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第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)
32 御目見えまでの日々
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この年は五月が二回あった。閏月である。
江戸時代の暦は月の満ち欠けの一周期を一月としている。それが約29.53日。12カ月は354.36日。
対して地球が太陽の周りをまわるのは約365.24日。旧暦と毎年10日のずれが生じる。
三年もたてば暦が実際の季節と一か月ずれてしまう。
そこで閏月がおかれ、暦のずれを修正していたのである。
この年正徳三年(1713年)は五月に閏月が置かれていた。
さて、閏五月。
隆礼の周辺はにわかに騒がしくなった。
まず、中屋敷拝領が正式に決定した。すぐに屋敷の改装が始まった。
数日後、隆礼を養子とする届けが御公儀に認められた。
その日から、隆礼は殿様である兄のことを父上と呼び、その奥方の眞里姫を母上と呼ぶことになった。
さらに御目見えの日取りも決まった。
そうなると、毎日、上屋敷の一番広い座敷で留守居役の指導で御目見えの練習が始まった。
中に入って、いざって座り、頭を下げてと一連の動きが滑らかにできるように、何度も念押しをされた。
礼をする時、畳に頭をこすりつけ、同時に深く息を吸い込むように言われて、その通りにしたら、畳の上のごみまで吸い込んでしまい、咳き込んでしまった。
留守居役は咳をしないようにと言ったが、無理だった。
長袴を実際に履いて、廊下を歩く練習もした。何度も裾を踏んで転んだ。
とにかく、他の方の袴を踏まぬように、切腹ものですと言われた。
御目見えでそんなことになったら、御家の危機である。
隆礼はとにかく粗相のないようにと、練習した。こんなに一生懸命になったのは、七つの時の八朔の試合の前の練習の時以来ではなかろうかと自分でも思うほどだった。
暑くなると江戸患いは重くなるらしく、下屋敷の隆成の具合が悪いと耳に入ってくるようになった。
娘手習い所も休み続きだと隆成は手紙に書いて送って来た。
上屋敷にいる竹之助もやはり具合がよくないので、忙しい隆礼はますます顔を合わせることが少なくなった。
気候のいい秋口に竹之助は帰国する予定だったが、この分では予定通りにいくか、危ぶまれる状況だった。
隆礼もなんとなく身体のだるさを感じたものの、休みに外に出た与五郎が買ってくる鰻のかば焼きをこっそり食べると、元気を取り戻せた。
元気になればなったで、下半身も相応に元気になるものだが、隆礼はそんな気になれなかった。
卯女のことはともかく、彼女を襲った喜乃の狂気が恐ろしかった。
ある意味、村瀬喜兵衛も被害者と言っていいように、隆礼には思えるのだ。
事件から十日ほどたった晩に、平太から事件の全容の報告を受けた時、隆礼は死んだのが彼女一人であったことに、心からほっとした。
平太は喜乃の故郷である加部家の数ある領地の一つに行き、喜乃の生い立ちから奥勤めまでのことを調べあげていた。
それによると、喜乃は加部家の忍びの影衆の中の犬を専門に扱う御犬組の組頭の娘であった。それで狆のあしらいに長けていたのだった。影衆では犬を番犬にするだけでなく、不審者の探索にも活用していて、御犬組は戦国の世から加部家を支えていた。
しかし先の上様が「生類憐みの令」を発したため、表だって犬の訓練ができなくなった。訓練は知らぬ人が見れば虐待ともとられかねないものだったからだ。譜代の加部家は九州の外様の山置家のように無視はできなかったのである。御犬組は殿様の鷹狩用の猟犬の飼育という名目で辛うじて存続を許された。
飼育する犬の数を減らされ、支給される手当が減ったため、喜乃は口減らしのため、国許のお城に奉公に上がることになった。無論、忍びの者としての修業もしているから、奥の警護も兼ねていた。
そこで喜乃は問題を起こしていた。
奉公を始めてすぐに同部屋の女中といさこざがあり、部屋を変わっていた。原因は喜乃の行動にあった。
同部屋の先輩女中の真似をするのである。仕事を覚えるために行動を真似するというのは何も不自然ではない。だが、喜乃の真似は常軌を逸していた。
城には時々商人が来て化粧品や簪などの小間物を売りに来る。同部屋の先輩女中とともに商人から品物を買う時に、喜乃は同じものをしょっちゅう買うのであった。
最初は可愛い後輩だと思っていたが、あまりにも頻繁で、先輩女中は恐ろしくなってきた。
気が付けば、化粧の仕方の真似だけでなく、話し方まで真似ているのだ。
先輩女中はそのことを以前から親しくしていた同僚に相談した。すると、喜乃は同僚になぜ相談をするのかと先輩女中に詰め寄った。なにしろ武芸の心得も一通りある忍びの娘である。恐ろしくなった彼女はとうとう上司の中老に部屋替えを願い出たのだった。
次に同室になった女中は、それを聞いていたので、喜乃と距離をとっていた。
が、ある日自分と同じ簪をしているのに気付いた。彼女は御年寄の縁者だったので、御年寄に相談した。
そこで御年寄は江戸の上屋敷に移すことにした。国許と違い江戸は加部豊後守の正室がおりそれなりに忙しいので、人まねをする暇などなかろうと思ったのだった。
上屋敷に異動してすぐに、娘の眞里姫の嫁ぎ先の女中が一人嫁入りが決まって辞めたので、喜乃が交替して山置家の奥に派遣されることになった。眞里姫の女中は実家の豊後守から遣わされることになっているのである。
そこで喜乃は真似る相手を見つけた。それが卯女だった。三つ上の卯女は狆の茜丸の世話掛で眞里姫の信頼も厚く、広敷の役人とも狆にかかる費用のことで堂々とやり合うことのできる女中だった。
喜乃でなくとも憧れたかもしれないが、喜乃はやはり常軌を逸していた。
若君の寵愛を受けるようになった卯女の真似をするのは、一介の女中には難しくなっていた。
身に着けるものがまったく手出しのできないものになってしまったのだ。
真似ができなくなった喜乃は卯女が極秘に情を交わしていた村瀬喜兵衛に好意を持ってしまったのだった。
けれど、同じ狆の世話掛になっても、村瀬喜兵衛は喜乃にまったく興味を向けなかった。狆の御用の品購入を取次を介して広敷の村瀬に頼む時も、村瀬の対応は素っ気ないものだった。
自分は卯女のようにはなれないと喜乃は知ったのだろう。そこで、普通の人間なら自分の行動を見直して行動を変えようと思うものだが、喜乃は違った。
村瀬に執着し、あろうことか、恋文めいたものを送ったのだった。
平太は村瀬本人にそれを聞き出した。村瀬はもらった手紙をすぐさま破り捨て長屋の竈の焚き付けにしたということだった。
その後も送られた文すべて竈の焚き付けになった。
村瀬は若い頃からよくあることだったのでそのうち来なくなるだろうと思っていたらしい。
さらに、彼女に追いうちをかけたのは、茜丸があまり彼女に懐かないことだった。
狆というのは非常に人懐こいのだが、茜丸は卯女ほどには喜乃に懐かなかった。時々、彼女の手から逃げてしまうことがあった。
掛を変えたほうがいいかもしれないと御年寄は思っていたらしい。
そうこうするうちに、当日が来た。
その朝、喜乃は表使いを通して広敷の村瀬が国許に帰ると知った。
帰国の事情を知らなかった喜乃は卯女が若君に頼んで村瀬を国許に帰したのだと考えて、若君や眞里姫の前で卯女を辱めようと思って、凶行に走ったようだった。
彼女は持っているすべての手裏剣を使っていた。手裏剣は剣と名がつくくらいだから、それなりの値がする。平太も自分の手裏剣は可能ならば仕事が終わった後回収している。それをすべて使ったということは、覚悟の上であったのだろう。
たとえ自分が死んでも、卯女と村瀬の関係を暴露すれば、二人とも罰せられるに違いないと考えたのだろう。それが自分を蔑ろにした(と喜乃が思い込んでいる)二人への喜乃の復讐だったらしい。
「殿が村瀬を厳罰に処さずにようございました。あの女の思う壺にならずに済んだのですから」
平太はこう言って締めくくった。
隆礼は女の、いや人の心の不可解さを知り、恐ろしくなった。
隆礼には、喜乃がまったくわからなかった。平太も、こういうのは初めてだと言っていた。
普通に見える人の心の奥底には理解できないものが潜んでいることがあるらしい。
そう思うと、仇やおろそかに女性に声をかけるなどできなかった。
小姓達もそういう隆礼の気持ちを汲んだのか、しばらくは今宵のことはと尋ねなかった。
そうなると夜の時間が空くようになったので、かねてから気になっていた農政や財政関係の書を読むことにした。
幸い、当時は元禄十年(1697年)に刊行された宮崎安貞の「農業全書」が普及していたので、早速それを手に入れて読み始めた。
加納の話が隆礼を刺激したのかもしれなかった。国のことを知り、学んで、加納のように産業を盛んにしたかった。
白石村の勘平がその相手を務めて、実際の農作業の説明などもした。
領民の生活について詳しく聞くこともあった。
勘平の家は村では比較的裕福であったが、それでも贅沢のできる生活ではなかった。
小作の家で娘が生まれると、城下から女衒が挨拶に来ることもあると言う。要するに、もしこの先暮らしに困ることがあったらよろしくというわけである。実際、勘平が知る限りでも五人ほど村から娘が売られているということだった。
幸か不幸か、香田角の女は不美人が多いという評判で、遊女よりも奉公人になるほうが多かった。
さすがに頻繁に勘平が若君を訪ねるのを見た家老は、殿様に勘平に手当をやったほうがいいのではと提案し、受け入れられた。
勘平には学生としての手当てだけでなく、講師としての手当てが与えられることになった。
勘平は故郷への手紙に、大変な名誉でありますます勉学への意欲を掻き立てられたと書いている。
香田角の今の財政の状況について家老に詳しく話を聞くことも増えた。
大坂の蔵屋敷にいたことのある役人を呼び、話を聞かせてもらったこともあった。
大坂で行われている米の先物取引を知った時には、まだ穫れもしない来年の相場を読むとはと驚くしかなかった。
武家は金の話などするものではないと子どもの頃から言われていたものの、金のことを知らないとこの先、どうにもならないのではないかと隆礼は思うようになっていた。
だが、家中の倉を豊かにするにはどうすればいいのか。
家老もその策を持たぬようだった。
蔵屋敷にいた役人は専売というのがあると教えてくれた。領内の名産品をすべて家中を通じて販売すれば利益がそのまま家中のものになるということだった。
では何を専売品にすればいいのか。
そんなことを考えているうちに眠りに落ちることが多くなっていた。
ただ、夜更けに目が覚めると、女性の温もりのないことが寂しいこともあった。
そんな時思い出すのは満津であった。
だが、満津からの文はない。
あの事件の直後、御手付きの女中は里に戻ったと文に書いて送った。本当のことを書くわけにはいかないので、そう書くしかなかった。
だが、相変わらず満津からは何の音沙汰もない。
怒っているなら怒っていると書いて送ってもいいではないかと思うのだが。
母や小治郎の文にも満津のことは書いていない。
ただ沢井の細君から、最近やっと悪阻が落ち着いてきたと文が送られてきたのには安堵した。
文と言えば、豊後守の孫娘祝姫からたびたび届くようになっていた。
相変わらず蘇芳丸の話ばかりで、他愛のないものだった。
先日は蘇芳丸が夏の暑さで弱っているので鰻を食べさせたと書いてあった。
犬のくせにと思ったが、さすがにそれを書くわけにはいかない。暑いのなら、長い毛を切ればいいのではないかと返事に書いた。
その二日後の返事には、切りましたとあり、下手な絵で身体の毛を刈った犬の絵が描かれてあった。
あたかも唐獅子のごとしとその横に書いてあったのには声を出して笑ってしまった。
それを聞いた小姓たちは心から安堵した。
江戸時代の暦は月の満ち欠けの一周期を一月としている。それが約29.53日。12カ月は354.36日。
対して地球が太陽の周りをまわるのは約365.24日。旧暦と毎年10日のずれが生じる。
三年もたてば暦が実際の季節と一か月ずれてしまう。
そこで閏月がおかれ、暦のずれを修正していたのである。
この年正徳三年(1713年)は五月に閏月が置かれていた。
さて、閏五月。
隆礼の周辺はにわかに騒がしくなった。
まず、中屋敷拝領が正式に決定した。すぐに屋敷の改装が始まった。
数日後、隆礼を養子とする届けが御公儀に認められた。
その日から、隆礼は殿様である兄のことを父上と呼び、その奥方の眞里姫を母上と呼ぶことになった。
さらに御目見えの日取りも決まった。
そうなると、毎日、上屋敷の一番広い座敷で留守居役の指導で御目見えの練習が始まった。
中に入って、いざって座り、頭を下げてと一連の動きが滑らかにできるように、何度も念押しをされた。
礼をする時、畳に頭をこすりつけ、同時に深く息を吸い込むように言われて、その通りにしたら、畳の上のごみまで吸い込んでしまい、咳き込んでしまった。
留守居役は咳をしないようにと言ったが、無理だった。
長袴を実際に履いて、廊下を歩く練習もした。何度も裾を踏んで転んだ。
とにかく、他の方の袴を踏まぬように、切腹ものですと言われた。
御目見えでそんなことになったら、御家の危機である。
隆礼はとにかく粗相のないようにと、練習した。こんなに一生懸命になったのは、七つの時の八朔の試合の前の練習の時以来ではなかろうかと自分でも思うほどだった。
暑くなると江戸患いは重くなるらしく、下屋敷の隆成の具合が悪いと耳に入ってくるようになった。
娘手習い所も休み続きだと隆成は手紙に書いて送って来た。
上屋敷にいる竹之助もやはり具合がよくないので、忙しい隆礼はますます顔を合わせることが少なくなった。
気候のいい秋口に竹之助は帰国する予定だったが、この分では予定通りにいくか、危ぶまれる状況だった。
隆礼もなんとなく身体のだるさを感じたものの、休みに外に出た与五郎が買ってくる鰻のかば焼きをこっそり食べると、元気を取り戻せた。
元気になればなったで、下半身も相応に元気になるものだが、隆礼はそんな気になれなかった。
卯女のことはともかく、彼女を襲った喜乃の狂気が恐ろしかった。
ある意味、村瀬喜兵衛も被害者と言っていいように、隆礼には思えるのだ。
事件から十日ほどたった晩に、平太から事件の全容の報告を受けた時、隆礼は死んだのが彼女一人であったことに、心からほっとした。
平太は喜乃の故郷である加部家の数ある領地の一つに行き、喜乃の生い立ちから奥勤めまでのことを調べあげていた。
それによると、喜乃は加部家の忍びの影衆の中の犬を専門に扱う御犬組の組頭の娘であった。それで狆のあしらいに長けていたのだった。影衆では犬を番犬にするだけでなく、不審者の探索にも活用していて、御犬組は戦国の世から加部家を支えていた。
しかし先の上様が「生類憐みの令」を発したため、表だって犬の訓練ができなくなった。訓練は知らぬ人が見れば虐待ともとられかねないものだったからだ。譜代の加部家は九州の外様の山置家のように無視はできなかったのである。御犬組は殿様の鷹狩用の猟犬の飼育という名目で辛うじて存続を許された。
飼育する犬の数を減らされ、支給される手当が減ったため、喜乃は口減らしのため、国許のお城に奉公に上がることになった。無論、忍びの者としての修業もしているから、奥の警護も兼ねていた。
そこで喜乃は問題を起こしていた。
奉公を始めてすぐに同部屋の女中といさこざがあり、部屋を変わっていた。原因は喜乃の行動にあった。
同部屋の先輩女中の真似をするのである。仕事を覚えるために行動を真似するというのは何も不自然ではない。だが、喜乃の真似は常軌を逸していた。
城には時々商人が来て化粧品や簪などの小間物を売りに来る。同部屋の先輩女中とともに商人から品物を買う時に、喜乃は同じものをしょっちゅう買うのであった。
最初は可愛い後輩だと思っていたが、あまりにも頻繁で、先輩女中は恐ろしくなってきた。
気が付けば、化粧の仕方の真似だけでなく、話し方まで真似ているのだ。
先輩女中はそのことを以前から親しくしていた同僚に相談した。すると、喜乃は同僚になぜ相談をするのかと先輩女中に詰め寄った。なにしろ武芸の心得も一通りある忍びの娘である。恐ろしくなった彼女はとうとう上司の中老に部屋替えを願い出たのだった。
次に同室になった女中は、それを聞いていたので、喜乃と距離をとっていた。
が、ある日自分と同じ簪をしているのに気付いた。彼女は御年寄の縁者だったので、御年寄に相談した。
そこで御年寄は江戸の上屋敷に移すことにした。国許と違い江戸は加部豊後守の正室がおりそれなりに忙しいので、人まねをする暇などなかろうと思ったのだった。
上屋敷に異動してすぐに、娘の眞里姫の嫁ぎ先の女中が一人嫁入りが決まって辞めたので、喜乃が交替して山置家の奥に派遣されることになった。眞里姫の女中は実家の豊後守から遣わされることになっているのである。
そこで喜乃は真似る相手を見つけた。それが卯女だった。三つ上の卯女は狆の茜丸の世話掛で眞里姫の信頼も厚く、広敷の役人とも狆にかかる費用のことで堂々とやり合うことのできる女中だった。
喜乃でなくとも憧れたかもしれないが、喜乃はやはり常軌を逸していた。
若君の寵愛を受けるようになった卯女の真似をするのは、一介の女中には難しくなっていた。
身に着けるものがまったく手出しのできないものになってしまったのだ。
真似ができなくなった喜乃は卯女が極秘に情を交わしていた村瀬喜兵衛に好意を持ってしまったのだった。
けれど、同じ狆の世話掛になっても、村瀬喜兵衛は喜乃にまったく興味を向けなかった。狆の御用の品購入を取次を介して広敷の村瀬に頼む時も、村瀬の対応は素っ気ないものだった。
自分は卯女のようにはなれないと喜乃は知ったのだろう。そこで、普通の人間なら自分の行動を見直して行動を変えようと思うものだが、喜乃は違った。
村瀬に執着し、あろうことか、恋文めいたものを送ったのだった。
平太は村瀬本人にそれを聞き出した。村瀬はもらった手紙をすぐさま破り捨て長屋の竈の焚き付けにしたということだった。
その後も送られた文すべて竈の焚き付けになった。
村瀬は若い頃からよくあることだったのでそのうち来なくなるだろうと思っていたらしい。
さらに、彼女に追いうちをかけたのは、茜丸があまり彼女に懐かないことだった。
狆というのは非常に人懐こいのだが、茜丸は卯女ほどには喜乃に懐かなかった。時々、彼女の手から逃げてしまうことがあった。
掛を変えたほうがいいかもしれないと御年寄は思っていたらしい。
そうこうするうちに、当日が来た。
その朝、喜乃は表使いを通して広敷の村瀬が国許に帰ると知った。
帰国の事情を知らなかった喜乃は卯女が若君に頼んで村瀬を国許に帰したのだと考えて、若君や眞里姫の前で卯女を辱めようと思って、凶行に走ったようだった。
彼女は持っているすべての手裏剣を使っていた。手裏剣は剣と名がつくくらいだから、それなりの値がする。平太も自分の手裏剣は可能ならば仕事が終わった後回収している。それをすべて使ったということは、覚悟の上であったのだろう。
たとえ自分が死んでも、卯女と村瀬の関係を暴露すれば、二人とも罰せられるに違いないと考えたのだろう。それが自分を蔑ろにした(と喜乃が思い込んでいる)二人への喜乃の復讐だったらしい。
「殿が村瀬を厳罰に処さずにようございました。あの女の思う壺にならずに済んだのですから」
平太はこう言って締めくくった。
隆礼は女の、いや人の心の不可解さを知り、恐ろしくなった。
隆礼には、喜乃がまったくわからなかった。平太も、こういうのは初めてだと言っていた。
普通に見える人の心の奥底には理解できないものが潜んでいることがあるらしい。
そう思うと、仇やおろそかに女性に声をかけるなどできなかった。
小姓達もそういう隆礼の気持ちを汲んだのか、しばらくは今宵のことはと尋ねなかった。
そうなると夜の時間が空くようになったので、かねてから気になっていた農政や財政関係の書を読むことにした。
幸い、当時は元禄十年(1697年)に刊行された宮崎安貞の「農業全書」が普及していたので、早速それを手に入れて読み始めた。
加納の話が隆礼を刺激したのかもしれなかった。国のことを知り、学んで、加納のように産業を盛んにしたかった。
白石村の勘平がその相手を務めて、実際の農作業の説明などもした。
領民の生活について詳しく聞くこともあった。
勘平の家は村では比較的裕福であったが、それでも贅沢のできる生活ではなかった。
小作の家で娘が生まれると、城下から女衒が挨拶に来ることもあると言う。要するに、もしこの先暮らしに困ることがあったらよろしくというわけである。実際、勘平が知る限りでも五人ほど村から娘が売られているということだった。
幸か不幸か、香田角の女は不美人が多いという評判で、遊女よりも奉公人になるほうが多かった。
さすがに頻繁に勘平が若君を訪ねるのを見た家老は、殿様に勘平に手当をやったほうがいいのではと提案し、受け入れられた。
勘平には学生としての手当てだけでなく、講師としての手当てが与えられることになった。
勘平は故郷への手紙に、大変な名誉でありますます勉学への意欲を掻き立てられたと書いている。
香田角の今の財政の状況について家老に詳しく話を聞くことも増えた。
大坂の蔵屋敷にいたことのある役人を呼び、話を聞かせてもらったこともあった。
大坂で行われている米の先物取引を知った時には、まだ穫れもしない来年の相場を読むとはと驚くしかなかった。
武家は金の話などするものではないと子どもの頃から言われていたものの、金のことを知らないとこの先、どうにもならないのではないかと隆礼は思うようになっていた。
だが、家中の倉を豊かにするにはどうすればいいのか。
家老もその策を持たぬようだった。
蔵屋敷にいた役人は専売というのがあると教えてくれた。領内の名産品をすべて家中を通じて販売すれば利益がそのまま家中のものになるということだった。
では何を専売品にすればいいのか。
そんなことを考えているうちに眠りに落ちることが多くなっていた。
ただ、夜更けに目が覚めると、女性の温もりのないことが寂しいこともあった。
そんな時思い出すのは満津であった。
だが、満津からの文はない。
あの事件の直後、御手付きの女中は里に戻ったと文に書いて送った。本当のことを書くわけにはいかないので、そう書くしかなかった。
だが、相変わらず満津からは何の音沙汰もない。
怒っているなら怒っていると書いて送ってもいいではないかと思うのだが。
母や小治郎の文にも満津のことは書いていない。
ただ沢井の細君から、最近やっと悪阻が落ち着いてきたと文が送られてきたのには安堵した。
文と言えば、豊後守の孫娘祝姫からたびたび届くようになっていた。
相変わらず蘇芳丸の話ばかりで、他愛のないものだった。
先日は蘇芳丸が夏の暑さで弱っているので鰻を食べさせたと書いてあった。
犬のくせにと思ったが、さすがにそれを書くわけにはいかない。暑いのなら、長い毛を切ればいいのではないかと返事に書いた。
その二日後の返事には、切りましたとあり、下手な絵で身体の毛を刈った犬の絵が描かれてあった。
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