生まれて旅して恋して死ぬ、それが殿様の仕事です

三矢由巳

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第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)

11 女心(R15)

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 翌日の朝、眞里姫に御挨拶に伺った後、卯女は御年寄の松橋の部屋に呼ばれた。

「今宵お召しがあります」

 卯女は謹んで承りますと答えた。
 本当は喜んで承りますと言いたいところだった。





 そして夜。
 立ち合いの中老は睦月、女中は先輩のとねである。
 一昨日の夜と同じように口を吸われ、愛撫された。卯女の身体はたやすく、若君を受け入れた。この先の快楽を想像するだけで、卯女は全身が震えてきそうだった。
 が、不意に若君が低い声で言った。

「村瀬喜兵衛を存じておるか」

 背筋がぞくりとした。なぜ、その名が出るのか。卯女はもう村瀬のことなど忘れたいのに。

「広敷の用人の村瀬だ」

 追い打ちをかけるように尋ねられた。けれど答えるわけにはいかない。検分の二人がいる。

「中老様がおいでです」
「案ずるな。二人とも寝ておる」

 ちらりと二人の寝具のほうを見れば、ピクリとも動かない。
 若君様の動きも止まったままである。もやもやとした苛立ちのようなものが湧いてきた。

「村瀬とは長かったのだろう。わしのこと恨んでおるのではないか」
「恨むなど」

 もしや、若君はどこからか村瀬とのことを聞きつけたのではないか。不義密通で自分と村瀬を罰するつもりなのか。
 卯女は恐ろしくなった。

「若君様を恨むことなどできませぬ」
「で、村瀬のことはどうなのだ。今も慕っておるのか」

 焼き餅なのだろうか。まさか。自分ごときのことで若君様が村瀬喜兵衛に嫉妬など。
 だとしたら、これは、なんという僥倖か。
 卯女は決めた。村瀬には悪いが、不義密通の共犯にはなりたくない。
 村瀬と寝るよりも、若君とのお勤めのほうがずっとよかった。

「村瀬とのことは、強引に迫られてのことでございます。卯女が真実お慕いするのは若君様しかおりませぬ。若君様無しでは生きていけぬ身体になりました」

 卯女はそう言うと、若い身体に縋り付いた。もう我慢も限界だった。

「まことにそう思っておるのか」

 なおも問い詰められた。こんなにじらすなんてひどい。

「滅相もございません。近頃では村瀬喜兵衛とは、お役目以外のやりとりはしておりません」
「偽りを申しておらぬな。後でわかったら許さぬ」

 許さぬ。その声の響きが下腹にじんと響く。

「若君様に偽りは申しませぬ。卯女は若君様にもっと早う会いとうございました」

 そう言った途端に、抱き締められた。卯女はなんのためらいもなく情欲の世界に飛び込んだ。





「村瀬喜兵衛に不正はないと守倉殿から報告がありました」

 翌日の午前中、与五郎から報告があった。
 新右衛門は欠伸をした。結局、あの後、卯女とまた明け方まで戯れてしまったのだ。

「息子の村瀬はどうなんだ」
「こちらは、恐らく、竹之助様がやはり絡んでおるようです。息子は勘六というのですが、守倉殿が探ったところ、たびたび竹之助様の小姓と会って、こちらのことをあれこれ伝えておるようです」
「つまり、村瀬勘六は父親とは全く無関係に、わしへの嫌がらせをしたということか」
「そうなります。もっとも、本人は違うと申しておりますが」
「嫌がらせをしたと認めるわけがない。竹之助様に迷惑がかかるんだから」
「東平もそう申しておりました」
「まことに村瀬に不正はないのだな」
「村瀬喜兵衛と言う人は、卯女との件以外、文句の付けようのないお勤めぶりで。上役の皆さまの覚えもめでたく。いずれは広敷の用人頭になるのではないかと言われております。村瀬の妻は国許にいて、勘六の下の子どもら三人の面倒と村瀬の病気がちの両親の世話をする良妻賢母でこちらの評判も悪くありません。家は戌亥町です」
「小ケ田道場にいたのなら噂くらい聞いたことないのか」
「いえ。悪い話はすぐに聞こえてきますが、村瀬の家はそういうものとは無縁のようで」

 ならば、卯女と村瀬の関わりは仮初のものなのだろう。
 卯女が新右衛門の閨に二回も侍ったとなれば、いくら過去に関わりがあったとしても、上屋敷には息子、故郷には妻と子ども、両親がいるのだから、寝取られたなどと騒ぐことはあるまい。
 騒げば仕事に障る。息子の将来もある。村瀬がこの件で問題を引き起こすとは思えなかった。
 卯女自身も昨夜、村瀬のことはあちらが強引に迫ってきたゆえのことであり、今は役目のことしかやりとりはないと言っていた。

「平太の考え過ぎじゃな」
「ただ」

 与五郎は少しばかり不安を見せた。

「人の気持ちというのは割り切れないもの」
「どういうことだ」
「女子は一回気持ちが切れたらそれで終わりですが、男はなかなか諦めきれぬもの。未練がいつまでも残るように思います」
「そうなのか」

 新右衛門はそんなことを考えたこともなかった。

「皆人がそうとは限りませんが、別れ話がもつれると、男のほうが厄介だと聞いたことがあります。女は別れると決めたら、是が非でも別れようとするそうですが、男がなかなかうんと言わない。それで、女は鎌倉の駆け込み寺に駆け込んででも離縁するそうでございます」
「なんと、鎌倉まで走るのか。まるで、いざ鎌倉、ではないか」
「ですから、今しばらく村瀬喜兵衛には気を付けたほうがよいかと存じます」
「そうだな」
「早速ですが、午後からは豊後守様のお屋敷に参る御予定。岡部殿と守倉殿も同道するのですから、大丈夫でしょう」
「そうであった。豊後守様か、どんな方であろう」
「あちらさまも、おなじことを考えておいでだと思います」

 確かにそうだった。手抜かりのないように気を引き締めなければと新右衛門は姿勢を正した。欠伸などしている場合ではなかった。





 今回は松橋は睦月ととねには細かいことを聞かなかった。もう結果はわかっている。
 今朝も卯女は二人に抱きかかえられるように奥に戻って来た。
 中奥や広敷の役人達とはなるべく顔を合わせぬように早めの時間に戻るように言っていたのに、一部の早出の役人がそれを見たらしく、そちらで騒ぎになっていると表使いが言っていた。
 どうも卯女は一部の広敷役人達の間では人気があったようで、彼らはがっくりしているらしい。
 若君様は御目が高いなどと言う一方で、子どもには勿体ないと言う者もいるという話だった。
 とにかく早く若君には、世継ぎとして上屋敷から下屋敷に移るなりして欲しいものだと松橋は思う。
 でないと、表御殿に勤める者達を悩ませかねない。奥でも、殿様より若君様のほうが、床上手なのではないかと言い出している者までいるらしい。
 そんなことがもし殿様の耳に入ったら大変なことになる。
 殿様も男なのだ。いくら高潔なお人柄であっても、男性の能力の優劣をあげつらわれて嬉しいわけがない。
 松橋の悩みは尽きない。



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