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第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)
30 綱の松(R15)
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その頃、隆礼は殿様しかいない御座の間で、卯女への仕置きの内容を伝えていた。
卯女は実家に帰さず、家中の者に下げ渡す。
生まれた子どもはその者の子であり、一切山置家との関わりはないと。
殿様はその仕置きに異議は挟まなかった。
ただ、豊後守の家中の娘という立場では障りがあるので、江戸上屋敷の留守居役の養女ということにして、名を改めて嫁がせよと助言をするに留めた。
すぐに卯女を奥から出し、留守居役の家に入れようとも言った。
長く奥にいれば、女達があれこれ噂をすると。
まずは噂を小さくすることが先決だった。
気がかりなのは親のことだった。卯女の親にどのように伝えるのかと尋ねると殿様は言った。
「御正室を迎えるにあたり、豊後守様を憚ってのことと言えば、親族は納得するであろう」
それではまるで豊後守様が悪者になるようだと思っていると殿様はその気持ちを察したかのように言った。
「卯女の実家には豊後守様から相応の手当てを授ける。卯女の相手にもな」
それでいいのだろうかと隆礼は思った。
「ところで、誰に下げ渡すのだ」
殿様に問われ、隆礼は話し合いの結果を告げた。
殿様はその名を聞きうーんとうなった。
「それはちと近過ぎぬか」
「近いほうが目が届きますゆえ」
「まさか、そなた、下げ渡した後も召すつもりではなかろうな」
言われると思っていた。
「それこそ、示しがつきませぬ」
「そうか。では、さように話を進めよう」
それで話は決まった。
その後、殿様は奥に行った。動揺する女達を落ち着かせるためである。
女中達には御不浄は新たに作るので、それまでは長屋にある御不浄で我慢するように御年寄を通じて周知させた。
また、現場周辺はできるだけ早く取り壊し改装することを眞里姫に伝えた。
大名屋敷の改装については届けが必要なので、殿様は明日にも御公儀に届けができるように表の役人に書類を準備させていた。
無論、改装の理由に本当のことは書けない。
眞里姫は私の不徳の致すところ、申し訳ありませぬと繰り返すばかりであった。
それは寝所に入っても同じであった。
殿様は布団の前で深々と頭を下げる眞里姫に言った。
「そなたはよくやった。そなたでなければ、事は収まらなかった」
「なれど、わらわは人を殺めたも同じ」
「余がそなたと同じ立場であれば、同じことを命じた」
そう言うと、殿様は奥方に近づき、そっと抱き寄せた。
「今宵は、もう忘れよ」
顎に手をかけ上を向かせると、殿様は奥方の桃色の唇に唇を当て少し開いた唇から舌を入れた。
ぬるりとした感触が奥方の背筋をびくりとさせたものの、次第にその動きが身体を高ぶらせていった。
さらに、殿は床に横にもならぬうちに、合わせの間から手を入れた。最初はいつものようにそっと、次第にこれまでされたことがない力で触れられた。
その後も、これまでにされたことのないような激しさで殿様は奥方を抱いた。
奥方は別人のような殿の振舞が恐ろしかった。これまで感じたことのないような身体の奥から湧き出すようなおののきに耐えて、奥方は殿様の身体を受け入れた。
その途端に、奥方は気が遠くなりそうになった。数年に一度しか感じたことのないような強いおののきが身を襲った。
「ああっ、お許しを」
「許す。いくらでも、声を出せ」
いつもは検分の中老らに遠慮して声を控えている奥方だった。だが、この日はもう遠慮などできなくなってしまった。
何も考えることができず、ただただ与えられる刺激だけを感じるうちに、何を言ったのかわからないような声を発していた。
「なんと、よき声か」
殿様は愛おし気に奥方の髪を撫でた。
初めてのことに奥方はとまどっていた。こんなことは初めてだった。
「との、との」
自分の声がむせび泣きになっていることに気づき、奥方は驚いた。
「眞里、忘れるのだ。余はここにおる」
しかと抱きしめられて、奥方はいつもと違う殿であっても、やはり殿なのだと感じていた。
殿様もまた、腕の中で震える奥方が愛おしくてならなかった。
厳しい決断を下さざるを得なかった眞里姫の苦しみも悲しみもすべて包んでやりたかった。事件が起きた時、何もできなかった自分にはそれしかできない。
疲れた身体にむち打ち、殿様は上気した奥方に頬ずりし、さらなる快楽に導くため、うつ伏せになった身体の上にのしかかった。
「との、さようなことは。二度もすれば御身体に障ります」
奥方は身体を引き離そうとした。
「構わぬ。余はそなたが愛しい」
奥方はあさましいおのれの姿を恥ずかしく思ったものの、それはわずかな時であった。次から次へと感じる快感で、何も考えられなくなっていた。
二人がつながった場所が三千世界の中心にあるかのように、奥方はそれのことしか考えられなくなっていた。
悶えながら口走る言葉は殿様を滾らせた。
奥方はその重みを受け止めて、幸せを感じていた。
検分の中老は、これまでにないことと驚きかつ感激していた。
殿様の御体調は回復されたのだと。これなら御養子の必要もないのではないかと。
だが、それが燃え尽きる前の蝋燭の最後の輝きであることを奥の女達が知るのに、さほど長い時間は要さなかった。
その夜のうちに卯女は奥から駕籠で連れ出された。行く先は誰も知らなかった。
奥で起こった事件については緘口令が敷かれ、誰も口にせぬようになった。
十日もたたぬうちに、この事件を目撃した女中達のほとんどが豊後守の屋敷や国許に戻され、新たに別の女中に入れ替わった。それは祝姫付きの女中も同様だった。
戻された女中達は破格の手当てを支給され、次々と縁組が決まった。
『山置家で見たこと聞いたこと、一切よそに漏らすなかれ』という念書をとられた上のことである。
女達は卯女の行方がわからぬことを知っていたので、誰も事件について漏らすことはなかった。
広敷の役人や警護の役人も入れ替わった。
現場の御不浄の周辺は取り壊され、松が植えられた。
新しい御不浄が作られたのはそこから離れた場所である。
ただ、後に、誰が言い出すともなく、松は「綱の松」と呼ばれるようになった。
五月雨の夜、松のそばに片腕のない女が立っているのを見たという女中が幾人か現れたのだった。
片腕がないので、渡辺綱に腕を斬られた鬼の化身ではないかと女達の間で語り伝えられていたと、奥女中であった老婆が明治時代に孫らに語ったというエピソードが「香田角の歴史」の「江戸屋敷の変遷」の項で紹介されている。
ただし、同書には、この事件に関する記載はない。奥の祐筆が書き記した公的な記録には、正徳三年の五月に奥女中喜乃が病死し、近くの寺に葬られたことしか記載されていない。
卯女は実家に帰さず、家中の者に下げ渡す。
生まれた子どもはその者の子であり、一切山置家との関わりはないと。
殿様はその仕置きに異議は挟まなかった。
ただ、豊後守の家中の娘という立場では障りがあるので、江戸上屋敷の留守居役の養女ということにして、名を改めて嫁がせよと助言をするに留めた。
すぐに卯女を奥から出し、留守居役の家に入れようとも言った。
長く奥にいれば、女達があれこれ噂をすると。
まずは噂を小さくすることが先決だった。
気がかりなのは親のことだった。卯女の親にどのように伝えるのかと尋ねると殿様は言った。
「御正室を迎えるにあたり、豊後守様を憚ってのことと言えば、親族は納得するであろう」
それではまるで豊後守様が悪者になるようだと思っていると殿様はその気持ちを察したかのように言った。
「卯女の実家には豊後守様から相応の手当てを授ける。卯女の相手にもな」
それでいいのだろうかと隆礼は思った。
「ところで、誰に下げ渡すのだ」
殿様に問われ、隆礼は話し合いの結果を告げた。
殿様はその名を聞きうーんとうなった。
「それはちと近過ぎぬか」
「近いほうが目が届きますゆえ」
「まさか、そなた、下げ渡した後も召すつもりではなかろうな」
言われると思っていた。
「それこそ、示しがつきませぬ」
「そうか。では、さように話を進めよう」
それで話は決まった。
その後、殿様は奥に行った。動揺する女達を落ち着かせるためである。
女中達には御不浄は新たに作るので、それまでは長屋にある御不浄で我慢するように御年寄を通じて周知させた。
また、現場周辺はできるだけ早く取り壊し改装することを眞里姫に伝えた。
大名屋敷の改装については届けが必要なので、殿様は明日にも御公儀に届けができるように表の役人に書類を準備させていた。
無論、改装の理由に本当のことは書けない。
眞里姫は私の不徳の致すところ、申し訳ありませぬと繰り返すばかりであった。
それは寝所に入っても同じであった。
殿様は布団の前で深々と頭を下げる眞里姫に言った。
「そなたはよくやった。そなたでなければ、事は収まらなかった」
「なれど、わらわは人を殺めたも同じ」
「余がそなたと同じ立場であれば、同じことを命じた」
そう言うと、殿様は奥方に近づき、そっと抱き寄せた。
「今宵は、もう忘れよ」
顎に手をかけ上を向かせると、殿様は奥方の桃色の唇に唇を当て少し開いた唇から舌を入れた。
ぬるりとした感触が奥方の背筋をびくりとさせたものの、次第にその動きが身体を高ぶらせていった。
さらに、殿は床に横にもならぬうちに、合わせの間から手を入れた。最初はいつものようにそっと、次第にこれまでされたことがない力で触れられた。
その後も、これまでにされたことのないような激しさで殿様は奥方を抱いた。
奥方は別人のような殿の振舞が恐ろしかった。これまで感じたことのないような身体の奥から湧き出すようなおののきに耐えて、奥方は殿様の身体を受け入れた。
その途端に、奥方は気が遠くなりそうになった。数年に一度しか感じたことのないような強いおののきが身を襲った。
「ああっ、お許しを」
「許す。いくらでも、声を出せ」
いつもは検分の中老らに遠慮して声を控えている奥方だった。だが、この日はもう遠慮などできなくなってしまった。
何も考えることができず、ただただ与えられる刺激だけを感じるうちに、何を言ったのかわからないような声を発していた。
「なんと、よき声か」
殿様は愛おし気に奥方の髪を撫でた。
初めてのことに奥方はとまどっていた。こんなことは初めてだった。
「との、との」
自分の声がむせび泣きになっていることに気づき、奥方は驚いた。
「眞里、忘れるのだ。余はここにおる」
しかと抱きしめられて、奥方はいつもと違う殿であっても、やはり殿なのだと感じていた。
殿様もまた、腕の中で震える奥方が愛おしくてならなかった。
厳しい決断を下さざるを得なかった眞里姫の苦しみも悲しみもすべて包んでやりたかった。事件が起きた時、何もできなかった自分にはそれしかできない。
疲れた身体にむち打ち、殿様は上気した奥方に頬ずりし、さらなる快楽に導くため、うつ伏せになった身体の上にのしかかった。
「との、さようなことは。二度もすれば御身体に障ります」
奥方は身体を引き離そうとした。
「構わぬ。余はそなたが愛しい」
奥方はあさましいおのれの姿を恥ずかしく思ったものの、それはわずかな時であった。次から次へと感じる快感で、何も考えられなくなっていた。
二人がつながった場所が三千世界の中心にあるかのように、奥方はそれのことしか考えられなくなっていた。
悶えながら口走る言葉は殿様を滾らせた。
奥方はその重みを受け止めて、幸せを感じていた。
検分の中老は、これまでにないことと驚きかつ感激していた。
殿様の御体調は回復されたのだと。これなら御養子の必要もないのではないかと。
だが、それが燃え尽きる前の蝋燭の最後の輝きであることを奥の女達が知るのに、さほど長い時間は要さなかった。
その夜のうちに卯女は奥から駕籠で連れ出された。行く先は誰も知らなかった。
奥で起こった事件については緘口令が敷かれ、誰も口にせぬようになった。
十日もたたぬうちに、この事件を目撃した女中達のほとんどが豊後守の屋敷や国許に戻され、新たに別の女中に入れ替わった。それは祝姫付きの女中も同様だった。
戻された女中達は破格の手当てを支給され、次々と縁組が決まった。
『山置家で見たこと聞いたこと、一切よそに漏らすなかれ』という念書をとられた上のことである。
女達は卯女の行方がわからぬことを知っていたので、誰も事件について漏らすことはなかった。
広敷の役人や警護の役人も入れ替わった。
現場の御不浄の周辺は取り壊され、松が植えられた。
新しい御不浄が作られたのはそこから離れた場所である。
ただ、後に、誰が言い出すともなく、松は「綱の松」と呼ばれるようになった。
五月雨の夜、松のそばに片腕のない女が立っているのを見たという女中が幾人か現れたのだった。
片腕がないので、渡辺綱に腕を斬られた鬼の化身ではないかと女達の間で語り伝えられていたと、奥女中であった老婆が明治時代に孫らに語ったというエピソードが「香田角の歴史」の「江戸屋敷の変遷」の項で紹介されている。
ただし、同書には、この事件に関する記載はない。奥の祐筆が書き記した公的な記録には、正徳三年の五月に奥女中喜乃が病死し、近くの寺に葬られたことしか記載されていない。
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