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第一章 ハロウィン禁止命令‐偏狭な辺境伯は仮装を許さない‐

3 お触れ

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 「10月31日に仮装して領内を練り歩く者は逮捕する。抵抗したらその場で斬る」


 そのお触れが領主の住まいでもあるマカダム城の前の広場で読み上げられた時、呼び集められた市民の多くがため息をついた。殊に古着屋・貸衣装屋・菓子屋の主人や奉公人のため息は一際大きかった。

「あんまりだ」
「せっかく仕入れた衣装なのに」
「予約金入ってるのに」

 誰もが予想していなかったお触れだった。これはどうしたものか、皆顔を見合わせるばかりである。

「うそ……何これ……」

 そうつぶやいたのは城下一番の繁華街に店を持つベイカー菓子店の見習い職人アデルだった。栗色の髪をひっつめにしてボンネットに押し込んだ少女のブラウンの瞳に燃えるのは怒りの炎だった。
 師匠である店主のベンジャミン・ベイカーに初めて受け入れられた提案が、万聖節ハロウィンのお祭りのためにお菓子を作ることだった。都は元より近隣の公爵領や伯爵領ではすでに数年前から流行している。ここランバート辺境伯領でも、流行に敏感な若者達が去年あたりから家で仮装パーティを開くことがはやりつつあった。
 公爵領出身のアデルは知っていた。
 万聖節の夜にはあの世とこの世の境がなくなるので、化け物にさらわれぬように子ども達は仮装して家々をまわってお菓子をもらって歩くということを。つまり、どの家でもお菓子を用意しなければならないのだ。
 無論、各家庭で手作りの菓子を作ればいいのだが、ランバート辺境伯領では手作りの菓子を用意しなくとも困らなかった。
 ランバート辺境伯領には鉄鉱石の鉱山があり、鉄を使った産業が盛んだった。多くの労働者が採掘や精錬、鍛冶・加工の仕事に従事していた。いずれの仕事も重労働である。従って労働者は味付けの濃い食べ物や甘い菓子を好んだ。彼ら労働者は独身男性が多く自分で料理や菓子を作らない。仕事帰りに食堂で夕食を食べた後、菓子屋に寄って甘い菓子を購入する光景がよく見られた。
 独身男性が多いということは、男性の相手をするための女性を抱えた特殊な飲食店もまた多いということである。そこで働く女性達もまた菓子を好んだ。贔屓の女性への贈り物に菓子を買う男性もいる。
 独身者以外の世帯でも市販の菓子がよく購入されている。食事以外に家庭用に少量の菓子を作るために薪や炭を使うのは経済的ではないし、砂糖は輸入品なので少々高い。国の北方には樹液から採れる甘いシロップもあるが運搬費用がかかるのでこれも高い。店は大量に材料を購入するので一般向けに売られている砂糖を使って家庭で作るよりも割安になる。必要な時に店で売っている菓子を買うほうが安上がりだった。
 というわけで、国内の他の地域に比べ、辺境伯領には菓子屋が多かった。菓子屋の注文に応じて鉄製の様々な型が熟練した鋳物職人によって作られ、多種多様な焼き菓子が作られていた。 
 従って、お菓子が売れる万聖節の祭を宣伝すれば儲かると、アデルはベイカーに提案したのである。
 十二月末の聖誕祭まで大きなイベントのない菓子店にとって、十月末に売り上げの増えるイベントをやるというのは魅力的な話だった。
 提案を受け入れたベイカーは自分の店だけでやってもうまくいかないと考え、他の菓子屋を巻き込むことにした。菓子屋組合で話し合い、協力して万聖節を盛り上げることにした。さらには近隣の貸衣装屋や古着屋も賛同した。
 ベイカーは教会にも足を運んだ。教会を無視して新しい祭りや行事をするのは難しいと彼は知っていた。噂では、別の伯爵領では教会が反対して万聖節ができなかったらしい。
 ベイカーは甘いお菓子を持参して大司教に相談した。うまいお菓子に目のない大司教は、これはすべての聖人への敬意を表する祭だからよかろうとお墨付きを与えた。
 こうして10月31日のお祭りに向けて、万聖節ムードを高めるために商店街は店や通りを工夫を凝らした意匠で装飾した。ベイカー菓子店では店の壁に猫や蝙蝠、南瓜をかたどった紙の細工が飾られた。他の店でも聖人や動物のタペストリーを店内の壁に飾ったり、細工物をテーブルに飾ったりした。
 八百屋の協力で大きな南瓜のランタンが商店街の入り口に置かれると、人々は興味津々といった表情で、これは何だと尋ねた。

「これは万聖節のお祭りの飾りだよ。都ではやってるんだ。子どもたちがお菓子をくれなきゃ悪戯するよと言いながら家を回ってお菓子をもらうんだよ」

 そう言って店主たちは人々に万聖節を広めた。評判は上々で、お菓子や貸衣装の予約も続々と入った。小間物屋では仮装用のアクセサリが売れ、酒屋もパーティ用のワインが売れた。商店街はにわかに活気づいた。
 菓子屋では砂糖や小麦粉を例年のこの時期より多めに注文した。バターや牛乳も出入りの牧場に予約して確保した。
 アデルは祭のために新しい菓子を考え、毎晩遅くまで試作した。ベイカーとおかみさんはそれを何度も試食した。これなら売り物になると、やっとお許しが出たのが今朝のことだった。
 それなのに今になって、領主の仮装禁止令である。祭まであと十五日。今更大量に買った砂糖も小麦粉も返品できない。貸衣装屋は予約金を受け取り、それで衣装を仕入れたり、新たに作らせたりしている。中止になって返金ということになったら、つぶれてしまう。古着屋も祭のために古い衣装を隣の公爵領の古着問屋からいつもより多めに仕入れているのだ。商店街が大変なことになる。組合に祭をもちかけたベイカーの立場もない。自分の提案がこれまで多くのことを教えてくれた大恩人のベイカーを苦しめることになってしまうとは。アデルはいたたまれなかった。

「殿様がこんなお触れを出すなんて、初めてじゃないか」

 隣に立っていた婦人達はあれこれと語っている。

「ほんとに。戦争でもないのに、あたしらの暮らしに口出しする殿様は今までいなかったのに」
「前の殿様に比べて、心が狭いっていうか、ゆとりがないよね」
「まだお若いからね」
「若いって言ってももう三十だからね。普通なら奥方様を迎えて子どもの一人や二人いるもんだよ」
「あの年まで独り身ってことはどっか身体がお悪いんじゃないかね」
「しっ、滅多なことは言うもんじゃないよ」

 人々は肩を落として広場から離れていく。だが、アデルはお触れの書かれた立て札とその向こうに見える堂々たる風格を持つマカダム城を一人傲然と見据えた。ランバート辺境伯領で採掘される赤っぽい鉄の混じった石を組み上げて作られた強固な城はアデルを威圧するかのように思われた。

「負けない」

 菓子職人になると決意して公爵領を出て来た日のことを思い出す。二年余り前のことだった。あれからアデルは多くのことを学んだ。朝から晩まで働き、上腕や肩、背中には筋肉も付いた。重い業務用の小麦粉の袋を背負うくらい造作もなかった。クリームを泡立てるのも男の職人には負けていない。
 すべてはこの地の人々のおかげである。一人異郷で奮闘するアデルを励ましてくれたお得意様、商店街の人々、皆に恩返しがしたかった。だからベーカーに万聖節の祭の菓子を提案したのだ。せっかく受け入れてもらったのに、商店街の人々も喜んでいたのに、何よりお得意様が楽しみにしているのに。
 すべて領主は台無しにしてしまった。
 このまま引き下がりたくなかった。領主に事情を話して、お触れを撤回してもらわねば。撤回できなくとも、一言でもベイカー達の苦労を伝えたかった。菓子屋の職人風情と嘲笑われてもいい。できることをやらねば気が済まなかった。

「負けるもんか」

 アデルは何百回も繰り返してきた言葉をつぶやくと、城門に向かって歩きだした。配達帰りで空になった蓋付きのバスケットを手にして。




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