調達し、子分を訓練しながら首都星へ向かった。途中で月に寄りマルガリータに乗るサカリアスの警護部隊を乗せた。
大気圏突入前にH・F・Mからの通信でブラウエルスにサカリアスが向かったことを知ると、ハッキングによって混乱する航空管制をかいくぐり着陸したのである。
彼らの武力の前にブラウエルス空港及び隣接するブラウエルス宇宙軍基地はあっけなく陥落した。
約二時間のことだった。
だが、これが終わりではない。
これから始まるのだ。
「お迎えの方が来ました」
人工頭脳の声と同時にキャノピーが開くと刺すような空気が流れ込みアマンダは顔に痛みを感じた。気温はマイナス5度。着陸後二時間たっていた。
二時間前サカリアスは先に降りた。バルトにアマンダを守ってくれと命じて。アマンダには必ずここから出られるようにすると言って。
確かにバルトはアマンダを守ってくれた。近づく警備兵を自動モードで射殺した。あまりのことにアマンダはやめてと叫んだ。
『お嬢さん、これはサカリアスさんに命令された私の仕事です。私の戦闘履歴にも自動モードと記載されます』
人工頭脳の音声は無情だった。
やがて一方的な殺戮は終わった。
だが、次に襲って来たのは隣接する基地から放たれたミサイルだった。
モニターの地図に表示される刻々と近づくミサイルにアマンダはもうおしまいだと思った。
『ミサイル接近。迎撃ミサイル発射』
人工頭脳の声と同時に凄まじい轟音がコックピット越しにも聞こえた。そしてミサイルの表示は消えた。
アマンダは知らなかったが、この時ミサイルの爆発による無数の落下物により駐機場に置かれていた航空機が破損しただけでなく航空会社の社員にも死傷者が出ていた。
何も知らぬアマンダは言った。
「ありがとう、バルト」
『どういたしまして』
その後も攻撃はあったが、バルトはすべてを防いだ。アマンダは無傷のまま、二時間後、サカリアスの部下だという男にコックピットから出された。
『あなたのこれからの幸せを祈っています』
機械音声のはずなのに、アマンダはそこに感情のかけらを感じていた。
迎えの男は兵士にしては品がないように感じられた。兵士というよりも無頼の徒の仲間のような仕草だった。不安はあったが、空港の建物に入るまでアマンダにあまり周囲を見ないようにと言う配慮をするところを見ると悪人ではないようだった。彼がそう言う前にアマンダはバルトの周辺の雪に血の跡がいくつもあるのを見てしまったのだが。新しい足跡があるから恐らくアマンダが出て来た時に見えないように死体を収容したのだろう。
空港の建物に入ったが乗客や航空会社の社員の姿は見えなかった。あちこちに武装した男が立っていた。アマンダはどうか乗客らに何も危害が加えられていないようにと心の中で祈った。
サカリアスは管制塔にいた。そこに入ったアマンダは絶句した。管制官らしき人々はおらず、迎えの男同様の荒くれ男達がモニターの前に座っていた。
「これが、おまえさんのアマンダか」
もじゃもじゃ頭の小男が近づいて来た。その姿にアマンダは後ずさりしてしまった。上半身も下半身も宇宙軍の軍服だが、決して暖かいとは言えない管制塔ではだしで日本系の老人たちが夏によく身につけているゲタを履いていた。
「アマンダ、紹介しよう。彼はアルカンタル伯爵、空港の占拠ができたのは彼のおかげだ」
サカリアスの紹介にアマンダはとまどった。アルカンタル伯爵。聞いたことがない。貴族名鑑にはなかった。
「アルカンタル伯爵、ですか」
「貴族名鑑にないからな。モンテス伯爵領とウルバノ子爵領に分割されちまった」
アルカンタル伯爵はそう言うと、もじゃもじゃ頭をかいた。
モンテス伯爵カミロもウルバノ子爵ドロテオもサカリアスの兄である。ということは二人の兄の領地を奪うということか。アマンダは恐ろしくなった。だが、そうしなければ生き延びられないのも事実だった。
「アルカンタル伯爵、私はルシエンテス子爵の娘、アマンダ・バネサ・パルマと申します。サカリアス殿下を助けてくださりありがとうございました」
アマンダはパイロットスーツなので頭だけ下げた。
「いや、参ったな。子爵令嬢から頭を下げられるとは」
「でも、このようなことになりましたから、もう子爵の称号は剥奪されているはずです」
アマンダの言う通り、この時既に帝國政府宮内省はサカリアスのビダル公爵の称号とビダル公爵領、皇子の身分、アマンダのルシエンテス子爵の称号と領地を剥奪していた。
「だな。私の称号もないだろう。ビダル公爵領もまた兄のものに戻る」
サカリアスはそう言ったが、この数時間後、旧ビダル公爵領マルテではガルベス公爵領に復帰することを知らされた人々が各地で復帰反対のデモを行っている。また労働組合が決起してゼネストに突入、ビダル公爵領軍もガルベス公爵領軍への編入を拒否する旨を表明することとなる。
下駄ばきの伯爵は言った。
「一仕事終わったんだから、飯でも食ってくればいい」
「では30分後に」
サカリアスはアマンダとともに管制室から出た。
「よろしいのですか」
「何も食べていないだろう。食べる気にはならないだろうが、腹が減っては戦が出来ぬと言うからな」
戦が出来ぬという表現はもう比喩ではなかった。
空港のビルには飲食店があるはずだが、今の状態で営業しているとは思えなかった。
案の定、飲食店のあるフロアは武装した兵士が立っているだけだった。が、奥のほうから賑やかな声が聞こえてきた。
「アルカンタルの部下に飯を作るのがうまいのがいるのだ。交代で食事をしている」
そこはレストランだった場所だった。男達はサカリアスの姿を見ると立ち上がった。
サカリアスは手を上げてそれを制した。
「飯を食うのも仕事だ。私に構わず食べてくれ」
男達はすぐに座り食事を再開した。
サカリアスは厨房に声を掛けた。
「すぐ食べられるものを二人分頼む」
「へい、かしこまりやした!」
威勢のいい声が聞こえてきた。
サカリアスは奥にあるボックス席にアマンダを連れて行った。
「すまない」
座ってすぐにサカリアスはそう言って頭を下げた。
アマンダは驚いた。謝られるいわれはないはずだった。
「謝ることなんてないはずです」
「軍人ではないのに、戦わせてしまった」
「あれは、戦いではありません」
アマンダの考える戦いは直接面と向かって互いの力を出し合うものだった。だが、公爵邸前や空港でのことは戦いではない。
「あれは一方的殺戮です。H・F・Mの機能があそこまでとは知りませんでした」
サカリアスはため息をついた。
「あれが実戦で使われなくなったのはそういうことなのだ」
「え?」
「あれを起動したマリア・ラーデマケルスは宇宙軍にいた頃、実際に使用していたんだ。よく出来た人工頭脳で、乗員の安全を常に第一に動いていた。だが、あまりにそれが過ぎたため、乗員の敵とみなしたものをすべて攻撃するようになった」
「それがH・F・Mなのではありませんか」
「だが海賊の討伐には使えない。海賊は生きて捕まえて盗まれたものの流れた先まで取り調べる必要がある。海賊というのは船に乗っている者ばかりではないのだ。だからあれは現場では使用されなくなった。そして人工頭脳は封印された」
「それなら何故……」
「私がアッケルマンから乗って来た時は通常の人工頭脳だった。だが屋敷から乗った時違和感があった。恐らくラーデマケルスは封印を解除する暗号を知っていたんだろう。あるいは以前の人工頭脳を再インストールしたか」
恐ろしいことだった。けれど、それをしなければサカリアスを謹慎から助け出すことはできなかった。マリアとしてはやれることをやっただけなのだろう。
「無論、それで私は助けられたわけだが、アマンダにとってはつらかったと思う。軍人だけならまだしも民間人まで」
「民間人といってもあれはヤクザでした」
ロケット砲を持っている時点で普通の民間人ではない。
「軍人でないなら民間人なのだ。恐らく政府はアマンダを民間人を殺戮したということで手配するだろう。正当防衛では済まないからな」
どのみち、サカリアスと行動をともにするということは皇帝への謀叛を意味するのだから手配されるのは必然だった。
「お待たせしました」
軍服にエプロンの男が持って来たのはオレンジジュースとサンドイッチだった。
「ありがとうございます」
「え! いや、そんな」
男は驚いてそそくさと逃げるように厨房に走った。
「アマンダ、あまり気を使わなくていい。勘違いするのが出てくるからな」
「勘違いですか?」
「その、皆若い女性に普通に相手にされた経験が少ないからな。特にアルカンタルの部下は」
「あの方はどういう方なのですか。見たところ、普通に街にいるような」
「チャンドラーで串焼き屋をやりながら孤児たちの面倒を見ていた。荒廃した場所だから、商売を続けるにはヤクザとも渡り合わなければやっていけない」
「つまり、親分というものですか」
「そうだ。親分だ」
それなら納得がいく。かつてモニカが教えてくれた。親分は子分の面倒をみるものだと。そういえばモニカはサカリアスのことを親分肌と言っていた。
「殿下も親分ですね」
そう言った時、サカリアスは壁の時計を見た。
「まずい、あと5分しかない。アマンダはゆっくり食べてくれ。後でこっちに女の部下をよこすから」
サカリアスは凄い勢いでサンドイッチを口に入れて最後にジュースを飲むと席を立った。
アマンダは半分も口にしていなかった。これからは急いで食べなければならないと思って早く食べているつもりだったのだが。
ジュースを飲み終えた時、軍服の女性が顔を見せた。姿勢から見て明らかに本物の軍人だった。
「アルビナ・クリエル曹長です。ルシエンテス子爵令嬢アマンダ様の警護を仰せつかりました」
「よろしくお願いします。ルシエンテス子爵の称号はありませんが」
「貴族は称号の有無ではありません。精神だと自分は思います」
そういう考えもあるのかと、アマンダはくりっとした丸い目を見上げた。
「これからお部屋に案内します」
「一つうかがっていいですか」
「はい」
「この空港にいた方々はどこへいらしたのでしょうか」
「今日はこの天候で民間航空機は全便運休していましたので一般の乗客はいません。軍の関係者、空港の維持管理・航空機の整備関係・管制関係の方しかいませんでした。ほとんどの方は少将の放送を聞いて退去しました」
「つまり軍の関係者だけしか抵抗しなかったと」
「……はい」
アルビナの返事が一瞬遅れた。恐らく空港職員の中にも抵抗した者がいたのだろう。だがアマンダはそれ以上追及できなかった。アマンダとてバルトの力を使って空港の民間人を害したかもしれないのだ。
クリエル曹長が案内したのは、ファーストクラス利用者用のラウンジだった。シャワー備え付けの仮眠用の個室があった。
「いつここを出ることになるかわかりませんので、休める間にお休みください。誰も入って来れないように私どもが警備しております」
「ありがとう」
アマンダはその言葉に甘えシャワーを浴びベッドに入った。何があるかわからないのでパイロットスーツを着たままである。やがて寝息が聞こえてきた。
クリエル曹長は貴族というのはまったく凄いものだと思った。昨夜は舞踏会で踊ったかと思うと今日はH・F・Mで大活躍するなんて。優雅かつ勇猛。しかもどこでも眠れる。やはり貴族というのは並の神経の持ち主ではない。
四時間ほど眠ったところでアマンダは足音で目覚めた。クリエル曹長だった。
「少将がお呼びです」
「ありがとうございます」
何の用かわからないが、アマンダは乱れた髪を備え付けのブラシでくしけずった。
クリエル曹長は軍用のロングコートをアマンダに着せた。
「ありがとう。外へ出るの?」
「はい。隣の基地に少将がおいでですので、そちらに」
「この空港は軍も使っていたのね」
「はい。宇宙軍との共用です」
だからサカリアスはこの空港を選んだのだとアマンダは気付いた。恐らくあの二時間のうちにサカリアスは空港と基地の両方を占拠したのだ。下駄ばきのアルカンタル伯爵の部下を使って。だとすると、アルカンタル伯爵の力は相当なものだ。土地勘のない首都星で二時間で軍事行動を成功させるのだから。無論アマンダには軍事的な知識はない。それでも普通だとは思えない。
「アルカンタル伯爵は大したものね」
「え?」
「この空港と基地を二時間で占拠するなんて」
「そうでしょう、か」
クリエル曹長はどこか不満そうに見えた。
アマンダははっとした。軍人の曹長から見れば串焼き屋の親分をやっていた男は胡散臭いに違いない。アマンダも最初はそう思ったのだから致し方あるまい。だが、他の軍人もそう思っていたとしたら……。亀裂がそこから生まれかねない。
アマンダはそれ以上アルカンタル伯爵の事は口にしなかった。その代わりビルの中を歩きながら軍人とアルカンタルの配下の者達を観察した。
空港ビルから基地への移動のために乗った車の運転手はアルカンタル配下のようだった。無口でぶっきらぼうに見えたが運転は丁寧だった。
「着きました」
基地の管理棟の玄関前に着くと、男はドアを開けアマンダとクリエル曹長を降ろした。サカリアスはよく思わないかもしれないが、アマンダはありがとうと言った。
アマンダの礼に男はひどく動揺していた。
「ど、ど、どう、いたしまして」
それだけ言って男は逃げるように車に乗り込み発進させた。
クリエル曹長は不思議そうにアマンダを見た。アマンダは微笑んだ。
「こんなに雪の積もった道を丁寧に運転してくれたのだもの。御礼を言わなくては」
クリエル曹長の知る貴族は何をしてもらうのも当たり前のような顔をしていた。だが、この人は違う。誰にでも同じように接する。この人こそ本物の貴族なのかもしれない。
「そうですね、本当に」
二人を待っていたのはアルカンタル伯爵本人だった。彼はエレベーターで三階の通信室まで二人を連れて行った。
「サカリアス大親分、連れてきたぞ」
アマンダは吹き出してしまった。クリエル曹長は品のいい呼び方とは思えず笑えなかった。
「どうやら宇宙軍少将も剥奪になったようだ。これでただのサカリアスだ」
「いえ、大親分です」
サカリアスはいかつい顔を少し緩めた。
「アマンダ、これからここで帝國中に宣言する。聞いてくれないか」
「はい」
話したいことはたくさんあった。けれど、今はここでサカリアスを見ていたかった。
兵士と思しき男性が放送機器を操作していた。サカリアスは立ち上がりマイクを握った。アマンダはそれを正面の椅子に座って見守った。
「始めてください」
兵士はスイッチを押した。
サカリアスは目を閉じた。
「テラセカンド聯合帝國國民諸君。私はサカリアス・アルフォンソ・ベテルギウス。皇帝エスメラルダの第八皇子である。だが、今、私はその身分を捨て、皇帝の退位を求める。理由は國民諸君は言わずともわかっているだろう。直轄領総督の腐敗した政治、辺境での海賊の跋扈、一部官僚の汚職、職務怠慢等等、いずれも皇帝の職務怠慢によるものである。よって、私は皇帝の退位を求める。そのために戦う」
ここでサカリアスは一息入れた。
「皇帝エスメラルダの退位を求める者達よ、我の元に集え。我が名はサカリアス・アルフォンソ・ベテルギウス。我が旗の元に集い、皇帝退位をともに訴え戦おう!」
それは音声だけの短い宣言だった。だが、宇宙軍基地の通信ネットワークで首都星のみならず他の星系にも迅速に伝わった。
音の波はやがて人の波となり巨大な渦となる。
だが、アマンダはまだその渦の力を想像できず、怯えるだけだった。サカリアスも己が非力なことを知っていた。
どうか、殿下に何も起きませんように
父や弟妹のことよりもサカリアスのことを先に祈ってしまう己をアマンダは我儘なのかもしれないと思った。
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