江戸から来た花婿

三矢由巳

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第三章 雷土颪は見た! 知り過ぎた女奉公人とカステイラ の謎は湯煙の彼方に

57 町奉行の報告

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 町奉行倉島重兵衛は昨夜会った倉島平兵衛の岳父である。
 源三郎は無役だから町奉行と直接会う機会はほぼない。香田角に来てすぐの宴と平兵衛の祝言の席で顔を合わせただけである。
 小柄な男だったなと思い出していると、御座の間にやって来た。
 重兵衛は殿の近くに控えている源三郎をちらりと見た。本来、無役の源三郎は町奉行と殿との対面の場に同席できないのだ。

「殿様、恐れながらお人払いを願います」
「奉行、ここに控えるは弾正の娘婿の玄蕃だ。後学のためだ」
「はっ」

 内心は納得していないだろうなと源三郎は思った。それでも殿様の言葉だから従うしかない。

「まずは、御城下の風についての報告をいたしとう存じます」
「うむ」

 倉島奉行は手元の紙に時折ちらと目を落としながら話し始めた。

「昨日新たに風にかかりし者、五十一名。うち男三十名。女二十一名。とりわけ多かったのは鳥居町の米問屋大津屋で、番頭、手代、丁稚合わせて七名がかかりました。また同じく鳥居町の木下耕庵の手習い所では子ども五名がかかりました」
「一昨日よりは減ったとはいえ、鳥居町ではやっておるのだな」
「はい。手習い所の子どもの中に大津屋の主の息子がおりますので、その子からうつったのではないかと医者が言っております」
「他の子どもに広がらなければよいがな」
「木下耕庵はすでに昨日から手習い所を閉めております」
「それは心利いたこと」

 源三郎は思いのほか風がはやっていることに驚いた。壱子が大久間で具合を悪くしたのも、この風のためかもしれなかった。大久間ではどうなのか知りたかったが、さすがに自分が殿の許しもなく尋ねるのもどうかと思い黙っていた。
 が、奉行はそれにも抜かりなかった。

「山置郷、大久間郷については昨日知らせがありました故、これは一昨日の数ですが、山置郷では三十七名。うち男二十五名、女十二名。大久間郷では七十八名。うち男三十一名、女四十七名。なお大久間は旅籠の者が四十九名」
「一昨日の城下が八十四名であったから、しめて百九十九名か。山置は増え、大久間は減ってきておるな」
「はい。いずれも亡くなった者はおりません」
「奉行所はどうなっている」
「皆回復して、本日は全員出仕しております」
「うむ」

 頷いた殿は、して件の女のことはと切り出した。
 奉行はちらりと源三郎の方を見た。源三郎も関係者の一人と言っていいから、憚られる話もあるのだろう。が、奉行はすぐに語り始めた。

「取り調べが先ほど終わりました」
「夜を徹しての仕事、大儀であった」

 殿は昨夜の柳町でのことを知っているのかと源三郎は驚いた。恐らく吉兵衛の母とせが死んだことも知っているのではないか。

「恐れ入ります。結論から申しますと、六助は下手人ではありません。まことの下手人が判明しました」
「なんと」
「昨夜、柳町で六助が衆道の者であり、おかつに横恋慕することはあり得ぬと判明。六助にそのことを突きつけたところ、ようやく先ほどおかつに手を下しておらぬことを認めました」
「してまことの下手人は」
「京屋の主吉兵衛の母とせが指示し、吉兵衛夫妻が五人の奉公人を使い殺させたとわかりました」

 五人の奉公人を使ったというのは源三郎は聞かされていなかったので、また驚いた。それは殿も同様だった。大きな目をさらに見開いていた。

「五人とな」
「はい。殿様が仰せの通り、おかつの同僚である仲居もおりました。殿様の御慧眼には恐れ入ります」

 三度目の驚きだった。殿は下手人に仲居がいると予想していた。

「みまかった吉兵衛の母は」
「はっ。評定次第ではいかなる仕儀になるかわかりませんので、京屋に人をやってむくろを勝手に埋葬せぬように見張らせております」

 それは致し方ないことであった。信賞必罰。人を殺めた者は死罪である。調べの途中で死んだとしても死体を晒したり、首を刎ねたり、試し斬りにされたりというのは珍しい話ではない。
 が、殿は呟いた。

「罪人とはいえ、人の母……」

 聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの声量だった。奉行は一瞬だけ表情を翳らせた。
 未だ評定の済まぬ事案についてはっきりと意志を明らかにするわけにはいかない殿ができるぎりぎりの意思表示だった。
 だが、これを無視するわけにはいかない。恐らく奉行は評定の場で、殿の内々の御意向を伝えることになろう。あくまでも非公式にだが。
 奉行は何も聞かなかったような顔で話を進めた。

「とせは、京屋の仲居おかることおかつが、さる高貴な方を貶める言葉を発したとして怒り、息子の吉兵衛と嫁のみちにおかつを呼び出すように」
「待て、奉行。そもそも高貴な方とは誰だ」

 殿の問いに奉行は顔色を変えた。

「それは……」

 奉行が憚るのも無理はなかった。ことは源三郎にも関わるのである。高貴な方の夫のいる前で話せるわけがなかった。源三郎はここは自分が気を利かせるべきだと思った。

「そろそろ暇を」

 源三郎の言葉を殿は制した。

「ならぬ。奉行、遠慮はいらぬ。余にはまことのことを申せ。ここに控える玄蕃は石と思え」

 石とはあんまりだと思ったが、確かに今の立場ではそう言われても仕方がないと源三郎は内心苦笑いした。それに「高貴な方を貶める言葉」を源三郎はとせから聞いているのだ。何を今更と思う。

「石とは……」

 奉行は気の毒そうな顔を源三郎に見せた。源三郎は気にしていないと目配せした。

「かしこまりました」

 奉行は取り調べの結果を語り始めた。
 殿は今度は最後まで質問せずに黙って聞いていた。
 石になった源三郎であったが、おかつの「安女郎の孫」という言葉は何度聞いても不快なものだった。それでも石の役割は果たさねばならなかった。

「うむ」
「では、これより評定所に」

 奉行が退出すると隆礼たかゆきは源三郎を見た。

「人に戻ってよいぞ」
「はっ」
「申し訳なかった」

 不意に言われて源三郎は戸惑った。一体謝られるようなことがあったであろうか。

「不愉快な言葉を聞くのはつらかったであろう」
「そのことなら、致し方ありません。某がせいから聞いたのです。それを平兵衛殿に話し、平兵衛殿は奉行に伝えたのでしょう。これでおかるが殺められた理由もわかりました」
「おかつの自業自得と思うか」
「それは……」

 源三郎はすぐには答えられなかった。確かにおかつの言動は酷い。けれど弟の千蔵と話をしてみれば、やはり人を殺めるのは悪である。おかつとて、懸命に生きてきたのだから。おかつを大切に思う人もいたのだから。
 一方でとせの理屈も少しはわかるような気がした。世話になった人の孫の幸せを壊そうとする女の所行を許すわけにはいかなかったのだ。
 しかもおかつを殺めるのに集めた五人の奉公人にはそれぞれ恨むだけの理由があった。
 丹次は男色の相手だった男のことを悪しざまに言われた。
 同じ長屋に住むおしなは男と縁遠く、あそこに蜘蛛の巣が張っていると客の前で笑われた。
 厨の下働きのおかめは幼い頃に怪我で不自由になった左手が短いことをからかわれた。
 亭主と死に別れ九つの男児を育てていた仲居のおむらは子どもの耳が聞こえぬのを信心が足らぬからと言われた。
 仲居のおくめは文字が読めないことをからかわれた。
 人の様々な性癖や障害、境遇等を笑いものにするのは傍で聞いても気分のいいものではない。ましてや当人にとって、己ではどうしようもないことを指摘されるというのはどれほどつらいことか。
 
「だからといって殺めていいものではありますまい。それを許せば世は乱れます」
「そうだな」

 隆礼は頷くと、両腕を胸の前で組んだ。

「それにしても、評定が大変だな。五人のうち誰がおかつを殺したか、本人にすらわからぬとは。五人とも死罪にすべきか、五人ともお構いなしか」
「この場合、主の吉兵衛が命じなければ、五人はさような事に関わることはなかったのですから、死罪にするのはいかがかと。ただ殺すつもりはあったのですから放免というわけには参りますまい」
「判断は奉行と弾正でするであろう。弾正の判断に間違いはあるまい」

 厨の文助も早暁奉行所に出頭し、おかつのことを話したと奉行が言っていたから弾正は取り調べに協力的になったようだった。
 昨夜の目付母子の来訪、奈加子の縁組と、昨夜以来弾正の考えに大きな変化があったことは確かである。
 だからと言って、島原の小波天神が壱子と奈加子の祖母だと源三郎に話すとは思えない。源三郎もそんなことは望んでいない。真実を白日の下に晒しても誰も幸せになるとは思えなかった。
 恐らく「高貴な方」の名がこの先語られることはないだろう。

「ところで、玄蕃、そなた柳町に行ったそうだな」

 弾正ですら知らぬことを隆礼が言ったので、源三郎はぎょっとした。が、裁付たっつけ袴の守倉平太郎のことを思い出した。彼の配下が柳町にいて源三郎を見つけてもおかしくない。

「はあ」
「どんなところなのだ。教えてくれ。余は行ったことがない」

 意外だった。城の外で育ったのだから早熟な隆礼なら行ってもおかしくないのに。

「妙な顔をするな。余には満津がいたのだ」

 また惚気のろけが始まったと思った。



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