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第一章 ハロウィン禁止命令‐偏狭な辺境伯は仮装を許さない‐
12 新たなお触れ
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その夜、騎士団長はアデルや他の侍女、それにグレイスの話を元にサリーのグレイス襲撃のあらましをロバートに伝えた。
「殿様が部屋を出た後、大奥様はサリーにアデルが間諜であるはずがない、間諜はあなたのように普通で目立たない人だと話しました。その時、大奥様はサリーが少しうろたえたように見えて、おかしいと思ったそうです。それで、殿様を狙撃したのはあなたではないかと冗談のように言ったそうです」
「何と危ういことを」
冗談だったとしても、もう少し言いようがあるのではないか、ロバートは母の口の軽さに呆れた。
「ちょうど、殿様が狙撃された時、銃声の音が三階にも聞こえたそうですが、サリーはいなかったのです。ですが、すぐにサリーは部屋に戻って来ましたので、たまたまだろうと思っていたそうです。衛兵にも怪しい者は来ていないと答えさせています」
「それでサリーは気付かれたと思って、母上を殺そうとしたのか」
「はい。サリーは大奥様の話を受け流しながら、隙を見て背後に立ち、持っていた紐で首を絞めようとしたのです。恐らく、その後、隣の厨房にいる侍女たちとアデルを殺し、アデルに罪をかぶせようと考えていたと思われます。殿様が大奥様にアデルは間諜ではないかとおっしゃったのを控えていたサリーは聞いていたはずです」
「つまり、隣国の間諜だったサリーは余を殺害しようとして失敗、自分が間諜であると母上に見抜かれたと思って殺そうとしたということか」
団長はそれに異議を唱えた。
「いえ、隣国とは限らないかと。持っていた拳銃は隣国の陸軍で使用されている物と同じですが、隣国は我が国との関係を今この時期に悪化させたいとは思っていないはずです」
「姫と第三王子の結婚か。あんなものが信じられるか」
ロバートは隣国は永遠の敵だと思っている。
「本日午後届いた国境警備部隊の報告では、隣国では姫の嫁入りのためと思われる国境へ向かう道路の整備が進んでいるとのことです。遠からず、当家にも隣国との国境に通ずる道路の整備の命令が国王陛下から下るかと」
「なんと道路整備までしているのか」
「隣国は本気で我が国との和平を考えているやもしれません。となると、それを阻みたいと思う国があってもおかしくありません。隣国は大きな炭鉱をいくつか持っています。我が国にはランバートの鉄鉱石があります。石炭と鉄鉱石があれば、工業化は大きく進展します。二つの国が同盟を結ぶことに脅威を感じる国が、結婚を阻止するために、辺境伯を隣国の者が暗殺したという事件をでっち上げるくらいのことをしても不思議ではないかと。我が国と隣国が戦争状態となれば、彼奴らの思うつぼです」
他国のことを考えたことがないわけではない。だが、国境警備のことを考えなければならなかったロバートにとって隣国以外の脅威は差し迫った問題ではなかった。
今、騎士団長からサリーが他国からの暗殺者である可能性を知らされ、ロバートは動揺していた。
「恐らく、殿様を狙撃したのは、姫と第三王子殿下の結婚がいよいよ現実のものとなるという情報が入ってきたからかと思われます」
騎士団長の報告の後、ロバートは食堂に行き夕餉をとることにした。
母は体調を考慮し、自室で軽いものを食べたということだった。
ふと、アデルのことを思い出した。
家宰のクレイに尋ねると、騎士団長の取り調べが終わった後、料理長手製の仔牛のシチューとミートパイを土産に仮装したベイカー達と店に戻ったということだった。
「そうか」
今頃、アデルは仲間達と夕食を食べていることだろう。それでいいのだと思う。
そんなことよりも、ロバートには考えるべき課題がたくさんあった。
その数時間前に、アデルは騎士団長に事情を話した後、城門を出ることを許された。袖に穴の開いた服は証拠物件ということで返してもらえなかったので、結局グレイスが用意してくれたドレスを着たまま戻ることになった。御礼を大奥様に言いたかったが、寝室でお休みになっていて面会はできないということだったので、よろしくお伝えくださいと騎士団長に頼んだ。
別れ際に料理長が仔牛のシチューとミートパイを持たせてくれた。
門を出ると、商店街の人々、店の職人たち皆がよく無事でと迎えてくれた。皆、仮装のままである。アデルはいいのかと心配になったが、今日は31日じゃないと皆笑っていた。
ベイカーは着けていた南瓜の仮面を取った。
「配達から戻って来ないと思ってたら、鉱山の若い衆がお城のほうに行くのを見たっていうもんだから驚いたよ」
「あのお触れだけでも大騒ぎだったのに、アデルがお城に行っちまうなんて」
「殿様に直訴なんて、おまえがやりそうなことだな。けど、無理はいけねえ」
「まったくだ。無礼者だと斬り殺されたらどうするんだい」
職人衆はアデルの無謀ぶりに呆れていた。
「申し訳ありません。でも、あのお触れが許せなかったので」
「まあ、アデルが無事に戻って来れたんだ。それでよしとしなきゃな」
「それにしても、どうしてすぐ、アデルを出してくれなかったんだろうね」
おかみさんは怒っていた。
アデルは騎士団長から城であった狙撃事件とサリーの件はまだ秘密にしてくれと言われたので黙っていた。いずれ事件の全貌がわかったら領民に知らせると言われていた。
「大奥様にお菓子を作るよう頼まれましたので」
「ああ、やっぱりな。あの菓子の匂いでわかった。アデルがいるって」
ベイカーはうなずいた。猫の面と尻尾を着けた雑貨屋の主が言った。
「あれいい匂いだったな。店で出さないのか」
「材料が普通は手に入らないものなので」
「そうか。残念だな」
ベイカーはアデルに店に戻って夕食を食べろと言った。お触れの件で殿様に訴えたいことがあるから皆まだここに残るということだった。
「師匠、お触れのことですけど、殿様の話も聞いてきました。だから、殿様の話も参考にして、対策を立てたほうがいいかと」
アデルの話に皆、色めきたった。殿様の考えがわかれば、策も立てやすい。
ベイカーを始めとする商店街の店主たちは商店街の食堂に集まり、アデルの話を聞くことにした。その道すがら、彼らの仮装を見た人々は目を見張った。
食堂でアデルは殿様が隣国の侵略を恐れて仮装を禁じたことを話した。
「そういうことだったのか」
「まあ、確かに隣の国とは昔っからいざこざがあったしなあ」
「だったら、一言、言ってくれればいいのによ。水くさいなあ」
「まあ、若いから、そこまで気がまわらねえんだろ」
「そのために、クレイさんみたいな昔からの家来衆がいるんだがなあ」
「大奥様もお触れをよろしく思っていないようです」
「そりゃそうだ。グレイス様は昔から町のことを気遣ってくれたもんな」
「それで考えたのですけれど」
アデルはある考えを口にした。
「なるほど、それなら、殿様の面子も立つな」
ベイカーはうなずいた。
「アデル、今日はありがとうよ。後はわしらで考えるから、おまえは店帰って休みな」
「それじゃお言葉に甘えて」
アデルは職人たちとともに店に戻った。土産のシチューとミートパイは皆で分けて食べた。
屋根裏の自室に戻ったのはいつもと同じ時間だった。
長い一日だった。ベッドに横になろうとして、机の上の郵便物に気付いた。故郷の母からの封筒だった。封を切ると、甘い香辛料の香りがした。母は昔から折々にいろいろな香辛料を手紙に入れる人だった。
『……というわけで、そろそろこちらに戻ってきた方がよいと思います。婚約内定を解消された件を知る人はさほど多くありませんから、あなたが出席しても表立ってどうこう言う人もいないでしょう。大体、あの件はすべてあちらの都合なのですから。あなたには一つの落ち度もないでのです。堂々と胸を張っていればいいのです。ここ数日、寒くなってきたせいか、おばあさまは元気があまりありません。あなたの作ったケーキが食べたいとしきりに言います』
母の言う通り、そろそろ戻ったほうがいいかもしれない。いつまでもここにいられないとアデルにもわかっていた。今の生活は毎日が緊張の連続で楽しくもあり、また苦しくもあった。家族といる頃には感じたことのない寂しさも感じる。ことに今日のような異常な事態に巻き込まれると、家族のいる生活が懐かしく思われた。
だが、故郷は遠い。それにまだアデルにはしなければならないことがある。
万聖節でベイカー夫妻に少しでも恩を返したかった。
もう少しだけ待ってもらおう。せめて十月いっぱい。アデルは母への返事を書く事にした。
翌朝もお触れは変わらなかった。
商店街の代表と大司教の代理の司教が城を訪ねたと夕刻になって聞いた。
アデルは黙々と菓子を作り、焼いた。この先自分にできることは菓子を作るだけである。ベイカー達商店主の交渉に任せるしかない。
翌日もお触れは変わらなかった。無理かもしれないと思ったが、ベイカーは自信ありげだった。
翌日、城の前に新たなお触れが出た。
『道路の整備工事を行うにつき、各町内から18歳から50歳までの男性を働き手として10名ずつ出すように命ずる。交通費及び食事はすべて辺境伯が負担する。働き手を出した世帯は税を減ずる。期日は11月1日から12月20日まで。10月25日までに各町の代表は名簿を提出すること』
どこの工事かわからなかったが、事情通はどこにでもいるもので、これは国境までの道路整備だと語ってた。いよいよ隣国の姫がお輿入れするということで馬車の通行に支障のないようにするという話であった。すでに、工事会社の技術者が城に招かれているとも聞いた。
最初にお触れが出てから一週間後の朝、広場で角笛が鳴らされた。角笛の鳴らされる時は、城下の各家から必ず一人広場に来てお触れを聞かねばならないという決まりがあった。鉱山の労働者は一人者が多いので、そちらは鉱山を通じてお触れが知らされることになっている。
角笛が鳴らされて一時間もすると、広場に数百人が集まった。その中にはベイカーもいた。ざわつく広場の中央に役人が立った。
「これよりお触れを読み上げる。畏れ多くも国王陛下よりのお触れである」
ものものしいお触れに皆静まった。国王陛下の御触れは数年に一度のことだった。
「来年の佳き月佳き日に、我が国の第三王子殿下と隣国の第一王女殿下が婚姻することとなった。全国民が王女殿下を我が国民として喜んで迎えることを望む」
その後、一息ついた役人は別のお触れを読み上げた。
「ランバート辺境伯ロバート・アルバート・マカダムは第三王子殿下の御成婚を祝し、以下の触れを出す。10月31日仮装をして領内を練り歩いた者を逮捕する。ただし、逮捕するのは以下の者である。衣服を身に付けておらぬもの、下着だけの者、子どもに見せられぬような淫らな姿の者、酔って他人に迷惑をかける者、喧嘩をする者、婦女子もしくは男子に不届きな振舞をする者、その他、風紀を著しく乱す者。この触れは、第三王子殿下の結婚生活が続く限り有効とする」
皆、驚きしばらく広場は静まりかえった。だが、誰かが叫んだ。
「国王陛下、万歳! 殿様、万歳!」
その声に導かれるように、広場の人々は口々に叫んだ。
「国王陛下、万歳! 殿様、万歳!」
その声は商店街にも届いた。店の竈の前にいたアデルの耳にも聞こえた。
職人たちは何があったんだと顔を見合わせた。
しばらくすると、ベイカーが店の中に駆け込んで来た。
「仮装ができるぞ。王子殿下の御成婚を祝ってだ。アデル、おまえのおかげだ」
アデルは第三王子と隣国の王女の結婚によって隣国との関係が改善するかもしれないと商店主たちに話していたので、ベイカーらは領主との交渉の場でそれを持ち出したのである。
その場ではロバートは結論を出さなかった。
数日後、国境へ通ずる道路整備の命令が下った。さらには第三王子の成婚が正式に発表された。
ロバートはクレイらの助言を入れ、お触れに但し書きを加えたのだった。
ベイカーが店に戻ってすぐに、菓子の注文が入った。
「31日に、焼き菓子を100個」
「31日の3時に胡桃のクッキーを150枚」
「31日にキャンディの詰め合わせを100袋」
次々と注文が入った。
他の店でも仮装用の服や小物が売れ出した。酒屋もワインが売れた。肉屋も八百屋も注文が増えた。
すでに店に出していたアデルの作った菓子にも注文が入った。
「31日に南瓜のクッキーを200枚頼む」
八百屋で売れ残った南瓜を安くで仕入れペースト状にしたものを混ぜたクッキーである。炒った南瓜の種を載せて焼くだけの素朴なもので、南瓜の甘味があるので高価な砂糖を多く使わないで済む。
アデルは南瓜のクッキーだけでなく、他の菓子作りにも精を出した。他の職人も大忙しである。店はいつも以上に甘い匂いに包まれた。
31日まで、アデル達は寝る間を惜しんで働いた。だから、城で不心得者が領主を狙撃したこと、不心得者は逮捕され、獄中で死亡したこと等が領民に知らされたことも、客から聞いただけで、それについて互いに語ることもなかった。
「殿様が部屋を出た後、大奥様はサリーにアデルが間諜であるはずがない、間諜はあなたのように普通で目立たない人だと話しました。その時、大奥様はサリーが少しうろたえたように見えて、おかしいと思ったそうです。それで、殿様を狙撃したのはあなたではないかと冗談のように言ったそうです」
「何と危ういことを」
冗談だったとしても、もう少し言いようがあるのではないか、ロバートは母の口の軽さに呆れた。
「ちょうど、殿様が狙撃された時、銃声の音が三階にも聞こえたそうですが、サリーはいなかったのです。ですが、すぐにサリーは部屋に戻って来ましたので、たまたまだろうと思っていたそうです。衛兵にも怪しい者は来ていないと答えさせています」
「それでサリーは気付かれたと思って、母上を殺そうとしたのか」
「はい。サリーは大奥様の話を受け流しながら、隙を見て背後に立ち、持っていた紐で首を絞めようとしたのです。恐らく、その後、隣の厨房にいる侍女たちとアデルを殺し、アデルに罪をかぶせようと考えていたと思われます。殿様が大奥様にアデルは間諜ではないかとおっしゃったのを控えていたサリーは聞いていたはずです」
「つまり、隣国の間諜だったサリーは余を殺害しようとして失敗、自分が間諜であると母上に見抜かれたと思って殺そうとしたということか」
団長はそれに異議を唱えた。
「いえ、隣国とは限らないかと。持っていた拳銃は隣国の陸軍で使用されている物と同じですが、隣国は我が国との関係を今この時期に悪化させたいとは思っていないはずです」
「姫と第三王子の結婚か。あんなものが信じられるか」
ロバートは隣国は永遠の敵だと思っている。
「本日午後届いた国境警備部隊の報告では、隣国では姫の嫁入りのためと思われる国境へ向かう道路の整備が進んでいるとのことです。遠からず、当家にも隣国との国境に通ずる道路の整備の命令が国王陛下から下るかと」
「なんと道路整備までしているのか」
「隣国は本気で我が国との和平を考えているやもしれません。となると、それを阻みたいと思う国があってもおかしくありません。隣国は大きな炭鉱をいくつか持っています。我が国にはランバートの鉄鉱石があります。石炭と鉄鉱石があれば、工業化は大きく進展します。二つの国が同盟を結ぶことに脅威を感じる国が、結婚を阻止するために、辺境伯を隣国の者が暗殺したという事件をでっち上げるくらいのことをしても不思議ではないかと。我が国と隣国が戦争状態となれば、彼奴らの思うつぼです」
他国のことを考えたことがないわけではない。だが、国境警備のことを考えなければならなかったロバートにとって隣国以外の脅威は差し迫った問題ではなかった。
今、騎士団長からサリーが他国からの暗殺者である可能性を知らされ、ロバートは動揺していた。
「恐らく、殿様を狙撃したのは、姫と第三王子殿下の結婚がいよいよ現実のものとなるという情報が入ってきたからかと思われます」
騎士団長の報告の後、ロバートは食堂に行き夕餉をとることにした。
母は体調を考慮し、自室で軽いものを食べたということだった。
ふと、アデルのことを思い出した。
家宰のクレイに尋ねると、騎士団長の取り調べが終わった後、料理長手製の仔牛のシチューとミートパイを土産に仮装したベイカー達と店に戻ったということだった。
「そうか」
今頃、アデルは仲間達と夕食を食べていることだろう。それでいいのだと思う。
そんなことよりも、ロバートには考えるべき課題がたくさんあった。
その数時間前に、アデルは騎士団長に事情を話した後、城門を出ることを許された。袖に穴の開いた服は証拠物件ということで返してもらえなかったので、結局グレイスが用意してくれたドレスを着たまま戻ることになった。御礼を大奥様に言いたかったが、寝室でお休みになっていて面会はできないということだったので、よろしくお伝えくださいと騎士団長に頼んだ。
別れ際に料理長が仔牛のシチューとミートパイを持たせてくれた。
門を出ると、商店街の人々、店の職人たち皆がよく無事でと迎えてくれた。皆、仮装のままである。アデルはいいのかと心配になったが、今日は31日じゃないと皆笑っていた。
ベイカーは着けていた南瓜の仮面を取った。
「配達から戻って来ないと思ってたら、鉱山の若い衆がお城のほうに行くのを見たっていうもんだから驚いたよ」
「あのお触れだけでも大騒ぎだったのに、アデルがお城に行っちまうなんて」
「殿様に直訴なんて、おまえがやりそうなことだな。けど、無理はいけねえ」
「まったくだ。無礼者だと斬り殺されたらどうするんだい」
職人衆はアデルの無謀ぶりに呆れていた。
「申し訳ありません。でも、あのお触れが許せなかったので」
「まあ、アデルが無事に戻って来れたんだ。それでよしとしなきゃな」
「それにしても、どうしてすぐ、アデルを出してくれなかったんだろうね」
おかみさんは怒っていた。
アデルは騎士団長から城であった狙撃事件とサリーの件はまだ秘密にしてくれと言われたので黙っていた。いずれ事件の全貌がわかったら領民に知らせると言われていた。
「大奥様にお菓子を作るよう頼まれましたので」
「ああ、やっぱりな。あの菓子の匂いでわかった。アデルがいるって」
ベイカーはうなずいた。猫の面と尻尾を着けた雑貨屋の主が言った。
「あれいい匂いだったな。店で出さないのか」
「材料が普通は手に入らないものなので」
「そうか。残念だな」
ベイカーはアデルに店に戻って夕食を食べろと言った。お触れの件で殿様に訴えたいことがあるから皆まだここに残るということだった。
「師匠、お触れのことですけど、殿様の話も聞いてきました。だから、殿様の話も参考にして、対策を立てたほうがいいかと」
アデルの話に皆、色めきたった。殿様の考えがわかれば、策も立てやすい。
ベイカーを始めとする商店街の店主たちは商店街の食堂に集まり、アデルの話を聞くことにした。その道すがら、彼らの仮装を見た人々は目を見張った。
食堂でアデルは殿様が隣国の侵略を恐れて仮装を禁じたことを話した。
「そういうことだったのか」
「まあ、確かに隣の国とは昔っからいざこざがあったしなあ」
「だったら、一言、言ってくれればいいのによ。水くさいなあ」
「まあ、若いから、そこまで気がまわらねえんだろ」
「そのために、クレイさんみたいな昔からの家来衆がいるんだがなあ」
「大奥様もお触れをよろしく思っていないようです」
「そりゃそうだ。グレイス様は昔から町のことを気遣ってくれたもんな」
「それで考えたのですけれど」
アデルはある考えを口にした。
「なるほど、それなら、殿様の面子も立つな」
ベイカーはうなずいた。
「アデル、今日はありがとうよ。後はわしらで考えるから、おまえは店帰って休みな」
「それじゃお言葉に甘えて」
アデルは職人たちとともに店に戻った。土産のシチューとミートパイは皆で分けて食べた。
屋根裏の自室に戻ったのはいつもと同じ時間だった。
長い一日だった。ベッドに横になろうとして、机の上の郵便物に気付いた。故郷の母からの封筒だった。封を切ると、甘い香辛料の香りがした。母は昔から折々にいろいろな香辛料を手紙に入れる人だった。
『……というわけで、そろそろこちらに戻ってきた方がよいと思います。婚約内定を解消された件を知る人はさほど多くありませんから、あなたが出席しても表立ってどうこう言う人もいないでしょう。大体、あの件はすべてあちらの都合なのですから。あなたには一つの落ち度もないでのです。堂々と胸を張っていればいいのです。ここ数日、寒くなってきたせいか、おばあさまは元気があまりありません。あなたの作ったケーキが食べたいとしきりに言います』
母の言う通り、そろそろ戻ったほうがいいかもしれない。いつまでもここにいられないとアデルにもわかっていた。今の生活は毎日が緊張の連続で楽しくもあり、また苦しくもあった。家族といる頃には感じたことのない寂しさも感じる。ことに今日のような異常な事態に巻き込まれると、家族のいる生活が懐かしく思われた。
だが、故郷は遠い。それにまだアデルにはしなければならないことがある。
万聖節でベイカー夫妻に少しでも恩を返したかった。
もう少しだけ待ってもらおう。せめて十月いっぱい。アデルは母への返事を書く事にした。
翌朝もお触れは変わらなかった。
商店街の代表と大司教の代理の司教が城を訪ねたと夕刻になって聞いた。
アデルは黙々と菓子を作り、焼いた。この先自分にできることは菓子を作るだけである。ベイカー達商店主の交渉に任せるしかない。
翌日もお触れは変わらなかった。無理かもしれないと思ったが、ベイカーは自信ありげだった。
翌日、城の前に新たなお触れが出た。
『道路の整備工事を行うにつき、各町内から18歳から50歳までの男性を働き手として10名ずつ出すように命ずる。交通費及び食事はすべて辺境伯が負担する。働き手を出した世帯は税を減ずる。期日は11月1日から12月20日まで。10月25日までに各町の代表は名簿を提出すること』
どこの工事かわからなかったが、事情通はどこにでもいるもので、これは国境までの道路整備だと語ってた。いよいよ隣国の姫がお輿入れするということで馬車の通行に支障のないようにするという話であった。すでに、工事会社の技術者が城に招かれているとも聞いた。
最初にお触れが出てから一週間後の朝、広場で角笛が鳴らされた。角笛の鳴らされる時は、城下の各家から必ず一人広場に来てお触れを聞かねばならないという決まりがあった。鉱山の労働者は一人者が多いので、そちらは鉱山を通じてお触れが知らされることになっている。
角笛が鳴らされて一時間もすると、広場に数百人が集まった。その中にはベイカーもいた。ざわつく広場の中央に役人が立った。
「これよりお触れを読み上げる。畏れ多くも国王陛下よりのお触れである」
ものものしいお触れに皆静まった。国王陛下の御触れは数年に一度のことだった。
「来年の佳き月佳き日に、我が国の第三王子殿下と隣国の第一王女殿下が婚姻することとなった。全国民が王女殿下を我が国民として喜んで迎えることを望む」
その後、一息ついた役人は別のお触れを読み上げた。
「ランバート辺境伯ロバート・アルバート・マカダムは第三王子殿下の御成婚を祝し、以下の触れを出す。10月31日仮装をして領内を練り歩いた者を逮捕する。ただし、逮捕するのは以下の者である。衣服を身に付けておらぬもの、下着だけの者、子どもに見せられぬような淫らな姿の者、酔って他人に迷惑をかける者、喧嘩をする者、婦女子もしくは男子に不届きな振舞をする者、その他、風紀を著しく乱す者。この触れは、第三王子殿下の結婚生活が続く限り有効とする」
皆、驚きしばらく広場は静まりかえった。だが、誰かが叫んだ。
「国王陛下、万歳! 殿様、万歳!」
その声に導かれるように、広場の人々は口々に叫んだ。
「国王陛下、万歳! 殿様、万歳!」
その声は商店街にも届いた。店の竈の前にいたアデルの耳にも聞こえた。
職人たちは何があったんだと顔を見合わせた。
しばらくすると、ベイカーが店の中に駆け込んで来た。
「仮装ができるぞ。王子殿下の御成婚を祝ってだ。アデル、おまえのおかげだ」
アデルは第三王子と隣国の王女の結婚によって隣国との関係が改善するかもしれないと商店主たちに話していたので、ベイカーらは領主との交渉の場でそれを持ち出したのである。
その場ではロバートは結論を出さなかった。
数日後、国境へ通ずる道路整備の命令が下った。さらには第三王子の成婚が正式に発表された。
ロバートはクレイらの助言を入れ、お触れに但し書きを加えたのだった。
ベイカーが店に戻ってすぐに、菓子の注文が入った。
「31日に、焼き菓子を100個」
「31日の3時に胡桃のクッキーを150枚」
「31日にキャンディの詰め合わせを100袋」
次々と注文が入った。
他の店でも仮装用の服や小物が売れ出した。酒屋もワインが売れた。肉屋も八百屋も注文が増えた。
すでに店に出していたアデルの作った菓子にも注文が入った。
「31日に南瓜のクッキーを200枚頼む」
八百屋で売れ残った南瓜を安くで仕入れペースト状にしたものを混ぜたクッキーである。炒った南瓜の種を載せて焼くだけの素朴なもので、南瓜の甘味があるので高価な砂糖を多く使わないで済む。
アデルは南瓜のクッキーだけでなく、他の菓子作りにも精を出した。他の職人も大忙しである。店はいつも以上に甘い匂いに包まれた。
31日まで、アデル達は寝る間を惜しんで働いた。だから、城で不心得者が領主を狙撃したこと、不心得者は逮捕され、獄中で死亡したこと等が領民に知らされたことも、客から聞いただけで、それについて互いに語ることもなかった。
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