生まれて旅して恋して死ぬ、それが殿様の仕事です

三矢由巳

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序章

三途の川のほとりにて

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 人は皆生まれたからには、いつか三途の川を越えなければならぬ日が来る。
 その川を渡る時、おなごは自分の初めての男に背負われてもらって渡る、そう言ったのはおばば様であった。
 今、私の前に立つその人は少し困ったような照れたような顔で、並ぶ私達をかわるがわるに見た。

「まさか、同じ日、同じ時とはなあ」

 いつぞやもこんな顔をしていたことがあったと、私は思い出していた。
 二人の女を同時に背負うのは到底無理な話。ましてや川を渡るのだから。
 困るのも無理はない。

「奥方様を先に」

 早口の私の言葉が終らぬうちにほっそりとした奥方様は口をゆっくりと開いた。

満津みつの方様を先になさいませ」

 上品な話し方は私の思っていた以上だった。こう言っては失礼だが、さすがは奥方様である。

「とんでもないことでござりまする。奥方様、ささ、お先に」
「満津様こそ、わらわよりも殿との縁は長いのですから、先に」

 譲り合う私達を困ったような顔で見つめていたその人は言った。

「かような時に松之丞がおれば、よい方策を具申してくれるのだが」

 私は思わずくすっと声に出して笑ってしまった。奥方様は不思議そうな顔になった。

「まつのじょうとは誰じゃ」
「側用人の岡部です」

 私は答えてからしまったと思った。奥方様と対等に口をきくとはなんという無礼なことか。
 けれど奥方様は無礼とも思っていないようだった。

「ああ、岡部か。殿の乳兄弟の」
「岡部はまだまだ来ぬであろうな。あれは国許くにもとに戻って悠々自適の生活じゃ」

 その人は少し寂しそうな顔になった。
 けれど、帰りたかったとは言わない。奥方様のことを思いやってのことだと、私にもわかる。
 そうだった。
 あなたはそういう人だった。
 言いたいことを言えずに、たくさん呑み込んできた。その数だけ皺が増えていった。
 私も言えないことがたくさんあったけれど、それ以上にあなたは何もかもその身の内に仕舞い込んでいた。
 でも、私は知っている。吐き出せずに仕舞い込んだものを。
 たぶん、奥方様もご存知なのだろう。
 だから、奥方様は微笑んだ。

「これから満津様にお国の話をたくさんきけばよいではありませんか。私も殿の生まれたところのことを知りとうございます。満津様、たくさん教えてくださいませね」

 江戸から一度も出ることのなかった奥方様。
 一度も江戸に行くことのなかった私。
 今こうして会えたこの場所は三途の川の手前。





「これでは渡れんのう」

 私たちの近くにいた男が言った。
 町人らしく懐手をして目をすがめて彼岸を見つめている。
 川の水かさが先ほどより増しているのがわかった。
 先に渡った人々の列が難渋しているのがこちら側にいてもわかる。

「水の量が減るまで待ちましょう」

 奥方様はそう言うと、小高い場所に向けてさっさと歩きだした。

「奥、足は治ったのか」

 その人の問いに、奥方様は振り返った。花のようにほほ笑んで。

「そのようでございますね。なんだか若い頃に戻ったよう」

 不意に手を引かれた。

「我らも参ろう」

 あなたが微笑んで見つめる。
 思い出した。前にもこんなことがあった。
 あれは……
 忘れかけていた熱い思いが胸にこみあげてくる。

「ずるうございます、殿」

 先に歩いていた奥方様が振り返った。拗ねた顔がかわいらしい。

「すまぬ、すまぬ」

 あなたは笑いながら、私の手を引いて走り出した。
 私も大きく口を開いて笑っていた。
 まだお互い何も知らなかった頃のように。






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