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第十章 動乱

08 ヨハネス医師会立病院付属看護学校

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 サリタ・サパテロは困惑していた。
 まさか、本当にフランク・エッセリンクが寄宿舎に連絡してくるとは。寮監のアニカ・オルタから知り合いかと聞かれ、ヨコミゾ医師会立病院の研修医で付属看護学校の柔術サークルの副顧問で先日の合同練習会の時に連絡先を聞かれ寄宿舎の番号を教えただけだと答えた。

「取り次いでもいいですか」
「いいえ。サークルに関する連絡は顧問にするはずですので」

 オルタはそれではとフランクからに対しサパテロ自身が拒絶したので取り次げないと伝えた。
 フランクはそれで引き下がったはずだった。
 だが、大間違いだとわかったのは休日に道場に練習に行った時だった。何故か道場にフランクがいて、先に来ていた学生に指導をしていた。
 慌てて更衣室に入ると着替えを終えた二年生二人が話に熱中していた。

「おはようございます」
「おはよう。ねえ、見た? エッセリンク先生が今日から指導なんですって」
「ヨコミゾ看護学校の指導は?」
「研修がヨハネスの病院に変わったのよ。ヨコミゾでは外科でこっちでは整形外科。半年の期限だそうだけど」

 面倒なことになったと思った。来週から病院での実習が産婦人科から整形外科になるのだ。8時まで病棟で働くのでフランクと接触しないようにするのは無理だった。

「ヨコミゾ医師会立も整形外科があるのに」
「手術はうちのほうが実績があるもの」
「そうそう。研修医は期間中に手術の症例を積まないといけないしね」

 確かにヨハネス医師会立病院の整形外科は手術が多い。近くの基地から運ばれてくる患者も多い。基地内の病院だけでは対応しきれないのだ。
 どうせ半年で症例を集めたら元のヨコミゾに戻るのだ。それまでは柔術サークルでの必要最低限の接触にすればいいとサリタは思った。

「指輪してないから独身よ」
「でも恋人いるんじゃないかな」

 先輩の話を背に着替えたサリタは道場に出た。が、フランク・エッセリンクはいなかった。

「エッセリンク先生は?」
「さっき病院から連絡があって戻った。救急車の音が聞こえたから事故の手術だね」

 サリタは準備体操をしながら不思議な思いにとらわれた。フランク・エッセリンクがいなくてほっとしたはずなのに、少しだけ残念に思うもう一人の自分がいることに。
 結局その日フランクは道場に顔を出さなかった。



 不思議なもので、整形外科に行くようになったサリタはほとんどエッセリンク医師と会うことはなかった。サリタのスケジュールとフランクの仕事のローテーションがかち合わなかったからである。サリタは心を乱されることがないと安堵していた。だが、なんとなく物足りなさを感じていた。研修医が忙しいのはわかるが、道場に来る時間もないのだろうか。
 そんな日々が続き、12月がやって来た。
 看護学生達は医師会病院のロビーや病棟に聖誕祭を祝うツリーを置き飾りつけをした。院内に植物を置くことは禁じられているので、モミノキを模した高さ2メートルほどの市販のツリーを設置し、そこに紙で作ったリボンや星、ケーキ、クッキー、シンタクロース等を吊り下げた。また折紙の得意な学生は鳥や舟を飾った。入院している軽症の患者はタンザクという細長い紙に願い事を書いて吊り下げてもらった。小児科病棟の院内学級でも飾りを作ってツリーに下げた。
 整形外科に入院している老人は昔はタンザクを吊り下げたりしなかった、あれはタナバタと勘違いしているのだと顔をしかめていた。
 サリタは尋ねた。

「タナバタって何ですか」
「昔、日本で七月七日に行われていた行事だ。年に一度しか会えないヒコボシとオリヒメという恋人たちが逢う日だ。オリヒメは織物に励んでいたということで元は技芸の上達を願うものだった。笹という植物に技芸の上達を願った短冊を吊り下げて翌朝川に流したのだ」
「それでは、私達はベッドメーキングや清拭せいしきが上手になるように七月七日に短冊に書かないといけないんですね」
「そういうことだ」

 とはいえ、早く退院できますようにと小児科病棟の子どもが書いた短冊を外す気にはなれなかった。シンタクロースがかなえてくれると信じて毎日一生懸命治療に耐えているのだから。
 ただ老人が語った年に一度しか会えない恋人たちの事が少しだけ気にかかった。 



 老人の話を聞いた翌朝、いつも通り学校に行くため支度をしていると食堂に集まるようにと放送があった。入学して以来初めてのことで、サリタたち一年生だけでなく二年生も足音を立てて集合してしまった。けれどアニカ・オルタは学生達を咎めなかった。
 アニカのそばにはいつかサリタに父と姉の訃報を知らせた婦人兵士がいた。いやな予感しかしなかった。
 全員を椅子に座らせた後アニカはいつものような威厳のある声を発した。

「おはようございます、皆さん。今日はヨハネス宇宙軍基地のナタリア・イラディエル少尉から大切な話があります」

 少尉は全員を見回すと、おはようございますと言った。全員がおはようございますと返すと元気があってよろしいことですと言った。

「我がテラセカンド聯合帝國に於いて、不逞分子が反乱を呼びかけ各地に呼応する動きがあります。今後、不逞分子との交戦等が予想されます。その結果、衛生関係の兵員が不足する恐れがあります。そこでこのヨハネス医師会立病院付属看護学校は本日よりヨハネス宇宙軍基地の管理下に入ります」

 二年生の数名からウソでしょう、いや、という声が漏れた。少尉は咳払いをした。

「今のところは動員はありません。ただし戦況によっては二年生は看護師試験免除で星系の各基地に看護師として派遣することになります。一年生に関しては動員の予定はありません」

 看護師試験免除と言えば聞こえはいいが、要は看護学生も動員するということだった。そしてもし反乱が長引き、一年生が二年生になればやはり動員されるということだ。
 サリタはふと兄が言っていたことを思い出した。元はサパテロ家は大公と呼ばれる貴族だったと。戦いは恐ろしいけれど、戦場で人命を助けることは貴族の血を引く者としては義務のようなものかもしれないと思えた。
 ただ気になるのは不逞分子の正体だった。反乱を呼び掛けているならその声はこのドイルに届いてもおかしくなない。だが、まだその声は聞こえてこない。

「質問よろしいでしょうか」

 手を上げたサリタに少尉は驚いた。

「あなたはサパテロさんね。答えられることは答えましょう」

 自分のことを覚えていたとはとサリタは驚いた。

「不逞分子とは何者でしょうか。海賊ですか」

 少尉の顔がいくぶん硬くなった。

「それは……。いいでしょう。答えましょう。本日のニュースで放送されるでしょうから。海賊ではありません」

 やはり海賊ではなかった。海賊なら海賊と言うはずだった。

「ビダル公爵いえ、今はサカリアス・アルフォンソです」
「チャンドラーで追悼式に出たビダル公爵ですか」

 少尉は頷いた。
 サリタは父と姉のこともありチャンドラーの追悼式の生放送こそ見なかったが携帯端末でニュースを読んでいた。追悼式の抜粋の動画も見ていた。公爵は兵士として何もできなかったことを悔いていた。そして残された人々の現状を憂いていた。サリタは心動かされた。
 その公爵が不逞分子とはどういうことなのか。何かおかしい。海賊を追う側の公爵が何故?
 サリタだけでなく、数名の学生も不審げな顔になっていた。彼女達はチャンドラーに親戚がいた。
 少尉はサリタ達の微妙な反応に気付き続けた。

「サカリアス・アルフォンソは大恩ある母である皇帝陛下の命令に背き謹慎となりました。さらには陛下の御心により弟である公爵の花嫁となるはずだった子爵令嬢と屋敷を抜け出し不逞分子たちと空港を占拠したのです。子爵令嬢はH・F・Mで多くの罪なき兵士と民間人を殺害しました」

 サリタはあまりの情報の多さに混乱していた。H・F・Mに乗る子爵令嬢など初めて聞いた。しかも大勢を殺害するなど。そんな女性と逃げたというサカリアスも同じような人間なのだろうか。わけがわからず、サリタはそれ以上の質問は止めた。きっとニュースショーで多くの情報が得られるだろう。整形外科病棟の人々の多くは明晰な意識がある老人だった。彼らは暇つぶしに見たニュースの内容を教えてくれるだろう。



 サリタの予想通りだった。授業の後、病棟に行くと入院患者たちはよるとさわるとサカリアス・アルフォンソとアマンダ・バネサの話で持ち切りだった。

「たいした女だぞ。死刑囚の死刑執行命令書に署名してるし、自分でH・F・Mに乗って公爵様を迎えに行くんだからな」
「それも邪魔する近衛兵をH・F・Mで粉砕するんだからな」
「まるでドラマね。駆け落ちだなんて」
「ここだけの話、陛下もちょっと大人気ないね」
「この化粧見た?」

 親切な老嬢が見せてくれた携帯端末のニュース映像のアマンダ・バネサは左右非対称の化粧だった。

「これ、領地のしきたりか何かなのかしらねえ」
「いやいや、それが違うらしいぞ。どうも首都のシステムがハッキングされた時に防犯カメラの映像が全部消えたらしい。虹彩や指紋の記録も全部さ。で結局この写真しかないんだとさ」
「さすがは不逞分子だね。ハッキングまでやるなんて」

 結局、皇族の駆け落ちがきっかけになった反乱らしい。そのせいで看護学生が学業半ばで戦地に赴かされるのだ。
 寄宿舎に戻った後、兄のレオからメールが届いているのに気づいた。

  そちらにも情報が入っていると思う。
  情報が正しいかどうかよく考えて行動して欲しい。
  自分の命は自分で守るつもりで。

 レオのほうがずっと戦いに近い場所にいるのだ。
 サリタはどうかレオを守ってと数年前に家族で撮った写真の父と姉に祈った。



 翌日授業の後に整形外科に行くと、フランク・エッセリンクが詰め所で書類の入力をしていた。他の医師、理学療法士、看護師の誰もいなかった。いつもなら誰かいるのに。
 お疲れ様ですと声を掛けた。普通に言えたとほっとした次の瞬間だった。 

「サリタ・サパテロさん」

 呼ばれて思わずはいと返事をしてしまった。

「終わったら、食堂でご飯を一緒に食べませんか」

 入力しながら言うことではないだろうとサリタは思った。

「夜勤なのではありませんか」
「いえ、残業です。8時に終わります」
「でも、一緒に食べる義理はありません」
「今日は私のこの病院での最後の出勤日です。明日、クリスティのスーシェに出発します」

 その意味に気付き、サリタはぞっとした。

「わかりました」

 サリタは反射的に返事をしていた。父や姉のように別れを告げぬまま永遠に会えぬことになれば絶対に後悔する。



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