生まれて旅して恋して死ぬ、それが殿様の仕事です

三矢由巳

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第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)

27 卯女の仕置き

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 殿様は御年寄の松橋の話を聞いた後、初めて口を開いた。

「して、奥はいかにしておる。女達の怪我は」
「奥方様は奥の女達に今後一切、このことについて語らぬように命ぜられました。怪我をした女中達や動揺した年少の者達を見舞われております。利根は肩口を斬られましたが、急所を外れておりましたゆえ、数か月のうちには勤めに戻れましょう。警護のていの傷も急所を外れておりました。祝姫様は怪我はなく別室にて御休憩。廊下の片付けが終わり次第、御帰りになります。卯女はかすり傷だけでした」
「豊後守様の家中の方の怪我は」

 家老が答えた。

「ただいま広敷近くの座敷で休んでおります。傷がありますので、今動かすわけには参りません。後日、屋敷に送り届ける所存」
「豊後守様に至急伝えよ。乱心した奥女中が騒ぎを起こし、家中の方が怪我、祝姫様も狼藉を受けたと。よいか急げ。ごまかしはならぬ」
「は」

 家老は座敷を出ると、すぐに使いの手配をした。

「して、村瀬は」
「広敷近くの小座敷で待機させております。」

 広敷の用人頭はそう言った後、付け加えた。

「畏れながら申し上げます。村瀬喜兵衛は職務に真面目な男。まめに国許に手紙を送り、倹約もしておりました。さような男が奥の御女中とそういう仲になるなど信じられません。本人も卯女の方様とは何の関わりもないと言っております」

 御年寄の松橋も言った。

「卯女も職務に忠実な女子。さようなことはないと」
「隆礼は」
「隣の座敷に控えておいでです」
「では、これへ」

 留守居役は隣の座敷へ続く襖を開けた。

「若君様、こちらへ」

 隆礼は御座の間に入ってすぐに殿様の顔色が悪いことに気づいた。
 当然のことだった。よりによって祝姫も巻き込まれてしまったのだから。ことは山置家だけの事では済まない。

「申し訳ございません。祝姫様まで恐ろしい目に遭わせてしまいました」
「その件はよい。問題は卯女じゃ」

 殿様はもっとも恐れていたことを言った。

「村瀬という男とのことの有無はどうあれ、不義の疑いをかけられておる。これでは示しがつかぬ」

 加納の言っていたことを思い出す。災いという言葉。

「卯女の仕置き、そなたに任せる」
「仕置きでございますか」
「奥のことは眞里が仕事であるが、卯女はそなたに仕えておる。主のそなたが卯女の仕置きを決めよ」
「卯女は罪を犯しておりません」
「不義の疑いをかけられたことそのものが罪なのです」

 御年寄は言った。

「不義の疑いがかかるということは、卯女にも落ち度があったということ。常日頃からおのれの身を律しておれば、さような疑いがかかるはずもございません」

 疑いをかけられるだけでも罪となれば、一体この世の中で誰が罪人でないと言えようかと、隆礼は思う。

「畏れながら、卯女はわし、いえ、私が名を尋ねたために手付きになったのです。そうならなければ、今日のようなことはありえなかったはず。もともとの罪は私にあるのではありませんか」

 隆礼は一気に言った。
 殿様の声は冷ややかだった。

「乱心した女中の世迷言であるから、まことの事ではなかろうとは思う。だが、真偽を調べて、真であれば、村瀬喜兵衛は不義密通の大罪で切腹、村瀬家は断絶となる。偽であれば村瀬はこのまま国許に帰し、しばらくは謹慎となろう。だが、女子の場合は別じゃ。たとえ、何もなくとも、疑われたまま、そなたのそばにいて、もし子を孕んだりすれば、そなたの子ではないと思う者が出てきてもおかしくはない。御家騒動の種ともなりかねない」

 松橋がひいっと声にならぬ声を上げた。

「卯女は懐妊しておるやもしれませぬ。御不浄へ行く時に口を押さえておりました」

 隆礼も無論それを見ていた。だが、それが御家騒動につながるなど、考えてもいなかった。





 暮れ六つまでに卯女の仕置きを決めるよう、殿様は隆礼に命じた。
 他にも表、奥を問わず口止めすること、目付による村瀬や卯女、他の女中達への聴取などが決まった。奥の御年寄や中老の処分はそれを以て決めるということになった。
 豊後守へは家老が、掃部助へは留守居役が、それぞれ出向き説明することとなった。また罪人の扱いなどの詳細は家老の用人である沢井信之助が家老の名代として豊後守側の用人と協議することになった。
 半刻後、祝姫を乗せた乗り物を守るかのように留守居役一行は掃部助の住む加部家中屋敷へと向かった。
 それよりやや遅れて家老と沢井信之助らが豊後守の住む上屋敷へと出発した。





 隆礼の部屋には岡部惣左衛門、小ヶ田与五郎、守倉平太が頭を並べていた。
 卯女の仕置きをいかにするか、悩む隆礼を案じ惣左衛門が呼んだのだった。
 まずは与五郎が平太に文句を言った。

「そなた、何をしておった。忍びなら忍びの方法でなんとかできなかったのか」

 平太はむっつりとしていた。

「こっちにもこっちの都合がある。それに、表の方々の力でなんとかなったではないか。わしらは表に出てはまずいことを処理するのが仕事ゆえな」
「何をしていたんだ。表に出てまずいこととは何だ」

 惣左衛門の問いに平太は答えた。

「天井裏に頭の黒い大ねずみがおったので、それを追い払った。連中に御注進されては困るからな」
「隠密か」

 惣左衛門も与五郎も顔色を変えた。

「隠密じゃないから困るんだ。紀州の御庭番だ。奴ら根来衆の流れで、やりにくいんだ。火薬関係に強いから、下手なことをすると火事になる」
「紀州の御庭番とは何だ」

 隆礼は身を乗り出した。

「紀伊の国は御三家の一つ徳川吉宗様が治める国ですが、そちらには御庭番と申す忍びがおりまして、それはなかなかの凄腕揃い。次の公方様は恐らく紀州様か尾張様と言われております。それで双方の忍びが今江戸でいろいろ動いているようです。わしらだけでは対応できなかったので、豊後守様の配下の方々にも手伝っていただきました。御庭番にこの事件を知らせるわけには参りませんから」
「それはご苦労だったな」
「とはいえ、恐らく、別の手段で今頃、この件をつかんでいることでしょう。天井裏以外に、商人になったり植木屋になったりして表から堂々と入ることもありますから」

 厄介な者がいるものだと隆礼は思った。だが、紀州といえば大藩である。香田角のようなところにまで忍びを送るとは不可解だった。

「なぜ紀州がうちのような家に忍び込むのだ」

 平太は大体の理由はわかっていたが、言わないでおいた。

「わかりません。それはこれから調べること」
「そうか。無茶するなよ」

 平太ははっと言って頭を下げた。

「で、どうします、卯女様は」

 与五郎が話を元に戻した。

「こういう場合、方法はいくつかあるんですよね。国許に帰すか、近くで監視下におくか」
「国許に帰すって、実家は御手付きの件を知っておるのだろう。それが帰されたとなったら、一族郎党が騒ぐ。その理由をあれこれ詮索されるというのは、ちときつくないか」

 惣左衛門は田舎の人々の口さがなさを知っている。

「監視下におくとなると、お勤めを続けるか。しかし、お召しをするわけにはいかないでしょうね」

 与五郎の言葉が隆礼の胸を刺す。

「ならぬのか」
「不義をしていた者を召せば、示しがつきませぬ。たとえ不義をしていなかったということであっても疑われたままでは、ご本人はいたたまれないはず。女というのはそのような女子に向ける目は厳しいのです。奥女中というのは、後家でない限り、皆様、男を知らぬ方がほとんどですから」
「下手をすれば、御自害ということもありえます」

 平太は言った。

「女中の苛めというのは苛烈なもの。しかも殴る蹴るではなく陰湿。実家に戻っても針の筵」

 隆礼には想像もつかぬことだった。美しい女達がそのようなことをするとは。
 が、御殿勤めをしていた母が言っていた言葉を思い出した。

『奥という場所は女だけの恐ろしい世界。寵を競う女達の嫉妬のどす黒さといったら』

 女だけの恐ろしい世界とまで母が言っていたことを思えば、平太の言葉にもうなずける。
 苛められて自害などされたら夢見の悪いことこの上ない。それに一つ問題がある。

「いっそ、死んでいただきましょうか。その方が本人達も本望かもしれません。若君が一言、卯女は不義者と言えば、お二人仲良く地獄への旅路を歩めましょう」

 平太は平然と言った。

「だが、もしかすると、卯女は、子を孕んでおるやもしれぬ」

 与五郎がすかさず言った。

「若君の御子ですか」
「たぶんそうだ」

 卯女の話が本当なら、この数か月村瀬とは何もないはずである。だとしたら、自分の子としか考えられない。まだ孕んでいると確定したわけではないが。そういうことを踏まえての「たぶん」だった。

「たぶんとは。やはり、妻子ある男と不義をする女子だと、そのように確証がもてぬのです。今後はお召しになる女子は生娘になさらなければ」

 平太の言葉に惣左衛門は突っ込んだ。

「おぬしが早く教えてくれればよかったのだ」
「わしも知らなんだ。事が済んだ後に、ここに前から忍んでおった身内が奥にいる豊後守の忍びから聞いたのじゃ」
「一体誰じゃ。奥にいながら知っていて教えなかったのは」

 惣左衛門の問いに平太はあっさりと答えた。

「喜乃じゃ。あの女は知っていたのだ。だが、若君と卯女をひっつけて村瀬と卯女を引き離したかったのじゃろうな。だから黙っておった。それに気づいておれば、その時に喜乃を。だが、今さら言うても遅いな」
「女とは恐ろしいものじゃな」

 惣左衛門はつぶやいた。

「実家にも帰さず、奥に置かずとなれば、残るは二つです」

 与五郎は言った。

「いかなる方法があるのだ」

 隆礼は身を乗り出した。

「まず、尼寺に入れるというのがあります。それから」

 与五郎の提案は、一同を驚かせた。






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