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第一章 悪童(元禄十一年~宝永二年)
02 初めての旅
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見下ろせばはるか下には坂瀬川が流れている。
そのほとりでは、村人や禰宜達がこちらを見上げて叫んでいる。
「降りろ」
「ばちが当たるぞ」
「まらが腫れるぞ」
「当たるもんか」
彼はつぶやいた。ばちなんか当たるもんか。
だって、わしは生まれた時からばちが当たってるようなもんなんだからな。
自分を生んだ二親はなく、養父母に育てられていることを知っている七つの少年はそうつぶやいた。
親がいない、これ以上のばちなどあるはずがなかった。
だから、彼にとって「ばちが当たる」という言葉は無意味だった。
すでにばちは当たっているのだ。だから、これ以上悪いことが起きるはずはなかった。
それよりも今はこの石の謎を明かすのが先だ。
先端部分の水が噴き出すところというのはどこだろうか。
卯之助は石の先に向かってゆっくりと這い上がっていった。
彼が見下ろす人々の中に同じ年頃の少年がいた。
少年も大きな声で下から叫んでいた。
「卯之助、おりてこい」
その声が届いているのか、いないのか、卯之助と呼ばれた少年はそそり立つ巨岩の上に二本の足で立ち上がった。
「あぶねえ、すべったらおちるべえ」
少年の隣で村の若者が顔を青ざめさせていた。
「どしたらよかんべ」
「誰か登って助けるしかねえ」
「御神体に登るなんて畏れ多くてできねえ」
男達は口々にああでもないこうでもないと騒いでいる。
羽織袴の凛々しい角前髪の十代前半の少年が提案した。
「私が参ります」
「子ども一人ならともかく、二人も乗って御神体に傷でも付けたら」
「ばちが当たるどころじゃねえな」
「もげるかもな」
男達は顔を見合わせた。
男達が畏れる御神体とは卯之助が登っている巨岩のことである。
その名を陽石といい、対岸の崖にある陰石と対になっており、ともに陰陽神社の御神体となっている。
その高さ九間余り(現在でいえば約十六・五メートル)、現代であれば五階建て相当のビルといったところ。頭部の周囲は八間半(約十五・五メートル)という巨大なものである。
その名の通り、男性の陽物をそのまま模したような形状で川辺にそそり立つ姿は、自然の悪戯というには、あまりにも見事であった。
はるか昔の火山の噴火によって流れ出たた溶岩が冷え固まってその形状となったのだが、古人はこの地に降り立った男神がこの地を守る女神に恋する余り、陽石に姿を変えたと言い伝えている。
女神もその情を受け入れ、陽石のそばに陰石となって寄り添うようになったと言う。
その陰石は陽石のある崖の、幅二間足らずの川を挟んだ向かい側の高さ八間余り(約十五メートル)の崖に陽石を待ち受けるがごとく、ゆるやかなカーブを描いて盛り上がっていた。
その盛り上がった部分は横幅約二間五尺(約五メートル)。そこに水の浸食により刻まれた縦長の溝は約二間一尺余り(約四メートル)。溝の上の部分には丸い突起がある。
溝からは水が湧き陰石を濡らして崖伝いに一日あたり一石と三斗(約二三〇リットル)余り流れている。
陽石の根元や陰石の周囲にはカヤやススキが生い茂り、なんともいえぬ独特の風情を醸し出していた。
しかも陽石の頂上部からは年に数回、水が湧き出し、対岸の陰石の溝に当たることがあると言う。
それを見た者は大変な御利益を得ると言われているが、陰陽神社周辺の村人でさえめったに見られるものではなかった。
神秘の石は古来から周辺の人々の信仰を集めていた。
最初は素朴な子授けの神への信仰だった。
室町時代にこの地を治めていた山置隆氏がこの陰陽石にお参りし、跡継ぎを授かったことから陰陽二つの石を祀る社が作られると、いよいよ近隣の人々は二つの石に対する信仰を深めたのであった。
陽石の根元には注連縄が張られ、人々は登らずに拝むだけであった。
お祭りの前に注連縄を張り変える時も人々は作業七日前から精進潔斎し、当日は石を傷つけないように丁重に石に触れたのである。
それほどまでに神聖な御神体である陽石になぜ、卯之助が上ったのか。
話は前日水無月(旧暦六月)二十八日に遡る。
香田角城下辰巳町に住む普請作事掛配下の岡部惣右衛門宅では、水無月祓えの準備に追われていた。
水無月晦日の半年分の穢れを払う水無月祓えはどこの家でも行なうものだが、香田角では七歳になった武家の男子は陰陽神社にお参りして、そこで穢れを払うという風習があった。
長男の松之丞と養い子の卯之助も七つということで、この年にお参りすることになっていた。
といっても、陰陽神社まで六里余り、険しい山道を越えての道中は大人でも一日で往復できるものではない。
前日出発し、神社から一里ほど離れた白石村の縁者の家に泊り、翌朝参拝し、日暮れてから帰って来るという手筈を整えてのことである。
母親の勢以は眠そうな顔の子どもらに装束を着せ、朝飯を食べさせ、途中で食べる握り飯を持たせて、二人を家から見送ると、ほっと一安心の体だった。
後の道中は各町内の来年元服を迎える家中の若者が担当して山を越えての参拝となる。
今年は岡部家の二人を含めて辰巳町からは四人。他の町からの子どもも合わせると総勢二十人ほどの男児が陰陽神社を目指すことになっている。
辰巳町の子どもを引き連れて行くのは沢井信之助という今年十三になる沢井家の次男である。
戌亥町の道場に通う少年達の中でも大柄で腕力があり腕も立つと評判で、年少の者達からも慕われていた。顔立ちも凛々しく、将来はよい婿がねと取沙汰もされていた。
松之丞と卯之助も信之助様と呼んで、崇敬のまなざしで見つめていた。
信之助もまた面倒見がよく、子ども達が近寄っても不機嫌にならずに相手にしてくれた。
信之助の兄の忠一郎の子どもの頃とは大違いだとこっそり言う者もあるが、忠一郎様は将来の御中老様だから、そうそう気安い態度ではよくないと言う者もあった。
そういった大人たちの評判をよそに、信之助は岡部の家の松之丞と卯之助らを連れて、一路陰陽神社への道を進んだのであった。
辰の一つ刻の頃(午前7時頃)に出立した一行は汗にまみれながら、坂瀬川沿いの道を上る。途中山作業の樵や修験者に出くわした子供らはふだんなら話しかけることもない大人に挨拶をした。
「山ではいろいろ危ないことがある。互いに助け合わねばならない。山で会った人には年少のこちらからきちんと挨拶をするものだ」
信之助に言われるまでもなく親からも言われていたことだが、子どもらはいざとなると口を開くのが遅れてしまう。その中にあって卯之助だけは平気で樵に話し掛けた。
「恐れ入りますが、その刀は木を切るものでござるか」
「そうだ。枝打ちに使うんじゃ」
卯之助は目を輝かせた。
「わしに貸してくれぬか」
信之助は仰天した。
「これ、卯之助、樵殿の仕事の邪魔をしてはならん」
樵も驚いた。武家の子どもが樵の仕事道具に興味を持つことなどありえないことだった。
「申し訳ねえが、これはわらしが使えるもんではない。怪我をする」
そう言って樵は山の奥深くへと入って行った。それを悔しげに目で追う卯之助であった。
松之丞はまた始まったと思った。
卯之助は興味がわくと、なんでも知りたがるのだ。
去年、七夕の星の話を母上から聞いた時はどこにカササギの渡した橋があるのかとしつこく母に聞いた。
松之丞は困惑する母が子どもながらにかわいそうで、卯之助に言った。
「天の川は遠いので、橋は見えないのではありませんか」
それで納得するかと思えば、ならばなぜ遠くにある天の川が見えて橋は見えないのかと尋ねたものだった。
とうとう父の惣右衛門が出て来た。
「橋を作っていつも架けておると、敵が攻めて来た時にまずいことになる。だから、七夕の夜にしか橋を掛けぬと、天の普請作事掛で決めておるのだ。それが済んだら、カササギは飛び去るのだ」
断固とした父の言葉に卯之助はその場は納得したように見えた。
だが七月七日の夜、卯之助は家の縁側に出て一晩中、天の川を見ていた。
夜中に目覚めて隣の布団に気配がないことに気付いた松之丞は縁側に座る卯之助を見つけて寝るように言ったが、それを聞くようなら卯之助ではない。
結局松之丞も朝までそれに付き合うことになってしまった。
朝、卯之助は父に言ったものだった。
「天の普請作事掛とカササギは昨夜、仕事をなまけておりました。橋はいっこうにできたようには見えませなんだ」
さすがに惣右衛門は苦笑いした。
「そうか。恐らく地上の人に見えぬように橋を架けたのであろう」
「なぜですか」
「牽牛も織女も恥ずかしがりだからだ」
「なぜ恥ずかしがるのですか。天下の人は皆二人のことを知っております」
「知られていても、恥ずかしいものなのだ」
なぜか母がそれを聞いて顔を赤くしていたのを松之丞は覚えている。
「なぜ知られていても恥ずかしいのでしょうか」
卯之助の問いに父は言った。
「そういうものなのだ。それが人の情というもの」
卯之助は納得はしていないようだった。けれど、それ以上尋ねるのは無駄だと察したようで、それ以後、カササギの橋の件は忘れたように口にしていない。
一事が万事そのような調子で、卯之助は辰巳町の「なぜなぜ小僧」と呼ばれていた。
家族だけでなく、近所の人を質問攻めにすることなど日常茶飯事だったのだ。
信之助にまでもそれは及んでいた。
山ではいろいろ危ないことがあるということを話したのはお参りの七日前に行われた参拝者の集まりでのことだった。
そこで、卯之助は信之助にどんな危ないことがあるのか尋ねたのだ。
大きな岩が落ちてきたり、川に落ちたり、危険なケダモノに遭うことがあると言うと、どんなケダモノがいるのか尋ねた。
「猪、猿、熊、狼だ」
それを聞いた卯之助は何が危ないのかいちいち尋ねるのだった。
信之助も山にしょっちゅう行くわけではないから、さほど詳しくない。
彼の七つの水無月祓えの時には何のケダモノも道中出なかった。せいぜい山のケダモノと目を合わせてはならないという注意くらいしかできない。
とうとう廊下を通りかかった信之助の父の沢井甚太夫がそれを聞きつけ、辰巳町のなぜなぜ小僧がこれかと顔を覗かせた。
さすがに国家老の下で中老を務めている甚太夫はケダモノ達の恐ろしさを知っていた。
「猪はな、まっすぐ走ってくる。だから決して正面に立ってはならぬ。脇にそれるのだ。もしぶつかったらあの牙で大けがをすることもある。子どもならばひとたまりもあるまい」
「熊はどうなのですか。猪よりも大きいのでしょう」
「左様。熊は一番危ない。だが、人がいることを知らせるために常に大きな音を立てておれば近づかぬ。あれらも人と顔を合せたくはないからな。ばったり出くわした時のほうが危ない。向うも驚いて気が動転しておるから、何をするかわからぬ」
自分を子ども扱いせず、真面目に答える甚太夫に卯之助は大いにうなずいたのだった。
だが、後でその話を他の子の親から聞いた惣右衛門は真っ青になった。よりによっていずれは家老になってもおかしくないと言われる沢井様を質問攻めにするとは。
卯之助は惣右衛門に説教されることになってしまった。
だが、その後、卯之助は松之丞に不思議そうに言った。
「なぜ、沢井様にきいてはならぬのかわからぬ。あそこにいた中で一番よくケダモノについてご存知の方だったのに」
松之丞には答えられなかった。
そういう卯之助が陰陽神社への道中でおとなしくできるはずもないのだった。
いちいち、あの岩は何か、あの川床はなぜ白く光るのかと信之助は聞かれて、さすがに参ってしまった。
松之丞や他の子どもは歩くうちに疲れてきて、無口になってきていたのだが、卯之助だけが珍しいと思うものを見る度に、いちいち尋ねるのだ。
信之助はつくづく思う。こんな弟がいたら、自分は耐えられないだろう。
母親から、卯之助は岡部家が預かって育てている他人の子らしいと聞いていた。赤の他人の子ども、それもこんなにうるさい子どもを我が子同様に育てている岡部家の人々はなんと心の広いことか。
松之丞にしても、疲れていても、ちゃんと卯之助に受け答えはしているのだ。
「あの岩は存じません。川床が光るのは底の石のせいだと聞いたことがあります」
まるで卯之助の小姓か何かのようだと信之助は思った。
そのほとりでは、村人や禰宜達がこちらを見上げて叫んでいる。
「降りろ」
「ばちが当たるぞ」
「まらが腫れるぞ」
「当たるもんか」
彼はつぶやいた。ばちなんか当たるもんか。
だって、わしは生まれた時からばちが当たってるようなもんなんだからな。
自分を生んだ二親はなく、養父母に育てられていることを知っている七つの少年はそうつぶやいた。
親がいない、これ以上のばちなどあるはずがなかった。
だから、彼にとって「ばちが当たる」という言葉は無意味だった。
すでにばちは当たっているのだ。だから、これ以上悪いことが起きるはずはなかった。
それよりも今はこの石の謎を明かすのが先だ。
先端部分の水が噴き出すところというのはどこだろうか。
卯之助は石の先に向かってゆっくりと這い上がっていった。
彼が見下ろす人々の中に同じ年頃の少年がいた。
少年も大きな声で下から叫んでいた。
「卯之助、おりてこい」
その声が届いているのか、いないのか、卯之助と呼ばれた少年はそそり立つ巨岩の上に二本の足で立ち上がった。
「あぶねえ、すべったらおちるべえ」
少年の隣で村の若者が顔を青ざめさせていた。
「どしたらよかんべ」
「誰か登って助けるしかねえ」
「御神体に登るなんて畏れ多くてできねえ」
男達は口々にああでもないこうでもないと騒いでいる。
羽織袴の凛々しい角前髪の十代前半の少年が提案した。
「私が参ります」
「子ども一人ならともかく、二人も乗って御神体に傷でも付けたら」
「ばちが当たるどころじゃねえな」
「もげるかもな」
男達は顔を見合わせた。
男達が畏れる御神体とは卯之助が登っている巨岩のことである。
その名を陽石といい、対岸の崖にある陰石と対になっており、ともに陰陽神社の御神体となっている。
その高さ九間余り(現在でいえば約十六・五メートル)、現代であれば五階建て相当のビルといったところ。頭部の周囲は八間半(約十五・五メートル)という巨大なものである。
その名の通り、男性の陽物をそのまま模したような形状で川辺にそそり立つ姿は、自然の悪戯というには、あまりにも見事であった。
はるか昔の火山の噴火によって流れ出たた溶岩が冷え固まってその形状となったのだが、古人はこの地に降り立った男神がこの地を守る女神に恋する余り、陽石に姿を変えたと言い伝えている。
女神もその情を受け入れ、陽石のそばに陰石となって寄り添うようになったと言う。
その陰石は陽石のある崖の、幅二間足らずの川を挟んだ向かい側の高さ八間余り(約十五メートル)の崖に陽石を待ち受けるがごとく、ゆるやかなカーブを描いて盛り上がっていた。
その盛り上がった部分は横幅約二間五尺(約五メートル)。そこに水の浸食により刻まれた縦長の溝は約二間一尺余り(約四メートル)。溝の上の部分には丸い突起がある。
溝からは水が湧き陰石を濡らして崖伝いに一日あたり一石と三斗(約二三〇リットル)余り流れている。
陽石の根元や陰石の周囲にはカヤやススキが生い茂り、なんともいえぬ独特の風情を醸し出していた。
しかも陽石の頂上部からは年に数回、水が湧き出し、対岸の陰石の溝に当たることがあると言う。
それを見た者は大変な御利益を得ると言われているが、陰陽神社周辺の村人でさえめったに見られるものではなかった。
神秘の石は古来から周辺の人々の信仰を集めていた。
最初は素朴な子授けの神への信仰だった。
室町時代にこの地を治めていた山置隆氏がこの陰陽石にお参りし、跡継ぎを授かったことから陰陽二つの石を祀る社が作られると、いよいよ近隣の人々は二つの石に対する信仰を深めたのであった。
陽石の根元には注連縄が張られ、人々は登らずに拝むだけであった。
お祭りの前に注連縄を張り変える時も人々は作業七日前から精進潔斎し、当日は石を傷つけないように丁重に石に触れたのである。
それほどまでに神聖な御神体である陽石になぜ、卯之助が上ったのか。
話は前日水無月(旧暦六月)二十八日に遡る。
香田角城下辰巳町に住む普請作事掛配下の岡部惣右衛門宅では、水無月祓えの準備に追われていた。
水無月晦日の半年分の穢れを払う水無月祓えはどこの家でも行なうものだが、香田角では七歳になった武家の男子は陰陽神社にお参りして、そこで穢れを払うという風習があった。
長男の松之丞と養い子の卯之助も七つということで、この年にお参りすることになっていた。
といっても、陰陽神社まで六里余り、険しい山道を越えての道中は大人でも一日で往復できるものではない。
前日出発し、神社から一里ほど離れた白石村の縁者の家に泊り、翌朝参拝し、日暮れてから帰って来るという手筈を整えてのことである。
母親の勢以は眠そうな顔の子どもらに装束を着せ、朝飯を食べさせ、途中で食べる握り飯を持たせて、二人を家から見送ると、ほっと一安心の体だった。
後の道中は各町内の来年元服を迎える家中の若者が担当して山を越えての参拝となる。
今年は岡部家の二人を含めて辰巳町からは四人。他の町からの子どもも合わせると総勢二十人ほどの男児が陰陽神社を目指すことになっている。
辰巳町の子どもを引き連れて行くのは沢井信之助という今年十三になる沢井家の次男である。
戌亥町の道場に通う少年達の中でも大柄で腕力があり腕も立つと評判で、年少の者達からも慕われていた。顔立ちも凛々しく、将来はよい婿がねと取沙汰もされていた。
松之丞と卯之助も信之助様と呼んで、崇敬のまなざしで見つめていた。
信之助もまた面倒見がよく、子ども達が近寄っても不機嫌にならずに相手にしてくれた。
信之助の兄の忠一郎の子どもの頃とは大違いだとこっそり言う者もあるが、忠一郎様は将来の御中老様だから、そうそう気安い態度ではよくないと言う者もあった。
そういった大人たちの評判をよそに、信之助は岡部の家の松之丞と卯之助らを連れて、一路陰陽神社への道を進んだのであった。
辰の一つ刻の頃(午前7時頃)に出立した一行は汗にまみれながら、坂瀬川沿いの道を上る。途中山作業の樵や修験者に出くわした子供らはふだんなら話しかけることもない大人に挨拶をした。
「山ではいろいろ危ないことがある。互いに助け合わねばならない。山で会った人には年少のこちらからきちんと挨拶をするものだ」
信之助に言われるまでもなく親からも言われていたことだが、子どもらはいざとなると口を開くのが遅れてしまう。その中にあって卯之助だけは平気で樵に話し掛けた。
「恐れ入りますが、その刀は木を切るものでござるか」
「そうだ。枝打ちに使うんじゃ」
卯之助は目を輝かせた。
「わしに貸してくれぬか」
信之助は仰天した。
「これ、卯之助、樵殿の仕事の邪魔をしてはならん」
樵も驚いた。武家の子どもが樵の仕事道具に興味を持つことなどありえないことだった。
「申し訳ねえが、これはわらしが使えるもんではない。怪我をする」
そう言って樵は山の奥深くへと入って行った。それを悔しげに目で追う卯之助であった。
松之丞はまた始まったと思った。
卯之助は興味がわくと、なんでも知りたがるのだ。
去年、七夕の星の話を母上から聞いた時はどこにカササギの渡した橋があるのかとしつこく母に聞いた。
松之丞は困惑する母が子どもながらにかわいそうで、卯之助に言った。
「天の川は遠いので、橋は見えないのではありませんか」
それで納得するかと思えば、ならばなぜ遠くにある天の川が見えて橋は見えないのかと尋ねたものだった。
とうとう父の惣右衛門が出て来た。
「橋を作っていつも架けておると、敵が攻めて来た時にまずいことになる。だから、七夕の夜にしか橋を掛けぬと、天の普請作事掛で決めておるのだ。それが済んだら、カササギは飛び去るのだ」
断固とした父の言葉に卯之助はその場は納得したように見えた。
だが七月七日の夜、卯之助は家の縁側に出て一晩中、天の川を見ていた。
夜中に目覚めて隣の布団に気配がないことに気付いた松之丞は縁側に座る卯之助を見つけて寝るように言ったが、それを聞くようなら卯之助ではない。
結局松之丞も朝までそれに付き合うことになってしまった。
朝、卯之助は父に言ったものだった。
「天の普請作事掛とカササギは昨夜、仕事をなまけておりました。橋はいっこうにできたようには見えませなんだ」
さすがに惣右衛門は苦笑いした。
「そうか。恐らく地上の人に見えぬように橋を架けたのであろう」
「なぜですか」
「牽牛も織女も恥ずかしがりだからだ」
「なぜ恥ずかしがるのですか。天下の人は皆二人のことを知っております」
「知られていても、恥ずかしいものなのだ」
なぜか母がそれを聞いて顔を赤くしていたのを松之丞は覚えている。
「なぜ知られていても恥ずかしいのでしょうか」
卯之助の問いに父は言った。
「そういうものなのだ。それが人の情というもの」
卯之助は納得はしていないようだった。けれど、それ以上尋ねるのは無駄だと察したようで、それ以後、カササギの橋の件は忘れたように口にしていない。
一事が万事そのような調子で、卯之助は辰巳町の「なぜなぜ小僧」と呼ばれていた。
家族だけでなく、近所の人を質問攻めにすることなど日常茶飯事だったのだ。
信之助にまでもそれは及んでいた。
山ではいろいろ危ないことがあるということを話したのはお参りの七日前に行われた参拝者の集まりでのことだった。
そこで、卯之助は信之助にどんな危ないことがあるのか尋ねたのだ。
大きな岩が落ちてきたり、川に落ちたり、危険なケダモノに遭うことがあると言うと、どんなケダモノがいるのか尋ねた。
「猪、猿、熊、狼だ」
それを聞いた卯之助は何が危ないのかいちいち尋ねるのだった。
信之助も山にしょっちゅう行くわけではないから、さほど詳しくない。
彼の七つの水無月祓えの時には何のケダモノも道中出なかった。せいぜい山のケダモノと目を合わせてはならないという注意くらいしかできない。
とうとう廊下を通りかかった信之助の父の沢井甚太夫がそれを聞きつけ、辰巳町のなぜなぜ小僧がこれかと顔を覗かせた。
さすがに国家老の下で中老を務めている甚太夫はケダモノ達の恐ろしさを知っていた。
「猪はな、まっすぐ走ってくる。だから決して正面に立ってはならぬ。脇にそれるのだ。もしぶつかったらあの牙で大けがをすることもある。子どもならばひとたまりもあるまい」
「熊はどうなのですか。猪よりも大きいのでしょう」
「左様。熊は一番危ない。だが、人がいることを知らせるために常に大きな音を立てておれば近づかぬ。あれらも人と顔を合せたくはないからな。ばったり出くわした時のほうが危ない。向うも驚いて気が動転しておるから、何をするかわからぬ」
自分を子ども扱いせず、真面目に答える甚太夫に卯之助は大いにうなずいたのだった。
だが、後でその話を他の子の親から聞いた惣右衛門は真っ青になった。よりによっていずれは家老になってもおかしくないと言われる沢井様を質問攻めにするとは。
卯之助は惣右衛門に説教されることになってしまった。
だが、その後、卯之助は松之丞に不思議そうに言った。
「なぜ、沢井様にきいてはならぬのかわからぬ。あそこにいた中で一番よくケダモノについてご存知の方だったのに」
松之丞には答えられなかった。
そういう卯之助が陰陽神社への道中でおとなしくできるはずもないのだった。
いちいち、あの岩は何か、あの川床はなぜ白く光るのかと信之助は聞かれて、さすがに参ってしまった。
松之丞や他の子どもは歩くうちに疲れてきて、無口になってきていたのだが、卯之助だけが珍しいと思うものを見る度に、いちいち尋ねるのだ。
信之助はつくづく思う。こんな弟がいたら、自分は耐えられないだろう。
母親から、卯之助は岡部家が預かって育てている他人の子らしいと聞いていた。赤の他人の子ども、それもこんなにうるさい子どもを我が子同様に育てている岡部家の人々はなんと心の広いことか。
松之丞にしても、疲れていても、ちゃんと卯之助に受け答えはしているのだ。
「あの岩は存じません。川床が光るのは底の石のせいだと聞いたことがあります」
まるで卯之助の小姓か何かのようだと信之助は思った。
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