西の女吸血鬼は美味なる血を持つ東の若侍に恋をした

三矢由巳

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終章 2018年

2 灰になるまで ★

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 一時間余り後、花火の余韻を楽しむ暇もなく、カロリーネはネット端末でアメロバニアの株式市場の動きを確認した後、メールに目を通した。
 各地にいる吸血鬼仲間や使い魔との連絡は二十世紀末以降インターネットの普及によって各段にスピードアップした。
 アレックスからは仮想通貨の取引についての情報、ドロレスからはフロランの屋敷の修繕について、マリイとルイーズからは手芸商品のネットショップの売り上げの報告が届いていた。
 仮想通貨の取引からカロリーネはすでに手を引いていたので、アレックスのメールは流し読みした。フロランの屋敷の修繕の見積もりは予想通りだったので、了解した。
 ネットショップの売り上げは順調だった。今ではマリイとルイーズだけでは手が足りず、運営しているNGOを通じて雇用した開発途上国の女性たちに製作を委託している。
 妙な話だが、吸血鬼たちは人類の滅亡を恐れていた。人類が滅亡すれば、吸血の対象がいなくなるからである。というわけで、人類が滅亡しないように、自然保護や途上国の支援、病気予防等の団体を作っていた。幸い彼らは多くが蓄財に秀でており資金は潤沢だった。
 カロリーネもまた開発途上国の女性の経済的自立を進めるNGOを創設した。マリイとルイーズは女性たちに世界各国の手芸の技術を教え、作品をネットで販売し、その収入を製作した女性たちに分配している。
 人類を支配するどころか、人類のために奉仕していると幾三郎と苦笑いすることもある。
 こういう団体をやっていると、教会の関係者と知り合う機会も多かった。彼らも途上国で布教や慈善団体の運営をしていたからである。幸いにも、彼らはまだカロリーネの正体に気付いていない。それでも、カロリーネは用心を怠らなかった。マリイ達へのメールにもくれぐれも教会関係者には油断しないように付け加えておいた。



 仕事を終えたカロリーネは鏡台の前で化粧を落とし、髪をおろした。
 今、カロリーネの化粧係はいない。必要なくなったのだ。テレーズはトラヴィスともう一つのNGOの運営に携わっている。国内だけの規模なのでNPOと言ったほうがいいかもしれない。こちらは動物愛護団体で、捨てられた犬や猫を保護し新しい飼い主に譲渡、あるいはセラピーキャットやセラピードッグとして訓練し各種施設に派遣するのが主な活動である。
 鏡に映らないカロリーネの化粧は一体どうなっているかというと、その心配は現在ほぼ不要になっている。
 事の始まりは第一次世界大戦だった。この世界規模の戦争をきっかけに旅券に写真を貼付することが各国に広がった。ミャーロッパだけでなくアメロバニアでもジルパンでも写真が必要になった。
 吸血鬼達にとっては一大事だった。写真に写らない吸血鬼は危険を察知すると頻繁に他国に避難していた。それが不可能になってしまう。
 だが、ここである吸血鬼が一大発明を成し遂げた。
 カロリーネがジルパンの状況をミャーロッパの吸血鬼たちに報告した後、ぼつぼつジルパンに行く吸血鬼が増えた。そうなるとジルパン人の吸血鬼も生まれる。その中に化学関係の研究者がいた。彼は吸血鬼が鏡に映らない、撮影できないという点に着目し、その克服方法について研究した。
 ミャーロッパにいる錬金術に詳しい吸血鬼との共同研究の結果、身体に塗布して姿が映るようにできる薬品を開発した。これによってカロリーネは第一次世界大戦後に各地を旅することができたのだ。
 ただ塗布するために、雨などで濡れると効き目が薄まってしまう。そこで改良が重ねられ、錠剤が作られた。
 さらにこの薬には開発者の想定外の効能もあった。熱帯等の強力な太陽光線を長時間浴びない限りは、ある程度の太陽光が皮膚に当たっても吸血鬼の身体を損壊しないことが実証されたのだ。
 この研究によって、ジルパン人の化学者は吸血鬼界のノーベル賞と言われるノフェストラ賞を受賞した。
 現在は化学者らが海外に設立した薬品会社で人間用の薬剤とともに製造されて吸血鬼の間に普及している。ちなみにジルパンでのこの会社の薬品の販売は幾三郎が社長をしている商社に委託されている。
 それはさておいて、この薬の出現で化粧・髪結い担当の使い魔の多くが失業することになった。彼女達の多くが人間に紛れて美容や理容、服飾の世界で働くようになった。第一次世界大戦後のモードの世界をリードしたデザイナー達の中には彼女達もいた。カロリーネは彼女達を陰ながら支援した。



 化粧を落とし寝室に行くと、幾三郎は推理小説を読んでいた。幾三郎は小説、それも推理小説や警察小説が好きだった。歴史物は読むが幕末から明治の物は読まなかった。知っている名前が出てくると、冷静ではいられないのだと言う。

「犯人は誰?」
「たぶん、被害者の友人だろうな」

 本を閉じてきちんとベッドの脇の小さな書棚にしまう。この書棚には現在並行して読んでいる書物が並んでいる。
 書物について他愛ない会話をしながらベッドの上に並んで横になった。 

「あのキャスターの書いたエッセイ読んだ?」
「いや、まだだ。もう読み終わったのか」
「あんなものすぐよ。字が大きいし行間広いし。でね、そこにひいおじいさんのお父さんの話があったの」
「へえ」
「ナレーションを担当した番組で初めてインガレスに留学していたことを知ったんですって」
「そんなこと書いてたのか」

 幾三郎は苦笑いを浮かべた。友人達の顔が脳裏をよぎった。皆、もうこの世にはいない。歴史上の人物になってしまった。同時に留学の日々を思い出す。カロリーネと出会った時のことも。
 あの時はこんな未来など想像すらしていなかった。まだ幕府は続くと思っていた。兄が家を継ぐと思っていた。
 カロリーネは物思いにふけっている幾三郎の肩に顔を寄せたかと思うと首筋に口づけた。
 ちくりとした痛みを幾三郎は感じた。が、それはすぐに甘いおののきに変わった。一分もせずにカロリーネの犬歯は首筋から離れた。
 今度は幾三郎が首筋に犬歯を立てた。
 カロリーネの血を初めて吸ったのは、家に戻る前のことだった。美しい白い肌を傷つけるのが怖かった。けれどいったん犬歯を立てて吸ってしまえば、その甘露を忘れることはできなかった。同時にもう自分は妻の夫ではいられないことを思い知らされた。
 妻の首筋にも歯を立てたい衝動を感じたが、それはしてはいけないことだと理性が働いた。カロリーネの血を吸ってある程度満足できたからかもしれない。
 棺桶から出された時、切実に血が欲しいと思う自分に気付き、幾三郎はもう人には戻れないのだと実感した。
 思えば、インガレスでカロリーネに魅了された時から、定められた運命かもしれなかった。幾三郎は彼女と生きていくことを決めた。そのためには妻との間にけじめをつける必要があった。お常は真面目な女だった。夫が死んだからといって奔放なことができるはずはなかった。彼女が自分を思い生きている間は、夫として振る舞うべきだと思った。だから裏切れなかった。
 以来、二人は互いの血を吸い、また血を吸う人間を探して夜の街をともにさまようパートナーとなった。
 妻の死を知り、墓参りを終えた後、二人は男女の間に戻った。



 幾三郎に血を吸われ、カロリーネは恍惚とした表情を浮かべていた。こんな表情の女性を放っておけるほど、幾三郎も聖人君子ではない。
 抱き寄せて口づけると、鼻から甘い息が漏れた。舌を入れると血の味が残っていた。その血を舐めとるように互いに舌を絡め合った。触れ合っている身体は冷たいはずなのに、互いに燃えるような熱を感じた。
 暑くて着ていた浴衣を互いに脱ぎ捨てた。ベッドの上に広げられた浴衣の上で二人は汗ばんだ身を寄せ合った。
 生まれた時代の違い、国の違いはあれど、ともに慣れ親しんだ人々はすでにいない。
 それぞれに孤独な二人はともに生きる道を選んだ。
 それが幸福なのか、不幸なのか、二人にもわからない。ただ、今この時を、二人で懸命に生きることしかできない。



 柔らかな乳房をゆっくりと揉まれカロリーネは甘い声を上げた。その声が幾三郎を興奮させる。服に隠れて見えない場所、腹や腰に唇で印をつけてゆく。その感触がまたカロリーネの欲望を刺激する。カロリーネもまた幾三郎の身体のあちこちに口づけた。互いに相手を刺激し合い、欲望を滾らせる。
 カロリーネの手は幾三郎の短刀のような一物に手を伸ばした。すでに欲望に漲ったその先端を指先で撫でると一層硬くなってゆく。銘刀に滴る村雨の露を思わせる透明な滴りが手のひらに落ちた。その感触がカロリーネの身体を潤わせる。
 幾三郎の手もまたカロリーネの花びらに触れていた。花びらの奥へと指を滑らせると、甘い声は切なげなものに変わっていく。あふれる花の蜜を指ですくい花芽に塗り込めるように触れると全身が戦慄わなないた。

「他愛もないな」
「あなたが、上手だから」

 カロリーネはそう言うと、両足を開いて幾三郎の短刀を導くように花びらを自分の手で広げて見せた。
 初めて見た時と変わらぬそれに、幾三郎はためらうことなく短刀を挿入した。瞬間、カロリーネはあっと声を上げていた。
 何度も同じことをしているはずなのに、慣れなかった。幾三郎のそれは短刀を思わせる長さなのに、その硬さはダイヤモンドのようだった。カロリーネにとってそれは今も神秘だった。東洋の神秘という言葉だけでは言い尽くせなかった。硬いのに繊細にカロリーネの身体を刺激し、愛を伝えるそれは、カロリーネにとって神にも等しかった。
 ジルパンには男性の一物を信仰するやしろがいくつもあった。豊穣の大地に多くの穀物を実らせ、男女の和合を寿ぎ子孫繁栄を願うという御神体として人々は崇敬している。
 カロリーネは幾三郎とともに各地の社や自然の御神体である陰陽石を見物していた。だが、どんな大きさのものであろうと、幾三郎のものが一番だとカロリーネは思っている。
 いや、幾三郎のものだから一番なのかもしれない。
 いまや、ベルベッドのようなバラの花びらを刺し貫いたダイヤモンドの先端は中を進み、やがて最奥に到達しようとしていた。快楽の予感がカロリーネを包んでいた。
 ぎゅっと両の手で縋りついた身体は汗ばんでいる。
 到達の瞬間、カロリーネは大きく息をもらした。そのままじっとしているだけでもカロリーネは幸福だった。
 けれどそうはいかないようで幾三郎はゆっくりと腰を使い始めた。
 ラルゴからアダージョ、アンダンテ、モデラート、アレグレット、プレスト、プレスティッシモと速度が早まるにつれ、二人の息遣いが荒くなる。
 朦朧とする意識の中、カロリーネは思う。いつか灰になる日が来る。その日までずっと二人で。
 やがて、何も考えられなくなったカロリーネは幾三郎の身体にしがみついて、叫んでいた。
 幾三郎はそんなカロリーネを抱き締め口づけた。灰になる日が来るまで二人でいたいという願いを込めて。



 軽やかなピアノの音が聞こえてくる。目覚まし用にセットした曲だった。昔、どこかのホールで作曲者の演奏を聴いたことがあることを思い出した。
 カロリーネは起き上がった。すでに幾三郎は起きたらしくリビングとのドアの小さな隙間からテレビの音が聞こえてくる。
 シャワーを浴びて着替えてリビングに行くと、社長秘書のカールが来ていた。仕事の報告だろうか。

「面白くなってきたぞ。アメロバニアの製薬会社にTOBを仕掛けられた」
  
 幾三郎は不快なニュースを愉快そうに話す。カールはその点素直だった。

「困ったものです。ご主人様の会社を買収しようなどとは」
「まあ、大変。敵対的TOBなんて」

 カロリーネの驚きをよそに、楽しげに幾三郎はネット端末であちこちにメールを送っていた。 

「これから取締役会だ」

 そう言うと立ち上がりウォークインクローゼットに入った。カールもついていった。場合によってはカメラの入る記者会見もありうるので、ふさわしいネクタイや背広の色を検討するためである。
 カロリーネは幾三郎が用意した朝食用のトマトジュースをごくりと飲んだ。
 テレビをつけると来年の時代ドラマのテーマは四年に一度行なわれる世界的スポーツ大会だとキャスターが語っていた。日ノ本の選手が初めて出た大会を見たことのあるカロリーネはカールに教えてやらねばと思う。カールの故郷の近くでロケもあるらしい。
 そうだ、もう一度幾三郎とあの場所に行ってみようか。カロリーネはスケジュールを確認するために端末を開いた。



 人に寄生する限り、吸血鬼もまた人の世の中で生きなければならない。
 灰になる日まで、まだまだ退屈する暇はなさそうである。
 カロリーネの恋も終わらない。  




  FIN


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