生まれて旅して恋して死ぬ、それが殿様の仕事です

三矢由巳

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第二章 初恋(正徳二年~正徳三年)

01 元服

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 七年の歳月が流れた。
 正徳二年壬辰みずのえたつ(西暦1712年)、水無月晦日の前日。数え年七つの水無月祓えに行くのは岡部惣右衛門の次男小治郎こじろうである。

「父上様、母上様、兄上様方、行って参ります」

 小さな身体に似合わぬ大きな声を張り上げて門を出る子を見送る四人はそれぞれの胸に感慨を抱いていた。
 父は言う。

「気を付けて行けよ」

 母はもう少し具体的である。

「梅干しは必ずお昼に食べるのですよ」

 のほほんとした顔で兄が言う。

禰宜ねぎさんによろしくな」

 心配性のもう一人の兄はありえないことを言う。

「陽石に登ってはなりませんよ」

 その後ろ姿に父と母は七年前を思い出す。

「早いものだな、月日が過ぎるというのは」

 父、惣右衛門の感慨はこの春、麓村の灌漑用水工事がすべて完了したからだけではなかった。家中の財政状況悪化のため、三年で終わるはずが、中断を挟んで結局足かけ八年もかかった工事はこれまでにないほどの苦難を乗り越えたものであった。
 それもさることながら、目の前にいる息子たちのその間の成長も惣右衛門の感慨を催したのだった。
 二人とも、背丈はもうすぐ五尺(約151・5センチメートル)を越えそうだった。このところ、二人の背は競い合うように伸びていた。
 声変わりもほぼ終わり、数年前まで家の中を飛び交っていた甲高い子どもの声は野太い声に変わった。
 元服を終え、月代さかやきを剃り髷を結うようになった。髷の形がどうだこうだと朝から言い合うのは見苦しいぞと惣右衛門は言うが、それなりに身なりに気を遣うようになったのはやはり年頃だからであろうか。
 そして今日は、六年前に生まれた次男小治郎が水無月祓えで陰陽神社にお参りする。
 小さかった卯之助と松之丞のように。





 実の息子の松之丞改め惣左衛門そうざえもんは小ヶ田道場で剣術を学び、今や道場一の使い手と言われていた。八朔の日に行われる御前試合に出ることが決まり、毎日道場で汗を流している。
 村越仁斎の漢学塾では幼い子どもの指導を手伝っており、子らに慕われていた。
 惣右衛門の若い頃とさほど変わらぬ日々を送る息子は惣右衛門同様数年のうちに普請作事掛の見習いとして各地の現場を実地にまわる日々を送ることになると思われた。そのための体力を今は培うべき時であった。
 一方、卯之助改め新右衛門しんえもんは多忙の日々を送っていた。
 まず剣術だが、九つの時に小ヶ田道場から井村道場に変えられた。小ヶ田道場は実践的な練習を中心にしているが、井村道場は主に型を教える。従って、家中の重役の子弟の多い道場であった。そこで一から型を徹底的に仕込まれた。これにはまだ当時は卯之助だった新右衛門は反発したものの、惣右衛門の一言で黙ってしまった。

「梅芳院様の御命令じゃ」

 その後もその言葉が発せられる度に新右衛門は新しい習い事を始めさせられた。
 漢学塾は村越塾のままで、弓、馬術、観世流の能、歌、茶の湯等、およそ普請作事掛の子弟のやらぬことをやらされた。
 しかもなぜか行く先々には竹之助様がいた。竹之助様の御小姓にでもなるのではないかと、友人らが噂するほどだった。
 最初のうちは兄上と同じことが学べるのかと毎回楽しみであったのが、次第にそれが憂鬱の種となった。
 困ったことに、新右衛門は竹之助様より年下なのに、身体を使うことは大概器用にできてしまった。苦手なのは歌ぐらいだが、それも一年もすると上の句がなんとか出てくるようになった。
 身分も年齢も低いのに、出来がいいというのはなんとも居心地の悪いものだった。
 ありがたいのは育ちのいい竹之助様は、師匠に怒られてもどこ吹く風という顔であったことだった。
 新右衛門に対しても、特に年下だからといって悔しいというそぶりも見せなかった。 
 新右衛門は注意されたり、怒られたりすると、負けるものか次は必ずと思い、頑張ってしまうのだった。
 やはり自分の育ちが悪いからであろうかと言うと、惣左衛門はそれは新右衛門が当たり前、竹之助様のほうが覇気がないからだと言う。
 すでにその頃、竹之助様は殿のお子にしては、少しお元気がないのではないかという噂が出ていた。
 八朔の試合をご覧になる時もつまらなさそうにしていて、剣術などにまるで興味がないようだった。
 そういうわけで新右衛門は友人から稽古に来ている竹之助様のことを聞かれることも多かった。
 まさか、弓は的に当たらない、馬を怖がる、いつまでも謡を覚えない、作歌の課題をしてこないなどと話すわけにもいかず、曖昧に誤魔化すのに疲れた頃、やっと竹之助様の江戸行きが決まったのは昨年のことだった。
 正直、新右衛門はほっとしていた。竹之助様のことを誤魔化さなくてもよくなったのだ。
 しかも最後の茶の稽古の日には一緒に学んでいた新右衛門らにこれまでの礼じゃと菓子と御印の刻まれた煙草入れをくださった。
 それを家に帰って母に見せると大騒ぎになった。
 菓子を食べたいと思っていたのに、その翌日にやっと花の形をした砂糖菓子を一つ口にできただけだった。残りは母と惣左衛門と小治郎と父と作造ときよと於三で食べてしまった。せめて二つは食べたかった。
 それだけならまだしも、煙草入れは仏間の棚の奥深くにしまわれてしまった。

「煙草を吸うなどもっての外。普請作事掛がもしそれが元で火を出したらいかんとする」

 父は煙管きせるを使わなかったのだ。従って、息子たちにも煙草を許さなかった。
 もっとも、経済的な理由もあった。
 家中では、お手元不如意ということで、六年前から全家臣の禄高の四分の一を借り上げるということになり、いまだにそれが続いていた。
 岡部家では小治郎が生まれたのに収入が減り、母も父もやりくりに難儀していた。
 家の裏の畑の作物を食べるだけでなく、近所と交換したり、川で魚を釣ったり、母が仕立物をしたりして、なんとか男の子三人に不自由のないようにと食べさせていた。
 それだけに新右衛門は習い事をさせてもらうのは申し訳なく思っていたが、梅芳院様から習い事の束脩(入学金)や謝儀(授業料)はいただいているから案ずるなと父から言われてからは少しは気楽になった。
 とはいえ、梅芳院様から援助があるならば、なおのこと一生懸命しなければならぬという圧力も感じて時には疎ましく思えることもあった。



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