生まれて旅して恋して死ぬ、それが殿様の仕事です

三矢由巳

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第二章 初恋(正徳二年~正徳三年)

39 旅立ち

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 二月吉日、辰の刻(午前八時頃)。出立を知らせる太鼓が鳴った。
 香田角家中の江戸への参勤行列が城大手門を出発した。
 総勢九十八名。見送りの家老や奉行は城下から関所まで従って行く。
 大手門前には町人代表や出入りの商人が紋付袴姿で居並び、隊列を見送った。
 通りには家臣の家族や大勢の領民が並んで見送った。駕籠の中にいる新右衛門にもそのざわめきが伝わってきた。
 一行は神社や寺に立ち寄り神職や住職の挨拶を受けた。新右衛門も殿様とともに挨拶を受けた。
 昼食は関所の手前にある寺でとった。そこでいよいよ本格的な旅装に着替えた。
 関所で役人の挨拶を受けた後、行列は天領に入った。
 それまでゆっくりと動いていた乗り物が急に激しく動き、新右衛門は驚き小窓を開けた。
 先ほどのほぼ倍の速さで行列は動いていた。くねくねと曲がった山道なので、先ほど通って来た道を走る後ろの者達の姿が見えた。
 香田角家中の参勤交代は一日約十里の移動で予定が組まれている。ともに移動する家臣達は皆七つの水無月祓え、十四の雷土山登山を経験した者達ばかりであった。彼らは全速力で峠道を走っていたのである。
 新右衛門は乗り物の天井からぶら下がる紐にすがりながら、早く昼食場所になっている宿場に着けと祈るしかなかった。
 それは惣左衛門も与五郎も同じだった。平太だけは涼しい顔で行列のしんがりを勤めていた。





 満津は城の前で沢井家の人々とともに行列を見送った。
 岡部家の人々の姿を見かけ会釈すると、あちらも静かに頭を下げた。
 きよの姿はない。
 満津は昨夜、きよを岡部家でみとった。
 風邪がなかなか抜けずこじらせていたきよの容態が悪化したと知らされ、満津は沢井須万とともに岡部家へ行った。
 座敷に寝かされたきよは勿体ないことと岡部家の人々に礼を言い、満津には御奉公しっかりせよと言ってみまかった。
 参勤交代出発の前夜ということで、新右衛門には何も知らされていない。
 惣左衛門も前日夜から準備のため、表御殿に泊りこんでいたので、きよのことを知らない。
 これから通夜葬儀となる。沢井家から手伝いも差し向けられ、きよは安寧寺の墓所に葬られることになる。
 夜明け前に満津はとりあえず沢井家に戻った。
 新右衛門を見送るためである。
 新右衛門の姿を見ることはかなわなかったが、乗り物を見ることができただけで十分だった。新右衛門との濃厚な交わりの記憶を支えにしていこうと満津は思っていた。
 須万とともに沢井家に戻った満津を待っていたのは梅芳院だった。
 須万は驚きもてなしの支度をしようとしたが、おつきの尼は無用に願いますと断った。
 梅芳院はきよの死をすでに知っていた。
 人払いをした満津と二人きりの座敷で悔やみの言葉を述べた後、梅芳院は顔色一つ変えずに言った。

「ところで、きよ殿には、いや、杉谷喜与きよであったかな、そなた以外はもう誰も縁者はおらぬのだな」

 満津は腹の腑を鷲掴みにされたような恐怖を覚えた。

「なぜ、それを」

 梅芳院はまったく表情を変えなかった。

「清願寺の一件が元でわらわの母は孤児になり、小田切家に奉公することになったゆえな。杉谷の名は忘れようとしても忘れられぬのじゃ」

 満津にとって、杉谷の名は決して知られてはならない名だった。
 なぜなら、明暦の香田角大火のきっかけとなった小姓杉谷采女うねめは喜与の父の弟だったからである。
 喜与の父、杉谷与兵衛よへえは当時小納戸方に勤めており、弟采女は当時又五郎と呼ばれていた隆朝(隆礼の父)の小姓であった。
 鄙には稀な美少年采女をめぐって同僚同士がその寵を競う余りの刃傷沙汰が城内で起きた後、与兵衛は謹慎、妻と幼子の喜与は実家に帰された。
 采女は清願寺にお預けとなったが、今度は寺の坊主たちが采女を巡っての争いとなり、巻き添えで采女は殺され、その時持っていた手燭の火が経典に引火し清願寺から出火、城下の西半分を焼く大火となったのであった。
 与兵衛は火事の詳細が判明した後、謹慎していた自宅で切腹、親戚の者は所払いとなった。実家に帰されていたものの正式に離縁していなかった妻と娘の喜与も所払いということで城下を離れ、肥後の遠縁の家に身を寄せることとなった。
 そこまでの話をきよは孫の満津に語っていた。自分の名が杉谷喜与であったことを絶対に人に知られてはならぬとも。
 だが、梅芳院は知っていた。
 しかも彼女の母は大火で孤児となったと言う。満津は彼女にとって仇の一族の者と言っていい。
 言い知れぬ恐怖で満津の顔は青ざめていた。

「安心なされ。今さら仇など。されど、そなたには働いてもらいまするぞ。香田角山置家のために。覚悟なされよ」

 梅芳院はわずかに唇の両端を吊り上げた。
 満津は胃の腑からこみあげるものを感じててのひらで口を押さえた。



  第二章終わり

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