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第九章 鬼起つ

33 皇帝の御下問

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 ホテルに到着した日の夕刻、アマンダの謁見は三日後と正式に宮殿から連絡があった。
 アルバもマルセリノも謁見の貴族のバトラーを経験したことがあるということで、すぐに必要な連絡を各所にした。
 ミランダは二人の家庭教師から紹介された人々に連絡を入れた。
 アルバはアマンダに必要な支度を教えてくれた。

「謁見のためカモジと呼ばれるウィッグをいたします。また装束も重くなります。最初に必ずタビという靴下を履いてください。カモジをしていると足元を見てタビを履くのが難しいのです」
「用を足す際は装束を脱がねばなりませんので前日から食べ物と飲み物には気を付けてください」
「迎えの車に乗れる御付きは二人まで。御付きは控えの間までです。後はお嬢様一人で」
「謁見の前に一度習礼といって役人から指導があります。一度しかありませんのでそのつもりで」
「陛下との謁見の時間は長くても5分。大体3分で終わります。待ち時間が長いのでその間の過ごし方にお気をつけください。侍従らが見ております。お嬢様にはありえないと思いますが、大声で品のない話などすると後で陛下のお耳に入ることもあると聞いたことがあります」
「終了後に別室に案内されお茶とお菓子が出ます。お茶に口を付けるのは構いません。お菓子は持ち帰ってください」

 知っていることもあったが、知らないこともあり、アマンダは改めて謁見はおおごとなのだと思った。



 翌日、ピラル・ビーベスから紹介された宮廷儀礼に詳しいヘンドリカ・ヤヨイ・ゴジョウがホテルを訪ねて来た。
 意外にも若く年は三十前後に見えた。

「ビーベス先生の教え子なら、私が教えることはあまりないと思うけれど、よろしく」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
「今の頭の角度、もう少し深くね。そうそれくらい。宮殿であなたを案内する侍従の中には伯爵家クラスの子弟がいるから深くしておいて損はないわ」

 ヘンドリカははきはきと言葉を発した。やはり女官養成学校で教えていただけあり、分かりやすかった。

「皇帝陛下から御下問があったら、結論から先に。陛下は忙しい方だから長い話を聞いている暇はない」
「どのような御下問をなさるのでしょうか」
「あなたは子爵領の管理をしている。領地について聞かれるでしょう。それから政策について」
「5分で答えられません」
「でもまとめないとね。だらだらとした話を陛下は嫌がるから」
「難しいけれどやってみます」
「あなたの訛りはビーベス先生が言うほど強くないからリラックスしてやればうまくいく」

 アマンダは安堵した。訛りだけは心配だった。

「あなたの御両親は小さい頃から正しい発音であなたに話しかけていらしたのね。貴族の家庭でもなかなかできないことよ。きちんとした御両親だったのね」

 そういえば幼い頃に母に言葉遣いを注意されたことがあった。ヨハネスの街でも父は家族の前では標準的な発音で話をしていた。店では街の人々と同じような言葉遣いだったのに。

「ありがとうございます」
「感謝するのは御両親にね。さて、質問は?」
「待ち時間が長いと伺いましたが、どれほどになるのですか」
「それはわからない。それこそ先日のチャンドラーの騒乱の時のようなことが起これば待たされるかもしれない。逆に何もなければ時間通り。陛下もお忙しいから」
「もし査問会が始まったら?」

 ヘンドリカはまあと驚いたが、すぐになるほどと頷いた。

「ルシエンテス子爵家はゲバラ侯爵家の縁者。当然の心配ね。ただ私の耳に入っている話ではまだ始まらないようです。スナイデルの前総督の査問会が先ですがまだ始まっていません」
「12月13日までに査問会を終わらせるのではありませんか」
「それもあります。でも、私は女官養成学校で教えていた時に常々申していました。宮殿では何もかも予定通りに進むとは限らない、むしろ予想外のことが起きた場合に対応できねばならないと」

 それはアマンダにもわかる話だった。会社でも予想外のことはよく起きた。伝票の誤り、遅れ、クレーム等等、予期せぬ事態に対応せねばならないこともあった。

「宮殿でも予想外のことはあるのですね」
「ええ。実際、先日もある女官が一足飛びに四等になったのです」
「四等?」
「養成学校を卒業して採用された女官はまず六等から始まります。務めて10年で四等官になります。ただし特別な功績があれば四等になるのです」

 女官の出世の話など聞く機会がなかったので、アマンダには新鮮だった。

「特別な功績とは何ですか」
「皇子殿下の夜伽をされたのです」

 ヘンドリカはこともなげに言った。

「よとぎ……」

 地球の王朝を舞台にしたドラマでしか聞かない言葉だったが、意味はわかった。

「あら、お嬢様には少し刺激が強かったかしら」

 紅潮したアマンダの顔を見てヘンドリカは微笑んだ。  
 だが、アマンダには微笑めなかった。サカリアスから彼の兄たちの無法ぶりは聞かされていた。夜伽をした後宮の女官にとってはさぞかし恐ろしかったに違いない。

「一体どの殿下の夜伽をされたのですか」
「それはわからない。後宮は外部に対しては口が堅いから。だけど新しい館を後宮内に建てたというから女官長も女官も大変だったでしょうね」

 ヘンドリカは本当にわからないようだった。アマンダはモニカのことを思い出した。サカリアスの相談に乗るようなしっかり者のモニカがサカリアスの兄殿下の夜伽などするようなことになるわけがない、彼女も予想もしない事態で大忙しだったに違いない。

「宮殿で予想外の事態が起きても慌てないようにいたします」
「そう。平常心よ。あなたはなかなか呑み込みがいい。ただし」

 ヘンドリカは付け加えた。

「ゲバラ侯爵夫人の赦免を願い出るようなことはしないでください。陛下は一度決めたことは覆さない方です。そのお考えを変えようとすれば御不興を買います。私は幾度もそういうことをして陛下の怒りをかった方々を見ています」

 ヘンドリカの声にはわずかに恐怖が滲んでいた。アマンダは己の考えの甘さを指摘されたような気がした。



 帝國の初代宮内大臣オットー・モーゼス・ファン・デル・フェーンは帝國の貴族制度を確立するとともに、式典の際の正装も決めた。
 基本的に宮殿内の平時の衣装は皇帝、皇族以下皆地球のヨーロッパ近世から近代のものだったが、正装だけは古代日本の男性貴族の衣冠束帯いかんそくたい、女性貴族の唐衣裳姿からぎぬもすがたとした。
 オットーは古代の衣服が重く敏捷な動きができぬため、皇帝に対する謀叛が宮殿内では不可能だと考えたのである。ただし行事の際の警備の者達の衣装は動きやすいように平時と変わらぬ物とした。
 初めて謁見する貴族やその子女もまた古代の装束をまとうこととなった。皇帝が平時の衣装であるのは身分の高きものは低い者に対する時はそれが慣例であるからとファン・デル・フェーンは述べている。



 さて、謁見の日が来た。
 アマンダはミランダとアルバとともに宮殿に赴いた。宮殿から差し向けられたのは高級車だが飛行機能はない。
 謁見二時間前に宮殿の正門から入り正殿脇の建物の控えの間の中にある更衣室で正装である唐衣裳姿に着替えた。レンタル会社の社員が衣装一式を持ってすでに更衣室で待っているのだ。アマンダはタビから履き、社員とアルバの手を借りて重さ二十キロはある衣装をつけ、化粧をしカモジをつけた。身動きが簡単にできないので社員が手を引いて控えの間に出ると、二名の束帯姿の男性がいた。彼らも貴族らしい。
 専用の椅子に座ると、侍従が来て「トレド伯爵」と呼ぶ声がして男性が立ち上がった。
 アマンダは逃げられないなと思った。あまりにこの装束は重い。男性のものも恐らく軽くはあるまい。トレド伯爵の足取りは重い。
 10分ほどでトレド伯爵は戻って来た。すっかり顔が青ざめていた。侍従に連れられお供とともに部屋を出た。きっと茶菓子が出るのだろう。
 次に呼ばれたのはオリベラ男爵だった。彼の衣装は少し軽いのか足取りは軽かった。これも10分ほどで戻って来た。
 ルシエンテス子爵令嬢と呼ばれたのはオリベラ男爵が控室を出た後だった。アマンダはいつの間にか現れた中年の女官に手をとってもらい歩きだした。背後でミランダが心配そうに見ているのが想像できた。
 最初は歩きにくかったが、歩いているうちに要領がわかってくると歩けるようになった。よしこれで一人でも大丈夫と思った頃に正殿に着いた。

「ルシエンテス子爵令嬢御目見え」

 侍従の声が聞こえ、女官が耳元で中へと言うので開いたドアから中に入ると薄暗かった。それでも目を凝らすと、中央正面の一段高い所にある椅子に女性が座っているのが見えた。
 習礼があるはずと思っていると侍従がちこうと言う声が聞こえる。前へ進むのじゃと女官が言うので頭を下に傾けて前へ進むと椅子の女性のいる段のすぐ下まで来た。

「陛下、ルシエンテス子爵令嬢にございます」

 侍従長の声にアマンダは習礼はないのかと不審を覚えた。

「習礼はないのですか」

 アマンダの問いにそばの女官がしっと言った。

「ない。あんなものは無駄なこと」

 椅子に座った女性の声は紛うことなく皇帝エスメラルダのものだった。アマンダはしまったと思った。

「顔を上げよ」

 皇帝陛下にそう言われても一度目で上げてはならないと学校で教わったことがある。あの時はまさか会うことがあるとは思ってもいなかった。

「顔を上げよ」

 ゆっくりとカモジがずれないように顔を上げた。

「ふむ。良き面構つらがまえじゃ」
「おそれいります」

 意外と言葉が口からするりと出たのでアマンダは自分でも驚いていた。

「して、そなた、死刑執行命令書に署名したそうだな」

 思いも寄らぬ御下問だった。



 

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