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第十章 動乱
04 後宮
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舞踏会の夜から宮殿、後宮はこれまでにないほどの混乱を極めた。
モニカもまた人生の中でこれ以上ないほどの激動の中に放り込まれていた
四等女官になった時はこれ以上の大番狂わせはもう自分の人生では起きないと思っていた。よりによって第九皇子ゴンサレス公爵カルロス・グラシアと関わりを持つようになるとは。
あの日の翌朝、公爵家の車で家令のテオに付き添われて実家に帰ると両親はすでに公爵家からの連絡を受けていたようで、テオにお世話になりましてといくばくかの金額を包んだ袋を渡した。だがテオは断った。
「これはいただけません」
テオにしてみれば通常の仕事をしただけで当然のことだろう。モニカでもそうする。
父は所在なさげな顔で袋を懐に戻した。
テオが帰った後も、父はいつになく元気がなかった。母はいつもと変わらなかった。用意していた宿舎の同僚への土産をかばんに詰め込んだり、新しいレトルト食品の試供品を袋に詰めたりと娘が後宮で苦労しないようにしてくれた。
「この先、何かあった時、同じ職場の人達や仕えてくれる人達には手厚くしてあげるんですよ。身近な人を大事にしておけば妬みを防げますからね」
菓子程度で妬みが防げるとはモニカは思っていない。だが、母の言うことも一理あった。菓子や小間物をふだんからばらまいておけばかなりの情報が集まってくる。情報があれば事前に災いを防ぐこともできる。
職場に戻る前になってようやく父は元気になった。
「公爵様がこれからうちを御贔屓にしてくれるだろうからわしも頑張っていい品を売るよ。おまえも頑張るんだぞ」
公爵とは関係なくいい品を売っているのにとモニカは思ったが頷いた。
後宮に戻ってからはあっという間にモニカの境遇は変わった。10年働かなければなれない四等女官になってしまった。
まさしくそれは大番狂わせだった。
だが舞踏会の夜以降、モニカは激動の渦に巻き込まれた。
前兆などまったくなかった。後宮は何もかも例年通りに動いていた。
少し違うのは12月1日の舞踏会にモニカが四等女官として出席することだった。ゴンサレス公爵の隣に立っても恥ずかしくないようにという女官長の考えで、現役の社交ダンスのチャンピオンが講師として招聘された。
時間があればゴンサレス公爵は顔を出し、時にはモニカとダンスのステップを踏んだ。チャンピオンはカルロスにも容赦しなかった。
「そんな姿勢ではお相手をリードできません。さあ、お相手の顔を見て。そうです、そうです。男性はあくまでも女性を引き立てる脇役です。お相手が美しく見えるように踊りやすいように配慮するのです」
美しく見えるように。私はそんなに美しくないから美しく見えるようにしなければならないのだとモニカは思う。子どもの頃は長い金色の髪が自慢だった。けれど、長い金色の髪の持ち主など世間にはたくさんいると気付いた時、現実を知った。だから少しでも美しく見えるように努力した。立ち居振る舞いは良い姿勢で、マナーを守って栄養が偏らないように食事をし、笑顔を絶やさないようにし、学校の運動の時間は一生懸命取り組んだ。
カルロスがそんな私を美しく見えるように踊ってくれる。
カルロスのことは嫌いではない。けれどあまりに何もかも突然過ぎた。せめてあと三年、いや五年時間が欲しかった。そうすれば女官たちから「若い公爵を誘惑した」「おとなしいのにやることはひどい」などと陰口は言われなかったかもしれない。
チャンピオンが帰った後、カルロスはいつも以上にモニカを求めた。
「ダンスって情動を刺激するんだね。踊ってる時から僕はモニカが欲しくてたまらなかった」
事後に言われてモニカは怖くなった。
「舞踏会の夜が楽しみだよ。ドレスは僕が選ぶからね。勿論下着もアクセサリーもね。それを脱がすのを想像するとたまらない」
カルロスは本当に楽しそうだった。
ルシエンテス子爵令嬢が舞踏会に出ると知り、モニカは舞踏会に出られる身分になったことを感謝した。
彼女はサカリアスの許嫁だと言う。彼女の履歴は怪しかった。もしや、モニカの知るアマンダとなんらかの関わりがあるのではないかとカルロスが調べていたが、依然謎が多かった。
舞踏会で顔を見れば何かわかるかもしれない。モニカはそう思い、その日を心待ちにした。
宮殿に御目見えに来たと聞いて顔を見てみようかと思ったが、生憎その日は母が面会に来た。六等女官と違い四等女官は家族が宮殿に面会に来て食事をしたり泊まったりすることが許されるのだ。母はモニカが元気そうなのを見て安堵した。モニカは母と二人食事をした。母はこんなにおいしいものが食べられるようになってよかったと涙ぐんだ。これくらいしか親孝行はできないと言うと母は流れる涙をぬぐった。
母は泊まらず帰宅した。
その後、側仕えの女官からルシエンテス子爵令嬢と陛下の会食中にバカ男爵ガスパルが乱入し逮捕されたことを知らされた。皇帝が子爵令嬢と会食するというのは前代未聞だった。その上そこに乱入した皇子が逮捕されるとは。男爵の会社コンビニエンサの営業停止処分がきっかけというのも驚きだった。
翌日来たカルロスはきっとこれからいろいろ変わると言った。残念ながらカルロスも子爵令嬢の顔を見る機会はなかった。その後、一緒に令嬢に関する報道番組を見たが、モザイクをかけてもそれとわかるモラル伯爵令嬢アルマの証言だけでは令嬢の正体はわからなかった。
教養がない、言葉が訛っている、育ての父が料理人……。モニカの知るアマンダとの共通点を探ったがわからなかった。ただはっきりわかるのはアルマよりは痩せているということだった。太っていたら絶対に鬼の首を取ったように騒ぐのがアルマだった。
そして舞踏会当日が来た。
ルシエンテス子爵令嬢の衝撃的な左右非対称の化粧を見たモニカは困惑した。話す機会はなかった。彼女を最初にエスコートしたのは軍務大臣で、その後立て続けに二人と踊っていた。彼女はまるで水を得た魚のように生き生きとして見えた。
驚いたことに彼女はドロテオの妻アドラのとんでもない要求を撥ねつけていた。アドラは夫の元に戻り、あの小娘絶対に許さないと言って睨みつけていた。
モニカはアマンダではないのかもしれないと思った。モニカの知るアマンダは守ってあげたくなるような雰囲気のある少女だった。あのアドラを引き下がらせるようなことはできるはずがない。
舞踏会がそろそろお開きになるかと思われる頃、それは起きた。ダンスの音楽をかき消すような轟音が聞こえたのだ。何か余興でもあるのだろうと言う者がいたが、軍の関係者は皆動揺していた。ややあって様子を見に行った近衛隊の隊長がサカリアス殿下がH・F・Mを手ずから操縦されて駆け付けられましたと報告した。
「殿下らしい」
軍務大臣が言うと軍の関係者は笑った。それにしても人騒がせなとモニカは思った。
皇帝は言った。
「ビダル公爵をここへ早う」
侍従が走った。
しばらくすると人垣を分けるように赤い髪のサカリアスと長い銀髪の美しい男性、男装の女性、個性的な化粧のルシエンテス子爵令嬢が玉座の前に来た。
皇帝が銀髪の男性に声を掛けると愛人のプルデンシオ・タメスの顔が不機嫌そうに歪んだ。
その後、皇帝はアマンダと化粧について話した後、「そなたのような娘が欲しかった」と言った。モニカは嫌な予感で胸が苦しくなってきた。
「ゴンサレス公爵の妻にならぬか」
皇帝の言葉にモニカは立っているだけで精一杯になった。いつかそういう時が来るとは思っていた。モニカは妻になれぬ身分だった。だが、何故それが今なのだ。
カルロスも子爵令嬢もビダル公爵もそれぞれに皇帝の思い付きのような提案に従わなかった。
目の前で大柄なサカリアスが近衛隊員達に、子爵令嬢は皇帝配下の屈強な女性隊員たちにそれぞれとり囲まれ引き離された。呼び合う二人はまるでドラマの恋人同士だった。
モニカにはもう何を信じていいかわからなかった。サカリアスはアマンダ・ドラ・サパテロのことを忘れてしまったのだろうか。皇帝はモニカをカルロスの何だと思っているのか。
皇帝の皇子の妻たちがモニカのところにやって来た。アドラが罵る声が一番大きかった。
「あんたが頼りないから、あんなへんちくりんな女をカルロス様と結婚させることになったんだからね」
そうかもしれないと思った。自分は美しくもないし、身分も低いし、子爵令嬢のように皇帝と対等に話すこともできない。頼りない身に違いなかった。
皇帝の言葉で舞踏会はお開きになり、皇族たちは退場した。モニカは一人歩き出そうとした。
「え?」
カルロスがモニカの右手をぎゅっと握った。
「行こう。何も心配しなくていい」
囁くような声だった。
それでもモニカは今は縋るしかなかった。
その夜、モニカは自分からカルロスに身を委ねた。
目が覚めると、カルロスはいなかった。重い身体を起こすと側仕えが挨拶もそこそこに慌てて入って来た。
「大変でございますよ。ルシエンテス子爵令嬢が北の宮殿を脱出して、H・F・Mで東門を破壊してビダル公爵の屋敷に押し入って公爵を助け出したとか」
一体何を言っているのか、モニカにはわからなかった。側仕えは着替えを用意しながら子爵令嬢の恐ろしい所業を語った。あまりのことにモニカは幾度もまことかと言っていた。そのたびにはいそうですという返事があった。
御不浄で言われたことを頭で整理したものの、どうにも理解しがたい話だった。自分と近い年齢の令嬢が頑丈な門を破壊し近衛兵を殺し民間人までも殺害してサカリアス殿下と逃亡した?
そんな話はドラマにもないのではなかろうか。
シャワーを浴び顔を洗い服を着て化粧し食事の間に行くとカルロスがいた。
「学校はどうなさいました?」
「休校。政府や地下鉄のシステムがハッキングされて大混乱さ。学校も政府のシステムを使っているからね」
そう言った後、一緒に朝食を食べようと少年は笑った。
食事の後、カルロスは兄上は凄いと言った。
「僕がもし同じことになったらモニカは助けに来てくれる?」
「それは……」
H・F・Mで門を壊し人を殺して恋人を助けに行く。そう簡単にできることではない。
「僕が助けに行くからね。僕も士官学校に行ったほうがいいかもしれない」
「それはいけません」
カルロスには合わない気がした。
「たぶん、兄上は母上に反旗を翻すよ」
「え?」
「兄はそういう人だから。僕は思っていてもできないけど、兄上には力がある。今日のハッキングも兄上に味方する人達の仕業だと思う」
そう言った後、カルロスは立ち上がった。
「これから政府の緊急会議がある。僕も公爵だから出席する」
カルロスの顔が急に大人びて見えた。
その夜、カルロスはモニカの元に来なかった。宮殿にいるのは側仕え達の話でわかった。
「公爵様がサカリアス討伐軍の代表になられるとか」
翌朝、そんな話が舞い込んできた。モニカは狂えるものなら狂ってしまいたいと思った。兄と弟が何故そんなことになってしまったのか。
だが、モニカは狂えなかった。ならば御仕度をして差し上げなければ。何をすればいいのだろうか。どこか冷静な自分があれこれと思案を始めていた。
モニカもまた人生の中でこれ以上ないほどの激動の中に放り込まれていた
四等女官になった時はこれ以上の大番狂わせはもう自分の人生では起きないと思っていた。よりによって第九皇子ゴンサレス公爵カルロス・グラシアと関わりを持つようになるとは。
あの日の翌朝、公爵家の車で家令のテオに付き添われて実家に帰ると両親はすでに公爵家からの連絡を受けていたようで、テオにお世話になりましてといくばくかの金額を包んだ袋を渡した。だがテオは断った。
「これはいただけません」
テオにしてみれば通常の仕事をしただけで当然のことだろう。モニカでもそうする。
父は所在なさげな顔で袋を懐に戻した。
テオが帰った後も、父はいつになく元気がなかった。母はいつもと変わらなかった。用意していた宿舎の同僚への土産をかばんに詰め込んだり、新しいレトルト食品の試供品を袋に詰めたりと娘が後宮で苦労しないようにしてくれた。
「この先、何かあった時、同じ職場の人達や仕えてくれる人達には手厚くしてあげるんですよ。身近な人を大事にしておけば妬みを防げますからね」
菓子程度で妬みが防げるとはモニカは思っていない。だが、母の言うことも一理あった。菓子や小間物をふだんからばらまいておけばかなりの情報が集まってくる。情報があれば事前に災いを防ぐこともできる。
職場に戻る前になってようやく父は元気になった。
「公爵様がこれからうちを御贔屓にしてくれるだろうからわしも頑張っていい品を売るよ。おまえも頑張るんだぞ」
公爵とは関係なくいい品を売っているのにとモニカは思ったが頷いた。
後宮に戻ってからはあっという間にモニカの境遇は変わった。10年働かなければなれない四等女官になってしまった。
まさしくそれは大番狂わせだった。
だが舞踏会の夜以降、モニカは激動の渦に巻き込まれた。
前兆などまったくなかった。後宮は何もかも例年通りに動いていた。
少し違うのは12月1日の舞踏会にモニカが四等女官として出席することだった。ゴンサレス公爵の隣に立っても恥ずかしくないようにという女官長の考えで、現役の社交ダンスのチャンピオンが講師として招聘された。
時間があればゴンサレス公爵は顔を出し、時にはモニカとダンスのステップを踏んだ。チャンピオンはカルロスにも容赦しなかった。
「そんな姿勢ではお相手をリードできません。さあ、お相手の顔を見て。そうです、そうです。男性はあくまでも女性を引き立てる脇役です。お相手が美しく見えるように踊りやすいように配慮するのです」
美しく見えるように。私はそんなに美しくないから美しく見えるようにしなければならないのだとモニカは思う。子どもの頃は長い金色の髪が自慢だった。けれど、長い金色の髪の持ち主など世間にはたくさんいると気付いた時、現実を知った。だから少しでも美しく見えるように努力した。立ち居振る舞いは良い姿勢で、マナーを守って栄養が偏らないように食事をし、笑顔を絶やさないようにし、学校の運動の時間は一生懸命取り組んだ。
カルロスがそんな私を美しく見えるように踊ってくれる。
カルロスのことは嫌いではない。けれどあまりに何もかも突然過ぎた。せめてあと三年、いや五年時間が欲しかった。そうすれば女官たちから「若い公爵を誘惑した」「おとなしいのにやることはひどい」などと陰口は言われなかったかもしれない。
チャンピオンが帰った後、カルロスはいつも以上にモニカを求めた。
「ダンスって情動を刺激するんだね。踊ってる時から僕はモニカが欲しくてたまらなかった」
事後に言われてモニカは怖くなった。
「舞踏会の夜が楽しみだよ。ドレスは僕が選ぶからね。勿論下着もアクセサリーもね。それを脱がすのを想像するとたまらない」
カルロスは本当に楽しそうだった。
ルシエンテス子爵令嬢が舞踏会に出ると知り、モニカは舞踏会に出られる身分になったことを感謝した。
彼女はサカリアスの許嫁だと言う。彼女の履歴は怪しかった。もしや、モニカの知るアマンダとなんらかの関わりがあるのではないかとカルロスが調べていたが、依然謎が多かった。
舞踏会で顔を見れば何かわかるかもしれない。モニカはそう思い、その日を心待ちにした。
宮殿に御目見えに来たと聞いて顔を見てみようかと思ったが、生憎その日は母が面会に来た。六等女官と違い四等女官は家族が宮殿に面会に来て食事をしたり泊まったりすることが許されるのだ。母はモニカが元気そうなのを見て安堵した。モニカは母と二人食事をした。母はこんなにおいしいものが食べられるようになってよかったと涙ぐんだ。これくらいしか親孝行はできないと言うと母は流れる涙をぬぐった。
母は泊まらず帰宅した。
その後、側仕えの女官からルシエンテス子爵令嬢と陛下の会食中にバカ男爵ガスパルが乱入し逮捕されたことを知らされた。皇帝が子爵令嬢と会食するというのは前代未聞だった。その上そこに乱入した皇子が逮捕されるとは。男爵の会社コンビニエンサの営業停止処分がきっかけというのも驚きだった。
翌日来たカルロスはきっとこれからいろいろ変わると言った。残念ながらカルロスも子爵令嬢の顔を見る機会はなかった。その後、一緒に令嬢に関する報道番組を見たが、モザイクをかけてもそれとわかるモラル伯爵令嬢アルマの証言だけでは令嬢の正体はわからなかった。
教養がない、言葉が訛っている、育ての父が料理人……。モニカの知るアマンダとの共通点を探ったがわからなかった。ただはっきりわかるのはアルマよりは痩せているということだった。太っていたら絶対に鬼の首を取ったように騒ぐのがアルマだった。
そして舞踏会当日が来た。
ルシエンテス子爵令嬢の衝撃的な左右非対称の化粧を見たモニカは困惑した。話す機会はなかった。彼女を最初にエスコートしたのは軍務大臣で、その後立て続けに二人と踊っていた。彼女はまるで水を得た魚のように生き生きとして見えた。
驚いたことに彼女はドロテオの妻アドラのとんでもない要求を撥ねつけていた。アドラは夫の元に戻り、あの小娘絶対に許さないと言って睨みつけていた。
モニカはアマンダではないのかもしれないと思った。モニカの知るアマンダは守ってあげたくなるような雰囲気のある少女だった。あのアドラを引き下がらせるようなことはできるはずがない。
舞踏会がそろそろお開きになるかと思われる頃、それは起きた。ダンスの音楽をかき消すような轟音が聞こえたのだ。何か余興でもあるのだろうと言う者がいたが、軍の関係者は皆動揺していた。ややあって様子を見に行った近衛隊の隊長がサカリアス殿下がH・F・Mを手ずから操縦されて駆け付けられましたと報告した。
「殿下らしい」
軍務大臣が言うと軍の関係者は笑った。それにしても人騒がせなとモニカは思った。
皇帝は言った。
「ビダル公爵をここへ早う」
侍従が走った。
しばらくすると人垣を分けるように赤い髪のサカリアスと長い銀髪の美しい男性、男装の女性、個性的な化粧のルシエンテス子爵令嬢が玉座の前に来た。
皇帝が銀髪の男性に声を掛けると愛人のプルデンシオ・タメスの顔が不機嫌そうに歪んだ。
その後、皇帝はアマンダと化粧について話した後、「そなたのような娘が欲しかった」と言った。モニカは嫌な予感で胸が苦しくなってきた。
「ゴンサレス公爵の妻にならぬか」
皇帝の言葉にモニカは立っているだけで精一杯になった。いつかそういう時が来るとは思っていた。モニカは妻になれぬ身分だった。だが、何故それが今なのだ。
カルロスも子爵令嬢もビダル公爵もそれぞれに皇帝の思い付きのような提案に従わなかった。
目の前で大柄なサカリアスが近衛隊員達に、子爵令嬢は皇帝配下の屈強な女性隊員たちにそれぞれとり囲まれ引き離された。呼び合う二人はまるでドラマの恋人同士だった。
モニカにはもう何を信じていいかわからなかった。サカリアスはアマンダ・ドラ・サパテロのことを忘れてしまったのだろうか。皇帝はモニカをカルロスの何だと思っているのか。
皇帝の皇子の妻たちがモニカのところにやって来た。アドラが罵る声が一番大きかった。
「あんたが頼りないから、あんなへんちくりんな女をカルロス様と結婚させることになったんだからね」
そうかもしれないと思った。自分は美しくもないし、身分も低いし、子爵令嬢のように皇帝と対等に話すこともできない。頼りない身に違いなかった。
皇帝の言葉で舞踏会はお開きになり、皇族たちは退場した。モニカは一人歩き出そうとした。
「え?」
カルロスがモニカの右手をぎゅっと握った。
「行こう。何も心配しなくていい」
囁くような声だった。
それでもモニカは今は縋るしかなかった。
その夜、モニカは自分からカルロスに身を委ねた。
目が覚めると、カルロスはいなかった。重い身体を起こすと側仕えが挨拶もそこそこに慌てて入って来た。
「大変でございますよ。ルシエンテス子爵令嬢が北の宮殿を脱出して、H・F・Mで東門を破壊してビダル公爵の屋敷に押し入って公爵を助け出したとか」
一体何を言っているのか、モニカにはわからなかった。側仕えは着替えを用意しながら子爵令嬢の恐ろしい所業を語った。あまりのことにモニカは幾度もまことかと言っていた。そのたびにはいそうですという返事があった。
御不浄で言われたことを頭で整理したものの、どうにも理解しがたい話だった。自分と近い年齢の令嬢が頑丈な門を破壊し近衛兵を殺し民間人までも殺害してサカリアス殿下と逃亡した?
そんな話はドラマにもないのではなかろうか。
シャワーを浴び顔を洗い服を着て化粧し食事の間に行くとカルロスがいた。
「学校はどうなさいました?」
「休校。政府や地下鉄のシステムがハッキングされて大混乱さ。学校も政府のシステムを使っているからね」
そう言った後、一緒に朝食を食べようと少年は笑った。
食事の後、カルロスは兄上は凄いと言った。
「僕がもし同じことになったらモニカは助けに来てくれる?」
「それは……」
H・F・Mで門を壊し人を殺して恋人を助けに行く。そう簡単にできることではない。
「僕が助けに行くからね。僕も士官学校に行ったほうがいいかもしれない」
「それはいけません」
カルロスには合わない気がした。
「たぶん、兄上は母上に反旗を翻すよ」
「え?」
「兄はそういう人だから。僕は思っていてもできないけど、兄上には力がある。今日のハッキングも兄上に味方する人達の仕業だと思う」
そう言った後、カルロスは立ち上がった。
「これから政府の緊急会議がある。僕も公爵だから出席する」
カルロスの顔が急に大人びて見えた。
その夜、カルロスはモニカの元に来なかった。宮殿にいるのは側仕え達の話でわかった。
「公爵様がサカリアス討伐軍の代表になられるとか」
翌朝、そんな話が舞い込んできた。モニカは狂えるものなら狂ってしまいたいと思った。兄と弟が何故そんなことになってしまったのか。
だが、モニカは狂えなかった。ならば御仕度をして差し上げなければ。何をすればいいのだろうか。どこか冷静な自分があれこれと思案を始めていた。
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