銀河の鬼皇帝は純愛を乙女に捧げる

三矢由巳

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第九章 鬼起つ

24 アルカンタルの左手

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 銃弾の音がやんだ。長い時間がたったような気がしたが、せいぜい1分だろうとサカリアスにはわかっていた。
 だが油断はできない。警護の兵たちが全員倒されたためかもしれないのだ。狼藉者の人数もわからない。後部座席との間に仕切りがあるので、運転席に伏せている運転手の様子もわからない。
 拳銃を手にサカリアスは待った。もし狼藉者がドアを開けたら即座に引き金を引くつもりで。
 ドンと強くドアを叩く音がした。サカリアスはアームレストに付いたボタンの一つを押した。これで外の音が聞こえる。

『……出て来い!』

 狼藉者のようなセリフだった。サカリアスはドアのロックを解除した。
 
「なんてザマだ」

 ドアを開けた男は笑った。まったくだとサカリアスは思う。シートではなく床に座っているのだから。

「貴様は敵か味方か」

 サカリアスはドアから出ると銃口をアルカンタルの胸に突きつけた。
 アルカンタルは逃げも叫びもしなかった。

「今は味方だ。だが、おまえさん次第では敵になる」
「今はか」

 とりあえずサカリアスは銃口を離した。
 周囲にはすでに多くの兵士と警官がいて狼藉者らしき男達の死骸を確認していた。ざっと見た限り10人はいた。彼らが車列を襲ったらしい。前の車は運転手が撃たれたらしく、ストレッチャーに乗せられるところだった。救急隊員の問いかけにこたえているところを見ると、命は無事のようだった。
 サカリアスの車の運転手も出て来た。無傷で兵士の問いに答えていた。

「まさか、一人で?」

 サカリアスの問いにアルカンタルは肩をすくめた。

「できるわけないだろ。今朝、黒熊の連中がおかしな動きをしてると教えてくれたのがいたんで、知り合いの若い衆を呼んだ。警察は追悼式の警備で手薄だからな。そしたら案の定、奴ら武器を持ってここで待ち伏せしてやがった」

 アルカンタルの背後では若い男達が身振り手振りを交えて警官らに状況を説明していた。
 アルカンタルの言葉にサカリアスは暗澹たる気分になってきた。
 この襲撃には黒熊一家が関わっていたということだ。その上部には白竜会が君臨している。白竜会を牛耳るのは兄フラビオである。

「ありがとう。感謝する」

 心から礼を言うと、アルカンタルは鼻先で笑った。

「おまえさんの謝礼とやらが一桁多かったんで、その分のお返しだ。若い衆にも日当が出せるしな」

 その時になって、サカリアスはアルカンタルの左の肘の下あたりから破れた袖がフラフラと揺れていることに気付いた。

「おい、腕は! 大丈夫なのか!」
「ああ、これか」

 アルカンタルは何ともないような顔で言った。

「元々ないんだ。さっき、連中に義手を撃たれたんでこの始末さ」
「まさか退学になったのは……」

 士官学校を退学することになったのは、左腕がなくなるようなことがあったせいなのか。

「お察しの通りさ。寄生虫野郎、俺の腕を銃で撃ちやがった。俺も奴も病院行き。五体満足の奴は残って、腕無しの俺は退学さ」

 士官学校には身体障がい者枠がある。身体が不自由でも頭脳を生かす職は軍になら幾らでもある。軍務省内の研究職が代表的なものである。

「退学はおかしいだろ。障がい者こそ軍に残るべきだ」
「まあ、俺はおつむの出来がいまいちだったからな」
「殿下!」

 その声はイグナシオ・ブルーノのものだった。
 彼は基地に先行し出港の手配をしていたが、急を知り戻って来たのだった。
 アルカンタルは不服そうな顔になった。

「なんだ、腰巾着か」
「なんだはないだろ」

 イグナシオは真っすぐにサカリアスの元へ歩いて来た。

「御無事のようで何よりです」
「アルカンタルのおかげだ」
「殿下がお世話になりました」

 イグナシオは深々と頭を下げた。

「義手の手配は任せてください。軍の技術ならいいものが作れます」
「オーダーメードか」
「当然です。殿下の命の恩人ですから」
「当然い抜きだろうな」
「イヌキ?」

 イグナシオは不審げな顔になった。

「無料のことだな。わかった。公爵家の予算から出そう」

 サカリアスは日本語の言い回しだと知っていた。アルカンタルは士官学校出どころではない教養の持ち主のようだった。

「い抜きを知ってるとはさすが殿下だな」
「日本語も学習していたのか」
「いや。母親が日本系だ」

 意外なアルカンタルの出自だった。顔つきはイスパニア系なのだが。





 周囲の死体や負傷者は救急車両に収容された。イグナシオはそろそろ離れる頃合いだと思った。が、そこへ警察署長が走って来た。

「申し訳ありません!」
「申し訳ないで済めば、警察は……」

 決まり文句を言いかけてイグナシオは止めた。

「殿下、どうかお許しを。私どもの不手際でかようなことになりまことに相済みません」

 署長は平身低頭の言葉そのまま頭を下げ続けた。
 
「許す許さないの問題ではない。私を襲ったのは黒熊一家だ。私を助けてくれた民間人が義手を撃たれている。民間人にまで被害が及んでいるのだ。黒熊一家及びその他の暴力組織の取り締まりが手ぬるいからそうなる。死んでいった者達に顔向けができるか」

 サカリアスの叱責に署長は顔を青ざめさせた。

「はっ。善処いたします」

 警察署長は携帯端末で組織犯罪対策課の課長に黒熊一家の事務所捜索を命じた。
 黒熊一家はこれでおとなしくなるだろう。

「では、基地へ行きましょう。アルカンタル親分も。義手の技術は軍が一番ですから」

 イグナシオは自分が乗って来た車の後部座席のドアを開けようとした。

「そうやって俺をおまえたちの陣営に引き込むつもりか。俺は多過ぎる謝礼の分だけ返しただけだ」

 アルカンタルはサカリアスを睨みつけた。

「そんなつもりはない。陣営などない」

 サカリアスは後の言葉の声を低めた。
  
「そういうことにしておく。飯の恩もあるしな」
「食べてくれたのか」
「無駄にはできないだろ」
「よかった」

 サカリアスは少しだけ頬を緩めた。

「ちっともよかったって顔には見えねえな。おまえさん、本当に顔の筋肉が不自由だな」
「いい加減にしろ。殿下に対して不敬だぞ」

 イグナシオは不機嫌さを隠さなかった。サカリアスの身に何もなかったとはいえ、出港が遅れているのだ。命の恩人といってもアルカンタルの口調は砕け過ぎていた。





「なんだと! もう一度言え!」

 署長が不意に叫んだ。携帯端末に向かって叫ぶ姿は滑稽に見えたが、署長の慌てようを見るとただ事ではないようだった。
 サカリアスは車のドアに手を掛けたまま、署長の声に耳を澄ませた。アルカンタルも怪訝な顔になっていた。

「逃げられただと! 何をやってたんだ」

 少しも声が小さくならないのは、よほどのことが起きたのか。

「はあ? いい加減にしろ! 殺しても構わん、身柄を確保しろ」

 通話を終えた署長にサカリアスはつかつかと近づいた。

「何が起きた?」

 署長は汗を拭きもせずに言った。

「捜索に気付いた黒熊一家の幹部が事務所の近くのホテルに人質をとって立てこもっています」
「人質は何人だ? 性別は?」

 その答えはサカリアスの問いから微妙に外れていた。

「人質は娼婦一人です」
「なんだと!」

 サカリアスとアルカンタルは同時に叫んでいた。署長は公爵に失態が知られて顔を真っ赤にして叫んだ。

「すぐに逮捕します。場合によっては射殺も」
「待て。人質はどうなる?」

 サカリアスの問いに署長は何の躊躇もなく答えた。

「人質は娼婦です。大方愛人か何かでしょう。一緒に殺しても問題ありません」
「はあ?」

 アルカンタルは署長の襟首を掴んだ。

「おいおい、黒熊一家の事務所のそばのホテルといやあ、若い、いや幼い娘どもが身を売らされてる場所じゃないか! 殺すって、てめえ正気か!」

 サカリアスは廃墟で出会った少女を思い出した。

「人質の命を軽視するのか」

 サカリアスの強い視線に気付き、署長は身を震わせた。サカリアスのスピーチを忘れるほど署長も愚かではない。アルカンタルは襟首から手を離した。その勢いで署長は尻餅を突いた。
 サカリアスは一顧だにせずアルカンタルに尋ねた。

「ホテルはどこだ?」
「五キロ先のバルセロナ通り、いや元バルセロナ通りだな」
「それじゃ行きますか」

 イグナシオは車の運転席に乗った。サカリアスが基地に自分だけ戻るわけがなかった。
 サカリアスはアルカンタルの右腕を引き車に押し込み自分も乗った。
 地べたに座り込む署長を残し車は急発進した。
 アルカンタルの若い衆たちはバイクや自転車に跨って車を追った。それを定員外乗車だ、速度違反だと止める者はいなかった。



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