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第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)
07 出陣(R15)
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その頃、中奥の小姓から表使いを通して委細を聞かされた奥の御年寄は頭を抱えていた。
前代未聞の事態だった。
殿様ならいざ知らず、その弟が上屋敷に入ったその日に奥女中に声をかけるなど初めての話だった。
御年寄は三十年ほど奥で御奉公し続けてきたが前例がないのだ。
当然、他の若い者も知らない。
だが、知恵のある中老がいた。
「もしや、啓悌院様のお若い頃に似たような話があるやもしれませぬ。啓悌院様も十代半ばで江戸にお越しあそばしております。国許でもずいぶんといろいろおありの方だったとか」
すぐに文庫で明暦の頃の記録を調べると、似たような話があった。
まだ又五郎と呼ばれていた隆朝侯十五歳が明暦三年(1657年)四月江戸上屋敷に入った折、たまたま自室から奥を覗き美しい奥女中を見つけ、塀を乗り越えて、奥の長局の一室に奥女中を引き込んだという事件が起きていた。これがきっかけで後日、奥を囲む塀の高さを二尺高くすることになったという。
その時の奥女中と正式に閨をともにしたのは、その二日後、場所は奥に近い中奥の小座敷ということだった。立ち会ったのは中老と女中。その夜、立ち合いの女中とも閨をともにしたというから恐れ入る。
「これまでさようなことはなかったが、これからは啓悌院様の前例を調べて対処せねばならぬな。できれば早いうちに上屋敷以外の場所に御移り願いたいもの」
御年寄はそう言って、中奥の役人に連絡をとるように伝えた。
すでに、卯女のほうは風呂に入れて支度を整えさせている。
殿様と違い、若君はまだこの上屋敷では客分だから、朝連絡がなければ夜のお勤めはできないとは言えないのだ。
殿様のほうは今夜は御渡りはない。御年寄は殿様のことで頭を悩ませたいものだがと思ったがそれは口にできなかった。
自室に下がると、与五郎と東平がいた。
彼らもすでに話を知っていた。
「おかしな話でございます。若君様についていた小姓がいなくなるとは」
与五郎は今回のことは、謀られたのではないかという口ぶりだった。
「小ケ田殿、さようなことは。ついていた村瀬については、拙者が後で話を聞いてみますが、謀り事に加わるような者ではありません」
「では、なぜ小姓が仕事を離れるのだ。ありえぬぞ」
「何か事情があったのやもしれませぬ」
「その事情が問題なのだ」
二人は着替えも忘れて言い合った。
「もうよい」
新右衛門の一言に二人は仕事を思い出した。
「申し訳ありません」
たとえ何かの謀り事であっても、名を聞いてしまったのは事実なのだ。
「牧村殿が教えてくれたのに、わしが至らぬからだ」
「御女中が広敷のあたりにいるのもおかしな話。いくら奥方様が中奥においでになったからとはいえ」
与五郎はまだ言っている。新右衛門は考えたくなかった。
「与五郎、もうよい」
「よくはありませぬ。国の御方様にもし知れたら、御身体に障るかもしれません」
新右衛門はぎょっとした。もしや。
考えたくはないが、真の目的がそれだとしたら。満津が子どもを産めば、他の子のない兄達が跡継ぎになる芽は完全になくなるのだ。
夕姫は寿姫の実子の隆成が跡継ぎになることを望んでいた。竹之助の自分へ向ける視線も鋭かった。
他にも自分を歓迎しない人間がいるかもしれない。
だとしたら、自分を排除するためには、あれこれ策をめぐらす人間がいてもおかしくない。
彼らが満津の子の誕生を望んではいないのだとしたら。
けれど、そうであったとしても、新右衛門には道は一つしかない。ここで逃げれば、この先敵を作ることになる。
卯女の仕える正室眞里姫の父、豊後守は幕閣の中でも人望ある人物だという話である。そんな人を敵に回して勝てるとは思えない。いや、敵になるどころか、その前に握りつぶされてもおかしくない。
「満津は強い。これしきのことで身体を壊すものか」
言葉の魂を信じて新右衛門は言った。口に出すと、本当に満津は強い女子のように思えてくる。
自分は強い満津に甘えているのかもしれないとも思う。
だから、次に会う時には、満津に責められても詰られても、口答えすまい。
今度のことは己の言葉に責任があるのだから。悪いのは自分なのだ。
ただ、この気持ちのまま、卯女を抱くのも卯女に悪いような気もするのだ。
卯女は震えながら勇気を出して名乗ったのだから、兄の言うように、こちらもそれに応えねばならなかった。
だが、果たしてできるのか。
もしできなかったら。
そうなったら、おかしなことに責められるのは卯女なのだ。
責任は男の自分にあるはずなのに。
そんなことを考えているうちに、寝間着に着替え終わった。
「ご苦労だった、すまぬな」
「いえ。ただ、今宵の寝ずの番はどうなるのでしょうか。前例がないことゆえ」
東平だけでなく与五郎も困惑していた。
「なんとかなるだろ。たぶん、奥も困っているのではないか。あちらも前例がないゆえ」
そこへ奥からの使いという広敷の用人が来た。
奥からこちらへ出てくるというので、御寝の間でお待ちくださいと言うことだった。
小姓は廊下で待機するようにということなので、与五郎と東平は廊下に出た。
それと入れ替わるように卯女と検分の中老と女中が部屋を訪れた。
卯女は結い上げていた髪を下していた。白い寝間着の上に打掛を羽織っているのは奥から出てくるためだろう。
老女と女中は部屋の端に敷かれた布団の前に座って待機した。
新右衛門は布団の横に正座している卯女の前に座った。
卯女は頭を下げた。
「面を上げよ」
決まり文句だが、これを言わないと始まらない。
卯女の顔をしげしげと見た。年齢など知らないが、どうも年上のようだった。卯女もまた落ち着かないようで視線を畳の上に落とした。
「えっと、年は幾つか」
「畏れながら申し上げます。十九です」
四つも年上である。国許でも母親や満津以外の女性と話す機会がなかったから、これ以上何を話せばいいのかわからない。
「わしは十五だ。あ、そうだ、そなたの父上は何をしておいでだ」
「国許で町奉行をしております」
「そうか。町奉行というのはどういう仕事なのか」
「城下の争い事などを治めたりしているようですが、細かいことはわかりかねます」
男なら父の跡を継ぐから仕事を把握しているが、女子ではわからないことも多いのだった。
「それは尊い仕事だな。うちの父、あ、守役だが、普請作事の仕事をしていて、堤の修繕などを行っている。一月に見に行ったのだが、近隣の者と多くの石を積み上げて作ったのだそうだ。修繕といってもあれはほとんど新たに作ったようなものかもしれぬ。壮観だった」
どこの世界に堤の修繕の話を閨でする者があろうかと中老は笑いそうになってしまった。
卯女も返事に困っているようだった。
「さて、どうしようかな」
新右衛門もこのままでは埒が明かぬと思った。
とりあえず、布団の上に横にならねばなるまい。
掛けるのは掻巻布団である。関東ではまだ四角い掛け布団が普及していないようだった。といっても岡部家の掻巻布団とは大違いで綿がたっぷり入っていた。側もつやつやと光沢がある。
新右衛門は卯女にそっと近づき、肩から打掛をすべり落とした。はっとしたように、卯女は顔を赤らめた。それが新右衛門を驚かせた。満津のような反応だった。
「そこへ横に」
はいと言って卯女は布団の上に横になった。豊かな黒髪が枕から床の上まで広がった。
新右衛門はその上におおいかぶさると、口を吸った。唇をこじ開ける必要はなかった。卯女は口を開き、舌を受け入れた。
経験がまったくないわけではないようだった。少しだけ安心した。
口の中を舌で舐めるうちに、次第に自分の下半身が熱くなってくるのがわかった。満津でなくても同じようになるのかと、驚きとかすかな悲しみを感じた。
竹之助の言うように、一か月二か月抱かずにいられぬ身体なのだろうかと思うと悔しかった。
けれど悲しみや悔しさなどと無関係に、新右衛門の身体は次第に反応していく。
堪えられずに卯女の寝間着の紐を解き、合わせを広げた。
満津とは全く違う、豊かな乳房が現れた。卯女はそれを両手で隠そうとしたが、隠しきれるものではなかった。
女の甘い吐息が部屋を満たし始めた。湯文字を解いた。
卯女の身体は拒まずに受け入れた。
やはり、新鉢ではないようだった。
「お許しくださいませ」
卯女はかすかな声で言った。
「気にするな」
新右衛門は耳元で囁いた。
「そなたは美しい」
自分でも言ったことのないような言葉が口から出てきた。満津の時にはとてもそんなことを言うゆとりはなかった。
「有難き幸せにございます」
卯女が意味のある言葉をはっきり言えたのはそこまでだった。
明け方まで、中老も女中も眠れなかった。
前代未聞の事態だった。
殿様ならいざ知らず、その弟が上屋敷に入ったその日に奥女中に声をかけるなど初めての話だった。
御年寄は三十年ほど奥で御奉公し続けてきたが前例がないのだ。
当然、他の若い者も知らない。
だが、知恵のある中老がいた。
「もしや、啓悌院様のお若い頃に似たような話があるやもしれませぬ。啓悌院様も十代半ばで江戸にお越しあそばしております。国許でもずいぶんといろいろおありの方だったとか」
すぐに文庫で明暦の頃の記録を調べると、似たような話があった。
まだ又五郎と呼ばれていた隆朝侯十五歳が明暦三年(1657年)四月江戸上屋敷に入った折、たまたま自室から奥を覗き美しい奥女中を見つけ、塀を乗り越えて、奥の長局の一室に奥女中を引き込んだという事件が起きていた。これがきっかけで後日、奥を囲む塀の高さを二尺高くすることになったという。
その時の奥女中と正式に閨をともにしたのは、その二日後、場所は奥に近い中奥の小座敷ということだった。立ち会ったのは中老と女中。その夜、立ち合いの女中とも閨をともにしたというから恐れ入る。
「これまでさようなことはなかったが、これからは啓悌院様の前例を調べて対処せねばならぬな。できれば早いうちに上屋敷以外の場所に御移り願いたいもの」
御年寄はそう言って、中奥の役人に連絡をとるように伝えた。
すでに、卯女のほうは風呂に入れて支度を整えさせている。
殿様と違い、若君はまだこの上屋敷では客分だから、朝連絡がなければ夜のお勤めはできないとは言えないのだ。
殿様のほうは今夜は御渡りはない。御年寄は殿様のことで頭を悩ませたいものだがと思ったがそれは口にできなかった。
自室に下がると、与五郎と東平がいた。
彼らもすでに話を知っていた。
「おかしな話でございます。若君様についていた小姓がいなくなるとは」
与五郎は今回のことは、謀られたのではないかという口ぶりだった。
「小ケ田殿、さようなことは。ついていた村瀬については、拙者が後で話を聞いてみますが、謀り事に加わるような者ではありません」
「では、なぜ小姓が仕事を離れるのだ。ありえぬぞ」
「何か事情があったのやもしれませぬ」
「その事情が問題なのだ」
二人は着替えも忘れて言い合った。
「もうよい」
新右衛門の一言に二人は仕事を思い出した。
「申し訳ありません」
たとえ何かの謀り事であっても、名を聞いてしまったのは事実なのだ。
「牧村殿が教えてくれたのに、わしが至らぬからだ」
「御女中が広敷のあたりにいるのもおかしな話。いくら奥方様が中奥においでになったからとはいえ」
与五郎はまだ言っている。新右衛門は考えたくなかった。
「与五郎、もうよい」
「よくはありませぬ。国の御方様にもし知れたら、御身体に障るかもしれません」
新右衛門はぎょっとした。もしや。
考えたくはないが、真の目的がそれだとしたら。満津が子どもを産めば、他の子のない兄達が跡継ぎになる芽は完全になくなるのだ。
夕姫は寿姫の実子の隆成が跡継ぎになることを望んでいた。竹之助の自分へ向ける視線も鋭かった。
他にも自分を歓迎しない人間がいるかもしれない。
だとしたら、自分を排除するためには、あれこれ策をめぐらす人間がいてもおかしくない。
彼らが満津の子の誕生を望んではいないのだとしたら。
けれど、そうであったとしても、新右衛門には道は一つしかない。ここで逃げれば、この先敵を作ることになる。
卯女の仕える正室眞里姫の父、豊後守は幕閣の中でも人望ある人物だという話である。そんな人を敵に回して勝てるとは思えない。いや、敵になるどころか、その前に握りつぶされてもおかしくない。
「満津は強い。これしきのことで身体を壊すものか」
言葉の魂を信じて新右衛門は言った。口に出すと、本当に満津は強い女子のように思えてくる。
自分は強い満津に甘えているのかもしれないとも思う。
だから、次に会う時には、満津に責められても詰られても、口答えすまい。
今度のことは己の言葉に責任があるのだから。悪いのは自分なのだ。
ただ、この気持ちのまま、卯女を抱くのも卯女に悪いような気もするのだ。
卯女は震えながら勇気を出して名乗ったのだから、兄の言うように、こちらもそれに応えねばならなかった。
だが、果たしてできるのか。
もしできなかったら。
そうなったら、おかしなことに責められるのは卯女なのだ。
責任は男の自分にあるはずなのに。
そんなことを考えているうちに、寝間着に着替え終わった。
「ご苦労だった、すまぬな」
「いえ。ただ、今宵の寝ずの番はどうなるのでしょうか。前例がないことゆえ」
東平だけでなく与五郎も困惑していた。
「なんとかなるだろ。たぶん、奥も困っているのではないか。あちらも前例がないゆえ」
そこへ奥からの使いという広敷の用人が来た。
奥からこちらへ出てくるというので、御寝の間でお待ちくださいと言うことだった。
小姓は廊下で待機するようにということなので、与五郎と東平は廊下に出た。
それと入れ替わるように卯女と検分の中老と女中が部屋を訪れた。
卯女は結い上げていた髪を下していた。白い寝間着の上に打掛を羽織っているのは奥から出てくるためだろう。
老女と女中は部屋の端に敷かれた布団の前に座って待機した。
新右衛門は布団の横に正座している卯女の前に座った。
卯女は頭を下げた。
「面を上げよ」
決まり文句だが、これを言わないと始まらない。
卯女の顔をしげしげと見た。年齢など知らないが、どうも年上のようだった。卯女もまた落ち着かないようで視線を畳の上に落とした。
「えっと、年は幾つか」
「畏れながら申し上げます。十九です」
四つも年上である。国許でも母親や満津以外の女性と話す機会がなかったから、これ以上何を話せばいいのかわからない。
「わしは十五だ。あ、そうだ、そなたの父上は何をしておいでだ」
「国許で町奉行をしております」
「そうか。町奉行というのはどういう仕事なのか」
「城下の争い事などを治めたりしているようですが、細かいことはわかりかねます」
男なら父の跡を継ぐから仕事を把握しているが、女子ではわからないことも多いのだった。
「それは尊い仕事だな。うちの父、あ、守役だが、普請作事の仕事をしていて、堤の修繕などを行っている。一月に見に行ったのだが、近隣の者と多くの石を積み上げて作ったのだそうだ。修繕といってもあれはほとんど新たに作ったようなものかもしれぬ。壮観だった」
どこの世界に堤の修繕の話を閨でする者があろうかと中老は笑いそうになってしまった。
卯女も返事に困っているようだった。
「さて、どうしようかな」
新右衛門もこのままでは埒が明かぬと思った。
とりあえず、布団の上に横にならねばなるまい。
掛けるのは掻巻布団である。関東ではまだ四角い掛け布団が普及していないようだった。といっても岡部家の掻巻布団とは大違いで綿がたっぷり入っていた。側もつやつやと光沢がある。
新右衛門は卯女にそっと近づき、肩から打掛をすべり落とした。はっとしたように、卯女は顔を赤らめた。それが新右衛門を驚かせた。満津のような反応だった。
「そこへ横に」
はいと言って卯女は布団の上に横になった。豊かな黒髪が枕から床の上まで広がった。
新右衛門はその上におおいかぶさると、口を吸った。唇をこじ開ける必要はなかった。卯女は口を開き、舌を受け入れた。
経験がまったくないわけではないようだった。少しだけ安心した。
口の中を舌で舐めるうちに、次第に自分の下半身が熱くなってくるのがわかった。満津でなくても同じようになるのかと、驚きとかすかな悲しみを感じた。
竹之助の言うように、一か月二か月抱かずにいられぬ身体なのだろうかと思うと悔しかった。
けれど悲しみや悔しさなどと無関係に、新右衛門の身体は次第に反応していく。
堪えられずに卯女の寝間着の紐を解き、合わせを広げた。
満津とは全く違う、豊かな乳房が現れた。卯女はそれを両手で隠そうとしたが、隠しきれるものではなかった。
女の甘い吐息が部屋を満たし始めた。湯文字を解いた。
卯女の身体は拒まずに受け入れた。
やはり、新鉢ではないようだった。
「お許しくださいませ」
卯女はかすかな声で言った。
「気にするな」
新右衛門は耳元で囁いた。
「そなたは美しい」
自分でも言ったことのないような言葉が口から出てきた。満津の時にはとてもそんなことを言うゆとりはなかった。
「有難き幸せにございます」
卯女が意味のある言葉をはっきり言えたのはそこまでだった。
明け方まで、中老も女中も眠れなかった。
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