銀河の鬼皇帝は純愛を乙女に捧げる

三矢由巳

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第九章 鬼起つ

32 モニカ、四等女官になる

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 皇帝は署名した文書を女官長カサンドラ・スアレスに渡した。

「モニカはいかがしておる」

 文書を渡す時に皇帝が一言付け加えるのは珍しかった。

「新たな住まいで健やかに過ごしております」
「うむ」

 女官長は文書箱を持ち執務室を出るとため息をついた。この一カ月近くの心労は就任以来初めてのことだった。だが、陛下の署名したこの文書があれば収まるだろう。いや、収まってくれねば困る。



 約一か月前の朝のことだった。宿下がりを終えたモニカ・サクラ・ヤマダ六等女官が女官長に面会したいと上司である五等女官フランカを通じて申し出た。珍しいことだと思った。彼女の父親が自宅に菓子折りを持って来た時固辞したことを思い出した。もしや何か家から持って来たようなら断らねばなるまい。3時に来るようにフランカに伝えた。
 約束の時間の五分前、ゴンサレス公爵カルロスが突然後宮に来た。女官長は秘書にモニカが来たら待たせておくように言い、カルロスを迎えに出た。
 後宮内の応接室に入ったカサンドラは宮内大臣マリサ・メネンデスの姿を認め驚いた。二年後輩のマリサはカサンドラに恭しく頭を下げた。

「スアレス女官長、本日は公爵閣下から重大なお話がありましたので、ご一緒に参りました」

 重大な話。間もなく14歳になる公爵に一体どういう重大な話があるのか。カサンドラには皆目見当がつかなかった。

「どういうお話でしょうか」

 すると公爵がこともなげに言った。

「モニカ・サクラ・ヤマダを私付きの女官にする」

 したい、してもいいか、ではなく「する」。カサンドラは唐突な話に宮内大臣を見た。宮内大臣の表情は硬かった。一体、どういうわけなのか。

「メネンデス大臣、公爵閣下が望むからといってそう簡単に女官の去就を決めるわけには参りません」
「女官長、特別の功績があれば六等から四等に昇進できるのだろう。モニカは特別の功績があった故、四等女官にして私付きにしたいのだ」

 大臣が答える前に公爵が答えた。

「特別の功績とは何ですか」

 女官長はどうせまたつまらぬ理由であろうと思う。この公爵は頻繁に陛下にモニカをくれと言っているのだ。だが宮内大臣の表情を見るとどうもいつもと様子が違っている。

「私と一夜を共にした。それが特別の功績だ」

 女官長は頭の中でその言葉を反芻した。一夜とは一晩ということ、ともにするということは……。まさか、ありえない。だが、モニカは昨日まで宿下がりをしている。まさか、その時か……。
 思えば公爵の父は名うての女たらしだった。息子ならばその血を受け継いでいてもおかしくはないのだ。

「それがまことかどうか、モニカに確認いたします」

 女官長は冷静な態度を保つように努めた。執務室に連絡し、モニカを応接室に呼んだ。

「女官長、モニカが恥ずかしがる故、私は隣室に待機する」

 公爵は隣の控室へ入った。女官長はこれはいよいよ間違いないと感じた。

「マリサ、この一件、陛下には?」
「いえ。これは後宮に関すること故、女官長から陛下に奏上することになっています」

 まったく嫌な役回りである。だが、皇帝には息子を責めることはできまい。彼女の振舞を見れば母親としてどうかとカサンドラは思うのだ。
 モニカはすぐに来た。いつもと変わらぬ表情だった。
 女官長はできるだけ穏やかに尋ねた。

「ゴンサレス公爵様から一夜をともにしたと伺いましたが、間違いはありませんか」
「はい」

 宮内大臣ははあっと息を吐いた。女官長はこの先の後宮の騒ぎを予期し吐き気を覚えた。

「かしこまりました。そなたの面会の理由もそれだったのですね」
「はい。身の程知らずのことですので、お暇を頂こうと思っております」

 それはモニカの偽りない気持ちだった。この先の面倒を思うと後宮にいたくはなかった。

「それは駄目だ!」

 ドアが開くと同時にカルロスが叫んだ。モニカの顔がさっと青ざめた。

「暇など死ぬまでやるものか。そなたは私とともにずっと生きるのだ」

 この勢いで事を為したに違いないと女官長も宮内大臣も悟った。モニカにとっては不幸な事故だったのだ。

「公爵様、あまり大声を立てぬように。誰が聞いているかわかりません」

 女官長は公爵を窘めた。

「誰が聞いていてもよい。モニカは私のものだと首都中を叫んで歩きたいくらいだ」
「それは気の触れた者のやることです」

 女官長の言葉に公爵はさすがに口を噤んだ。 

「わかった。だが、私の気持ちはわかって欲しい。モニカに四等女官として私付きになって欲しいのだ」

 モニカは青ざめた顔を上げた。

「女官長様、大臣閣下、私のような下賤の者が公爵閣下付きなどになったら閣下が笑いものになります。どうか、私に暇を」
「モニカに暇を与えるなら私の屋敷に引き取る!」
「それだけは御免こうむります!」
「御免被る? あなたを他の者に取られたら刺し違えても奪い取る」

 宮内大臣と女官長は顔を見合わせた。こういう場合、法務大臣なら、モニカを未成年への性的虐待の罪で逮捕し告発するところであろう。だが、ここは後宮である。法務大臣の管轄下ではない。宮内大臣、そして後宮の責任者女官長の監督下にある。

「見苦しい痴話喧嘩はおやめください」

 女官長は二人の言い合いを止めた。

「痴話げんかなどではありません!」

 いつにないモニカの強い調子に女官長は、いっそこのままなかったことにしてしまおうかと思った。何もなかったことにしてモニカに暇を与えれば。モニカの実家は首都でも指折りの富豪である。公爵が近づけぬような厳重な警備体制を敷いた別邸にモニカを住まわせるだけの財力はあるのだ。
 だが、それは女官長の職務怠慢である。それにもし万が一、モニカが懐妊していたとしたら相応の対応をせねばならぬ。

「ことはお二人だけの問題ではないのです。帝國の問題です。もしモニカが懐妊しそれが男子であれば、陛下にとっては孫君、将来の皇位継承にも関わります」

 それはモニカにもわかっていた。
 第一皇子ガルベス公爵アレホは別居中の妻との間に子はいないが、愛人との間に男子3人、女子8人合わせて11人の子どもがいる。認知しているが皇位継承権は認められていない。
 第二皇子バンデラス伯爵ブルーノの妻は事故死しており子どもはいない。愛人にも子どもはいない。
 第三皇子モンテス伯爵カミロは妻と別居している。正式な愛人はいない。子どももいない。
 第四皇子ウルバノ子爵ドロテオには妻がいるが子どもはいない。
 第五皇子コマス子爵エロイは独身。
 第六皇子フーゴ男爵フラビオは未婚だが複数の愛人がいる。子どもはいるようだが認知していないので皇位継承権もない。
 第七皇子バカ男爵ガスパルは子爵家の娘と結婚しているが夫婦仲は悪く子どももいない。正式な愛人もいない。
 第八皇子ビダル公爵サカリアスは未婚である。
 つまり皇帝には皇位継承権のある孫がいないのである。皇太子を立てていない状態でゴンサレス公爵の血を引く孫が生まれ皇位継承権を認められたらどういう事態になるか。
 もし男爵令嬢のモニカが懐妊すれば、前例に従い、父親に相応の爵位を与え公爵妃にすることも可能だった。妃の子なら確実に皇位継承権が得られる。懐妊しなくとも四等女官として公爵に仕えることになる。
 だが、それは大勢の女官を巻き込んだ権力争いに発展する恐れもあった。慇懃丁寧な顔の裏で女達が何をするか、モニカにも十分想像できた。だから暇をもらいたかった。 

「とりあえず、モニカには今の宿舎から四等女官用の宿舎に移ってもらいます」

 四等女官用の宿舎は後宮内にあり戸建てである。現在欠員があるので宿舎は空いている。

「懐妊の有無が判明するまでは宿舎で過ごすように。公爵様は正式な辞令が出るまではモニカに触れぬように願います」
「え?」

 カルロスの顔色が変わった。

「それがしきたりです」

 女官長にしきたりと言われたらたとえ皇子でも逆らえない。
 だが、モニカはなおも食い下がった。

「私に暇は頂けないのでしょうか」
「それもできません」

 宮内大臣は女官長の言葉に付け加えた。

「後宮のしきたりには合理的な理由もあるのです。皇帝や皇子と関わりのある女官を外に出せば命を狙われる恐れがあります。中にいれば食事や女官に注意を払うだけで済みます」
「今の陛下の愛人は離宮におりますが」
「陛下の愛人は男。女性だけの後宮に置くわけには参りません。何より後宮は陛下が安寧に休まれる場所。殿方がいては落ち着いて休めません。歴代の女の皇帝も皆そうしております」
「逃れられないのですね」

 女官長は肩を落とすモニカに告げた。

「公爵様も同じです。男女が交わることには責任が伴うのです。男も女もそれから逃れるのは卑怯というもの。逃げてはなりません」
「後宮から一歩出たら法務大臣の管轄となります。あなたは未成年への虐待で逮捕される恐れがあります」

 脅迫じみた宮内大臣の言葉はモニカを完全に屈服させた。

「大臣、そんなにモニカを脅すな」
「脅しではありません。公爵様はそういうことも考えずに事を致されたのですか」

 宮内大臣は相手が少年であろうと容赦しなかった。

「考えたけれど、モニカがあんまり魅力的だったから。あ、モニカはそんなつもりじゃなかったと思う。だって眠ってたし」

 女官長も宮内大臣も呆れ果てた。どうやらモニカはカルロスに嵌められたらしい。宮内大臣は釘を刺しておいた。

「公爵様、少年であっても薬剤を用いて相手の自由を奪っての行為は最低でも懲役刑です。モニカが訴えたらどうなるかおわかりですね」
「……」

 カルロスは母の一声で兄たちの悪行に捜査の手が入っていることを知っていた。

「陛下には私から報告しますが、公爵様も陛下に説明をしてください」
「わかった。女官長、くれぐれもモニカの事を頼む」
「かしこまりました」

 カルロスが宮内大臣と部屋を出た後、女官長は四等女官用の宿舎の清掃を衛生担当の女官に命じた。清掃が終わるまでは応接室に待機するようにモニカに言った。
 モニカが申し訳ありませんと言うと女官長はそれは違うと言った。

「これはめでたいこと。だから申し訳ないと言ってはならぬ。そなたには不本意かもしれないが」
「陛下の御不興を思うと」
「別に陛下でなくとも、世の母親は面倒なもの。気にしていてはきりがないぞ。姑と狭い家に同居するわけではないから気楽なものと思わねば」

 女官長は笑って見せた。




 その夜、モニカは六等女官の宿舎から四等女官の宿舎に移った。彼女の世話をするために三人の六等女官が付けられた。
 モニカの宿舎移動については女官長から緘口令が敷かれた。
 女官長からの報告に皇帝はあっさりとしたものだった。

「そうか。四等女官の宿舎は何年前に建てられた?」
「50年ほど前です」
「では、新たにモニカ用に作ってやれ。先々代の皇帝の愛人が使っていたものがあろう。あれを壊せばよい」
「かしこまりました」

 女官長は皇帝からの指示を受けすぐに後宮出入りの業者を入れ新たな館を建てさせた。
 その間、モニカは宿舎から出られなかった。女官たちは本当のところがわからず、モニカは何か悪いことをしたのではないかと語り合った。
 二週間後、モニカに月の物があった。
 報告を受けた女官長は改めて皇帝に報告した。皇帝はモニカを四等女官に任ずると言い、閣議で諮らせた。法務大臣マルセル・デ・コーニングは絶句した。が、宮内大臣はこれは後宮内のことと言い、結局決定した。
 閣議の内容は秘密だったがなぜか後宮内に広まった。皆寄ると触るとモニカの話題である。女官長は外部に漏らしてはならぬと厳しく命じた。それでも女官長の知らぬところで女達はこっそりと噂するのだった。
 女官長は建設業者の出入りだけでなく女官の出入りも厳しく制限した。
 モニカが新たな住まいに移った日は限られた女官だけに手伝わせた。



 そしてこの日、モニカを正式に四等女官に任ずるという文書に皇帝の署名が入れられたのだった。
 これでモニカは正式にゴンサレス公爵付きとなる。
 宮殿の舞踏会にゴンサレス公爵とともに出席することも可能となる。
 モニカがそれを望むかどうかはわからぬが。 



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