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第一章 ハロウィン禁止命令‐偏狭な辺境伯は仮装を許さない‐

11 急転

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 厨房では二回目の菓子が焼け、残りの熱でクッキーが焼かれていた。
 アンジーはオーブンの中が気になって仕方ないようだった。

「ああ、中が見えればいいのに」

 竈の火を見ていたアデルは言った。

「特別なガラスを注文して小窓を作って中が見える竈を作った菓子屋が王都にあると聞いたことがあります」
「まあ、割れないのかしら」
「割れないように何かガラスに混ぜているらしいです」

 ガラスよりも侍女たちは王都のほうに関心があるようだった。侍女の中で一番若いエリーがつぶやいた。

「王都か、行ってみたい」

 赤毛のミリーがため息まじりに言う。

「うちの殿様は辺境伯だから、三年に一回しか都に行かないものね」

 年長のアンジーは情報通らしい。

「第三王子殿下が結婚される時は都に行くんじゃないかしら。盛大な結婚式になるっていう噂よ」

 そろそろだとアデルは扉を開けた。
 鋳物の鋏で天板をつかんで調理台の上に置いた。バターの香り漂うクッキーはきれいなきつね色に焼けていた。

「おいしそう」

 天板を囲んで囀るように話す侍女たちを横目に、アデルは竈の火を消し、掃除を始めた。
 状況はあまり好ましくはないが、オーブンを好きに使えたのはありがたかった。これが終わったら夕食くらいは食べさせてもらえるだろう。またあの部屋に戻ることになるかもしれないが。

「アデルさん、後は私たちがするから」

 気付いたアンジーの言葉もありがたいが、オーブンをきれいにするのは自分の仕事だとアデルは言った。それではと、侍女たちはクッキーを焼き網の上に移し、調理台と周辺の掃除を始めた。
 城の侍女だけに掃除の要領がよく、三十分もせぬうちに粉で白くなった床まできれいになった。
 オーブンの竈も炉床もきれいになったところで、アンジーがアデルの前にクッキーの載った皿とお茶を出した。

「アデルさん、どうもありがとう。大奥様、とても楽しそうで、私たちも楽しかったわ」

 あの陽気な前領主夫人にも楽しそうでない時があるのだろうかと、アデルは思った。 

「殿様があんな方でしょ。だから、大奥様、あまり外に出られないの。未亡人は人の前に出るものではないって。でも、前の殿様が亡くなって五年よ。実家の伯爵家に顔を出すくらい、いいと思うんだけど」

 少々立ち入った話をしてしまったと思ったのか、アンジーはそれ以上は口をつぐんだ。

「それにしても、殿様、ずいぶん長いわね。いつもは御用が済むと、お仕事に戻られるのに」

 エリーがドアの方を見た。そういえば、とアデルも思った。グレイスのことだから、菓子の出来が気になるはずである。息子との話が終わったらこちらへ戻ってきてもおかしくない。それなのに厨房に顔を出さないとは。
 何やら胸騒ぎがした。アデルは洗ったばかりの鉄の串を掴んだ。

「アデルさん?」

 アンジーはアデルとともにドアの前に立った。エリーとミリーもその後ろに続いた。
 ノックをしようとしたアンジーの手を止め、アデルは目配せした。アンジーは少し後ろに下がった。
 アデルは思いっきり、ドアをこちらに引いた。





 目の前で何が起きているのか、侍女たちは咄嗟に理解できなかった。
 アデルはいち早く駆け込むや、ソファに座っているグレイスの背後に立って彼女の首に細い紐をかけ絞めようとしているサリーの右肩に躊躇なく鉄の串を投げた。狙い過たず肩を直撃し、サリーの手から紐が離れた。
 グレイスは前かがみになって咳き込んだ。間一髪間に合ったとアデルはとりあえず安堵した。
 サリーはちぇっと舌打ちし、肩から串を引き抜いた。血が袖を真っ赤に濡らした。が、顔色一つ変えず、裾をばっとめくり上げ、太腿に巻いた革のホルダーから拳銃を左手で抜いた。

「あなたが」

 アデルだけでなく、その場にいた侍女たちも驚愕するしかなかった。三年も一緒に働いていた仲間だったのに。
 サリーはグレイスの頭に銃口を向けた。

「騒いだら、このおばさんを撃つよ」

 近づこうとしたアデルをグレイスは目で制した。

「サリー、馬鹿な、ことは、おやめなさい」

 息も絶え絶えに話すグレイスをサリーはせせら笑った。

「馬鹿はどっちなんだか」

 銃口をグレイスに向けたまま、サリーはアデルに言った。

「あんたがいなけりゃうまくいったのに。あの馬鹿領主があんな触れを出すから、あんたみたいな命知らずがここに来ちまったんだ」
「何を考えてるの。領主を撃つなんて」

 アデルの問いにサリーは冷たい微笑を浮かべた。侍女達は同僚のこんな表情を見たことがなかった。

「領主? あたしの主人は辺境伯じゃないよ」
「誰なの?」
「言えるはずないだろ。馬鹿だねえ。職人てのは、仕事以外は馬鹿なんだねえ」

 一瞬隙が生まれたのをアデルは見逃さなかった。
 テーブルに向かって跳び上がり着地と同時にポットを掴むや、サリーの左手に思いっきりぶつけた。そのはずみで拳銃の引き金が引かれ、銃声とともに弾は天井に食い込んだ。
 
「いってえ、何すんだよ」

 サリーの手から落ちた拳銃は床の上を転げた。アデルは素早く掴んでグレイスをかばうように、サリーの前に立ちはだかった。アデルは銃口をサリーに向けた。
 
「観念なさい」

 銃声を聞いた衛兵や騎士がドアからなだれ込んだ。
 アンジーが叫んだ。

「銃を撃ったのはサリーよ。大奥様を殺そうとしたの」

 彼らがサリーに向かって突進したのは言うまでもない。あっという間に拘束され、縄でぐるぐる巻きにされ、口には拘束具が着けられた。まるで絨毯を運ぶように男二人の肩に担がれて地下牢に連行された。
 侍女たちはグレイスに駆け寄った。すぐに禿頭の医師とカバン持ちがやって来た。
 アデルは拳銃を騎士団長に渡した。
 騎士団長は首をひねった。隣国の陸軍が使用している拳銃だった。あからさまに隣国のものとわかる拳銃を暗殺者が使うものだろうか。これはもっと詳しく調べる必要があった。
 アデルはとりあえず、自分が見たこと、やったことを話し始めた。
 そこへ騎士がやって来た。ロバートの命令で、グレイスの部屋を調べたいとのことだった。
 ソファに横になっていたグレイスは許可した。すぐに騎士が二人入って来て、侍女の控えの間や厨房を調べ始めた。
 そこへロバートが駆け込んで来た。

「母上、御無事ですか」

 医師の手当てを受けたグレイスはソファから起き上がろうとしたが、医師は止めた。

「まだ安静に」
「母上、申し訳ありません」

 ロバートは情けなかった。まさか、さっきまで同じ部屋にいたサリーが狙撃犯で、母を殺そうとしたとは。なぜ気付けなかったのか。

「あれこそ凄腕の間諜よ。気付かなかったのは仕方ない。それよりも、アデルに礼を言いなさい。アデルがいなければ、私はそこの紐で首を絞められていた」

 ロバートはテ―ブルの上の細い紐を見た後、騎士団長に状況を話しているアデルを見た。話しぶりは冷静に見えるが、少し顔に赤みがさしている。
 ロバートはアデルが話し終えるのを待てなかった。礼を言わねば気が済まなかった。

「アデル」

 騎士団長は一歩下がった。
 アデルはロバートを見た。目の前の割れた顎が動いた。

「ありがとう。母を助けてくれて。礼を言う。サリーの捕縛に協力してくれたことも」
「身に余るお言葉を頂きまことにおそれいります」

 アデルは慎ましやかに言った。ロバートはこんなふうに話すこともあるのかと驚いた。

「余はそなたを間諜ではないかと誤解していた」

 アデルは思わず声を上げそうになったが堪えた。いくらなんでも、それはひど過ぎる。

「そなたには申し訳ないことをした。ベイカーらを焚きつけて、仮装をさせて隣国から兵士を潜入させるのではないかなどと思っていた」

 グレイスはそこまで言わずともと思った。息子は馬鹿正直過ぎる。
 アデルもまたグレイス同様、呆れていた。仮装は危険極まりないと言っていたのはわかる気もするが、まるでアデルが陰謀を企てていたかのようなことを考えていたとは。領主というのはかくも疑い深いものなのであろうか。

「私はただ店を儲けさせ、商店街を賑やかにしたいと思っただけです。できたら、自分で考えた菓子も作って売れたらと思ったのです」
「あの菓子か。あれはうまかった」

 ロバートの言葉にアデルは舞い上がりそうになったが堪えた。作ったものをうまいと言ってもらえるのは職人冥利に尽きる。だが、喜んでばかりもいられない。

「おそれいります。あの菓子は材料が手に入らないものも多いので、店では出せません。店で出したら値段が高くなります」
「そうなのか」
「はい。誰でも買える菓子を作って売るのがベイカーの店です。私も万聖節のために安い値段の菓子を考えて、今朝やっとベイカーさんにお許しをもらったのです」
「菓子を売るのを禁じているわけではない」
「ですが、安い菓子であっても買えない子どももいます。勿論、教会では貧しい子どものために行事があるごとにお菓子を配ることもありますが、それはあくまでも貧しい子どものためのもの。そこに並ぶ子ども達は施しを受けているのだと思い知らされます。でも、仮装すれば貧しいかどうかは関係ありません。シーツ一枚かぶっただけ、顔に炭を塗っただけでも仮装です。それで、あちこちの家を皆でまわって菓子を食べられるのです。子どもである限り」

 ロバートはしばし言葉を失った。貧富の関係なく子どもである限り、仮装していれば誰でももらえる菓子。
 
「施しが悪いと言っているのではありません。どうしても必要な人々も大勢います。でも、人には誇りがあります。誇りゆえに施しの列に並ばぬ子もいます。そんな子どもが仮装をすることで現実の自分を離れ、ただの悪戯好きの子どもとして菓子がもらえるということも許されぬことなのでしょうか」

 考えたこともなかった。ロバートは打ちのめされていた。だが、それを領主としては態度に出すわけにはいかなかった。ここには騎士も騎士団長も医師もいる。ロバートはランバート辺境伯マカダム家の当主なのだ。

「それについては、一考するとしよう」

 ロバートはそれだけ言うと、騎士団長に仕事を続けるように告げ、部屋を出た。

「なんなの、あの子は」

 グレイスは息子の素っ気なさに呆れた。
 騎士団長はロバートが衝撃を受けたのに気付いたものの、今はアデルの話を聞くのが先だった。
 アデルは一考とは何かと考えていた。ロバートがお触れをひっくり返すとは思えなかった。では何を考えるのであろうか。

「アデル、さっきの話の続きを」

 騎士団長に促され、アデルはサリーの手にポットを打ち付けたところから話を再開した。


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