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第九章 鬼起つ
31 虚栄の都
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レンタル会社の社員はアマンダの体形を見ただけでサイズを判断し、子爵令嬢に必要な参内用の正装の見積もりを出した。
ミランダは思ったよりも少ない額に安堵した。
だが舞踏会用の衣装は別だった。デザインや生地、色で価格帯が変わり、その差にアマンダも絶句せざるを得なかった。
「初めての舞踏会ですから、いい物を選ばれたほうがよいかと存じます。最初の印象が社交界での評価となりますから」
若い日本系の女性の言葉はミランダにはもっともに思われた。社交界で舐められたらこの先、アマンダが苦労するだろう。
アマンダは思いも寄らぬ社交界の評価という言葉に衝撃を受けていた。
「社交界での評価、ですか」
「はい。貴族の社会というのは難しいものなのです」
「社交界で評価が高いと何かよいことがあるのでしょうか」
すると中年の女性が待ってましたとばかりに口を開いた。
「お嬢様はまだ独り身。これから婿君を探されるのでしょう。御召し物を見て家の資産を皆様推察します。良いものをお召しになっていれば良い条件の婿君がお嬢様に求婚されます。今後の御家の繁栄にもつながるのです」
身も蓋もない話だった。無論、アマンダにはすでにサカリアスという人がいる。結婚相手の心配はしなくともいい。だが、それをここで口にすることはできない。
「まるで嘘をつくみたいですね。もし後で騙されたと言われたら困ります。贅沢なものを着るのはいかがなものかと」
「確かにそうですね。ただ」
中年女性は付け加えた。
「ルシエンテス子爵家はゲバラ侯爵家の一族です。お嬢様のドレスの品が劣っていたら、ゲバラ侯爵夫人が恥をかくことになります」
アビガイルに恥をかかせる、そんなことは思いもしなかった。
「いえ、それどころか、侯爵夫人は皇女であらせられた方、陛下にも恥をかかせることになりかねません」
アマンダよりもミランダのほうがそれには驚いた。
「陛下に恥ですか……なんということ!」
アマンダは考えた。レンタル会社の社員の言うことはもっともなことに思える。だが、人を欺き飾る虚栄の振舞にも思える。何より贅沢に着飾ったことによって求婚者が現れるのは困る。サカリアスという人がいるのに。それにもうすぐサカリアスは首都に戻って来るはずである。求婚者を断っても行き違いでサカリアスが知れば、どう思うか。サカリアスの怒りが求婚者に向けばただでは済まないような気がする。身体の大きさもさることながら軍人なのだ。無用の争いを避けるためにもドレスの贅沢はできない。
「当家は子爵家です。家格に合う品で構いません」
アマンダの強い口調にミランダはですがと声を上げた。
「陛下に恥をかかせるのでは」
「陛下は私の着ている物ごときを恥じるような心の小さな方ではないと思います。それに私は当分夫を探す予定はありません。何よりドレスで子爵家の経済状態を判断するような者とは結婚したくはありません。まるで私本人ではなく、財産と結婚するようではありませんか」
ミランダの心配もわかるが、これだけは言わねばならなかった。
「おそれいりましてございます」
中年の社員も若い社員も高価なドレスを勧めるのを諦めた。
結局平均的価格帯よりもやや安価なレンタル料のドレスの中から濃い青のシンプルなデザインのものを選んだ。靴もアクセサリーもそれに合わせたものになった。
彼女たちが帰った後、別室にいたロサリオは選んだドレスの掲載されたカタログを見てこれくらい無難なほうが上位の貴族の令嬢たちの反感を買わないからいいと言った。
「あの人たちは何を着たって必ず一言二言嫌なことを言うのですよ。派手なドレスなぞ着たら妬まれてひどい噂を流されます。田舎の子爵令嬢がこんな高価な物を着られるのは何か後ろ暗いことをしているのではないかと」
ミランダはまあ怖いと言い、アマンダの選択は誤っていないことに安堵した。
アマンダは悪質な噂を流す人々がいることに衝撃を受けた。
「どこの社会でもそういうものはあるのです。だから、お嬢様は舞踏会ではそのような噂を流す人達を相手にせず受け流し、きちんとした方とお近づきになってください。あ、でも大丈夫ですね。御自分の意見を通してこれを選んだのですから。類は友を呼ぶと申しますからね」
ロサリオは微笑んだ。アマンダは安堵したものの友となるのは己の類と思うと気を緩めるわけにはいかないと思った。
「プレジデンシャルスイートに泊まれないだと! 去年は泊まれたじゃないか!」
帝國グランドホテルのフロントの前で大声を上げる若い男を泊り客らは呆れ顔で見ていた。貴族的な端正な顔をしているのに、どこか口調は下品だった。
フロントのチーフは丁寧な口調で男に対していた。
「若様、当ホテルは御予約の方を優先しております。そちらの部屋は若様がおいでになるより前に予約されております。よろしければ系列のニューグランドホテルのペントハウススイートを手配いたします。お車の支度もいたします」
「予約した奴らをそっちに替えろ。金ならある」
男は銀色に光るカードをチーフの目の前でひらひらさせた。
「申し訳ありませんが、それはできかねます」
「何故だ!」
男は噛みつくようにチーフに迫った。チーフはひるまなかった。
「当ホテルの信用に関わります。創業以来200と18年、御予約優先の方針を変えるわけには参りません」
「支配人を呼べ! おまえでは駄目だ!」
大抵の貴族ならあっさりと諦めるのに男はしつこかった。
「あれはキンテロ伯爵家の」
少し離れた場所にいる老紳士が夫人に囁いた。
「ああ、そういうことね」
夫人も納得した。キンテロ伯爵夫人も息子同様に何かと家柄を鼻にかける質だった。物静かな伯爵が何故あの夫人と結婚したのかは社交界の謎の一つだった。
「オルテガ星系から何の用で?」
「さあ。伯爵はお元気のはずだが」
他の客も男の身元に気付いたらしく、ロビーはざわつき始めた。
男は周囲の人々の視線に気付きますます怒りを露わにした。チーフに向かってさらに続けた。
「さてはおまえたちは我がキンテロ伯爵家を愚弄しているな。いやしくもキンテロ伯爵家は初代陛下の御代にオルテガ星系を下賜された」
「エンリケ・デ・ペドロ、何を騒いでいるんですか?」
さほど大きくはないがよく通る声に男は振り返った。
「おま……」
「大学時代とお変わりないようで何よりです」
「エルヴィン・リートフェルト……」
軍大学の一年後輩が軍統合本部警務局勤務であることを思い出し、エンリケはまずいと気付いた。エンリケは大学卒業後、四年間軍務に就いた後伯爵家を継ぐからということで退役したが、予備役に登録している。彼は半分は軍人なのだ。
チーフはエルヴィンを見て安堵の表情を見せた。
「リートフェルト様はこちらの若様とはお知り合いですか」
「私は大学の後輩です。先輩、こちらで少しお話ししませんか」
エルヴィンに言われて断れるわけがなかった。
二人はロビーの近くにあるラウンジの奥の席に座った。
「先輩、相変わらずお元気ですね」
後輩の言葉をそのまま受け取るほどエンリケも愚かではない。これは皮肉である。だが、それで不機嫌になれば相手の思うつぼである。
「リートフェルト、君こそこんな時間に統合本部に出勤せずに何をしているんだ」
「仕事です」
警務局は軍内部の犯罪捜査、防犯、要人の警護等を担当する。いわば軍の警察である。仕事としかエルヴィンが言わないのは当然のことだろう。
「仕事か。ご苦労なことだ」
「ところで、先輩は何故こんな時期に首都においでになったのですか。オルテガ星系も少々荒れていたようですが」
「騒ぎは収まった。チャンドラーの追悼式のおかげだな」
悔しいがサカリアスの追悼式での演説がチャンドラーだけでなく他の星の暴動を鎮めた。エンリケにとってサカリアスは学生時代からいけ好かない後輩だった。母親同士が親しいので交流のあった一年上のサンチョ・サントスが幼年学校時代に脛を蹴られて骨折した事件もあり、エンリケはサカリアスを皇帝の権威を笠に着た乱暴者だと思っていた。
「あれは確かに見事でした。それでどうしてこちらに?」
「社交シーズンが始まるじゃないか。宮殿の舞踏会もある」
「舞踏会は一週間も先じゃないですか」
「いろいろ準備もある」
「それならホテルではなく伯爵家のタウンハウスがあるじゃありませんか」
首都星系以外の領主である貴族は首都滞在時のためにタウンハウスを持っていた。帝國創建当初からの名家は皇帝から下賜されている。キンテロ伯爵家も宮殿から車で一時間かからない場所にタウンハウスを持っている。
「いろいろと不便だからな」
「タウンハウスのほうが宮殿に近いではありませんか。公務員からすれば羨ましい限りです」
いい加減にしろとエンリケは言いたかったが、ぐっと堪えた。
「タウンハウスは堅苦しいんだ。うるさい執事がいる」
これは本当のことだった。タウンハウスには何代にもわたって仕えている執事や家政婦長らがいて、若様これはいけません、なりませんとうるさかった。最近では早く結婚をとうるさい。
「ますます羨ましい。執事や家政婦がいれば料理を作ったり掃除をしたりしなくてもいいじゃないですか。私など一人暮らしで大変です」
「話はそれだけか」
「……申し訳ありません。仕事柄私は不審を感じるとすぐに調べたくなるのですよ。実は、昨年から首都のホテルの客室、それもプレジデンシャルスイートやペントハウススイート等のような客室に、社交界にデビューする予定の令嬢を若い貴族や軍人がダンスやマナーを教えるからと招いて睡眠薬等を飲ませて不埒な行為に及んでいるという訴えがありまして。伯爵家の跡継ぎのあなたがプレジデンシャルスイートと騒ぎ立てているのを見たら、もしやと。どうやら私の考え過ぎのようです。失礼しました」
エンリケ・デ・ペドロの背筋に冷たい汗がつーっと流れた。
「失敬な! キンテロ伯爵家の世継ぎの私を疑うとは」
「李下に冠を正さずの喩えもあります。お気をつけください。それでは舞踏会でお会いしましょう」
エルヴィンは立ち上がりフロントに向かった。
エンリケは思い出した。軍大学の大学祭のダンスパーティでもエルヴィンはうるさかった。あの頃と彼は変わらない。そういえば、サカリアスはあの時も隣の女子大学の学生を襲おうとした学生を殴っていた。
宮殿の舞踏会にサカリアスはこれまで来たことがない。今年はどうだろうか。公爵になったから来るかもしれない。エルヴィンもいる。今年は無理かもしれないとエンリケは思った。仲間にも連絡したほうがいいだろう。
エンリケはエントランスに向かった。その後ろ姿をエルヴィンの二つの目はしっかりとらえていた。
ミランダは思ったよりも少ない額に安堵した。
だが舞踏会用の衣装は別だった。デザインや生地、色で価格帯が変わり、その差にアマンダも絶句せざるを得なかった。
「初めての舞踏会ですから、いい物を選ばれたほうがよいかと存じます。最初の印象が社交界での評価となりますから」
若い日本系の女性の言葉はミランダにはもっともに思われた。社交界で舐められたらこの先、アマンダが苦労するだろう。
アマンダは思いも寄らぬ社交界の評価という言葉に衝撃を受けていた。
「社交界での評価、ですか」
「はい。貴族の社会というのは難しいものなのです」
「社交界で評価が高いと何かよいことがあるのでしょうか」
すると中年の女性が待ってましたとばかりに口を開いた。
「お嬢様はまだ独り身。これから婿君を探されるのでしょう。御召し物を見て家の資産を皆様推察します。良いものをお召しになっていれば良い条件の婿君がお嬢様に求婚されます。今後の御家の繁栄にもつながるのです」
身も蓋もない話だった。無論、アマンダにはすでにサカリアスという人がいる。結婚相手の心配はしなくともいい。だが、それをここで口にすることはできない。
「まるで嘘をつくみたいですね。もし後で騙されたと言われたら困ります。贅沢なものを着るのはいかがなものかと」
「確かにそうですね。ただ」
中年女性は付け加えた。
「ルシエンテス子爵家はゲバラ侯爵家の一族です。お嬢様のドレスの品が劣っていたら、ゲバラ侯爵夫人が恥をかくことになります」
アビガイルに恥をかかせる、そんなことは思いもしなかった。
「いえ、それどころか、侯爵夫人は皇女であらせられた方、陛下にも恥をかかせることになりかねません」
アマンダよりもミランダのほうがそれには驚いた。
「陛下に恥ですか……なんということ!」
アマンダは考えた。レンタル会社の社員の言うことはもっともなことに思える。だが、人を欺き飾る虚栄の振舞にも思える。何より贅沢に着飾ったことによって求婚者が現れるのは困る。サカリアスという人がいるのに。それにもうすぐサカリアスは首都に戻って来るはずである。求婚者を断っても行き違いでサカリアスが知れば、どう思うか。サカリアスの怒りが求婚者に向けばただでは済まないような気がする。身体の大きさもさることながら軍人なのだ。無用の争いを避けるためにもドレスの贅沢はできない。
「当家は子爵家です。家格に合う品で構いません」
アマンダの強い口調にミランダはですがと声を上げた。
「陛下に恥をかかせるのでは」
「陛下は私の着ている物ごときを恥じるような心の小さな方ではないと思います。それに私は当分夫を探す予定はありません。何よりドレスで子爵家の経済状態を判断するような者とは結婚したくはありません。まるで私本人ではなく、財産と結婚するようではありませんか」
ミランダの心配もわかるが、これだけは言わねばならなかった。
「おそれいりましてございます」
中年の社員も若い社員も高価なドレスを勧めるのを諦めた。
結局平均的価格帯よりもやや安価なレンタル料のドレスの中から濃い青のシンプルなデザインのものを選んだ。靴もアクセサリーもそれに合わせたものになった。
彼女たちが帰った後、別室にいたロサリオは選んだドレスの掲載されたカタログを見てこれくらい無難なほうが上位の貴族の令嬢たちの反感を買わないからいいと言った。
「あの人たちは何を着たって必ず一言二言嫌なことを言うのですよ。派手なドレスなぞ着たら妬まれてひどい噂を流されます。田舎の子爵令嬢がこんな高価な物を着られるのは何か後ろ暗いことをしているのではないかと」
ミランダはまあ怖いと言い、アマンダの選択は誤っていないことに安堵した。
アマンダは悪質な噂を流す人々がいることに衝撃を受けた。
「どこの社会でもそういうものはあるのです。だから、お嬢様は舞踏会ではそのような噂を流す人達を相手にせず受け流し、きちんとした方とお近づきになってください。あ、でも大丈夫ですね。御自分の意見を通してこれを選んだのですから。類は友を呼ぶと申しますからね」
ロサリオは微笑んだ。アマンダは安堵したものの友となるのは己の類と思うと気を緩めるわけにはいかないと思った。
「プレジデンシャルスイートに泊まれないだと! 去年は泊まれたじゃないか!」
帝國グランドホテルのフロントの前で大声を上げる若い男を泊り客らは呆れ顔で見ていた。貴族的な端正な顔をしているのに、どこか口調は下品だった。
フロントのチーフは丁寧な口調で男に対していた。
「若様、当ホテルは御予約の方を優先しております。そちらの部屋は若様がおいでになるより前に予約されております。よろしければ系列のニューグランドホテルのペントハウススイートを手配いたします。お車の支度もいたします」
「予約した奴らをそっちに替えろ。金ならある」
男は銀色に光るカードをチーフの目の前でひらひらさせた。
「申し訳ありませんが、それはできかねます」
「何故だ!」
男は噛みつくようにチーフに迫った。チーフはひるまなかった。
「当ホテルの信用に関わります。創業以来200と18年、御予約優先の方針を変えるわけには参りません」
「支配人を呼べ! おまえでは駄目だ!」
大抵の貴族ならあっさりと諦めるのに男はしつこかった。
「あれはキンテロ伯爵家の」
少し離れた場所にいる老紳士が夫人に囁いた。
「ああ、そういうことね」
夫人も納得した。キンテロ伯爵夫人も息子同様に何かと家柄を鼻にかける質だった。物静かな伯爵が何故あの夫人と結婚したのかは社交界の謎の一つだった。
「オルテガ星系から何の用で?」
「さあ。伯爵はお元気のはずだが」
他の客も男の身元に気付いたらしく、ロビーはざわつき始めた。
男は周囲の人々の視線に気付きますます怒りを露わにした。チーフに向かってさらに続けた。
「さてはおまえたちは我がキンテロ伯爵家を愚弄しているな。いやしくもキンテロ伯爵家は初代陛下の御代にオルテガ星系を下賜された」
「エンリケ・デ・ペドロ、何を騒いでいるんですか?」
さほど大きくはないがよく通る声に男は振り返った。
「おま……」
「大学時代とお変わりないようで何よりです」
「エルヴィン・リートフェルト……」
軍大学の一年後輩が軍統合本部警務局勤務であることを思い出し、エンリケはまずいと気付いた。エンリケは大学卒業後、四年間軍務に就いた後伯爵家を継ぐからということで退役したが、予備役に登録している。彼は半分は軍人なのだ。
チーフはエルヴィンを見て安堵の表情を見せた。
「リートフェルト様はこちらの若様とはお知り合いですか」
「私は大学の後輩です。先輩、こちらで少しお話ししませんか」
エルヴィンに言われて断れるわけがなかった。
二人はロビーの近くにあるラウンジの奥の席に座った。
「先輩、相変わらずお元気ですね」
後輩の言葉をそのまま受け取るほどエンリケも愚かではない。これは皮肉である。だが、それで不機嫌になれば相手の思うつぼである。
「リートフェルト、君こそこんな時間に統合本部に出勤せずに何をしているんだ」
「仕事です」
警務局は軍内部の犯罪捜査、防犯、要人の警護等を担当する。いわば軍の警察である。仕事としかエルヴィンが言わないのは当然のことだろう。
「仕事か。ご苦労なことだ」
「ところで、先輩は何故こんな時期に首都においでになったのですか。オルテガ星系も少々荒れていたようですが」
「騒ぎは収まった。チャンドラーの追悼式のおかげだな」
悔しいがサカリアスの追悼式での演説がチャンドラーだけでなく他の星の暴動を鎮めた。エンリケにとってサカリアスは学生時代からいけ好かない後輩だった。母親同士が親しいので交流のあった一年上のサンチョ・サントスが幼年学校時代に脛を蹴られて骨折した事件もあり、エンリケはサカリアスを皇帝の権威を笠に着た乱暴者だと思っていた。
「あれは確かに見事でした。それでどうしてこちらに?」
「社交シーズンが始まるじゃないか。宮殿の舞踏会もある」
「舞踏会は一週間も先じゃないですか」
「いろいろ準備もある」
「それならホテルではなく伯爵家のタウンハウスがあるじゃありませんか」
首都星系以外の領主である貴族は首都滞在時のためにタウンハウスを持っていた。帝國創建当初からの名家は皇帝から下賜されている。キンテロ伯爵家も宮殿から車で一時間かからない場所にタウンハウスを持っている。
「いろいろと不便だからな」
「タウンハウスのほうが宮殿に近いではありませんか。公務員からすれば羨ましい限りです」
いい加減にしろとエンリケは言いたかったが、ぐっと堪えた。
「タウンハウスは堅苦しいんだ。うるさい執事がいる」
これは本当のことだった。タウンハウスには何代にもわたって仕えている執事や家政婦長らがいて、若様これはいけません、なりませんとうるさかった。最近では早く結婚をとうるさい。
「ますます羨ましい。執事や家政婦がいれば料理を作ったり掃除をしたりしなくてもいいじゃないですか。私など一人暮らしで大変です」
「話はそれだけか」
「……申し訳ありません。仕事柄私は不審を感じるとすぐに調べたくなるのですよ。実は、昨年から首都のホテルの客室、それもプレジデンシャルスイートやペントハウススイート等のような客室に、社交界にデビューする予定の令嬢を若い貴族や軍人がダンスやマナーを教えるからと招いて睡眠薬等を飲ませて不埒な行為に及んでいるという訴えがありまして。伯爵家の跡継ぎのあなたがプレジデンシャルスイートと騒ぎ立てているのを見たら、もしやと。どうやら私の考え過ぎのようです。失礼しました」
エンリケ・デ・ペドロの背筋に冷たい汗がつーっと流れた。
「失敬な! キンテロ伯爵家の世継ぎの私を疑うとは」
「李下に冠を正さずの喩えもあります。お気をつけください。それでは舞踏会でお会いしましょう」
エルヴィンは立ち上がりフロントに向かった。
エンリケは思い出した。軍大学の大学祭のダンスパーティでもエルヴィンはうるさかった。あの頃と彼は変わらない。そういえば、サカリアスはあの時も隣の女子大学の学生を襲おうとした学生を殴っていた。
宮殿の舞踏会にサカリアスはこれまで来たことがない。今年はどうだろうか。公爵になったから来るかもしれない。エルヴィンもいる。今年は無理かもしれないとエンリケは思った。仲間にも連絡したほうがいいだろう。
エンリケはエントランスに向かった。その後ろ姿をエルヴィンの二つの目はしっかりとらえていた。
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