愛を食べる

三矢由巳

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08 炒り豆の話

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 八月は何かと戦争関係の話がテレビ等で放映される。過去を忘れてはならないということなのだろう。
 そこで、今回は戦争の話をしたい。


   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 昭和二十年、九州の地方都市に、タカシ君(仮名)という五歳の少年がお母さんと弟と一緒に暮らしていました。
 職人の親方をしていたお父さんは軍属として、中国に赴任していました。タカシ君は幼いながらもお母さんの手伝いをして毎日過ごしていました。
 勿論、子どもですから近所の子どもたちとも遊んでいました。
 でも、この頃はB29という飛行機があちこちに飛んで爆弾を落とすと聞いていたので、空襲警報が鳴ればすぐに家に帰り、防空壕に弟を連れてお母さんと逃げました。
 幸い、まだタカシ君の町には爆弾は落とされていませんでした。
 けれど、それも時間の問題でした。タカシ君の家からさほど遠くないところに、軍隊の施設があったのです。
 その日は思いもかけず早くやってきました。
 アメリカのB29がたくさん飛んできて、軍隊の施設や周りの町に爆弾を落としたのです。
 タカシ君と弟を抱いたお母さんは防空壕に逃げました。
 やがて爆撃は終わり、一緒に避難した人たちと外に出ると、まわりにあった建物が焼けていました。家に戻りたくても、その方向は火が燃えていてとても近づけません。
 タカシ君一家はその夜は防空壕で夜を明かしました。
 翌日火は消えていました。家は焼けて焦げた柱が残っているばかりでした。
 一緒に遊んでいた友達の家も焼けていました。友達やその家族はどこへ行ってしまったのかわかりませんでした。
 お母さんは言いました。

「これからお父さんの実家に行くよ」

 タカシ君は一度もお父さんの実家に行ったことはありません。お父さんの親の話もほとんど聞いたことがありません。でも、住む家がなくなってしまったのですから、仕方ありません。
 どこにあるのかお母さんにききました。
 お母さんは町の南にある聞いたこともない村の名まえを答えました。
 避難する時持っていた水筒と、お母さんがどこから手に入れたのか、炒った大豆の入った袋だけを持ってタカシ君はお母さんと弟と南に向かって歩きだしました。
 線路伝いに三人は南を目指しました。
 本当なら汽車に二時間も乗れば着く村なのですが、戦争中で汽車はいつ出るかわかりません。それに汽車は目立つのでB29に狙われるかもしれません。
 自動車もその頃はほとんど走っていません。
 お母さんは無事に村に着くようにと子どもを連れて歩いたのです。  
 でも弟はしばらくすると足が痛いと言いました。お母さんはおぶって歩きました。
 タカシ君の足も痛くなってきました。でも、弟のようにおぶってもらうわけにはいきません。自分はお兄ちゃんだ、お父さんの代わりにお母さんを守らなくてはいけないのだ、そう思ったら、足が痛いとは言えません。
 そのうちおなかがすいてきました。
 袋の中の大豆を一つ口に入れました。炒ってありますが、硬い大豆でした。それを噛みしめながら、歩きます。
 弟がそれを見て欲しそうな顔をしていました。タカシ君は弟に一粒渡しました。弟も口に入れ、噛んでいました。
 一体何時間歩いたのか、お日様が真上近くになりました。
 三人は海岸近くの松の木陰に入って休みました。
 お母さんは子どもたちに大豆を食わせ、水を飲ませました。
 松の木の上の空は青く白い雲が浮いていました。あの雲が白いご飯ならとタカシ君は思いました。町にいた時は白いご飯が食べられたです。でも、ないものは仕方ありません。
 少しだけ休んでまた南へ向かいました。
 お母さんも足が痛いようでしたが、黙って歩いていました。おぶわれていた弟も歩きました。タカシ君はもう少しだからと弟に言いながら足を動かしました。もう足が棒のようです。手を振って歩いたせいか、手もなんだかパンパンになってきました。それでも歩き続けました。おなかはぺこぺこですが、もう大豆はありません。
 やがてお日様が西に傾く頃、お母さんが言いました。

「もうすぐだから」

 海岸沿いの道から山の方向へ向かう道に入りました。だらだらと続く坂を上り、やがて小さい道に入ると、小さな家がありました。
 お母さんはその玄関に立ちました。
 タカシ君はやっと着いたとほっとしました。弟も嬉しそうです。
 その家にはおばあさんが一人で住んでいました。お父さんのお母さんだとお母さんが教えてくれました。
 おばあさんは、芋の混じったご飯を食べさせてくれました。やっとご飯が食べられたとタカシ君は涙が出そうでした。お代わりをしようと空のご飯茶碗を出そうとすると、おばあさんはないよと言いました。
 おばあさんも決して楽な生活をしていなかったのです。それに、お父さんとお母さんの結婚におばあさんは反対していました。お母さんとあまり仲がよくなかったと知ったのはずいぶん後になってからです。



 翌朝、タカシ君はお母さんと弟とおばあさんの家を出ました。
 今度は山を越えてお母さんの実家に行くことになりました。また歩くのかと思うとタカシ君は泣きたくなりました。弟は歩きたくないと言いました。でも、仕方ありません。この家のおばあさんに自分達は嫌われているのだと子どもながらにタカシ君にもわかりましたから。
 グズグズする弟をおぶったお母さんとタカシ君は峠を越えてお母さんの実家へと歩きました。
 その夜、疲れ切った三人をお母さんの家の人達は優しく迎えてくれました。タカシ君はきつかったけど歩いてよかったと思いました。あのお父さんの家のおばあさんと一緒にいるより、お母さんの顔も優しく見えました。
 やがて戦争が終わりました。
 次の年になって、お父さんが帰ってきました。



 大きくなったタカシ君は結婚し、子どもが生まれお父さんになりました。
 子どもがいるので、誕生日や節句を祝うようになりました。節分の豆まきもやるようになりました。
 節分の晩、奥さんが炒った大豆を年の数だけ子どもたちが口にします。
 タカシ君は毎年、その大豆を食べながら子どもたちに語りました。

「空襲で家が焼けて、じいちゃんの実家にばあちゃんや弟と歩いて行った時、こんなふうに炒った大豆を……」


   ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 少々脚色しているが、これは父の体験である。
 私たちきょうだいは節分になると、炒った大豆の話を聞かされたものである。
 我が家では炒った大豆すなわち、父の戦争体験なのだ。
 歩いた距離は一日目は恐らく三十キロ足らず、二日目は四十キロ以上と推定される。二日目のほうが高低差があり苦しかったはずなのに、父が話すのは一日目のことだけである。よほど一日目のことが強く印象に残っているのだろう。
 節分は今は落花生を使うことも多いけれど、私が子どもの頃は大豆の炒ったので、年齢の数だけ食べたものだった。早く大人になってたくさん食べたいと思っていた。
 だが、父にとっては大豆は戦争の苦しさや人間関係のむずかしさなどを思い知らされた体験と結びつくものだったのだろう。
 戦争中だけでなく戦後も食糧難でずいぶんと苦労したようである。
 だが、一つ不思議なのは、苦労したはずなのに、食べ物の好き嫌いが多いことである。人参や青い野菜が嫌いなのだ。普通苦労したら好き嫌いなくなんでも食べるはずなのだが……。
 嫌いなのに食べなければ生きていけなかった時代を思えば、好き嫌いが言えるだけ幸せなことかもしれない。



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