銀河の鬼皇帝は純愛を乙女に捧げる

三矢由巳

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第二章 最果ての星

11 うんざりだ!

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 ドラは父からの連絡で仕事を早退した。
 店にはヒメネス夫人がいた。夫人は店の表に閉店のカードを掲げてくれた。
 夫人が語る経緯の説明にドラは悲鳴をあげたくなったが堪えた。夫人はドラの表情で彼女の恐慌状態に気付いていたので楽観的な見通しを語った。

「まあ、金持ち喧嘩せずというから、たぶん大事にはならないと思うよ。ああいう人達は昨日今日貴族になったわけじゃないからね。鷹揚なものさ。レオが刑務所に放り込まれるなんてことはないと思うね」

 夫人の落ち着いた声でドラは少しだけ冷静になれた。けれど、相手はビクトルである。こういう形で再び縁ができるというのは望ましいことではなかった。

「あなた達一家がこっちに来たのは何か事情があるとは思うんだけれど、遠慮せずに取材を受けて少しくらい金儲けをしてもバチは当たらないと思うよ。余計なことかもしれないけれど、レオにしたって、やりたいことをやらせてれば、ああいう真似はしなかったかもしれないね。ホルヘは子ども達に厳し過ぎるよ」
「申し訳ありません。御迷惑ばかりおかけして」
「迷惑はお互い様。だけど侯爵家というのは凄いんだね。まさか警察署長があそこまでへいこらするなんて。初めて見たよ。面白いものを見させてもらったものさ」

 夫人は最後は笑いで締めくくったが、ドラには笑えなかった。
 警察署長はこの先、レオだけでなくサパテロ家を監視するだろう。



 二階の住まいに上がり、お湯を沸かした。今朝仕入れた食材の中で足の早いイワシを下ごしらえしてトマトの缶詰と一緒に煮て夕食のおかずを作った。
 火を止めるのと同時に父とレオが帰って来た。
 料理の間ずっと思っていたことが口から飛び出した。

「あなたのせいで、何もかも滅茶苦茶だわ。もうここで私達暮らせなくなる」

 レオは今にも泣きそうな顔になった。

「姉さん、ごめん」

 ごめんで済めば警察はいらないと言おうと思ったが止めた。今日のことを思えばとても言えるものではない。
 父親は息子を食卓の椅子に座らせると正面に座った。

「レオ、おまえは悪くない。今日のことは元はと言えば、お父さんが悪いんだ」

 お父さんは悪くないとドラは言いたかった。けれど、それを話せば父にとってつらい過去の話になる。

「もう遅いよ。示談になったけど、貴族を蹴ったんだ。もう軍に入れないよ。俺が馬鹿だったんだ」

 軍に入れないどころの話ではないのだがとドラは思う。過去を知る人が記事を見たら、きっとここにはいられなくなる。反乱を画策した人物と親しかった一家なのだから。

「レオ、これから話すことをよく聞いてくれ。お父さんの過ちを」

 昨夜、レオに話そうと父と二人話し合ったこととはいえ、今ここでレオに話すのはドラには酷なことに思えた。
 だが、決めたことだった。



 一時間足らずの話の間、レオは何も言葉を差し挟まなかった。言いたいことはたくさんあるはずだった。

「ウンベルト・レオン、おまえは覚えていないかもしれないが、そういうわけで星の離宮という屋敷を出てこの星まで旅してきたんだ。おまえはまだ7つだった」

 そこまで話した父は冷めた茶をやっと口にした。
 ドラは弟の隣に座ってずっと俯いていたが、顔を上げた。

「家族が星の離宮に幽閉される直前まで、私はゲバラ侯爵夫人のお招きを受けていた。その時に、ビクトルに会ってる。でも、10年たって私もビクトルもお互いに気付いてなかった。この名刺を見て初めて気づいた。なおさら取材を受けるわけにはいかなかった。もし気付かれたら侯爵夫人に居場所が知られてしまう。あの方はとてもいい方だから、私達家族のことを守ってくださるかもしれないけれど、お父様は皇帝陛下に背いたも同然だからかえってご迷惑をかけてしまう」
「おやじはアゴストさんと一緒に反乱の計画なんかしてなかったんだろ」
「していなくとも、親しければ計画に加担したと見られても仕方ないのだ」
「ったく、くだらねえの」

 レオは立ち上がった。

「うんざりだ。そんなことずっと10年も引きずってきたのかよ。バッカじゃねえの」

 ドラは血の気の引く思いで弟を見つめた。父の苦しみがまだわからないのだろうか。子どもを争いに巻き込まないようにどれだけ苦労してこの最果ての星まで来たのか、アマンダと呼ばれていた少女は苦しむ父を傍らでいつも見ていた。

「そういう馬鹿げたことが、貴族の社会ではまかり通るのだ。首都に近ければ近いほど、おまえたちをそういう馬鹿げたことに巻き込む。だから、ここまで来た」

 父の言葉はドラにもわかる。貴族女学校で体験したことはまさしく馬鹿げたことだった。母が平民出身だからってなぜあんなことを言われなければならなかったのか。

「濡れ衣じゃないか。おやじ、陛下に濡れ衣だって言わなかったの? 愛人だったんだろ」
「だからこそ言えない。陛下には秩序を守る義務がある。反乱の関係者と見れば、身内だろうと愛人だろうと関係ない。命があったのも不思議なくらいだ」 
「つまり、俺たちは陛下のお目こぼしで生きてるわけだ。ったくうんざりだ!」

 首都圏にいたら間違いなく密告されるレオの発言だった。

「何も悪いことしてないのに子どもの呼び名まで変えて、こそこそ逃げ回って、まるで犯罪者だ。おやじの過ちって、結局は逃げ回ったことじゃないの? 愛人になったのは過ちじゃないよ」

 ドラもそう思ったことがある。だが逃げるといったん決めたからには逃げぬかなくてはならない。

「お父さん、取材なんか受けずにこの街を出ましょう」

 昨夜、父とはそういう話になっていた。だから自室には必要なものを入れたバッグを用意していた。仕事帰りに銀行に寄って当座必要な現金も引き出している。

「だが、取材が示談の条件なんだ」

 父親にとって取材を受けるのは苦渋の決断だった。もし示談にならず傷害罪で裁判になれば、レオの本名が晒されるだけでなく親の本当の名も公表される。裁判官の心証は最悪だろう。アゴスト少将の一件で首都を追放された皇帝の愛人レオポルドが父親だとわかれば世間は面白おかしく報道するに違いない。それに皇帝の義理の孫の顎を蹴ったのは不敬罪だと検察が主張しかねなかった。裁判は避けねばならなかった。

「俺も逃げない。この街が好きなんだ。だから黙って出て行くなんてやだ。堂々と、整備兵候補生になって出て行きたい」

 レオの気持ちはドラにもわかる。この街は何のこだわりもなく一家四人を受け入れてくれた。愛着はある。だが、人々に父の過去が知れたらどうなることか。

「おやじ、取材受けて本当の名まえも名乗ればいいよ。あの巻き毛野郎に頼んで、濡れ衣も晴らしてもらおう。侯爵夫人は皇帝の娘なんだろ」

 それが出来れば誰も苦労しない。貴族社会の一端を学校という狭い社会で見てしまったドラにはレオの考えはあまりに危険過ぎた。確かに侯爵夫人はそれなりの力を持っているだろう。それこそ、サカリアスがモニカからアルマ達の名を聞いた後、苛めがなくなったように、父の立場を回復させることができるかもしれない。だが、それは虎の威を借る狐である。虎がいなくなったら、狐はどうなるのだろうか。虎よりもさらに強大な存在がいれば、ひとたまりもあるまい。何より、父はもう皇帝の愛人でもなんでもないただの小さなカフェテリアの主人でしかない。皇帝にとっては吹けば飛ぶような存在なのだ。狐ほどの価値もないかもしれない。何より、皇帝の新しい愛人の噂はこんな辺境の星であっても次々に伝わってくる。

「レオ、貴族の社会はそんな簡単なものじゃないのよ。皇帝陛下には新しいお相手もおいでのはず。その方がお父さんにいい感情を持つはずないでしょう」
「焼きもちか。つまんねえの」
「感情が人を動かすことは、よくある」

 父はそう言うと寂しげに笑った。

「たぶん、私は皇配殿下に嫌われたのだろう」

 それはドラも初めて聞く話だった。

「皇配殿下って」

 その時、ドアをノックする音がした。

「ホルヘさん、ビクトル・パルマです」
「巻き毛野郎だ」

 ドラは立ち上がってドアに向かおうとする弟を制した。

「私が出る」

 父がいち早くドアへ近づいた。

「申し訳ございませんが、今日は閉店しております」

 細目にドアを開けて言った言葉をビクトルは笑い飛ばした。

「ハハハ、ウソばっかり」

 開いたドアの隙間から人々の笑い声が聞こえた。
 父親はドアを大きく開けた。表通りに目を向けると店から明かりが漏れていた。得意客の声もする。
 ドラの耳にもいつもの賑わいが聞こえた。ヒメネス夫人が閉店のカードを外に掲げていたはずなのに。



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