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第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)

44 中屋敷への転居

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 寿姫と隆成の初七日が終わった。
 その翌日、飛騨守は上屋敷と下屋敷に触れを出した。 
 寿姫と隆成の追悼のための詩文・歌・書・画を身分・役職を問わず募ると。
 四十九日までに、それを各屋敷の責任者に提出することだけが条件だった。
 それらは優劣を問わず、しかるべき日に上屋敷の御殿の中に掲示し、その中で最も優れていると殿様が判定したものには些少だが賞金を出すこと、提出しなかった者もその日は御殿に行き、発表された作品を見に行ってもよいということも併せて発表された。
 腕に覚えのある者はもちろん、故人の為人ひととなりを知る人々は心動かされた。
 無論、まだ初七日過ぎただけで、そんな気にはなれぬと言う者もあったが、周囲からせっつかれておぬし出してみよと言われれば、その気も起きてくるのだった。





 噂はいまだくすぶっているようだった。飛騨守が菓子を竹之助や小姓達の前で食べてみせたこともあり、表だって口にする者は減った。それでも、自分を見る目に恐れが含まれていることを隆礼が感じることは多かった。
 惣左衛門の話では、中屋敷へ移る近習や小姓の中には行ったら帰ってこれぬかもしれぬと同輩にこぼす者もいるようだった。
 そばでそれを聞きつけると、惣左衛門はありもせぬことを心配しなくてもいいと言い聞かせたものの、果たしてそれがきちんと伝わっているかはわからなかった。
 それでも引っ越しの日はやってきた。
 必要な道具や什器、衣服などはすでに運び入れられていた。
 後は本人たちが移るだけである。
 惣左衛門は四十名ほどと言ったが、結局中間なども入れて六十名余りの家臣が上屋敷と下屋敷から愛宕下の中屋敷に移ることになった。
 その中には下屋敷で寿姫や隆成に仕えていた奥女中、用人十名余りもいた。
 またその他に惣左衛門の妻美祢のような家臣の家族や使用人が二十名、中で飼う鶏の世話と畑仕事をするために雇った農家の一家六人もいた。
 鶏を飼うための鶏小屋も中屋敷に作ったのだ。
 鶏は下屋敷の近くの農家から雌鶏十羽と雄鶏一羽を買い取った。
 これで玉子焼きが食べられると隆礼は中屋敷に着くと一番最初に鶏小屋を見に行ったのだった。





 栗林の隠居隆真にも噂が届いているようだった。
 中屋敷への引っ越しが終わった翌日同じ愛宕下の栗林家中屋敷の隆真に挨拶に行くとまず言われた。

「今や紀州侯と並ぶ悪人になってしまったようだな」
「畏れおおい話です」

 皮肉交じりに言うと隆真は声を潜めた。

「まだ身内で済んでおるうちはいい。他の家中にまで伝われば、大目付も黙ってはおるまい」

 恐ろしいことだった。大名を監視する大目付は旗本出身だが、老中にさえ一切の遠慮をしない。
 彼らに睨まれたら山置家はひとたまりもない。
 ところでと隆真は話を変えた。

「葬儀の時に思ったのだが、兄上はちと御痩せになったのではないか」

 そう言われればそうだった。よく顔を合わせているから気付きにくいが、隆真はたまに会うから気付くのだろう。

「夏痩せにしてはな。お食事はとっておられるのか」
「はい。私のように食い意地が張っておられませんので、きちんと朝も決まったものを全部召し上がっておいでです」

 実は隆礼は食事が物足りないので、小姓や近習に頼んで外出の時に団子や鰻を買ってきてもらったり、小姓の夜食の握り飯を多めに作ってもらうことがあった。
 それにひきかえ、飛騨守は間食などほとんどしなかった。

「今少しお食べにならねば。もし、ここで御身体を壊すことにでもなれば、またそなたのせいにされるぞ」

 それはいくらなんでも考え過ぎだと隆礼は思った。

「私はそんなに悪い男に見えるのでしょうか」
「そなたには、得体が知れぬところがあるのだろうな」
「得体が知れぬとは」

 思いも寄らぬことだった。

「子どもに見えて、やることはまるで大人の男。そなた、御目見えの時、控えの間でさる大藩の御世継に声をかけたそうだな」

 なぜ、それを知っているのかと、隆礼は兄をまじまじと見つめた。隆真はにやりと笑った。

「やはりそうか。いや、隠居同士の集まりでいろいろと話が入ってくるんだ」

 隠居など誰もあそこにはいなかった。御世継が誰かに話したのだろうか。一体、どういうふうに話が伝わっているのか、皆目わからない。

「お気を楽になどと言えぬぞ、普通。わしも栗林の世継ぎとして、御目見えしたが、それはそれは気が張ってな、口もきけなんだ。十万石でもそれなのに、そなたは三十万石の御世継に声をかけたのだからな」
「あの方は三十万石なのですか。顔にはそのようなこと書いておりませぬゆえ。岡部の弟のように思えて、つい声をかけたのです。こちこちになっておいででしたから」

 隆真は笑った。

「いや、これは済まぬ、不謹慎だった。確かに顔には書いてないな」

 そう言った後で、そこが子どもらしくないと言う。

「色が黒くて、まだ幼い顔をしておるくせに国許に子どもが間もなく生まれる。御目見えの時に控室で三十万石の御世継にお気を楽になどと声をかける。知らぬ人間からすれば、得体が知れぬのだ。だから、おかしな勘ぐりをされる」

 そんなものなのかと隆礼は思った。

「時が解決してくれるさ。そなたのことが皆にわかるようになればな」 

 そこで皆にわかってもらうためにと隆真は自分の出入りする書画の集まりに来いと誘った。町人や旗本、御家人もいて気取らぬ集まりだと言う。

「そなたの海の絵の話をしたら、是非にもと言われてな。今しばらくは忙しいだろうが、冬になる前に一度出てこないか」

 断る理由もないので、集まりの日が決まったら教えてくれるように頼んだ。





 中屋敷の用人頭を務めるのは沢井信之助である。今で言えば、執事の長、家令とでも言うべき立場である。
 引っ越しに当たり、まず、呼び方が問題になった。
 これまでは家老の下で勤めていて、隆礼との接点はほとんどなかった。だが、中屋敷の用人頭ともなれば、毎日のように話をする機会がある。
 隆礼は子どもの頃から信之助様と呼んでいたので、呼び捨てにできなかった。

「困ります。主が臣下に様を付けてはなりません」
「では、どのように呼べばよいのですか」
「岡部惣左衛門を呼ぶ時と同じようにしてくだされば結構です。それがしの名乗りは父と同じ甚太夫ですので、信之助とお呼びください」

 信之助には様を付けないとそれこそ様にならない気がした。

「甚太夫では駄目ですか」
「我が家は代々、主は甚太夫ですので。父が隠居するまではそれがしは信之助です」

 沢井信之助はまじめな顔で言う。

「いっそのこと、別の名を名乗ったらどうですか」

 そのようなことはできませんとは信之助の立場では言えない。名前は自分で決めるものではなく、親や名付け親、主君が与えるものだ。もし、若君がこう名乗れと言われたら、たとえ助兵衛という名であっても名乗らねばならないのだ。
 隆礼もそう言ったからには、名前を自分がつけねばならないことに気付いた。

「清兵衛というのはどうですか。それがしの知る限り、家中にはいないはず」
「ありがたき幸せ」

 そう言った後すぐに付け加えた。

「それがしはおやめください。それからかような丁寧な物言いも。若君様は中屋敷では一の人」

 そういうわけで沢井信之助は沢井清兵衛になった。
 その名のごとく、沢の清らかなるかのような人柄と家中の内外で言われるようになるのは、まだ少し先の話である。
 沢井清兵衛の家移り後の初めての大仕事は、中屋敷に落ち着いて三日目の夕方、表玄関に蔦の家紋の羽織を身に着けた侍が訪れて、中屋敷を管理する用人への面会を求めたことから始まった。
 清兵衛が対応したところ、侍は加納家の用人の田沼といい、明日こちらを加納様が引っ越しの祝いにお訪ねするという用向きを伝えた。
 近習の岡部惣左衛門に尋ねると、それは以前に栗林家の中屋敷で御一緒した方で若君と昵懇の間と答えたので、清兵衛はお待ちしておりますと田沼に返答したのだった。
 とはいえ、武鑑にもない加納の名に不審を覚えた清兵衛は惣左衛門に改めて問いただした。
 惣左衛門も言われてみれば、不審な話と思った。
 惣左衛門が見たところ、加納様は地味な木綿の着物を着ていて大名らしくないところがあった。だが、旗本や御家人のように元から江戸育ちという風には見えない。言葉に西国の訛りがあった。

「もしや、どこぞの家中の方が身をやつしておいでなのではないか」

 沢井清兵衛の出した結論に惣左衛門も、そうかもしれぬと思った。

「ですが、なぜやつす必要があるのでしょうか。何か事情がおありなのでしょうか」

 清兵衛にもわからなかった。
 惣左衛門は平太に訊いてみるかと思ったが、生憎平太は上屋敷である。彼は中屋敷についていかなかった。仕事柄行くわけにはいかないらしい。その代り、平太の手下らしい中間と御端おはしたの女中が中屋敷に来ていた。
 だが、彼らは平太の命令で動く。惣左衛門の命令では動かない。
 それに、もし怪しい人物なら、平太が近づかせないはずだった。
 そのうち、わかるだろうと惣左衛門は構えていた。
 本当の名前を言わないのは知られたら困るということだ。もし知られたら、隆礼との交際ができなくなるのかもしれない。だが、隆礼にとって、加納は腹を割って話せる数少ない大名(らしい人物)である。
 そういう大事な相手をむざむざ失うわけにはいかなかった。
 沢井清兵衛の心配もわかるが、隆礼のためには、目をつぶっておこうと決めたのだった。





 隆礼にとっては中屋敷引っ越しの最大の問題は利根の件であった。
 いくら加部家公認とはいえ、尼になりたいと言っていた女性と関係を持っていいものだろうか。
 加部豊後守の孫娘の祝姫が正室となるということで、奥の人事の主導権は加部家が握っていた。
 引っ越しと同時に奥の女中が入ることになっていた。当然、利根も一緒にやってくるはずだった。
 だが、いまだ奥には加部家からは誰も入っていない。いるのは山置家から来た御端女中や警護役だけである。
 豊後守は山置家の不幸に遠慮して、奥の女中達の派遣を四十九日以降にすると言ってきたのだ。
 当然といえば当然である。
 亡くなった寿姫は豊後守の息子掃部助の正室の遠縁である。従って寿姫の息子の隆成も親戚に当たる。
 その四十九日も終わらぬうちに奥に女中を入れれば、その期間のうちに隆礼が利根と枕を共にする恐れがある。加部家としては、そういうことは避けておきたいところだった。
 というわけで、利根問題は先送りになった。
 解決したわけではなく先送りになっただけだが、それでも隆礼の気分は穏やかになった。
 噂渦巻く上屋敷から離れたことも気分を楽にした。
 家移りの翌朝には雌鶏が卵を産んでくれたので、玉子焼きを朝食べることもできた。
 参勤の時に食べた物に比べて甘さはないが、それでもおいしかった。
 しかも明日は加納様がおいでになる。
 精一杯もてなそうと、用人頭の沢井清兵衛にあれこれ指示をした。

「加納様は贅沢をお嫌いになる。あまり品数を多くしなくてもいい」
「さようなことはできません。若君様の来客に粗相はできません」
「栗林の中屋敷でも御機嫌が悪くなった。勿体ないと全部お召し上がりになった」
「全部でございますか」
「魚の表も裏もだ」
「それでは、なおのこと、品数は減らせません。たくさんお召し上がりになる方なのですから」

 問答の末、一品だけ減らすということになった。
 打ち合わせの最後に沢井清兵衛は尋ねた。

「ところで、加納様という方はお屋敷はどちらなのでしょうか」
「赤坂とかおっしゃっていた」
「赤坂でございますか」

 清兵衛は赤坂に屋敷を持つ大名を調べてみることにした。







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