西の女吸血鬼は美味なる血を持つ東の若侍に恋をした

三矢由巳

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終章 2018年

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『今年は史上最高の暑い夏となりましたが、二年後の東興とうきょう大会の暑さ対策は果たして大丈夫なのでしょうか』

 85インチの薄型テレビの中では女性ニュースキャスターが深刻そうな顔でニュースを読み上げていた。
 
「大丈夫じゃないよ。暑過ぎだ」

 浴衣姿でビールのグラスを一息に飲み干して幾三郎はぼやいた。彼が子どもの頃には温度計などなかったが、愛戸えどで三十度を超える日は年に幾日もなかったように思う。

「本当にね。ミャーロッパも暑いみたい。ドロレスがこの前メールに書いてた。セーム川に飛び込んで水浴びしたくなるって」

 浴衣を着て髪をアップにしたカロリーネはリモコンでテレビと部屋の照明の電源を切り、窓のカーテンを開けた。夜空が広がる下には街の灯りがきらめいていた。
 やがて、色とりどりの光の海の向こうからひゅるひゅると音を立てて白い光が空へ上がったかと思うと、大きな光の輪が広がった。

「まあ!」

 広がった光の輪の周囲にも小さな輪が広がった。橙、青、白、紫、赤。色の饗宴だった。

「この部屋にしてよかった」

 カロリーネはつぶやいた。この冬まで住んでいたマンションが老朽化して引っ越しを考えていたところ、不動産会社の営業が花火大会がよく見える物件がありますよと知らせてくれた。あの営業の言葉は間違いではなかったようだ。

「実に美しい」

 カロリーネの背後に立ち、抱き寄せた幾三郎は呟いた。

「はかないものこそ、美しい」
「私は美しくないの?」
「今ここに存在する物は私もあなたも含めて皆はかないものなんだ。だから美しい」
「私もそうなの?」
「この宇宙、いや、この星もいつか最後の時がくる。だから皆はかないんだ」

 そうかもしれない。不死身とはいえ、地球という星がなくなってしまえば、いくら吸血鬼といえども生きていくことはできないだろう。カロリーネは小さくうなずいた。
 再び、窓の外では大きな光の花が咲いた。

「綺麗……」

 子どもの頃の花火はこんなに色とりどりではなかったと幾三郎が言わなくなってから何年たつだろうか。近頃はどんな花火を見ても美しいとしか幾三郎は言わない。代わりに話題になるのは夏の暑さだ。
 カロリーネはふと先ほどのニュースのことを思い出した。

「さっきのキャスター、奥様に似ていない?」
「そうかな」
「そっくりよ。さすがはあなたの玄孫やしゃごね」

 石田家の子孫のことは気になるので、時々現状を調べていた。幾三郎の息子たちはそれぞれに命を子孫につないでいた。先だっても次男の子孫の肱岡という姓の大臣が入閣していた。幾三郎の孫が内川桐吾の孫娘と結婚しているからなのか、内川桐吾そっくりの丸顔だった。
 数か月前には件の女性キャスターのルーツを取り扱ったテレビ番組が放送されていた。
 彼女の曾祖父は幾三郎の長男だった。幾三郎の妻のことも時間をとって語られていた。実業家になった息子に「この世で自分さえよければという生き方をしていたら、浄土に参った時に父上に顔向けができないではありませんか」と言った話を見た時には、さすがに幾三郎は何も言えなかった。
 カロリーネもまた、泉下にいる幾三郎の妻子に申し訳ないと思った。



 あの日、月地の真望寺に入ったカロリーネ達はテレーズ、トラヴィス、ドロレスと再会した。彼らの尽力に感謝する一方、国外退去になった事を告げた。トラヴィスは魚屋稼業がよほど気に入っていたらしく残念がった。
 丹桂の話ではシソハイを経由してシンガローレ、インデスを経由してエプジトに行く客船は昨日出港し、次は来週になるということだった。
 ミャーロッパに戻るまで多少の猶予があると知ると、幾三郎はカロリーネに家に戻りたいと告げた。

「人ではなくなった私はもう妻や子とは暮らせないことはわかっている。だが、このままでは妻に申し訳ない。せめて一晩だけでも家に戻りたい」

 カロリーネは気が進まなかった。カロリーネの場合はクロードへの愛ゆえに家を出る際は躊躇しなかった。家族の消息も知ろうとは思わなかった。薄情かもしれないが、人ではないものになってしまった自分が関わり合うのは家族にとっては迷惑な話だと思っている。
 だが、幾三郎は長く妻と暮らし子どもも三人いる。そこに情が湧かないわけはないのだ。
 家に帰ったら未練が生じて家族と別れたくないと言い出すのではないか。

「心配しないでくれ。私は必ず戻る。私の居場所はもう家にはないのだから」

 幾三郎はカロリーネの不安を打ち消すように言った。
 カールもまた幾三郎に味方した。

「石田様は私の命の恩人です。信じています」

 カロリーネが幾三郎の血を吸って魔力を回復した後、治癒の魔術でカールは命を救われていた。カールにとって幾三郎は大恩人だった。
 カロリーネは信じることにした。
 考えてみれば、カロリーネ達吸血鬼は昼間寝ている時、死体同様に心臓は動かず、身体は冷え切っている。恐らく医者は眠っている幾三郎を死んだものと診断するだろう。葬られたら、棺桶を掘り出せばいいのだ。当時は死因を究明するために死体を解剖することはほとんどなかったからできたことだった。
 カロリーネは幾三郎とともに蝙蝠に化身し、家の近くまで飛んだ。幾三郎の衣服は魔術で元通りにしているから妻が不審を覚えることはあるまい。
 幾三郎が家の玄関に入ったのを見届け、カロリーネは寺に戻った。
 翌日の夜、カロリーネが再び石田家を蝙蝠の姿で訪れると仮通夜が行なわれていた。葬儀の日と墓地の場所を確かめ、段取りを決めた。
 埋葬された夜、カロリーネはカールとトラヴィスとともに墓地に行き棺桶を掘り出し幾三郎を起こした。
 起こされた幾三郎は、ただ一言カロリーネにかたじけないと言っただけだった。
 そのまま空の棺桶を埋めると上に盛った土が早く沈んでしまい不審に思われるので、棺桶には代わりに行き倒れの男の遺体を入れておいた。
 寺に戻り二人きりになると、幾三郎はカロリーネの前で正座した。

「私はもう二度と家族の元に戻れない。実のところ、今後どうすればいいか、私には皆目見当がつかない。どうか、私を導いてくれないだろうか」

 言われなくてもカロリーネは承知していた。

「導くなんて大袈裟ね。私たちの仲間はジルパン以外には大勢いるから、皆あなたを歓迎するし、いろいろ教えてくれるわ」
「なにかと迷惑をかけると思うが」
「それはお互い様。人もそうだけれど、吸血鬼も一人では生きていけないもの」

 そう言いながらも、カロリーネは不安だった。幾三郎はいつか自分の傍から離れてしまうのではないかと。いや、もっとはっきり言えば憎んでいるのではないかと。
 死を願った幾三郎はカールの指摘で、その願いに迷いが生じたように見えた。結局カロリーネを守るために負傷し、カールを救うためにカロリーネに血を吸われ、思いもかけず死の願いは成就してしまった。
 けれど、本音のところでは彼は家族に詫びねばならぬと思うほど、生きていたいと思っていたのではないか。それを魔力のためとはいえカロリーネは命を奪い、家族と引き離したのだ。
 カロリーネは憎まれて当然のことをしているのだ。だから、いつか独り立ちできるようになったら幾三郎は離れて行ってしまうのではないか。

「そのことだが、貴女は今も一人なんだろうか。ヴィダル氏が形だけの夫というのはわかるが」

 なぜそんなことを訊くのか、カロリーネは期待してしまいそうになる自分を抑え込んだ。夢を見てはいけない。

「一人よ。ヴィダル、いえカールもトラヴィスも使い魔。吸血鬼のパートナーはいない。でも、友達はいるから寂しくない」

 微笑んだカロリーネはこれでよかったかしらと思う。幾三郎に再び愛されるなどと思うのは大間違いだ。 

「では、パートナーというモノになってもいいだろうか。ダンスパーティの時にエスコートがいないのは困るだろう」

 幾三郎の顔には少しだけ羞恥がにじんでいた。まるで初めてのダンスパーティで初めてダンスを申し込む若い紳士のように。

「そうね、お願い」

 カロリーネはあっさりと言った。ダンスのパートナーを受け入れるかのように。実際、それだけで十分だった。思っていたよりは憎まれていないようだから。

「それから、妻が亡くなるまでは、男女のことは遠慮したい」

 思いがけない言葉にカロリーネは絶句した。パートナーはダンスのことだけではないのかと。男女のことまで含めての言葉だったとは。
 嬉しいはずなのに、落ち着かなかった。「妻が亡くなるまでは」とはどういうことなのか。
 幾三郎は続けた。先ほどまでにじんでいた羞恥の色は消えていた。

「貴女との時間はこれから長い。せめて妻に捧げるはずだった時間、ほんの数十年だけ、堪えてもらえないだろうか。妻は恐らく私に操を立てて一人でいるはずだ。私は裏切るわけにはいかないのだ」

 幾三郎なりのけじめというものなのだろう。カロリーネはうなずいた。



 その五日後、カロリーネは幾三郎や使い魔たちとともにジルパンから出国した。
 出発する前に上別府が病院で亡くなったことを丹桂から知らされた。上別府には同郷の妻がいたが、彼女の兄弟が郷里で起こった内乱に参加したため離別しており、身寄りがないということで東興府内の墓地に葬られるということだった。
 幾三郎にとっては恩ある人であったので丹桂に供養を頼んだ。
 ベルナール神父は意識を取り戻したものの錯乱状態になっているという。落ち着いたら母国に帰国させるとのことだったが、いつ落ち着くのかわからぬ状態だということだった。
 松小路の尽力で、幾三郎には新しい戸籍と旅券が用意されていた。戸籍の姓は鈴木といい日ノ本ではよくあるものだと松小路は言った。以後、幾三郎は名は時代に応じて変えているが、鈴木姓を名乗っている。



 以後、インガレス、ミャーロッパ、アメロバニアとカロリーネ達はさすらった。
 二十世紀になって数年後、幾三郎の妻の死を知った。カロリーネと幾三郎はジルパンに行き、長男の作った母親の立派な墓石に手を合わせた。幾三郎の墓も改葬されていた。
 以来幾星霜、今、カロリーネ達はジルパンにいる。
 この国の行く末をこの国がある限りは見ていたいと幾三郎は言う。だから、カロリーネもともにこの国にいる。




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