ふたりの旅路

三矢由巳

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第一章

捌 来訪者

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 いったん決めてしまうと後は流れるようにすべてが祝言に向けて進んでいった。
 志緒はあれこれ考える間もなく、その流れに乗らざるを得なくなった。
 それは源治郎も同様だった。
 馬廻組頭から城の重役に山中源治郎を駒井甚太夫の養子とする許しを頂きたいとの書状が提出されると翌日には許しが出た。驚くような速さだったのは、奥の中臈美園が仕える亀の方様の口添えがあったからだった。
 村田重兵衛は娘の仕業であろうと察していた。
 駒井甚兵衛もまた、村田家に宿下がりした美園のことを遠藤弥兵衛から聞いていたので、村田家との縁は大事にせねばと再認識した。
 駒井家と養子縁組した源治郎は源之輔と名乗ることになった。江戸勤番から戻って以降は無役だったが、馬廻組の見習いとして出仕することも決まった。
 駒井源之輔と村田家の三女志緒との縁組の届け出も何事もなく承認された。
 早速駒井家から村田家に結納の使者が遣わされた。
 こうして志緒が駒井源之輔と祝言を挙げることは決定した。
 領内には数年前に贅沢を戒める御触れが出ていたので、一年前花嫁衣裳として用意していた白無垢を着ることに志緒は決めた。縁起が悪いという声もあったが、村田家の経済的な事情で新調できなかったのである。
 蔵にしまい込んでいた嫁入り道具も同様であった。その中には幸之助が死んだ後で出来上がったものもあった。注文を取り消そうにもすでに作成に取り掛かっていて間に合わなかったのである。
 駒井夫妻は媒酌人の遠藤弥兵衛からそれを聞き、構わないと言った。志緒の嫁入りは駒井家から望んでのことだから、嫁入り道具や白無垢で村田家に負担をかけたくないという理由だった。
 一見、何の問題もなさそうな縁組だった。だが、祝言を前に駒井家と村田家を当惑させる出来事が起きた。





 それは八月一日の八朔はっさくから数日後のこと。
 殿様は先祖代々将軍家に仕える家柄だったので、国でも八朔は盛大に祝われた。白い帷子かたびらかみしも姿の家臣たちが一斉に登城する姿は圧巻だった。
 源之輔も養父駒井甚太夫とともに出仕した。馬廻組の名の通り甚太夫は乗馬、見習いの源之輔は徒歩かちであった。
 志緒はきんとともに城へ続く通りで馬廻組の登城を見た。源之輔は相変わらず細かったが頬のあたりが以前より少しふっくらとして見えた。駒井家で大事にされているのだと思うと、なぜだか嬉しくなった。
 駒井家からの申し出による縁談だったのに不思議だった。源之輔に好意を持っていたわけではないのに。ただ人柄の良い人だと思っていたのに。
 それなのに、源之輔の頬が少しふっくらしているだけで嬉しく感じるなんて、志緒には自分の気持ちがよくわからなかった。だが不安ではなかった。他人のことを自分のことのように喜べるというのは悪いこととは思えない。
 そんなことがあった日の数日後に、それは起きた。
 父も義兄も仕事で朝から不在である。
 母津根は実家の兄嫁に持病の癪が出たので、その見舞いと手伝いに朝から出かけていた。
 姉佐登は新之助を連れて誠之助の実家に遊びに行っていた。誠之助の兄のところには十四歳の男子が一人いるがこの頃は仲間と過ごすことが多くなり、物足りない兄嫁は甥の新之助を連れて遊びに来るように佐登に伝え、佐登はたびたび誠之助の実家に顔を出していた。今回は志緒の祝言の祝いの品の打ち合わせも兼ねていた。
 そういうわけで家には志緒ときんしかいなかった。
 志緒は午前中は家の掃除をし昼食を終えた後は裏の畑の草取りをするつもりでいた。午前中は予定通りにいった。昼食は朝の残りの飯と汁と漬物を食べ、いざ畑へと台所の戸を開けた時だった。きんが走って来た。ひどく慌てていた。

「大変です。お客様です」

 来客の予定はない。大変ですと言うからには、普通の客ではないようだった。

「どなたがみえたの」
「山中の奥様です」

 山中と聞いてすぐにはわからなかった。が、次のきんの言葉で思い出した。

「いつぞやのまくわ瓜の御礼にと」

 思い出した。山中は源之輔の実家である。祝言が決まった後、母から源之輔の出生のことを詳しく聞かされていた。実母は宿屋の飯盛り女だというので継母から冷遇されていたこと、まくわ瓜も果たして口に入ったかどうかわからぬこと等、思い出すのも腹の立つ話ばかりだった。誰が実母であってもいったん子として育てることになったのなら、他の子と分け隔てなく育てるのが当然ではないかと志緒は思う。
 しかも駒井家への持参金を値切ったらしい。山中家の家禄が駒井家より少ないことを勘案して持参金は相場より二割少なくと媒酌人の遠藤も交えて協議していたのに、直前になってさらに減らしたいと言ってきたという。さすがに駒井家の津奈は具体的な金額は津根に話さなかったそうだが。
 源之輔を駒井家に養子に出した山中家が今更まくわ瓜の御礼というのはおかしいと志緒は思った。何か山中家側に事情があるのではないか。
 志緒はきんに座敷に上げるように命じた。一応は源之輔の母なのだ。源之輔を冷遇したからといって家の中にいれないわけにはいかなかった。
 たすきを外しながら、志緒は気持ちの高ぶりを覚えた。源之輔の継母に対する怒りである。だが、ここは冷静に相手をしなければならない。
 母ならこういう時どうするか。
 明鏡止水。不意に浮かんだ。わだかまりなく澄み切った心。それで相対すれば相手の真意を悟り対処できるのではないか。
 座敷に行くと、丸顔の女が座っていた。

「お初にお目にかかります。山中源治郎、いえ源之輔の母の杉と申します。御相談したいことがありましてまかりこしました」

 平身低頭する女の頭を志緒は見つめた。髷の髪が少ないのかかもじを付けているようだった。

「こちらこそ初めまして。村田重兵衛の三女志緒と申します。本日は母と姉が外出しておりますので代わりにお話を伺います」

 志緒は上座に座った。 
 杉は顔を上げた。正面から見ると丸顔で目鼻の場所と形は源之輔には似ていなかった。  
 
「志緒さんということは源之輔と縁組する……」
「はい」
「ああ、よかった。こんなに可愛らしい方が源之輔と夫婦になるなんて」

 お世辞だと志緒は思う。可愛らしいなんて二十の年増に言う言葉ではない。一体何を考えているのか。

「おそれいります。ところで、今日はどんな御用でしょうか」

 杉は上目遣いに志緒を見た。

「縁組おめでとうございます。当家で育った源之輔が駒井様の養子になり、こんな可愛らしい方と祝言を挙げるなんて、なんと幸運なことか」
「運ではありません。源之輔さまは、江戸勤番を真面目に勤め上げ、北辰一刀流の初目録を授けられるほど修行するような方だからです」
「真面目しか取り柄のない子ですから。子といえばうちには娘もいるのですけれどね。十四になるのですが、親の目から見てもそれはそれは気の利く娘で。城の奥勤めをと思っております。それで、中臈の美園様に御口添えしていただければと」

 そう言って杉は風呂敷包を差し出した。

「菓子でございます。皆様で」

 志緒はまずいと思った。これは受け取れない。勘定方の父は常に菓子折りを他人から受け取ってはならないと言っていた。しかも姉に奥勤めを口添えとは。姉が迷惑するばかりである。

「申し訳ありませんが、当家では菓子の類を受け取ってはならぬことになっております。それに美園様から奥は人が足りていると伺っております。何をいただいても奥勤めの口添えはできません」

 志緒は拒絶した。口で言わねばわからない人間はどこにでもいるのだ。
 
「でも、美園様はこの家の出。あなた様が一言御口添えしてくだされば一人くらいは」
 
 言ってもわからないらしい。

「どうしてもと言うなら、姉に直接どうぞ。私どもでは無理です」
「奥の美園様にお目通りを願いましたが、御多忙を理由に断られたのです。美園様とせっかく御縁ができたから御挨拶をと思って参ったというのに。だからこちらに参ったのです。どうかよしなに」

 志緒は眩暈がしそうだった。姉に直接娘の奥勤めを依頼しようとしたとは、あまりに図々しい話だった。
 奥勤めは退職者が出た時に補充している。以前は奥勤めの者の伝手で入った者が大勢いたが、昨今の家中の財政の事情により奥も人を簡単に雇えなくなっていたのである。そういう事情だから、姉は杉を門前払いしたのだろう。

「申し訳ありませんが、できかねます。同じことを父や母におっしゃっても私と同じ答えだと思いますので、菓子を持ってお引き取りください」

 杉はそれでもあきらめなかった。娘だから粘ればなんとかなると思っているらしい。

「あんまりです。娘の願いをかなえるために歌舞音曲を習わせてきたのです。御師匠さん達からも褒められております。どうか、娘の願いを叶えてくださいませ」

 実の娘に歌舞音曲を習わせる一方で継子の源之輔を冷遇してきたことを思うと、志緒もさすがに平静ではいられなくなりそうだった。明鏡止水と心で唱えた。

「娘御の願いを叶えるのは親ではなく娘御自身のはず。口添えを求めてまいないを親が送っても娘御のためにはなりません。かえって娘御に恥をかかせることになります。お引き取りください」

 杉の顔色に赤みが差してきた。恐らく杉は怒りを覚えているのだろう。城まで行って美園に相手にされず、村田家に来てみれば末娘の志緒に拒まれた。今日一日と菓子を無駄にした悔しさを必死で抑えているのだろう。
 杉は唇を震わせながら呻くように志緒に恨みをぶつけた。

「何のために飯盛り女の産んだ子に持参金を持たせて養子にしたのか……少しくらい甘い汁を吸わせてもらったっていいじゃないか」





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