98 / 128
第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)
41 隆成の死
しおりを挟む
下屋敷から戻った隆礼は竹之助を見舞おうと思った。
師匠に会うために勇気を出して行列に声をかけた少女たちに比べ、自分は恵まれている。
見舞おうと思えばいつでも会えるのに見舞わない自分が恥ずかしかった。
下屋敷でいただいたお菓子があったので、元気になるようにと箱ごと持って行った。
住まいの隠居所では、竹之助様は同じ病の兄の病状が重いことを知ってふさぎこんでいると小姓達が口々に訴えた。
食事もしようとしないし、お気に入りの女中がお慰めしようとしても、顔も見たくないと言う。
「下屋敷でいただいたお菓子がある。これを差し上げよう」
そう言って、小姓達にも少し味見に食べるようにと言って菓子の箱を預けた。
部屋に入ると、竹之助はこの暑いのに掻巻を頭からかぶっていた。
「兄上様、新右衛門です。お菓子を下屋敷でいただいたので持って参りました。御加減がよくなったらお召し上がりください」
声をかけると掻巻布団から亀のように頭を出した。
やはり少しむくんでいるようだった。
「わしも兄上のようになるかもしれぬ」
喉が少し嗄れているようだった。夏風邪だろうか。
「御熱はありませんか」
「熱があるのはいつものことぞ。どうしておぬしだけ、いつもぴんぴんしておるのだ」
「申し訳ありません」
変な話だが、こういう時は謝るしかない。自分が元気なのは、誰のせいでもないのだが。
「兄上、気をしっかりお持ちください。下屋敷の兄上はきっと持ち直します」
「当たり前だ。わしはしっかりしておる。おぬしとは違う」
不機嫌でも、こうやって憎まれ口をたたいていられるなら大丈夫だなと隆礼は思った。
隆礼が翌朝目覚めると、やけに屋敷のうちがざわついているように思われた。
起こしに来た小姓に尋ねると、下屋敷からお使いが来ているということだった。
不吉な予感を覚えた。
着衣を整え、仏間に行く支度を終えると、廊下に出ていた飛騨守の表情が暗かった。
廊下で尋ねるわけにもいかず、押し黙って仏間まで行った。
そこで飛騨守は眞里姫もいる前で口を開いた。
「下屋敷の隆成が身まかった。寝ている間に心の臓が止まったようだ。世話役のものが息をしていないのに気付き起こしたが、すでにこと切れておったそうだ。苦しんだようには見えなかったそうだ」
昨日のことが思い出された。目に涙を浮かべていた姿。少女たちを前にしっかりと話していた姿。
眞里姫も目頭を押さえていた。
「隆礼、そなたには礼を言う」
飛騨守は隆礼を見つめた。
「よう、隆成に、あの教え子らを会わせてくれた」
「あれは、天の助け。もし、あの娘たちが私の駕籠に近づかなければ」
「そうだとしても、そなたでなければ、できぬこと」
名も知らぬ町人を大名屋敷に入れるなどとんでもない話で、そういうことを平気でしてしまうことを褒められるのは変な気分がした。
それに、隆成はすでにこの世の人ではない。
果たして、あれでよかったのだろうか。かえって未練が残ったのではあるまいかとも考えてしまう。
ともあれ、母に次いで、その実子の葬儀となり、山置家は喪の悲しみに沈んでいた。
その朝、遅く起きた竹之助の元に小姓が菓子の載った高坏を持って来た。
飛騨守も隆礼も既に下屋敷に向けて出立していた。
竹之助はまだ隆成の訃報を知らなかった。
教えるとまたふさぎ込んでしまうと小姓達が示し合わせて黙っていたのである。
「何もお召し上がりにならないのはよくありません。美味しそうな菓子です。まるで国許の饅頭のような味でございました」
味見をしたのであろう小姓の言葉に、竹之助は布団から起き上がった。
「国の饅頭はうまかった。於絹は元気にしておるかの」
「便りのないのは無事のしるしと申します」
小姓は煎茶も持って来た。
竹之助は床の上に正座し、茶を飲んだ。江戸の水の味にはなんとなく慣れない。お茶の味も国許とは違うような気がする。
高坏の上には饅頭や干菓子がおいしそうに並べられている。
そっと手を伸ばして饅頭を取った。
口元にもってゆき、白い薄皮に歯を当てた。少し硬くなっていたが、皮の内側についた餡は柔らかかった。
「うまいな」
小姓はその表情に安堵した。
よかったと思った。
一個食べた後、竹之助は茶を飲んだ。渋味が口の中に残った餡の甘味を洗い流していく。
干菓子を食べようと手を伸ばそうとした時だった。
竹之助は不意に吐き気を覚え、その手を口元にあてていた。
「若様」
小姓の声に隣の間に控えていた他の小姓も入って来た。
呻いた竹之助は口に当てていた手を離した。手の上に先ほど食べた饅頭らしいものの欠片が胃液にまみれて吐き出されていた。
「誰か、医者を」
部屋に入って来た小姓が叫ぶ。
苦し気に呻き続ける竹之助の背を撫でる小姓はこの菓子を持って来た隆礼のことを思い出した。
「全部御戻しくださいませ。新右衛門殿の持って来た菓子には、恐らく毒が」
竹之助の手を拭いていた小姓は顔面蒼白となった。
なおもげえげえと吐き続ける竹之助は死にとうない、死にとうないと心の中で叫んでいた。
師匠に会うために勇気を出して行列に声をかけた少女たちに比べ、自分は恵まれている。
見舞おうと思えばいつでも会えるのに見舞わない自分が恥ずかしかった。
下屋敷でいただいたお菓子があったので、元気になるようにと箱ごと持って行った。
住まいの隠居所では、竹之助様は同じ病の兄の病状が重いことを知ってふさぎこんでいると小姓達が口々に訴えた。
食事もしようとしないし、お気に入りの女中がお慰めしようとしても、顔も見たくないと言う。
「下屋敷でいただいたお菓子がある。これを差し上げよう」
そう言って、小姓達にも少し味見に食べるようにと言って菓子の箱を預けた。
部屋に入ると、竹之助はこの暑いのに掻巻を頭からかぶっていた。
「兄上様、新右衛門です。お菓子を下屋敷でいただいたので持って参りました。御加減がよくなったらお召し上がりください」
声をかけると掻巻布団から亀のように頭を出した。
やはり少しむくんでいるようだった。
「わしも兄上のようになるかもしれぬ」
喉が少し嗄れているようだった。夏風邪だろうか。
「御熱はありませんか」
「熱があるのはいつものことぞ。どうしておぬしだけ、いつもぴんぴんしておるのだ」
「申し訳ありません」
変な話だが、こういう時は謝るしかない。自分が元気なのは、誰のせいでもないのだが。
「兄上、気をしっかりお持ちください。下屋敷の兄上はきっと持ち直します」
「当たり前だ。わしはしっかりしておる。おぬしとは違う」
不機嫌でも、こうやって憎まれ口をたたいていられるなら大丈夫だなと隆礼は思った。
隆礼が翌朝目覚めると、やけに屋敷のうちがざわついているように思われた。
起こしに来た小姓に尋ねると、下屋敷からお使いが来ているということだった。
不吉な予感を覚えた。
着衣を整え、仏間に行く支度を終えると、廊下に出ていた飛騨守の表情が暗かった。
廊下で尋ねるわけにもいかず、押し黙って仏間まで行った。
そこで飛騨守は眞里姫もいる前で口を開いた。
「下屋敷の隆成が身まかった。寝ている間に心の臓が止まったようだ。世話役のものが息をしていないのに気付き起こしたが、すでにこと切れておったそうだ。苦しんだようには見えなかったそうだ」
昨日のことが思い出された。目に涙を浮かべていた姿。少女たちを前にしっかりと話していた姿。
眞里姫も目頭を押さえていた。
「隆礼、そなたには礼を言う」
飛騨守は隆礼を見つめた。
「よう、隆成に、あの教え子らを会わせてくれた」
「あれは、天の助け。もし、あの娘たちが私の駕籠に近づかなければ」
「そうだとしても、そなたでなければ、できぬこと」
名も知らぬ町人を大名屋敷に入れるなどとんでもない話で、そういうことを平気でしてしまうことを褒められるのは変な気分がした。
それに、隆成はすでにこの世の人ではない。
果たして、あれでよかったのだろうか。かえって未練が残ったのではあるまいかとも考えてしまう。
ともあれ、母に次いで、その実子の葬儀となり、山置家は喪の悲しみに沈んでいた。
その朝、遅く起きた竹之助の元に小姓が菓子の載った高坏を持って来た。
飛騨守も隆礼も既に下屋敷に向けて出立していた。
竹之助はまだ隆成の訃報を知らなかった。
教えるとまたふさぎ込んでしまうと小姓達が示し合わせて黙っていたのである。
「何もお召し上がりにならないのはよくありません。美味しそうな菓子です。まるで国許の饅頭のような味でございました」
味見をしたのであろう小姓の言葉に、竹之助は布団から起き上がった。
「国の饅頭はうまかった。於絹は元気にしておるかの」
「便りのないのは無事のしるしと申します」
小姓は煎茶も持って来た。
竹之助は床の上に正座し、茶を飲んだ。江戸の水の味にはなんとなく慣れない。お茶の味も国許とは違うような気がする。
高坏の上には饅頭や干菓子がおいしそうに並べられている。
そっと手を伸ばして饅頭を取った。
口元にもってゆき、白い薄皮に歯を当てた。少し硬くなっていたが、皮の内側についた餡は柔らかかった。
「うまいな」
小姓はその表情に安堵した。
よかったと思った。
一個食べた後、竹之助は茶を飲んだ。渋味が口の中に残った餡の甘味を洗い流していく。
干菓子を食べようと手を伸ばそうとした時だった。
竹之助は不意に吐き気を覚え、その手を口元にあてていた。
「若様」
小姓の声に隣の間に控えていた他の小姓も入って来た。
呻いた竹之助は口に当てていた手を離した。手の上に先ほど食べた饅頭らしいものの欠片が胃液にまみれて吐き出されていた。
「誰か、医者を」
部屋に入って来た小姓が叫ぶ。
苦し気に呻き続ける竹之助の背を撫でる小姓はこの菓子を持って来た隆礼のことを思い出した。
「全部御戻しくださいませ。新右衛門殿の持って来た菓子には、恐らく毒が」
竹之助の手を拭いていた小姓は顔面蒼白となった。
なおもげえげえと吐き続ける竹之助は死にとうない、死にとうないと心の中で叫んでいた。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
誰一人帰らない『奈落』に落とされたおっさん、うっかり暗号を解読したら、未知の遺物の使い手になりました!
ミポリオン
ファンタジー
旧題:巻き込まれ召喚されたおっさん、無能で誰一人帰らない場所に追放されるも、超古代文明の暗号を解いて力を手にいれ、楽しく生きていく
高校生達が勇者として召喚される中、1人のただのサラリーマンのおっさんである福菅健吾が巻き込まれて異世界に召喚された。
高校生達は強力なステータスとスキルを獲得したが、おっさんは一般人未満のステータスしかない上に、異世界人の誰もが持っている言語理解しかなかったため、転移装置で誰一人帰ってこない『奈落』に追放されてしまう。
しかし、そこに刻まれた見たこともない文字を、健吾には全て理解する事ができ、強大な超古代文明のアイテムを手に入れる。
召喚者達は気づかなかった。健吾以外の高校生達の通常スキル欄に言語スキルがあり、健吾だけは固有スキルの欄に言語スキルがあった事を。そしてそのスキルが恐るべき力を秘めていることを。
※カクヨムでも連載しています

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
江戸の櫛
春想亭 桜木春緒
歴史・時代
奥村仁一郎は、殺された父の仇を討つこととなった。目指す仇は幼なじみの高野孝輔。孝輔の妻は、密かに想いを寄せていた静代だった。(舞台は架空の土地)短編。完結済。第8回歴史・時代小説大賞奨励賞。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる