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第四章 紅葉(享保元年~享保三年)
05 お仙という女 壱(R15)
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押し込め座敷は座敷とは名ばかりの板張りだった。
日はささぬと言われたが、壁の板と板のわずかな隙間から光が漏れた。
朝と夕には一汁一菜とはいえ食事もあった。
けれど、そこに希望はない。
最初の一日は座っていたが、二日目からは横になった。蓋をしているというのに、汚物の臭いが鼻をついた。
食事だけが楽しみといえば楽しみだった。
床近くにある一尺四方の四角い戸が開けられ麦の多い飯と薄い汁、おかずは豆腐か豆の煮物だけという膳を受け取る時、お仙は外の空気の匂いを感じた。
「かたじけのうございます」
そう言っても、番人は顔も見せず何の返事もしなかった。それでよかった。
十日もせぬうちに、虫に刺されたのか身体が無性にかゆくなり、つい爪でひっかいてしまった。爪がひどく伸びていたことに気付いた。
「爪を切りたい」
朝食の膳を戻す時に言った。番人は言った。
「上の方にきいてくる」
足音が遠ざかった。たぶん夕餉の時まで待たねばならぬだろうと思っていると、番人の足音が近づいてきた。
「切ってもよいとの仰せじゃ。手を出せ」
座敷は暗いから中で爪を切るわけにはいかぬのだった。
お仙は右手を出した。番人はそれに手を軽く添えた。瞬間、お仙はびくりとした。そうであった。もう十日以上、誰にも触れていなかったのだと気づいた。
番人は小さな鋏を使い、爪を用心深く切った。
右手の後は左。番人の手は大きくとても器用には見えないのに、深爪にはならなかった。
「足」
お仙は恐る恐る、足を出した。外に出した右足はまっ黒に汚れていた。番人はちょっと待てと言うと濡れた手ぬぐいを持って来てそれを拭いた。
それが気持ちよくてお仙は思わず声をあげてしまった。番人はそれを聞いていたのかいないのか、足の爪をゆっくりと切った。
右足を中に入れ、次は左足を出した。同じように濡れ手ぬぐいで拭かれた。
「かたじけのうございます」
爪を切り終わった後礼を言うと番人は仕事だからと戸を閉めて座敷を離れた。
壁板の隙間からもれる日の光に手をかざした。やせ衰えた手を見つめ、昔と同じだと思った。姉と二人秋葉家で世話になっていた頃と同じ荒れてカサカサになった手と。
お仙が姉のお百とともに、伯父の家である秋葉家に引き取られたのは五つの時であった。
母はお仙の父の家で奉公をしていて、そこで御手付きとなり、姉とお仙を産んだのだった。
父亡き後、父の妻の弟が養子となり家を継ぎ、母は半ば追い出されるように父の家から暇を出された。
姉とお仙も母とともに秋葉家の厄介となった。伯父は決して冷たい人ではなかったが、貧しい秋葉家に女三人を置いておくゆとりはなかった。
母は娘二人を置いて、照妙寺の住み込みの下働きに出た。姉妹は秋葉家でほとんど使用人のような生活をしていた。下女も雇えぬ秋葉家にとって二人は大事な労働力だった。
つらい生活の中で姉妹は従兄の源五にほのかなあこがれを抱いていた。伯父や伯母のように二人を酷使せず、親のいないところでは二人を手伝ってくれることもあった。
お仙が十三、姉が十五の時だった。母を訪ねて照妙寺に行った。伯父が行くように命じたのだ。
行くと、母は二人の娘を尼に引き合わせた。それが梅芳院との出会いだった。
梅芳院は姉にこれからも時々は寺に来るようにと言った。
その後、姉だけが何度か寺に呼ばれるようになった。姉の話では梅芳院様から手習いや歌を教わっているということだった。
一年後、姉はお城に女中奉公に出ることになった。伯父達は張り切って支度をしていた。けれど、お仙は源五が寂しそうな顔をしていることに気付いた。
「源五兄様は姉様のことが好きなのではないじゃろうか」
姉にそう言うと、めったなことを言うものではないと怒られた。
けれど、姉もまた時々寂しそうな顔をしていた。
奉公に出る十日前のことだった。姉が突然倒れた。針仕事の休憩のために立ち上がろうとした時だった。血が畳を染めていた。
すぐに医者が呼ばれた。
「子が流れたのじゃ」
医者の言葉に伯父一家は騒然となった。一体誰の子かと伯母は狂ったように姉に尋ねた。
だが、姉は答えることなく、そのまま息を引き取った。
内輪だけの通夜、葬儀の間、お仙は源五の姿を目で追っていた。源五は真っ青な顔をして口を堅く引き結んでいた。
お仙は源五を責めなかった。なぜなら、一緒にいて気づかなかった自分にも責任があると思ったからだった。だが、源五は卑怯者だという思いはその後ずっと消えなかった。
梅芳院からのお悔みも届いた。使いのくめはさらに伯母にお仙を寺で預かりたいと伝えた。働き手を失うとあって伯母は渋ったが、お仙の母親が姉娘の死で元気がないからと言われれば、無下にもできず、結局頷くことになった。
お仙は姉の死の原因となったであろうと思われる源五と同じ屋根の下にいるのも嫌であったので、照妙寺に赴くことにした。
照妙寺では母の手伝いをするのかと思っていた。だが、仕事は何も言いつけられず、梅芳院や他の尼たちに手習いや歌を教わった。礼儀作法も習い、これではまるで奥女中奉公にでも行くようだと思っていると、半年後、梅芳院から呼ばれた。
「そなたには城の奥に奉公に行ってもらう。姉はああいうことになったから、そなたは外に出さずにここで修行をしてもろうたのだ」
姉の代わりということかとお仙は理解した。
「ただし、普通の奉公ではない。殿様の御子を産むのじゃ」
ということは姉もそのために寺に通っていたということかとお仙は気付いた。
「そなたの姉は殿様がよほど嫌であったのであろうな。他の男と通じるとはな。お仙、よいか、ゆめゆめさようなことになってはならぬぞ」
殿様の顔をお仙は知らない。ただ、まだお若くて、すでに江戸に奥方様がいるということは聞いたことがあった。
その話の後、お仙は梅芳院から数枚の絵を見せられた。
「殿とこのようなことをするのじゃ。よいか、覚悟せよ」
絵の中の男女の睦み合いにお仙は驚き、次に姉と源五のことを思った。もしかすると、姉はこれを見て、殿様とこのようなことをするのが嫌になって源五と通じたのではないか。
「殿はこの絵よりもずっと立派な方じゃ。そなたが心を込めて仕えれば、それに応じてくださるはず。よいな。ゆめゆめ姉のようになってはならぬぞ」
お仙は梅芳院の言葉にうなずいたのであった。
お城に御奉公に上がって数か月後の暑い日に、殿様は江戸から御帰りになった。
数日後、奥女中達は着飾って殿の奥へのおでましを出迎えた。
お仙は御年寄から前日に渡された衣装を着て廊下に並んだ。
「緋色に胡蝶の打掛を着た者、顔を上げよ。そちの名は」
顔を上げたお仙は名乗ったものの、畏れ多すぎて殿様の顔をろくに見ることもできなかった。
その夜、お仙は初めて殿様の夜伽の相手をした。
あっけないほど早くことは終わり、殿様はお仙にねぎらいの言葉をかけ寝てしまった。
なんだか想像していたのは違うと思ったが、殿様はお優しい方であったのでお仙は安心した。
翌日からお仙の身分は正式に中老ということになり、部屋を与えられ、御付きの者もついた。部屋子のおくまは気が利き、よくお仙の身の回りを手伝ってくれた。
亡き父の家の者が挨拶に来たりもしたが、さほど親しかったわけでもないので、挨拶だけ受けた。
秋葉の伯父は丑寅町から戌亥町に屋敷替えとなって、役職も馬廻りから勘定方に変わった。
梅芳院は時々奥に来てはあれこれ御年寄に指示し、お仙の着る物や化粧などに気を配った。
殿は月に五、六回お泊りになり、そのたびにお仙を閨に呼んだ。
夢のような数か月が過ぎた。
年が明け、江戸への参勤のための準備が始まった。二月に入ると慌ただしく日々は過ぎていった。
殿が出立した晩は心細くて泣きそうになった。これから来年の六月までどう過ごせばいいのかと。
懐妊していないことがわかっていたので、もしかすると自分のお役目はこれで終わりかもしれないとも思った。
けれど殿様のいない一年の間も仕事はあった。殿様に代わって御先祖の供養をしたり、梅芳院とともに身寄りのない者への援助をしたり。
気が付くとあっという間に殿様が御帰りになる日が来た。
お仙はお払い箱になることもなく、殿様の閨に侍った。
そんなことが幾年も繰り返された。
その間に母は亡くなった。照妙寺の下働きを辞め、尼となり梅芳院に仕えるようになっていた母は朝のお勤めの最中に倒れてそのまま帰らぬ人となった。
一方、お仙にはなかなか子ができなかった。部屋子のおくまや他の中老が殿のお相手を務めたこともあった。
けれど、江戸でも国許でも子はできなかった。殿様は弟御を御養子にすることになった。
竹之助というあまり顔色のよくない少年であった。その子を連れて殿が江戸にお勤めに行かれた年、お仙は二十四になっていた。
日はささぬと言われたが、壁の板と板のわずかな隙間から光が漏れた。
朝と夕には一汁一菜とはいえ食事もあった。
けれど、そこに希望はない。
最初の一日は座っていたが、二日目からは横になった。蓋をしているというのに、汚物の臭いが鼻をついた。
食事だけが楽しみといえば楽しみだった。
床近くにある一尺四方の四角い戸が開けられ麦の多い飯と薄い汁、おかずは豆腐か豆の煮物だけという膳を受け取る時、お仙は外の空気の匂いを感じた。
「かたじけのうございます」
そう言っても、番人は顔も見せず何の返事もしなかった。それでよかった。
十日もせぬうちに、虫に刺されたのか身体が無性にかゆくなり、つい爪でひっかいてしまった。爪がひどく伸びていたことに気付いた。
「爪を切りたい」
朝食の膳を戻す時に言った。番人は言った。
「上の方にきいてくる」
足音が遠ざかった。たぶん夕餉の時まで待たねばならぬだろうと思っていると、番人の足音が近づいてきた。
「切ってもよいとの仰せじゃ。手を出せ」
座敷は暗いから中で爪を切るわけにはいかぬのだった。
お仙は右手を出した。番人はそれに手を軽く添えた。瞬間、お仙はびくりとした。そうであった。もう十日以上、誰にも触れていなかったのだと気づいた。
番人は小さな鋏を使い、爪を用心深く切った。
右手の後は左。番人の手は大きくとても器用には見えないのに、深爪にはならなかった。
「足」
お仙は恐る恐る、足を出した。外に出した右足はまっ黒に汚れていた。番人はちょっと待てと言うと濡れた手ぬぐいを持って来てそれを拭いた。
それが気持ちよくてお仙は思わず声をあげてしまった。番人はそれを聞いていたのかいないのか、足の爪をゆっくりと切った。
右足を中に入れ、次は左足を出した。同じように濡れ手ぬぐいで拭かれた。
「かたじけのうございます」
爪を切り終わった後礼を言うと番人は仕事だからと戸を閉めて座敷を離れた。
壁板の隙間からもれる日の光に手をかざした。やせ衰えた手を見つめ、昔と同じだと思った。姉と二人秋葉家で世話になっていた頃と同じ荒れてカサカサになった手と。
お仙が姉のお百とともに、伯父の家である秋葉家に引き取られたのは五つの時であった。
母はお仙の父の家で奉公をしていて、そこで御手付きとなり、姉とお仙を産んだのだった。
父亡き後、父の妻の弟が養子となり家を継ぎ、母は半ば追い出されるように父の家から暇を出された。
姉とお仙も母とともに秋葉家の厄介となった。伯父は決して冷たい人ではなかったが、貧しい秋葉家に女三人を置いておくゆとりはなかった。
母は娘二人を置いて、照妙寺の住み込みの下働きに出た。姉妹は秋葉家でほとんど使用人のような生活をしていた。下女も雇えぬ秋葉家にとって二人は大事な労働力だった。
つらい生活の中で姉妹は従兄の源五にほのかなあこがれを抱いていた。伯父や伯母のように二人を酷使せず、親のいないところでは二人を手伝ってくれることもあった。
お仙が十三、姉が十五の時だった。母を訪ねて照妙寺に行った。伯父が行くように命じたのだ。
行くと、母は二人の娘を尼に引き合わせた。それが梅芳院との出会いだった。
梅芳院は姉にこれからも時々は寺に来るようにと言った。
その後、姉だけが何度か寺に呼ばれるようになった。姉の話では梅芳院様から手習いや歌を教わっているということだった。
一年後、姉はお城に女中奉公に出ることになった。伯父達は張り切って支度をしていた。けれど、お仙は源五が寂しそうな顔をしていることに気付いた。
「源五兄様は姉様のことが好きなのではないじゃろうか」
姉にそう言うと、めったなことを言うものではないと怒られた。
けれど、姉もまた時々寂しそうな顔をしていた。
奉公に出る十日前のことだった。姉が突然倒れた。針仕事の休憩のために立ち上がろうとした時だった。血が畳を染めていた。
すぐに医者が呼ばれた。
「子が流れたのじゃ」
医者の言葉に伯父一家は騒然となった。一体誰の子かと伯母は狂ったように姉に尋ねた。
だが、姉は答えることなく、そのまま息を引き取った。
内輪だけの通夜、葬儀の間、お仙は源五の姿を目で追っていた。源五は真っ青な顔をして口を堅く引き結んでいた。
お仙は源五を責めなかった。なぜなら、一緒にいて気づかなかった自分にも責任があると思ったからだった。だが、源五は卑怯者だという思いはその後ずっと消えなかった。
梅芳院からのお悔みも届いた。使いのくめはさらに伯母にお仙を寺で預かりたいと伝えた。働き手を失うとあって伯母は渋ったが、お仙の母親が姉娘の死で元気がないからと言われれば、無下にもできず、結局頷くことになった。
お仙は姉の死の原因となったであろうと思われる源五と同じ屋根の下にいるのも嫌であったので、照妙寺に赴くことにした。
照妙寺では母の手伝いをするのかと思っていた。だが、仕事は何も言いつけられず、梅芳院や他の尼たちに手習いや歌を教わった。礼儀作法も習い、これではまるで奥女中奉公にでも行くようだと思っていると、半年後、梅芳院から呼ばれた。
「そなたには城の奥に奉公に行ってもらう。姉はああいうことになったから、そなたは外に出さずにここで修行をしてもろうたのだ」
姉の代わりということかとお仙は理解した。
「ただし、普通の奉公ではない。殿様の御子を産むのじゃ」
ということは姉もそのために寺に通っていたということかとお仙は気付いた。
「そなたの姉は殿様がよほど嫌であったのであろうな。他の男と通じるとはな。お仙、よいか、ゆめゆめさようなことになってはならぬぞ」
殿様の顔をお仙は知らない。ただ、まだお若くて、すでに江戸に奥方様がいるということは聞いたことがあった。
その話の後、お仙は梅芳院から数枚の絵を見せられた。
「殿とこのようなことをするのじゃ。よいか、覚悟せよ」
絵の中の男女の睦み合いにお仙は驚き、次に姉と源五のことを思った。もしかすると、姉はこれを見て、殿様とこのようなことをするのが嫌になって源五と通じたのではないか。
「殿はこの絵よりもずっと立派な方じゃ。そなたが心を込めて仕えれば、それに応じてくださるはず。よいな。ゆめゆめ姉のようになってはならぬぞ」
お仙は梅芳院の言葉にうなずいたのであった。
お城に御奉公に上がって数か月後の暑い日に、殿様は江戸から御帰りになった。
数日後、奥女中達は着飾って殿の奥へのおでましを出迎えた。
お仙は御年寄から前日に渡された衣装を着て廊下に並んだ。
「緋色に胡蝶の打掛を着た者、顔を上げよ。そちの名は」
顔を上げたお仙は名乗ったものの、畏れ多すぎて殿様の顔をろくに見ることもできなかった。
その夜、お仙は初めて殿様の夜伽の相手をした。
あっけないほど早くことは終わり、殿様はお仙にねぎらいの言葉をかけ寝てしまった。
なんだか想像していたのは違うと思ったが、殿様はお優しい方であったのでお仙は安心した。
翌日からお仙の身分は正式に中老ということになり、部屋を与えられ、御付きの者もついた。部屋子のおくまは気が利き、よくお仙の身の回りを手伝ってくれた。
亡き父の家の者が挨拶に来たりもしたが、さほど親しかったわけでもないので、挨拶だけ受けた。
秋葉の伯父は丑寅町から戌亥町に屋敷替えとなって、役職も馬廻りから勘定方に変わった。
梅芳院は時々奥に来てはあれこれ御年寄に指示し、お仙の着る物や化粧などに気を配った。
殿は月に五、六回お泊りになり、そのたびにお仙を閨に呼んだ。
夢のような数か月が過ぎた。
年が明け、江戸への参勤のための準備が始まった。二月に入ると慌ただしく日々は過ぎていった。
殿が出立した晩は心細くて泣きそうになった。これから来年の六月までどう過ごせばいいのかと。
懐妊していないことがわかっていたので、もしかすると自分のお役目はこれで終わりかもしれないとも思った。
けれど殿様のいない一年の間も仕事はあった。殿様に代わって御先祖の供養をしたり、梅芳院とともに身寄りのない者への援助をしたり。
気が付くとあっという間に殿様が御帰りになる日が来た。
お仙はお払い箱になることもなく、殿様の閨に侍った。
そんなことが幾年も繰り返された。
その間に母は亡くなった。照妙寺の下働きを辞め、尼となり梅芳院に仕えるようになっていた母は朝のお勤めの最中に倒れてそのまま帰らぬ人となった。
一方、お仙にはなかなか子ができなかった。部屋子のおくまや他の中老が殿のお相手を務めたこともあった。
けれど、江戸でも国許でも子はできなかった。殿様は弟御を御養子にすることになった。
竹之助というあまり顔色のよくない少年であった。その子を連れて殿が江戸にお勤めに行かれた年、お仙は二十四になっていた。
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