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第一章 星の離宮 

08 幸せの逃げ足は速い 中

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 テニスコートは屋内にあり、冷房が効いていた。ラケットもウェアも用意されていた。
 アマンダは使用人の少女ベリンダと組んで、侯爵夫人の相手をした。
 よくあることなので驚かないでくださいとベリンダは言った。

「いくわよ!」
 
 ベリンダが夫人のサーブを受けた。夫人の打ち返した球をアマンダは追いかけ打ち返した。夫人のラケットは球に追いつかず、ボールはコート内に落ちた。

「あなた、子どものくせに強いのね。よっしゃ、本気でいくぞ!」

 侯爵夫人とは思えないような言葉遣いだった。
 えげつないくらい夫人は強い球を打った。アマンダもベリンダも必死で球を追った。
 当然のように夫人が勝った。三人とも肩で息をしていた。

「いっつも大人げないの。でも本気で相手をしてもらうと御機嫌になられるの」

 更衣室でベリンダは教えてくれた。
 シャワーを浴びた後着替えようとすると着てきたドレスはなかった。代わりに別のドレスが一式用意されていた。
 ベリンダは着替えを手伝いながら、遠慮はいらないと言った。



 少し早い昼食は北の宮殿内のサンルームで出された。
 侯爵夫人はテニスで空腹だろうからとたくさんの料理を用意していた。野菜たっぷりのガスパチョ、トルティージャ、パエリア、エビとイワシの揚げ物……。
 夫人と二人では食べきれないと思っていると、亜麻色の巻き毛の少年がやって来た。アマンダより少し年上に見えた。少年はアマンダの向かい側に座った。

「ビクトル。亡くなった侯爵の姉の孫よ」

 アマンダは夫人にしたように挨拶した。ビクトルもごきげんようと返した。だが、その後はほとんど口をきかなかった。
 ビクトルのおかげで大皿の料理はあっという間になくなった。食べ終わると少年は失礼とサンルームを出て行った。
 アマンダは自分が何か粗相をしたのでビクトルが不機嫌だったのではないかと不安になった。
 侯爵夫人はそんなアマンダの気持ちに気付いたのか、笑って言った。

「男の子って、可愛くないのよね。近頃は挨拶と返事しかしない。それも、ああとかうんとか。反抗期なのかしら」

 どうやらいつもビクトルはこんな感じらしい。
 休む間もなく、夫人は宮殿の見学に行きましょうと言った。アマンダは夫人の後を追いかけた。



 北の宮殿から車で5分の場所にある正殿は皇帝の住まいであり、政庁だった。住まいには入れなかったが、政庁は見学できた。侯爵夫人が根回ししていたおかげで、アマンダは役人から説明を聞きながら厚生省や宮内省等を見学できた。役人は自分の子どもほどのアマンダの質問に丁寧に答えてくれた。
 
「内務省はこちらにはないのですか」
「内務省はたくさんの仕事をするので、宮殿の外に別に大きな建物があります。軍務省や農政省も外です」
「あちらは警察と書いてありますが、巡査さんがおいでなのですか」

 アマンダは奥に続く廊下にある表示に気付いたので尋ねた。町の交番の巡査は親切で、子ども達の登下校を見守っていたので親しみがあった。
 が、役人は知っていた。政庁の警察の仕事は交番の巡査のそれとはまったく違う。公安警察である。帝國の存続を脅かす者を探索し、場合によっては取調に拷問を用いる。そんな話を子どもにするわけにはいかなかった。

「巡査はいません。悪い人の中でもとりわけ悪い人を取り締まるところなので、私達も入れないのですよ」
「とりわけ悪い人……」

 アマンダには想像がつかなかった。泥棒や人さらいよりも悪い人のことらしいが、一体どんな悪事をするのだろうか。
 アビガイルはアマンダの関心を他に向けようと思った。女の子に犯罪の話などふさわしくない。
 ちょうど秘書課の若い課員が30センチほどの高さの書類箱を抱えて脇を通った。

「アマンダ、御覧なさい。あの書類箱を持っている人はどこに行くと思う?」
「郵便局ですか」
「皇帝陛下のところよ。皇帝陛下はあの箱の中の書類を御覧になってサインをなさるの。あの箱が省庁から一日にいくつも陛下の部屋に届くの」
「皇帝陛下はたくさんの省庁の仕事を把握してらっしゃるのですね」
「はい。陛下は臣民のすべてを御存知なのです」

 説明役の役人は実際は無理だと思っているが、子どもには単純な説明がよいと考えて言った。 
 
「陛下のお仕事は大変なのですね。お休みはきちんと取れていらっしゃるのでしょうか」

 役人に代わって侯爵夫人が言った。

「大丈夫よ。あなたのお父様がちゃんと陛下の御心を癒してらっしゃるから。お父様は大事なお仕事をされている」

 役人は初めて子どもが只者ではないことに気付いた。
 政庁棟を出る時に役人の上司は言った。

「侯爵夫人もお人が悪い。どうして教えてくださらなかったのですか」 
「言ったら、皆仕事どころじゃないでしょ。普通に仕事をしているところを見てもらいたかったの。今日は本当にありがとう」

 アマンダは美しい庭園に気を取られて大人の話は聞いていなかった。
 星の離宮は季節の草花を中心に庭が作られていたが、宮殿は木々が多かった。木々の濃い緑は疲れた目を癒すためであった。様々な高さの樹木が左右対称に整然と並べられた庭園はアマンダにとって興味深かった。
 北の宮殿に戻るとサンルームにアイスクリームが用意されていた。好きなアイスクリームを選んで用意されたトッピングを載せると見たこともないアイスクリームになった。
 アマンダはバニラとチョコレートを選び、その上にウエハースと砕いたアーモンド、それにチョコレートソースをかけた。
 そこへビクトルも現れ、バニラアイスをガラスの器一杯に入れ、上にチョコレートソースを大量に載せ、さっさと食べて出て行った。

「いつもこうだわ。男の子って、まったく……」

 抹茶のアイスを口にしながら侯爵夫人は嘆いた。
 アマンダは弟のウンベルトもビクトルのようになるのかと心配になった。ただでさえ、言葉の発達が遅いと言われているのに、挨拶と返事だけなんて。

「姉上、アイスクリームをいただきます」

 背後から大きな声が聞こえてアマンダは振り返った。
 ビクトルが出て行ったドアから現れたのは士官学校の制服のサカリアスだった。

「あら、早かったのね、実習もう終了? まさか、戦艦で喧嘩でもしたんじゃないでしょうね」

 侯爵夫人は弟を微笑んで迎えた。アマンダは慌てて立ち上がった。

「お邪魔しております。殿下にはご健勝の由、まことに恐悦至極に存じます」

 サカリアスはまさかここでアマンダに会うとは思わず、言葉が出てこなかった。

「ここでは格式張ったことは抜きよ。サカリアス、アイス全部食べてもいいわよ。残すと勿体ないから」
「ではいただきます」

 サカリアスは自分で器にチョコレートアイスを山のように盛り、アーモンドスライスとチョコチップ、チョコレートソースをかけ、一口食べた。

「うまい」

 そう言うと、後は物凄い勢いでアイスクリームが口の中に運ばれていった。
 アマンダが食べ終わったのを見計らい、侯爵夫人は言った。

「少しお部屋で休んでらっしゃい。疲れたでしょ」

 アマンダにとっては願ったりかなったりだった。朝からテニスや政庁見学で慌ただしくて自分に与えられた客室も見ていなかった。

「では、お言葉に甘えて失礼いたします」

 アマンダは丁寧に礼をしてサンルームの外で待つベリンダについていった。
 その姿が遠ざかると、アビガイルは弟に尋ねた。

「何かあったの? 一週間早く実習が終わるなんて」
「正確には8日と21時間15分です。突然、練習艦がワープを開始して月基地に帰投、実習生は実習を終了しておのおのの在籍校に帰れと艦長から命じられました」
「理由は? まさか事故があったとか」
「わかりません。事故は起きていないはずです。学校に戻ったら全員そろっていました。他の学校の生徒にも事故はなかったようです」
「陸海空宇宙、すべて実習終了って、何があったのかしら」
「それで宮殿に来たのです。正殿に行く前にまず姉上に訊けばわかるかと。でも、姉上も御存知ないようだ」
「いつものことだわ。母上が結婚する時だって、私達何も知らなかったんだもの。アウグスト伯父さん達のことだって、未だに教えてくれないし。まあ、大体の想像はつくけれど。だけど、実習終了っておかしいわね」

 そう言ってアビガイルは溶けたアイスの最後の一滴を口にした。

「とりあえず母上に御挨拶はしますが、どうせ何も仰せにはならないでしょう」
「そうね。学校には帰るの?」
「寮の食堂が休みなのでこっちに泊まるつもりだったのですが、来客がいるようだから遠慮します」
「あら、遠慮はいらないわ。女の子一人の食事なんてたかが知れてるし。ビクトルの尻を叩いてやって。あの子休みだからってゲームばかりやってる」
「ビクトルは部屋ですか」
「ええ」
「それじゃ宮殿から戻ったら鍛えてやるか」

 空になった器を置いてサカリアスは立ち上がった。



 夢のような部屋だった。アマンダが通されたのは二間続きの客室で、手前の居間も奥の寝室も星の離宮の自室より広かった。寝室のベッドは子供用らしく小さかった。居間の壁紙は小さな花の柄だった。子どもの背丈に合わせたのか、家具は皆小ぶりだった。星の離宮は部屋は狭いのに家具はどれも大きく、アマンダはいつも威圧されていた。けれど、ここは違った。呼吸がなんとなく楽なのだ。
 居間のテーブルの上には果物の乗った大皿が置かれていた。

「どれをお召しになりますか。飲み物もございます」

 アイスクリームで少し身体が冷えたので、熱い紅茶を頼んだ。ベリンダは居間の戸棚からカップやお茶の缶を出して紅茶を入れテーブルに運んだ。
 紅茶を飲んで落ち着いてくると、先ほどのサカリアスへの挨拶に御礼を入れなかったことに気付いた。
 恐らくアルマ達のことで応援してくれたはずだから、一言でも言えばよかった。
 まだサンルームにいらっしゃるだろうか、それともどこかに行かれたのだろうか。

「第八皇子殿下はまだおいででしょうか」

 そう言うとベリンダは調べて参りますと言って出て行き、すぐに戻って来た。

「正殿においでとのこと。夕食はこちらでお召しになられます」

 一緒に召し上がるかわからないけれど、ここにおいでなら御礼を言う時間くらいあるかもしれない、アマンダは少し安心した。




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