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第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)
41 隆成の死
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下屋敷から戻った隆礼は竹之助を見舞おうと思った。
師匠に会うために勇気を出して行列に声をかけた少女たちに比べ、自分は恵まれている。
見舞おうと思えばいつでも会えるのに見舞わない自分が恥ずかしかった。
下屋敷でいただいたお菓子があったので、元気になるようにと箱ごと持って行った。
住まいの隠居所では、竹之助様は同じ病の兄の病状が重いことを知ってふさぎこんでいると小姓達が口々に訴えた。
食事もしようとしないし、お気に入りの女中がお慰めしようとしても、顔も見たくないと言う。
「下屋敷でいただいたお菓子がある。これを差し上げよう」
そう言って、小姓達にも少し味見に食べるようにと言って菓子の箱を預けた。
部屋に入ると、竹之助はこの暑いのに掻巻を頭からかぶっていた。
「兄上様、新右衛門です。お菓子を下屋敷でいただいたので持って参りました。御加減がよくなったらお召し上がりください」
声をかけると掻巻布団から亀のように頭を出した。
やはり少しむくんでいるようだった。
「わしも兄上のようになるかもしれぬ」
喉が少し嗄れているようだった。夏風邪だろうか。
「御熱はありませんか」
「熱があるのはいつものことぞ。どうしておぬしだけ、いつもぴんぴんしておるのだ」
「申し訳ありません」
変な話だが、こういう時は謝るしかない。自分が元気なのは、誰のせいでもないのだが。
「兄上、気をしっかりお持ちください。下屋敷の兄上はきっと持ち直します」
「当たり前だ。わしはしっかりしておる。おぬしとは違う」
不機嫌でも、こうやって憎まれ口をたたいていられるなら大丈夫だなと隆礼は思った。
隆礼が翌朝目覚めると、やけに屋敷のうちがざわついているように思われた。
起こしに来た小姓に尋ねると、下屋敷からお使いが来ているということだった。
不吉な予感を覚えた。
着衣を整え、仏間に行く支度を終えると、廊下に出ていた飛騨守の表情が暗かった。
廊下で尋ねるわけにもいかず、押し黙って仏間まで行った。
そこで飛騨守は眞里姫もいる前で口を開いた。
「下屋敷の隆成が身まかった。寝ている間に心の臓が止まったようだ。世話役のものが息をしていないのに気付き起こしたが、すでにこと切れておったそうだ。苦しんだようには見えなかったそうだ」
昨日のことが思い出された。目に涙を浮かべていた姿。少女たちを前にしっかりと話していた姿。
眞里姫も目頭を押さえていた。
「隆礼、そなたには礼を言う」
飛騨守は隆礼を見つめた。
「よう、隆成に、あの教え子らを会わせてくれた」
「あれは、天の助け。もし、あの娘たちが私の駕籠に近づかなければ」
「そうだとしても、そなたでなければ、できぬこと」
名も知らぬ町人を大名屋敷に入れるなどとんでもない話で、そういうことを平気でしてしまうことを褒められるのは変な気分がした。
それに、隆成はすでにこの世の人ではない。
果たして、あれでよかったのだろうか。かえって未練が残ったのではあるまいかとも考えてしまう。
ともあれ、母に次いで、その実子の葬儀となり、山置家は喪の悲しみに沈んでいた。
その朝、遅く起きた竹之助の元に小姓が菓子の載った高坏を持って来た。
飛騨守も隆礼も既に下屋敷に向けて出立していた。
竹之助はまだ隆成の訃報を知らなかった。
教えるとまたふさぎ込んでしまうと小姓達が示し合わせて黙っていたのである。
「何もお召し上がりにならないのはよくありません。美味しそうな菓子です。まるで国許の饅頭のような味でございました」
味見をしたのであろう小姓の言葉に、竹之助は布団から起き上がった。
「国の饅頭はうまかった。於絹は元気にしておるかの」
「便りのないのは無事のしるしと申します」
小姓は煎茶も持って来た。
竹之助は床の上に正座し、茶を飲んだ。江戸の水の味にはなんとなく慣れない。お茶の味も国許とは違うような気がする。
高坏の上には饅頭や干菓子がおいしそうに並べられている。
そっと手を伸ばして饅頭を取った。
口元にもってゆき、白い薄皮に歯を当てた。少し硬くなっていたが、皮の内側についた餡は柔らかかった。
「うまいな」
小姓はその表情に安堵した。
よかったと思った。
一個食べた後、竹之助は茶を飲んだ。渋味が口の中に残った餡の甘味を洗い流していく。
干菓子を食べようと手を伸ばそうとした時だった。
竹之助は不意に吐き気を覚え、その手を口元にあてていた。
「若様」
小姓の声に隣の間に控えていた他の小姓も入って来た。
呻いた竹之助は口に当てていた手を離した。手の上に先ほど食べた饅頭らしいものの欠片が胃液にまみれて吐き出されていた。
「誰か、医者を」
部屋に入って来た小姓が叫ぶ。
苦し気に呻き続ける竹之助の背を撫でる小姓はこの菓子を持って来た隆礼のことを思い出した。
「全部御戻しくださいませ。新右衛門殿の持って来た菓子には、恐らく毒が」
竹之助の手を拭いていた小姓は顔面蒼白となった。
なおもげえげえと吐き続ける竹之助は死にとうない、死にとうないと心の中で叫んでいた。
師匠に会うために勇気を出して行列に声をかけた少女たちに比べ、自分は恵まれている。
見舞おうと思えばいつでも会えるのに見舞わない自分が恥ずかしかった。
下屋敷でいただいたお菓子があったので、元気になるようにと箱ごと持って行った。
住まいの隠居所では、竹之助様は同じ病の兄の病状が重いことを知ってふさぎこんでいると小姓達が口々に訴えた。
食事もしようとしないし、お気に入りの女中がお慰めしようとしても、顔も見たくないと言う。
「下屋敷でいただいたお菓子がある。これを差し上げよう」
そう言って、小姓達にも少し味見に食べるようにと言って菓子の箱を預けた。
部屋に入ると、竹之助はこの暑いのに掻巻を頭からかぶっていた。
「兄上様、新右衛門です。お菓子を下屋敷でいただいたので持って参りました。御加減がよくなったらお召し上がりください」
声をかけると掻巻布団から亀のように頭を出した。
やはり少しむくんでいるようだった。
「わしも兄上のようになるかもしれぬ」
喉が少し嗄れているようだった。夏風邪だろうか。
「御熱はありませんか」
「熱があるのはいつものことぞ。どうしておぬしだけ、いつもぴんぴんしておるのだ」
「申し訳ありません」
変な話だが、こういう時は謝るしかない。自分が元気なのは、誰のせいでもないのだが。
「兄上、気をしっかりお持ちください。下屋敷の兄上はきっと持ち直します」
「当たり前だ。わしはしっかりしておる。おぬしとは違う」
不機嫌でも、こうやって憎まれ口をたたいていられるなら大丈夫だなと隆礼は思った。
隆礼が翌朝目覚めると、やけに屋敷のうちがざわついているように思われた。
起こしに来た小姓に尋ねると、下屋敷からお使いが来ているということだった。
不吉な予感を覚えた。
着衣を整え、仏間に行く支度を終えると、廊下に出ていた飛騨守の表情が暗かった。
廊下で尋ねるわけにもいかず、押し黙って仏間まで行った。
そこで飛騨守は眞里姫もいる前で口を開いた。
「下屋敷の隆成が身まかった。寝ている間に心の臓が止まったようだ。世話役のものが息をしていないのに気付き起こしたが、すでにこと切れておったそうだ。苦しんだようには見えなかったそうだ」
昨日のことが思い出された。目に涙を浮かべていた姿。少女たちを前にしっかりと話していた姿。
眞里姫も目頭を押さえていた。
「隆礼、そなたには礼を言う」
飛騨守は隆礼を見つめた。
「よう、隆成に、あの教え子らを会わせてくれた」
「あれは、天の助け。もし、あの娘たちが私の駕籠に近づかなければ」
「そうだとしても、そなたでなければ、できぬこと」
名も知らぬ町人を大名屋敷に入れるなどとんでもない話で、そういうことを平気でしてしまうことを褒められるのは変な気分がした。
それに、隆成はすでにこの世の人ではない。
果たして、あれでよかったのだろうか。かえって未練が残ったのではあるまいかとも考えてしまう。
ともあれ、母に次いで、その実子の葬儀となり、山置家は喪の悲しみに沈んでいた。
その朝、遅く起きた竹之助の元に小姓が菓子の載った高坏を持って来た。
飛騨守も隆礼も既に下屋敷に向けて出立していた。
竹之助はまだ隆成の訃報を知らなかった。
教えるとまたふさぎ込んでしまうと小姓達が示し合わせて黙っていたのである。
「何もお召し上がりにならないのはよくありません。美味しそうな菓子です。まるで国許の饅頭のような味でございました」
味見をしたのであろう小姓の言葉に、竹之助は布団から起き上がった。
「国の饅頭はうまかった。於絹は元気にしておるかの」
「便りのないのは無事のしるしと申します」
小姓は煎茶も持って来た。
竹之助は床の上に正座し、茶を飲んだ。江戸の水の味にはなんとなく慣れない。お茶の味も国許とは違うような気がする。
高坏の上には饅頭や干菓子がおいしそうに並べられている。
そっと手を伸ばして饅頭を取った。
口元にもってゆき、白い薄皮に歯を当てた。少し硬くなっていたが、皮の内側についた餡は柔らかかった。
「うまいな」
小姓はその表情に安堵した。
よかったと思った。
一個食べた後、竹之助は茶を飲んだ。渋味が口の中に残った餡の甘味を洗い流していく。
干菓子を食べようと手を伸ばそうとした時だった。
竹之助は不意に吐き気を覚え、その手を口元にあてていた。
「若様」
小姓の声に隣の間に控えていた他の小姓も入って来た。
呻いた竹之助は口に当てていた手を離した。手の上に先ほど食べた饅頭らしいものの欠片が胃液にまみれて吐き出されていた。
「誰か、医者を」
部屋に入って来た小姓が叫ぶ。
苦し気に呻き続ける竹之助の背を撫でる小姓はこの菓子を持って来た隆礼のことを思い出した。
「全部御戻しくださいませ。新右衛門殿の持って来た菓子には、恐らく毒が」
竹之助の手を拭いていた小姓は顔面蒼白となった。
なおもげえげえと吐き続ける竹之助は死にとうない、死にとうないと心の中で叫んでいた。
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