上 下
92 / 139
第九章 鬼起つ

17 招待状

しおりを挟む
  親愛なるアルマへ

 几帳面そうな手書きの文字の後に続く印刷された文は決まり文句の羅列だった。結婚式・披露宴の招待状は古来そういうものだ。
 クライフに行って留守にしていた間に届いた古風な金箔模様の入った封筒入りの招待状の送り主はテクラ・コルティナ。貴族女学校高等科卒業以来会っていない。
 一体相手は誰かと名を見て驚いた。マドリガル男爵の長男コンラド。1年前に2か月ほど付き合っていた。

「私のお古ってことね」

 アルマはニヤリと笑って出欠の返信に出席と書いた。何も知らないテクラの間抜け顔を見て楽しむことにしよう。
 大体テクラは昔から間が抜けているのだ。高等科時代に彼女と交際していた軍大学の学生をアルマが寝取った時だって気付いていなかった。学生はテクラがキスもさせさせてくれないと言っていた。そんなことだから彼に逃げられるのだ。きっと、コンラドがアルマの過去の男だということも知らないのだろう。だから招待状を送ったのだろう。
 コンラドとは宮殿のパーティで知り合った。一緒に踊った後連絡先を交換し一週間もたたぬうちに関係を持った。銀行員という仕事柄ケチな男ではないかと思っていたが、コンラドは違った。レストランでもホテルでもアルマに金銭的な負担をかけなかった。おいしいものをたくさん食べた後の交わりも楽しかった。話も面白かった。お金の話に父の仲間の政治家の醜聞めいた話。そんな話をする人とは今まで付き合ったことがなかった。
 残念なことにアルマが他の男性に目移りしたことで仲違いすることになった。
 でもそんなことはよくあること。アルマはコンラドときれいに別れた。未練はない。
 一言おめでとうと書き添えた返信を返信用封筒に入れて封をした。
 二カ月後の披露宴が楽しみだ。
 それまでに今の体重を10キロいや20キロ落として皆を驚かそう。なんたってクライフに行く前と比べて3キロ体重が減ったのだから。
 マリオ・オリバの作る食事と間食のおかげだった。食事の量が大きく減ったわけでもないのに、体重が減っていた。悩んでいたお通じの問題も解消した。
 屋敷の侍女たちもマリオ・オリバの作る賄いを楽しみにしていた。住み込みの使用人たちの食事は厨房の料理人が交代で作ることになっていた。新入りの料理人のマリオ・オリバの賄いに皆最初は期待していなかった。だが、一口食べた侍女の顔色が変わった。正統派の店で修行した料理長の味とは違い、街で評判の店の味に近かった。彼女達だけでなく他の若い使用人も皆すぐにマリオの賄いに魅了された。
 料理長はそんなマリオの料理を最初は毛嫌いしていた。だが、アルマが健康的に痩せて行くのを見て考えを変えた。伝統的な料理とは少し違うが、お嬢様が健やかになってくれるのならよしとしようと。そして、マリオに料理作りの秘訣を積極的に尋ねた。マリオは包み隠さず教えた。

「おからという日本の食材は栄養があるだけでなくお通じによいのです。ただし日持ちがしませんので入手したらすぐに調理しなければいけません。入手先は豆腐屋です。豆腐を作る際に出るものですので」
「白米はパンと違い、バターも塩も砂糖も入っていませんので脂肪分、塩分、糖分の摂り過ぎを防ぐことができます。主菜と副菜に配慮すれば脂肪分を大幅に減らせます」

 知識としては知っていても伯爵家の食卓に上げるべきではないという昔からの伝統があったので、料理長はこれまで和食と呼ばれる日本系の人々の好む料理を作ってこなかった。だが、お嬢様の健康のためなら献立を多少は変える必要があると料理長はマリオの言葉を重く受け止めた。
 こうしてアルマは少しずつ体重を減らしていた。
 テクラとコンラドとの結婚式までに痩せてみせるとアルマは決意していた。





 同じ招待状をモニカも受け取った。
 テクラとは貴族女学校の高等科まで一緒だった。特別仲がいいわけではなかったが、悪くもなかった。高等科三年生の時にアルマとテクラが仲違いした後、多少は話すことが増えた。
 結婚式に招待されるとは思ってもいなかった。相手が相手だから出席人数を合わせるために招待されたのだろう。財務大臣の子息側の招待客は200人を下るまい。騎士のコルティナ家はテクラの同級生まで呼ばなければ足りないのだろう。
 だが、仕事のことを思えば簡単に休めるものでもなかった。とりあえず直接の上司であるフランカに相談した。

「騎士のコルティナ家の令嬢と財務大臣のマドリガル男爵の令息ですね。わかりました。出席しなさい」

 命令口調だったので驚いていると、フランカは言った。

「これも仕事の一環です。出席者には宮殿に出入りする貴族も多いはず。実際に顔を見てみれば様々なことがわかります。あなたの今後の仕事にも役立つことでしょう」

 確かに貴族の人間関係を見るのによい機会かもしれなかった。
 モニカは出席に印をつけて返信した。
 その数日後、テクラから会えないかと連絡があった。そう簡単に休めるものでもないが、フランカに相談するとこれも許可された。
 モニカはいったん家に宿下がりし、そこからコルティナ家を訪ねた。コルティナ家では後宮女官として信じられないくらいの歓待を受けた。
 家族一同が玄関で出迎えただけでなく応接室で最高級の茶と菓子をテクラの父親自ら振舞った。

「後宮にお仕えする方をお迎えできてまことに光栄です。娘の友人にあなたのような方がいるのは誇らしいことです」
「恐れ入ります」

 モニカは慎み深く振舞った。自分はあくまでも六等女官である。恥ずかしい振舞はできない。
 本人だけでなく父親、母親、弟、妹の挨拶を受けた後、モニカはテクラの部屋に招かれた。さほど広くはないが、窓からの光が部屋を明るく照らしていた。

「ごめんなさいね。堅苦しいことはやめてって父に言ったんだけど、後宮の女官とお近づきになるなんてなかなかできないって。やあね。うちの家族もコンラドの家族も後宮と縁を持つことなんてないのにね」

 テクラはそう言うが、後宮の女官、特に三等以上ともなれば下手な官僚よりも力がある。人事にも介入しているという話も漏れ聞く。もっとも財務大臣や名門騎士の家族なら女官の力を借りる必要はあるまい。コンラドも父親の七光りではなく自らの実力で銀行に就職していると聞いている。コルティナ氏も帝國騎士団の要職に就いている。後宮女官の出る幕はない。
 テーブルの上に並べられた小さなケーキやクッキーがたっぷり盛られた皿とブランドのティーカップからたちのぼる上品な紅茶の香りにモニカは微笑んだ。

「ほんと、驚いたわ。宿下がりは今度が五回目だけど、同級生の家でこんなに歓迎されるなんて」
「なんだか笑い方が上品になったわね。さすがは女官様ね」
「あなたこそ、ずっときれいになった。やっぱり結婚が決まるとそうなるのね」
「ありがとう」
「ねえ、どうやって知り合ったの?」

 誰もが尋ねることをテクラは無視して花嫁らしからぬ魔女めいた表情を浮かべた。

「アルマがあなたにひどいことしたって本当? 噂じゃティーカップを投げたって」

 高等科時代なら何も考えずにうなずいて「ええ」と言っただろう。だが、女官は後宮内で起きたことを外で話してはならない。同僚の中にそれを守らない者がいたということらしい。

「何のお話? 私は今日はあなたのお祝いに来たのよ」
「何の話って、我慢しなくていいのよ。話してはいけないのはわかってる。だけど、あなただけじゃない、私もアルマにはいろいろひどい目に遭わされた。だから、仕返しを考えてるの。といっても別に大袈裟なことはするつもりはないから」

 テクラは忘れてはいなかったのだ。アルマに想い人を寝取られたことを。だが、結婚を控えた女性のすることではない。相手のコンラドやマドリガル男爵家にも迷惑をかけることなのだ。

「仕返しとかあなた、何考えてるの。コンラドが知ったら」
「知ってるわ、彼も」

 モニカは言葉が出てこなかった。

「彼ね、アルマと付き合ってたけど、彼女が他の男に粉かけるのを見て別れたの。結婚するつもりだったからショックだったって」

 モニカは叫びそうになった。

「だから、アルマと、彼女と付き合ってた男全部招待することにしたの。貴族の社会って本当に狭いわ。皆、たどっていくと私やマドリガル家とつながりがどこかであるのね。高等科の時の軍大学のフィデルなんかコンラドの母親の従姉の息子だし。モニカももし何か情報があったら教えて。あなたも仕返しするいい機会だと思うの。ほんと、あの人には初等科時代からひどい目に遭わされたものね。私のことも騎士ふぜいっていう顔で見てたし」

 テクラは怒りを子どもの頃からずっとため込んでいたのだ。軍大学生のフィデルの件だけがアルマとの仲違いの原因ではなかったのだ。怖いとモニカは思った。怒りをため込みながらずっと友人でいたなんて。

「そういえば、アマンダの時もそう。あなたも覚えてるでしょ。いい子だったのにアルマが苛めるものだから、ピアのお兄さん、サカリアス殿下に目を付けられるし。ピアもね、いろいろ面白い話を教えてくれた。ピアの従妹の彼氏も寝取ってるみたいね、アルマ」

 これ以上聞きたくなかった。だが、そうはいかなかった。

「これは噂なんだけれど、海賊に攫われて死んだ父と娘って、アマンダと父親じゃないかって。コンラドのお父様は財務大臣でしょ。陛下の御尊顔を拝する機会が多いそうだけれど、あの事件があった頃お元気がなかったんですって。アマンダの父親は陛下の愛人だったから、もしかしたらって。確かに報道番組に出ていた写真、いい男だったし、娘もなんとなくアマンダに似てるような気がするのだけれど、あなたはどう思う? 親しかったから私よりもわかるでしょ」

 コンラドは男にしてはしゃべり過ぎだとモニカは思った。政治家の父親が言っていたことを婚約者にそのまま話すなどありえない。

「確証のないことは言うものではないわ」
「変ね」

 テクラは首を傾げた。

「あなたがサカリアス殿下、いえビダル公爵閣下を責めていたって聞いたのだけれど。海賊との戦闘に参加していた殿下にアマンダが死んだのは殿下のせいだ、殿下は鬼だって」

 あの場にコンラドも財務大臣もいるはずがなかった。一体誰がと思った時、ゴンサレス公爵カルロス・グラシアの無邪気な顔が脳裏に浮かんだ。まさか……。

「ヤマダ百貨店て調査会社も持ってるんでしょ。それでアマンダを探し出したとか聞いたってコンラドが言ってたわ」

 カルロス・グラシアがコンラドに耳打ちするありさまを想像し、モニカは寒気を覚えた。

「テクラ、コンラドは一体どこでそんな話を聞いてくるの? 私にはまったく覚えがないのだけれど」
「どこでって、わからないわ。だって情報源を教えてくれないんだもの。でも本当に覚えがないの? コンラドは信頼できる筋だと言ってたのよ」

 さすがに銀行勤めである。ゴンサレス公爵のことを口にしない慎みはあるらしい。だが、サカリアスを責めた話をテクラに知られたのはまずい。六等女官の分際で筆頭公爵であるビダル公爵を責めた等知られていい話ではない。

「ねえ、ひどいと思わない? 海賊を討伐するために犠牲になったアマンダを初等科時代にアルマが苛めてたとか」
「海賊の話は別にして、あなただってピアと一緒にアマンダを苛めていたじゃないの」

 テクラは頷いた。

「それは反省してる。私もピアも伯爵家の出のアルマには逆らえなかった。あなたは偉かったわ。アルマを窘めてたものね。考えてみればあなたのお父様は御自分の力で男爵に叙されたんですものね。私たちの親みたいに祖先の威光を笠に着てないもの。あなたも御自分の力で女官になった。立派だわ」

 なんだか背筋がゾクゾクする。成り上がりの男爵令嬢と言われていたのにこんなに持ち上げられるなんて気味が悪かった。

「テクラ、あなたも知っているように後宮の中で起きたことは絶対に外に漏らしてはいけないの。だからあなたやコンラドの情報源は、あてにならない。後宮の人間ではない者が憶測で言っていること。不確かなことを吹聴すれば、あなたのお父様やマドリガル大臣の名誉に傷がつく。お願いだから馬鹿なことは止めて。結婚式はあなたとコンラドが主役よ。アルマに仕返しをする場所じゃない」

 テクラとコンラドの企みを絶対に阻止しなければならない。アルマの事は好きではないが、だからといって傷つけていいとは思わない。

「あなたの言うことは正しいと思うの。だけど、アルマがビダル公爵と結婚するつもりらしいと聞いて平気でいられる? あんな女が筆頭公爵の夫人だなんて、最悪よ」
「結婚? アルマが公爵と?」

 どこかで情報が錯綜しているようだった。アルマとの婚約はサカリアスが自らモラル伯爵邸に行き断っているのだ。断ったからアルマがモニカを訪ねて来てティーカップを投げることになったのだ。前後関係がおかしい。だが、それを説明するわけにはいかない。説明したら事実であると認めることになる。





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

処理中です...