生まれて旅して恋して死ぬ、それが殿様の仕事です

三矢由巳

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第二章 初恋(正徳二年~正徳三年)

23 非情の掟

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 その日の夕刻、香田角城下丑寅町の守倉家では、座敷に当主佐兵衛さへえら一族の長老らが長男太平たへいと次男平太を囲むようにして寄り集まっていた。
 長男の太平は青ざめた顔で俯いていた。
 その隣に座る平太は顔を上げ父を見つめていた。長老らは顔を見合わせていた。 

「父上、御裁断を」

 平太は顔色一つ変えずに父を見つめた。

「仕事の最中に呼び出しておいて、いつまでも御裁断なきは優柔不断の謗りを免れませぬ。もし御裁断なくば、わしは仕事に戻らせてもらう」

 平太は於三探索を始めてすぐに父に呼び出されたのだった。仕方ないので手下二人にさせているが、彼らの能力では簡単に探せないことはわかっていたので、早く探索に戻りたかった。分身の術が使えないのが今ほど悔しかったことはない。

「わかった」

 絞り出すような声が佐兵衛の口から発せられた。

「太平を廃嫡し、嫡子を平太とする」

 長老らはうなずいた。
 太平が突然立ち上がり叫んだ。

「なぜじゃ、わしが長男じゃ」
「太平」

 長老の一人が一喝し、太平は身を震わせた。

「おぬしも知っておろう。十七になっても、力の顕れぬ者は廃嫡と。それが守倉衆の掟じゃ」

 父も追い打ちをかける。

「しかも、あろうことか、間者をぬけぬけと御殿に通してしまうなどもっての外じゃ。お主は明日より玄龍寺に入り山置家累代の菩提を弔うのだ。それが当家のしきたり」
「しきたりなんぞ、くそ」

 父親はその言葉を最後まで言わせなかった。太平は畳の上に仰向けに倒されていた。
 父親の大風のように速く強い拳で頬を打たれた太平の口の端からは細い糸のように血が流れていく。

「では、わしは仕事に戻る。父上、幾人か貸してもらうぞ」

 そう言うと平太は座敷を出て行った。足音はすぐに消えた。
 佐兵衛は愚かな息子を見下ろした。
 守倉家ではたとえ長男といえど、十七になっても力を顕さぬ者は廃嫡となる。力とは常人を凌ぐ聴力・視力や体力、知力等である。力によって守倉家は山置家に仕えてきた。故に嫡子となるのは力を持つ兄弟の中で一番年長の者だということになっている。
 たとえ嫡子となっても、次に生まれる子のことを考えて結婚相手を選ばねばならなかった。求められる条件に合わぬ女子と縁組すればやはり廃嫡である。
 太平は平太の嫁に岡部家の雇い人の於三がよいと言った。だが、於三は守倉家の基準に満たなかった。
 守倉家の者は器量が良くも悪くもない者と縁組するというのが、祖先からのならわしだった。同じような女がいたら器量の悪いほうを選べとも言われていた。
 なぜかわからぬが、そういうならわしなのだ。
 けれど、於三は悪いほうではなかった。今はさほどよくないが、いずれもう少し肉付きがよくなり、化粧を少しすればそれなりに美しくなると佐兵衛は判断し、縁談を止めようとしたが、太平が独断で守倉家に話を持ちこんだ。
 それだけではない。平太は今さる方とその関係者を護衛する仕事についているが、それを妨害したのだ。
 紅葉の宴の時、守倉衆は庭園へ出入りする門や庭園周辺の監視を担当する。
 庭園の奥にある御殿に侵入する人間がいないようにとのことである。
 だが、今年は侵入者があったことが後になって判明した。それも二人、なんと書院にである。
 書院ではその夜、隆迪侯と弟君との面会が行われていたのだ。
 調べるうちに太平が担当していた庭園の奥から御殿の敷地に入ったことがわかって、さすがに皆驚愕し、あきれ果てた。
 間者が入って来た事実もさることながら、それに気付けなかった太平の責任は重い。
 無能ゆえに、弟平太が警備すべき弟君、さらには殿まで危機にさらしたようなものだった、
 さすがに今まで兄の無能と横暴に耐えていた平太も父や長老らに訴えた。これでは仕事にならぬ、いずれ太平のせいで人死にも出ることになろうと。
 というわけで、急遽長老を召集しての話し合いとなった。といっても結論はほぼ出ていた。長老達も太平の無能を知っていた。
 問題は決断する佐兵衛の優柔不断だった。とっくに今年の初めには結論の出ている話だから、廃嫡すればよかったのに、十月の初めまで引き延ばすからこんなことになるのだと皆内心は思っていた。
 それができぬ佐兵衛は親の情に流されていたと言っていい。
 平太に促されての決断だった。
 手下たちによって座敷牢に引き摺られて行く太平を目で追った佐兵衛は隠居の二文字を頭の中に浮かべていた。





 立ち上がったはずの小助がどさりと倒れた。
 うとうとしていた於三ははっと目を開けた。

「おじさん、おじさん、大丈夫」

 駆け寄って声を掛けたが返事はなかった。
 仰向けの身体の上にかがんでみると、胸のあたりに細い刃物が刺さっていた。

「ひいっ」

 思わず尻餅をついた於三の背後で女の声がした。低い声だった。

「お嬢ちゃん、こいつは悪人だよ。危ないとこだったね」

 於三は振り返った。暗くてはっきりしないが編み笠をかぶった女が近づいてくる。

「来ないで」

 自分も殺されると思った。

「取って食いやしないよ。わちきはちょいとこの先の代官屋敷に用があるんでここを通りかかったのさ。そいつは小助とかいう南の国の者だ。女の子を国に連れて行って琉球にでも売り飛ばすつもりだったに違いないね」

 於三はそんなことはないと思った。親切なおじさんだった。小助を殺したこの女よりは信用できた。

「在所は港町とか言ってただろ。その港だって抜け荷をやってるっていうじゃないか。そんな奴についていったら港の船に乗せられて売られるんだよ。特におまえさんのようなおぼこはいい値が付くって言うよ」
「わし、おぼこじゃない」
「そうかい。まあ、いいさ。ついておいで」
「いやです。人殺しなんか」

 於三の言葉など無視して女は手を引いた。

「やめて」
「ここにいたら、血の匂いを嗅ぎつけた獣に食われちまうよ。言葉のわからない獣よりは人殺しの女のほうがいいと思うけどね」
「や、はなし」

 女はさっと首に巻いた手ぬぐいで於三の口に猿ぐつわを噛ませた。あっという間のことで動転している於三を担ぎ上げた女は街道に待たせた駕籠までけもの道を駆け上がった。





 それから一刻ほどたった頃、その場所には平太と守倉衆が立っていた。

「ここにいたようですな。恐らく一刻ほど前か」

 一党の中で特に嗅覚に優れた茂兵衛が鼻をうごめかせた。
 彼のおかげで血の匂いに気付けたのだ。すぐに狼の匂いにも気づいたので、消えかけていた焚火に再び火を付けて連中を追い払った後にやっと周辺を探索できた。
 平太は落ちている風呂敷包を拾った。於三の物だった。

「こいつは、隠密の仕業かもしれねえ」

 小助の身体を調べていた助三が小助の胸に刺さった刃物を見て言った。

「これは隠密が使ってる投剣だ。切れ味が違う」

 茂兵衛が鼻をうごめかせる。

「これの持ち主は女だ。おしろいの匂いがする。いいおしろい使ってる」

 女の隠密、それも大の男を投剣で胸の急所を刺して殺すというのは相当の腕前のようだった。
 恐らくその女が於三を別の場所に連れて行ったのだろう。
 倒れている男の持ち者らしいおいを回収した。行商人を装ったこの男がどこまで家中の機密を知ったか、笈の中身を調べる必要があった。

「よし、それでは、近くの代官屋敷のある村周辺を当たれ」

 夜中の山道の移動は危険が多い。於三を連れてわざわざ危険を冒すとも思えなかった。となれば一番近いのは代官屋敷のある村である。
 男達は散って行った。再び狼の群れが近づく気配があった。
 平太は南無と口の中で唱えて、街道へ一気に駆け上がった。
 それは忍びの掟だった。
 たとえ仲間が死んだとて屍を拾ふなかれ。屍を越えて行け。
 明日は我が身。





 翌日の昼下がり、約束の場所に来ない小助を案じた頭が血の匂いを追ってそこへ来た時、死骸はすでに狼や烏に食い散らかされていた。着ていた物の切れ端と凶器の投剣だけを拾い頭は郷里への道を急いだ。





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